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アベノミクス策定の裏側で動いた人々

2013年05月21日 18時07分 JST | 更新 2013年07月20日 18時12分 JST
Reuters

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2012年夏。お盆休みを控えた8月中旬、安倍晋三は日本政治史上まれな首相再登板を決断しつつあった。

極度の体調不良と失意の中、政権の座を降りて5年。首相への再挑戦に悩み、迷った安倍の背中を押したのは、戦後レジームからの脱却という国家観を共有する「創生日本」の保守派議員や「増税によらない復興財源を求める会」に参集したリフレ派議員だ。

憲法改正や教育改革という「安倍アジェンダ」を封印し、経済再生を最優先課題に置いたのは第一次安倍内閣の失敗から学んだ。運も味方した。「異次元緩和」を主導できたのは、野党に転落した民主党政権で消費税率引き上げが決まっていたからだ。政権発足後の経済は順調だ。円高は是正され、株価も上昇。1─3月の実質成長率が年率3.5%に回復するなど、経済再生への国民の期待に応えてきた。

「経済の安倍」の誕生で、内閣支持率も異例の右肩上がり。歴代政権のなかで2番目に高い支持率を得た。4月22日付の日経新聞世論調査では76%を記録。その後も70%前後の高い支持率を維持し、小泉内閣発足時の80%台半ばに迫っている。

ただ、「アベノミクス」の成功はまだ確約されていない。最大のリスクは「期待」への働きかけが投資や賃金など実体経済の動きに結び付かず、失敗することだ。同時に、これまでの順調な政策運営は将来のつまずきの芽も内包している。対中韓関係など外交面での強硬発言に、成田憲彦・駿河台大学教授は「ここまで非常に順調にきたことで、安倍さんの本来の体質が出てきた」と指摘する。

参議院選挙まで残り2カ月。6月には大胆な金融政策、機動的な財政政策に続く成長戦略がまとまる。参院選でねじれを解消し、長期政権への基盤を築けるか。側近や政界・政治評論家など事情に詳しい十数人へのインタビューを通じ、首相復活劇の裏側からみえる安倍政権の強さと弱さを探った。

<決断の時>

みんなの党代表の渡辺喜美はちょうど1年前、六本木のバーで安倍の考えを推し量っていた。

「5月ごろだったと思う」。

安倍自身が日本維新の会の誘いには乗らないと渡辺に直接語ったのだ。

2人きりでの会合。渡辺は「その時、自民党からの再登板を確信した」と明かす。

しかし、その時点で安倍自身、9月の自民党総裁選への出馬をまだ迷っていた。

一方、民主党政権下での外交のほころびは拡大。尖閣諸島(中国名・魚釣島)の国有化をめぐり、反発を強める中国は監視船による領海侵入を開始。7月には、ロシアのメドベージェフ首相が国後島を訪問。韓国の李明博大統領(当時)も8月10日、竹島に上陸した。

「この大変な国難の時に戦えなかったら、あんた政治を辞めるべきかもしれんな」──。「創生日本」のメンバー、衛藤晟一(現首相補佐官)はこの時期、安倍の決断を強く促した。

第一次安倍政権時に自民党幹事長として安倍を支えた中川秀直は8月10日ごろ、菅義偉(現官房長官)と一緒に議員会館のオフィスで安倍と対峙した。なお迷う安倍に、「勝機はある」、「今しかない」と迫った。

安倍が会長を務める「創生日本」はこの年、3月から7月に集中的な議論を展開し、大車輪で「中間報告」をまとめた。総会に諮る時間がなくなったため「中間報告」としたが、安倍自身が手を加え、9月自民党総裁選に出馬する際の政権公約の基礎となるものは完成していた。教育改革、憲法改正が政策集の上位に並び、デフレ脱却のための成長戦略、3%の物価目標設定も盛り込まれた。

あとは安倍の決断だけだった。

<臥薪嘗胆(がしんしょうたん)>

2006年、弱冠52歳で政権の座を手にした安倍は、わずか1年で退陣に追い込まれた。スキャンダルやその後の参院選での大敗が引き金となり、持病の難病「潰瘍性大腸炎」も悪化。所信表明演説を行いながら、各党の代表質問当日に無念の「辞意」を表明した。

