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IBM社員解雇がアベノミクスに与える影響【争点:雇用】

2013年07月12日 00時02分 JST | 更新 2013年07月12日 00時02分 JST
Reuters

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IBM日本法人にとって56年ぶりの外国人社長となったドイツ人のマーティン・イェッター氏は昨年、日本に赴任する際、ある決意を固めていた。

社員には自分の業績に責任を持たせる‐‐。会社への具体的な貢献度を社員評価の尺度とする多くの欧米企業にとっては、当たり前ともいえる考え方だ。同氏はIBMに27年間務め、多国籍企業のあり方を熟知したベテラン社員でもある。しかし、その「常識的」な労務政策は、先進国である日本で大きな壁にぶちあたった。 イェッター氏が社長に就任して以降、同社は業績が振るわないと判断した日本IBMの社員を相次いで解雇した。そして現在、同社はその雇用契約の破棄が不当だったとして訴えられ、やっかいな裁判対応を余儀なくされている。

<アベノミクスに無視できない影響>

この裁判で影響をうけるのは、同社のみにとどまらない。日本で企業は果たしてどこまで容易に社員をリストラできるのか。外国企業だけでなく、国際競争力の立て直しが急務になっている多くの日本企業にも共通する問題だ。その答えを示唆するこの裁判の行方は、日本の伝統的な労使慣行を変え、日本再生を実現する歯車にしようという安倍晋三政権にとっても、無視できない意味を持つ。

今年6月5日、政府の規制改革会議は、安倍首相に提出した答申の中で、専門性または勤務地に基づいた新しい雇用形態として、「ジョブ型正社員」(限定正社員)制度の導入を訴えた。この議論を踏まえ、同首相は今月7日、民放テレビに出演し、「限定正社員」の法制化に意欲を示した。安倍首相が掲げる雇用分野での成長戦略には、日本の長期に及んだ深刻な経済停滞を打破するため、雇用制度を転換し、成熟産業から成長産業への人材移動を推進しよう、という狙いがある。

「限定正社員」は職務や勤務地を限る一方で、福利厚生の面では正社員に近く、雇用の継続性や賃金水準もいわゆる非正規社員より高い。同制度の賛同者は、これによって企業の雇用政策がより柔軟に展開できるようになる一方、とくに女性の勤務機会が増加し、若年層の労働者の選択肢が広がるなど、全体の労働力人口の拡大につながると主張する。

「日本人は終身雇用という概念から離れるべきだ。我々はそれぞれもっと独立すべきだ」。安倍首相が議長を務める産業競争力会議の民間議員である楽天<4755.OS>の三木谷浩史社長は言う。

だが、「限定正社員」という概念には、企業がさらにリストラを実施する口実になる、との批判も根強い。対象となる地域や職種で仕事がなくなれば解雇ができるため、正社員以上に人員削減のターゲットになりやすいからだ。

労働側から見ると、安倍政権が進めようとしている雇用改革は、労使慣行の改悪につながり、すでに吹き荒れている中高年社員などへの企業のリストラ攻勢をさらに加速する動きと映る。 「解雇の自由化というのは要するに解雇しやすくするということ。組合のような抵抗勢力を簡単に攻撃できる。大変危険な法制化だ」。全日本金属情報機器労働組合(JMIU)のIBM支部、杉野憲作書記長は6月25日の集会でこう警告した。「日本IBMのこの現状はそれを示している」。

JMIUによると、イェッター社長就任後に解雇されたIBM日本の組合員は26人。そのうちの10人以上の解雇が6月に行われたという。そして、社員5人がIBMを不当解雇で訴えた。

日本IBMは、裁判所に提出した文書の中で、これら社員に対しては、解雇の前に彼らの勤務成績が上がるよう会社として最善を尽くした、と述べている。また、個別の裁判にはコメントしていないが、同社は大容量データやクラウド・コンピューティングといった成長事業に投資しており、「高いパフォーマンスを実現する中で、社員の持てるスキルを再統合する必要がある」との声明を発表、雇用政策の正当性を主張している。

