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オリンピック選手を育てた母親から学べること

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オリンピック選手の母親に注目し始めたのは、かれこれ22年前のことだ。私自身が母になった時期に重なるのは偶然ではない。以前の私は、オリンピックを観るとき、選手に自分を重ねていた。(「重ねた」という表現は語弊がある。私は運動能力全般が低いのだけれど、彼らにまつわる逸話には釘付けだった) 表彰台に立つ選手を見ながら、カウチに寝ころんで考えた。彼らが考えていることは何だろう?何をしたからここまで到達できたのだろう?世界一になる意味とは何だろう?

それがある時から、彼らの親に自分が重なり始めた。1988年のカルガリー大会の数年後に息子が生まれ、1992年のアルベールビル大会を観ていた私は、いったいどうして、子どもがいくつもメダルを獲得する親がこの世にいるのだろうと思ったのである。スタンドにいる親たちの晴れやかな表情に、私は涙がこみ上げた。世界一の子どもを育てるとはどういうことなのだろう、と。

この疑問は私だけのものではなかった。P&G (ザ・プロクター・アンド・ギャンブル・カンパニー) は、2010年のバンクーバー大会でアスリートの親に目を向けた。「Proud Sponsor of Mom (ママの公式スポンサー)」とキャンペーンテーマとし、「To their moms, they’ll always be kids. (邦題:母の愛)」の広告で見る人を泣かせた。2012年ロンドン大会の同社キャンペーンは「ママ、ありがとう」、涙でソフトフォーカスになるムービーだった。

そして来月のソチオリンピックに向けて、P&Gは今日、新広告「Pick Them Back Up」を発表する(URLは後ほど掲載)。どうぞティッシュ箱のご用意を (これもP&Gブランドで)。さらに「オリンピアンを育てる」のタイトルで、28人のアスリートとその母親へのインタビュー映像を公開する。広告を見てもたいして泣かなかったという方にお勧めだ。

「オリンピック・スポンサーの多くは勝者を称えますが、弊社では、選手の人格、意志力、真摯な姿勢を育む毎日の子育てがチャンピオンという形で結実した人物の目を通して、これまでの道のりを紹介いたします」とP&Gは語る。とはいえ、母親は光栄に感じる反面、なぜP&Gは父親を起用しないのだろうという疑問も当然出てくる。同社の北米ブランドマーケティング戦略担当のジョディ アレン(Jodi Allen)は取材の中で「父親も重要な役割を果たしていることは言うまでもありません」と述べている。父親に対してはGilletteなど別ブランドの企画があるそうだ。それはともかく、選手自身とその父親が、子どもの夢を叶えるために母親が貢献していることに敬意を表したいという思いをP&Gが形にした、というのがアレン氏の答えだった。

費用をかけたマーケティング調査の結果ということなら、ここはひとつ、主役を母親に譲りたいという父親の思いを私も受け止めて、アレン氏が指摘するこのキャンペーンの目的について考えようと思う。「子どもが転んだら行って起こしてやり、砂を払って『さあもう一度』と言ってあげる気持ちは、同じ母親としてよく分かります。今回のムービーには、子どもがオリンピック選手であろうとなかろうと、全てのお母さんに共感していただけると思っています。母親の誰もが、すばらしい子どもを懸命に育てているのです」とアレン氏は述べている。

そう、母となった私が観たオリンピックで毎回感じていたのはこれだ。これぞ子育てである。全力で教える、支度する、そして守る。喝采し、幸せに包まれ、心配もする。倒れたら起こしてあげる。そして世界に向かって送り出し、自分は観客席で見守るのだ。

amy and sheri purdy
Paraolympic snowboarder Amy Purdy and her mother, Sheri (P&G)


では世界レベルのアスリートの親たちは、どのような方法をとっているのだろう。私たちは、何か学べるのだろうか。取材のため、私はアイスホッケーのジュリー チュー(Julie Chu)、アイスダンスのメリル デイヴィス(Meryl Davis)とチャーリー ホワイト(Charlie White)、フリースタイルスキー・スロープスタイルのニック ゲッパー(Nick Goepper)、パラリンピックのスノーボードのエイミー パーディ(Amy Purdy)、これら5人の選手の母親にご協力いただいた。5選手とも、たまたまP&Gとスポンサー契約を結んでおり、同社が私を彼らの母親と引き合わせてくれた。P&Gは全ての米国選手の母親に対し、試合会場への交通費として1,000ドルの支援を行っている。ここでは、オリンピック選手の母というものについて、私が知ったことをご紹介したい。

初めから明らかに違うものを持っている

「抱っこを嫌がる、動きたがりやの赤ちゃんでした」我が子の幼少時代をこう振り返るのは、インディアナ州ローレンスバーグといってもほとんど山のない町で生まれたニック (19才) の母リンダ ゲッパーである。「歩行器が好きで2時間たっぷり歩かせてあげたものです。でこぼこの芝生のほうがおもしろがるので、そこばかりでした。スケートも水泳も、他の子たちより上手でした。地元のありとあらゆるスポーツチームから誘いかかり始めても、そんなばかな、程度に私は思っていました。

linda and nick goepper
Linda Goepper and her son Nick, an Olympic freeskier (courtesy Goepper family)


それがあるとき本物になる

「エイミーがスノーボードを始めたのは15才になってからです。当時は試合に少し出る程度で、オリンピック云々という目標はありませんでした。あの子にとってスノーボードは、大好きな遊びでした」35才になった娘について、母シェリ(Sheri)は語った。