憔悴しきった安倍に「政治家・安倍」の次を考える余裕はなく、体調のことを伏せたまま官邸を去る。官房長官だった与謝野馨は安倍に「自身で、自分の健康状態や自分の心境を語って、総理を辞する決意に至ったことを国民に説明する必要がある」と進言。安倍は入院先の病院で再度記者会見を行い、辞める理由を説明した。これによって「安倍さんのその後の政治的活動のチャンスを作ったと思っている」と与謝野は振り返る。

復活の糸口は残った。しかし、安倍自身に復活できるとの確信はなかった。ある側近は、退陣後2、3年たったころから、「もう一回、総理を目指すアクションを起こし始めないか」と水を向けたが、安倍はそのたびに「まだ早い。まだ、あの辞め方は国民から許されていない」と拒み続けた。

転機となったのは2009年の衆院選だ。安倍はこの時、圧倒的な支持が得られなければ、任期後に政界を引退しようと決めて総選挙に臨んだと自著で語っている。首相経験者のどぶ板選挙に、側近は「執念を感じた。安倍はもう一度トライするつもりだと確信した」という。結果は12万票を獲得、対民主党候補で全国一位の得票率を上げたことが、自信となった。それでも返ってくる答は「まだ国民は許していない」だったという。

<復活への準備>

安倍の圧倒的な勝利とは裏腹に、自民党はこの衆院選で野党に転落する。今度は野党暮らしが長くなると多くが思った。「創生日本」幹事長の衛藤も「真の保守の中核を早く作らないと、野党暮らしが長びく」と予想した。2009年11月、落選してその後に亡くなった中川昭一の後を継いで、安倍が「創生日本(当時は真・保守政策研究会)」の会長に就き、安倍復活の中核が形成されていく。

憲法改正は安倍が平成5年(1993年)に初当選した時からの持論。当時、自民党綱領から党是としてきた「憲法改正」を外す議論に、1回生議員ながら、「カミソリ後藤田」の異名をもつ党の重鎮・後藤田正晴にかみつき、議論を押し戻した逸話を持つ。

側近のなかでもとりわけ長い盟友関係にある衛藤によると、安倍は当時から「憲法を変えるというだけでなく、戦後レジームを直す時にきていると認識していた」。そして、衛藤自身、「創生日本」を通じて「外交や安全保障の再生、教育、経済を思い切って変える。憲法も見直すというような明確な意思や方向性を持った人は、安倍さんの他に誰もいないと認識した」という。

<リフレ派との出会い、側近には慎重論>

復活の準備期間の前半が保守派の会合をベースとした「国のあり方」の再構築だったとすると、後半はリフレ派議員との出会いをきっかけにした「経済」。とくにアベノミクスの第一の矢である「大胆な金融緩和」だ。変化は2011年、東日本大震災を境に起きた。

安倍はもともと、経済は強くないし、関心も薄いと言われる。しかし、第一次安倍内閣でデフレ克服を経済政策の柱としながらも、2006年に量的緩和とゼロ金利政策解除を許してしまった失敗が重くのしかかっていた。当時は物価目標設定などのリフレ的考えは少数意見で、「福井俊彦日銀総裁(当時)が引き締めに走り、アベノミクスの一本目の矢を放つどころか、矢そのものを折って放り投げてしまった」(中川秀直・元自民党幹事長)。

政策実現のための「ツール」(実行力)を欠いていた。「失敗」の答えを探る安倍は、自民党きってのインフレターゲット論者である山本幸三と出会い、リフレ的考えに傾斜していく。

山本は、東日本大震災後の復興財源をめぐって、増税に頼らず、大胆な手法によるデフレ脱却と日銀による国債購入による20兆円の復興プログラムを提言。超党派議員連盟を発足させ、安倍に会長を打診した。安倍とはそれまで接点はなかったが、日銀批判を展開していた安倍はこれを承諾。議員連盟の勉強会を通じて、浜田宏一・米エール大名誉教授(現内閣官房参与)、岩田規久男・学習院大学教授(現日銀副総裁)、高橋洋一嘉悦大学教授、中原伸之元日銀審議委員など、リフレ派との親交を深めていった。

もっとも、側近のなかには、デフレ脱却の責任を日銀に背負わせ、日銀法改正にも踏み込んだ勉強会に深入りすることに慎重論もあった。政府筋は当時「山本氏の主張は異端だ。日銀法改正を前面に出しており、世界のリーダーの笑いものになりかねない」と助言もしていた。