<「型どおり」にはいかない日本>

日本の雇用慣行の硬直性は、国際比較でも群を抜いている。世界経済フォーラムの2012年のリポートによると、社員の採用と解雇のやりやすさに関するランキングで日本は144カ国中134位。労働市場の硬直性が成長力を妨げていると考えるエコノミストや経営者が多い。 日本の労働法は条文の意味があいまいで、雇用者側がリストラを回避するよう努力したとしても、それを証明するのが難しい、と指摘する経営者は少なくない。「(日本の労働法規は)ほかの多くの国のように型どおりにはいかない」と人材紹介会社ヘイズ・スペシャリスト・リクルートメント・ジャパンのリージョナル・ディレクター、ジョナサン・サンプソンは話す。

日本で事業を行う企業にとって、社員の大幅削減を可能にする唯一の現実的な方法は希望退職制度だ。例えば、パナソニック<6752.T>を始めとする電機各社は、2012年から合計で18万人削減する計画を発表している。しかし、希望退職の実施は、企業側に多額の早期退職手当を支払う義務を発生させる。そのうえ、対象者を選別することもできず、最も優秀な社員らが退職手当を受け取り、ライバル会社に転職していくという皮肉な結果が伴うことがしばしばある。

一方、いったんリストラ候補の烙印を押された社員にも、厳しい現実が待ち受けている。興味の持てない仕事を押し付けられる。執拗に転職勧奨を受ける。リストラ対象者を集めた「追い出し部屋」と皮肉られる部署に配属される。不満足な異動先に何年もとどめ置かれるケースも少なくない。

100件以上の特許を取得し「パテント・マスター」の栄誉を獲得した経験を持つリコー<7752.T>のあるエンジニアは、退職を拒否したために運送子会社に左遷されたという。彼はいま、倉庫で段ボール箱の積み下ろしや移動をさせられている。昨年、労働審判には勝ったものの、会社側が裁判を起こしたため、現在も係争中だ。

「もっと若ければ、転職を考えたかもしれない」と、このエンジニアは話す。彼によると、退職する条件の中には競合のキヤノン<7751.T>など競合他社への転職を禁じる内容が含まれていたという。「私はただ、元の部署に戻るか、何らかの形で自分のスキルと経験を生かしたいだけなのです」。リコーの広報担当者は、係争中の裁判に関し、会社としてはコメントしないとしている。

<論争絶えない解雇規制の緩和>

日本は労働者の解雇ルールをどう変えるべきなのか。その議論に一石を投じたのが、今年3月、産業競争力会議の民間委員の一である武田薬品工業<4502.T>の長谷川閑史社長が同会議に提出したペーパーだ。同氏は、日本の人材力強化を進める課題として、少子化対策、教育改革と並んで、労働市場の流動化促進をとりあげ、解雇を原則自由とする一方、再就職支援金など金銭解決のルールを導入すべきだと提案した。 日本の民法には解雇自由の原則が明記されている。不当解雇から働き手を守る規定を設けている労働契約法16条を見直して民法の主旨を反映する一方、解雇をめぐる裁判で勝訴した社員はもとの職場に戻すのではなく賠償金を払う選択肢を設けてはどうかというのが、同氏の主張だ。 しかし、労働側は、これにより解雇が容易になってしまうと強く反発する。日本労働組合総連合会(連合)のトップは、日本の労働者の3分の1以上を占める「非正規労働者」が着実に増えており、その窮状改善に重点を置くべきだと主張した。政府側からも田村憲久厚生労働相が解雇権乱用の可能性に懸念を表明するなど、こうしたルール作りには賛否両論が噴出した。

結局、この解雇規制の緩和をめぐる議論は、4月に民間議員が提案を取り下げる形でいったんは終息、安倍政権の成長戦略には盛り込まれなかった。安倍首相は、連立政権の大勝が予想されている7月21日の参議院選挙が終わった後で、成長を促進するための規制緩和などの改革を改めて検討する構えだ。

解雇規制が今後の議論でどう復活するかは未知数だが、今の硬直的な雇用慣行の改善は日本の再生戦略の大きなハードルであることには変わりはない。

安倍政権による労働市場改革の現状について、モルガン・スタンレーMUFG証券のロバート・フェルドマン債券調査本部長は「Dプラス」という厳しい評価を下す。「今のルールで(企業が)正社員を雇いたいという気持ちになるとは思えない。解雇規制を緩くしたら経済的にどうなるか、を考えるべきだ」と同氏は言う。「結局、雇用は増え、賃金も増えるだろう」。

(ネイサン・レイン記者  編集 北松克朗)

[東京 11日 ロイター]

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