NHK外来語使いすぎ提訴に「日本語に言い換えるべき」「外来語のままでよい」と賛否両論

NHKが「リスク」「コンシェルジュ」など理解できない外来語を多用しているとして提訴された記事を掲載したところ、多くのコメントをいただきました。提訴はおかしいとするコメントだけでなく、提訴に賛同する声も上がっています…
TOKYO - JULY 06: (JAPANESE NEWSPAPERS OUT) NHK, Japan Broadcasting Corporation headquarters are seen on July 6, 2010 in Tokyo, Japan. (Photo by Sankei via Getty Images)
TOKYO - JULY 06: (JAPANESE NEWSPAPERS OUT) NHK, Japan Broadcasting Corporation headquarters are seen on July 6, 2010 in Tokyo, Japan. (Photo by Sankei via Getty Images)
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「リスク」「ケア」「トラブル」「コンシェルジュ」「アスリート」「コンプライアンス」など、マスメディアで多く使用される外来語。今回提訴に踏み切った「日本語を大切にする会」世話人の高橋鵬二さんは、「(外来語は)若い世代は分かるかもしれないが、年配者は分からない」ことを提訴理由に挙げています。また、原告代理人の宮田陸奥男弁護士は、「外国語の乱用は全ての報道機関に言えることだが、NHKは特に公共性が強く影響力がある。日本文化の在り方を社会に広く考えてほしいという趣旨もある」と述べ、外来語の乱用に対する問題提起の意味も込めていることを明かしています。

この提訴に関して、外来語の是非を問うという意味で賛成の声が寄せられています。

takanasirinさん

提訴には賛成です。概念が全く存在しなかったものならばともかく、日本語で意味が伝わるものまでわざわざカタカナを使うというのは母国語の破壊だろう。概念がないものでも、なるべくカタカナを垂れ流さず、意味をよく考えて、明治期の様に漢語で造語して欲しい。漢語は中国語と言いますがそもそも日本語の原点であり、カタカナの氾濫とはまるで意味が違うと思う。

rararalovesongsさん

問題があると思ったのなら司法の場で判断を仰ぐという点は大事。電波という影響力が多大な産業は公正公平であろうとする姿勢が失われれば機能しなくなる。ましてNHKというのは国民から資本をもらっている立場なので国民の如何なる論議にも正面きって相対する義務がある。なのでこの人の姿勢は賛成。

その一方で、外来語使用を「問題ない」とする意見も多く見られます。さらに、「高齢者も理解する努力すべきだ」という意見を述べている方もいます。

chiechieさん

よくよく考えれば漢字も、もとは外国の文字。

音読みのものは外来語でしょう。

欧米語を漢語にしても、外来語を外来語にしているだけともとれる。

あと和製英語もかまわないと思う。

英語圏の国に逆輸出してやるくらいの気構えがほしい

yosomibitoさん

NHKで使用するカタカナ言葉は、もう「こなれている」言葉だけだと思います。知らなかったら、知識として覚えるしかないんじゃないでしょうか。また、言い換えにも賛成出来ません。例えば、コンテンツ=情報内容なんて、明らかな間違いです。媒体に載せるものがコンテンツなので、「情報」という言葉で多くの人が連想するものの範囲を超えてしまいます。映画や音楽が「情報内容」に該当するなんて、普通の人は考えないでしょう。

とはいえ、テキトーに外国語を組み合わせて業界用語的に使い始め、金儲けを企む人は後を絶ちません。そういう言葉は辞書で調べようとしても載っていないので、調べようもありません。私としては、カタカナ語にせずに、きちんとアルファベット表記する事を義務づけて欲しいですね。

nmitaさん

私達日本人は「漢字」という外来の書き言葉を長い時間使って、変形させたりもして、なんとか自分たちのモノにしてきました。現在、日本人の使う書き言葉はその100%が「外来」です。そのときどきの時代にあわせ、カタカナという外来語の変形で外来語を書いたりするわけです。時代にあわせ、日本語も変わります。それにあわせ、日本人も言葉の使い方を変えていきます。それについていけない、というのは、硬直した頭しか持ち得ない自分の事情であって、日本人であればこの「変化」についていかないと生きていけません。できることならば、いくつ歳を重ねても、柔軟な頭で世の中の動きをリードするような、そういう生き方を忘れたくはありません。

しかし、重ねる年齢とは残酷なもので、老化は人間が新しいものを受け入れる力をだんだんとなくして行きます。そういう自分を自覚したうえ、社会の中での自分のいる位置を常に見失わず、生きることが大切なのではないでしょうか?

なかには、外来語を過度に使用することは避けつつもある程度は認める一方で、外来語をわかりやすい日本語に言い換える努力を怠ってはならないという意見も見られました。

greenfinchさん

原告は賠償金を獲得したいわけでは無く、問題提起としての訴えだと思う。

確かにカタカナ外来語は氾濫気味と言ってよい状況では無いだろうか。

もちろん、日本語に限らず殆どの言語は外来語を受け入れ、定着していくものだし、完全に融合したピジン・クレオール言語も数多い。片端からカタカナ語を否定するのは無意味(ナンセンスと言ってもいい)だし、有意義な程度の使用は積極的に行うべき。特に限られた状況で使われ、海外の情勢にも大きく関わる専門用語についてはカタカナ語の割合が多くなるのも妥当だろう。

ただ、一般的に使われる言葉についてはやはり出来るだけ翻訳を心がけて欲しいのも事実。例えばインフォームド・コンセントに対する適切な訳語は早い段階で作って置くべきだったろう。病院の受診者は老若男女様々で、直感的に分かりやすい言葉の使用が適切だろうから。

カタカナの方が響きが良いから、格好が良いからという理由で安易にカタカナ語が使われるケースが多すぎるように思う。特に肩書き。記事の例ではアナリストなどは「分析家」で良いのではないか。ハイパーメディアクリエイターなどは冗談としか思えない。

適切な訳語がすぐに思いつかないというケースもあるが、ここはもう少し頑張って貰いたい。インフォームドコンセントなどは確かに難しいが、利用される状況を考えれば言い換えが妥当だ。インセンティブなどは報償でよいだろうし、CEO,COOの意味はもう忘れた。コンテンツは別に英語でも「内容」くらいの意味だろう。カタカナで訳すから特別な意味のように聞こえてしまうが、そもそもcontentsはもっと一般的な意味をもつ単語だ。

古くからの外来語は神通力を失いつつある。ジャムがコンフィチュールになり、ジャンパーはブルゾン、ジャケットになり、ゼリーはジュレになる。あと100年もすればカタカナ語も分かりやすく感じられるのかも知れないが、しばらくは翻訳を頑張っていきたい。

もっとも、そのうち中国語が格好いいということになって、漢語の時代がまたやってくるかも知れないな。

国立国語研究所「外来語」委員会が外来語の日本語への言い換えの提案を行なってはいますが、必ずしも言い換えられた日本語が正確に意味を反映しているわけではなく、理解しづらいものや不自然なものが多くあります。

論点として「外来語のままでいいのか、日本語に言い換えるべきか」という言葉の問題と、「若者が理解できるが高齢者は理解できない言葉をどう扱うか」という世代間ギャップの問題に集約されます。

また、日本語に言い換えるとして、「インセンティブ」や「インフォームドコンセント」「カウンターパート」など、日本語として的確な言い換えが難しいとされている語はどのような言い換えが可能なのかという論点もあります。

改めて皆さんのご意見をお寄せください。

大河ドラマ「花燃ゆ」主演の井上さん

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