最初は「半信半疑」だった安倍も、勉強会を重ねるにつれてその手法に確信をもっていった。安倍は先の国会答弁でも「自民党内でも異端の山本氏の主張だったが、議連で高橋氏、浜田氏の話を聞きながら、同じくリフレの主張を展開していたみんなの党代表の渡辺喜美『説』が正しいと思うようになった」と述べている。

2012年9月。安倍は自民党総裁選に打って出る。経済再生を最優先課題に据え、12月の総選挙では経済、とりわけ金融政策を争点化していく。出馬前、山本幸三は「もう一度やるのなら経済の安倍で復帰しないとだめだ」と進言。第一次安倍内閣で国民の最大の関心事である経済問題への視点が足りなかった反省に加え、デフレ脱却、大胆な金融政策を語れば語るほど株が上がり、円が安くなる状況をみて「これだ」と確信していったという。

<「100の言葉よりひとつの結果」>

安倍の復活と第二次安倍政権発足後の成功は、巧みなアジェンダ設定と徹底した日程管理による。政策課題は第一次安倍内閣と同じだが、前回は一気に取り組んで失敗した。今回は優先順位をつけ、戦略をもって日程管理を進めていることが奏功した。政治主導のメッセージを意識しすぎ、「お友達内閣」と揶揄されながら、団結よりそれぞれが競って主張した第一次内閣との差は歴然だ。「政権運営に関する首相と官房長官の緊張感には並々ならないものがある」(政府筋)という。

「合言葉は『100の言葉よりひとつの結果』」──。舵取りの要を担う菅義偉官房長官は一歩ずつ、着実な政策の実現を強調する。自民党総裁選の時から「大胆な金融緩和」を言い続けた理由も、民主党政権時代に史上最高値の1ドル75円台をつけるなど、70円台で推移する円高では、日本の製造業が国内でほとんどモノ作りができなくなってしまう危機感を感じたからだという。

最初に出た結果が、3月に交代した日銀正副総裁人事。中川秀直は、経済運営で失敗した前回の悔しさがあったから「第二次内閣で、覚悟をもって(日銀正副総裁)人事から始めた」とし、衛藤は「日銀正副総裁人事は、アベノミクスの生命線だった」とする。

衛藤は「妥協すれば、役人は言うことをきかなくなり経済政策も中途半端になる。アベノミクスを完全に理解し一緒にやれる人でなければならない」と主張。財務省が推していた元財務次官の武藤敏郎では「総理は妥協する人」とのレッテルが張られ、アベノミクス実現の致命傷になると反対したことを明かす。

安倍首相と菅官房長官、加藤勝信・世耕弘成両官房副長官は執務室で、20─30分のミーティングを行うのが日課となっている。テーマは広範囲にわたり、問題化しそうなことは事前に調整し早めに芽を摘む。「安全運転」が鉄則だ。

<「衣の下の鎧」>

参院選までは経済再生を最優先とすることも、このミーティングのなかで確認された。一方で、高い支持率を背景に、憲法改正の要件緩和のための96条見直しや、閣僚の靖国参拝への中韓の批判に対する攻撃的発言、さらに一連の歴史認識をめぐる発言など、自制してきた安倍流がふつふつとにじみ出てきている。「安倍アジェンダという『衣の下の鎧』はどんどん出てくるだろう」(成田教授)。

経済面では最大の決断が求められる消費税引き上げの最終判断も参院選後に待ち受ける。参謀の浜田教授は、経済状況次第では2014年4月からの消費税上げの1年先送りも選択肢になると提言している。他方で、「異次元緩和」を可能としたのは「国家の意思として消費税引き上げの問題に決着をつけていたことが前提にある」(大島理森・自民党前副総裁)ことも事実だ。

社会保障制度改革に関する国民会議や中期財政計画。10月中の消費税率引き上げの最終判断。TPP交渉と国内対策、原発再稼働問題など。参院選後にも、安倍アジェンダの前に取り組むべき課題、決断すべきことは山積している。

7月21日にも予定される参院選を乗り越えれば、3年間は大型の国政選挙は見込まれず、長期安定政権も現実味を帯びる。選挙後こそ、政権の真価が問われるが、安倍首相はまだ、国民に痛みを伴う政策を何ひとつ語っていない。  (文中、敬称略)[東京 21日 ロイター]

(ロイターニュース 吉川裕子 リンダ・シーグ 梶本哲史;編集 石田仁志)

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