2人の母親に共通するのは、子どもが自分の目標を立て直すとき、親自身にも自分を見直す柔軟性があったという点だ。

「ジュリーは兄のホッケーの試合に必ずついて行きました。それが我が家の日常でした」母ミリアム チュー(Miriam Chu)の言葉だ。「ある日そのリンクで、『女の子もホッケーしよう』というポスターが目に入ったのです」結局ミリアムは、8才のジュリーと10才のクリスティーナのためにフィギュアスケートのレッスンを申込んだのだが、3か月たっても2人はホッケーがしたいと言い張った。「女の子にどんなチャンスでも与えるべき」が持論だった彼女は、2人をホッケーチームに入れた。「ジュリーはホッケーに夢中になりました。フィギュアスケートなら続かなかったでしょう。チームの一員であることが好きなのです」

家族全員が車生活

「教員だった私は、メリルの予定に合わせて必ず仕事を切り上げ、彼女の学校からリンクまで車で送迎しました」シェリル デイヴィス(Cheryl Davis)の娘メリルは、5才でフィギュアスケートのレッスンを始め、8才でアイスダンスを始めた。「メリルが移動中に立ったまま着替えて軽い食事もできるような高さの車にしていました。リンクで娘を下ろしたら今度は弟をリンクまで送迎し、終わったら2人とも乗せて帰宅して夕食、という日々でした。

meryl and cheryl davis
Cheryl Davis and her daughter, Meryl, world and Olympic ice dance champion (courtesy Davis family)


リンク、スロープ、試合会場の周りも生活の一部

メリルのアイスダンスのパートナーチャーリーの母ジャッキー ホワイト(Jacqui White)はこう語った。「運転しているか、リンクで観ているか、のどちらかでした。トーナメントに出場するようになってからは、家を空けることが多くなりました。私には仕事があり、下の子もいます。仕事以外の時間の半分はチャーリーのスケートに費やしていたと言えます」

子ども全員のニーズに応えるにはオリンピック並みの技が要る

シェリルが自身の体験を語った。「息子はメリルより3つ年下で、メリルと過ごす時間とのバランスをとるために、息子1人を旅行に連れて行くようにしました。またトーナメント中は、父親が息子をスノーボードに連れて行きました。父と息子の時間。息子も嫌ではなかったようです。メリルを羨ましがることはありませんでしたが、息子にも同じ時間を作るようにしました。息子の前ではスケートのことばかり話すのは控えました。スケートが我が家の全てにならないようにしました」

cheryl davis and jacqui white
Cheryl Davis and Jacqui White became close friends while traveling to ice dance competitions with their children. (courtesy Davis family)


リンダ ゲッパーも同様の体験の持ち主だ。「2人の娘たちは体操選手でしたので、夫がニックをスキーの大会に連れて行き、私は娘たちの大会会場を周って国中を転々としました」さらに、末っ子のジェイスンは、兄姉に似ず伝統ある野球やバスケットボールを始めたのだった。

移動も大変だが、さらに難しいのは、それぞれの夢にバランスよくつきあうことだろう。

「娘は決して人より上手だったわけではありませんが、一生懸命で意志の強い子でした」子ども3人が揃ってホッケー選手でありながら、ジュリーだけが世界レベルになれたことについて、ミリアム チューはこう述べている。「リチャードは大学でホッケーを続けられたことに満足していました。自分の限界と長所を自覚し、彼なりの目標は達成しました。クリスティーナもホッケーは好きでしたが、高校卒業後は続けようとしませんでした。けれどジュリーには『ナショナルチームを作りたい』という熱い思いがありました。1998年長野オリンピック以前は、女子ホッケーはオリンピック競技として認められるレベルではなく、オリンピック出場を夢見ていたわけではありません。19才で初めてオリンピックチームを結成し、3度のオリンピック大会でメダルを手にし、世界選手権では金メダル4回、銀メダル3回を獲得し、次回のソチオリンピックでは米国チームでフォワードを務めます」

ゲッパー家ではこんな競争もあった。ニックの2人の姉は非常に競争の激しい競技でレベル9に達していたが、怪我のために10代初めで引退を余儀なくされた。一方、ニックは2012 ウィンターゲームのスロープスタイルで銀メダル、翌2013年には金メダルを獲得した。「でも2人はあくまでも姉としてニックに接していました。アスリート精神では弟に負けていなかったのです。夕食後は、壁を使った空気椅子、腹筋、レッグスイングで弟と競争しました。家の中では姉2人にいつも負けていたので、ツタンカーメンのように祭り上げられることもなく自然体でいられました」

莫大な出費

「私たち家族は、車でとてつもない距離を移動しています。ホッケーの遠征になると、ホテルに宿泊し、食事は外食です。子どもたちの成長に合わせてスケート靴などの道具を買い替えます。何とかやりくりして、子どもたちが夢に向かってがんばれるようこちらも頑張っています。大変な思いをしているご両親は多いのです」とミリアム チューは言う。

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Miriam Chu and her daughter, Julie, Olympic hockey player (P&G)


リンダ ゲッパーもこう話している。「この辺りでは何も修繕できず、支払も大変、そのためにわざわざ30万マイル車を飛ばしました。自分を犠牲にしすぎていると感じることもありましたね」ニックが13才のとき、父親が失業し2年間無職となった。ニックはベビーシッター、芝刈りなどのアルバイトで自分のスキー費用を稼いだという。15才で、オレゴンの名門スキー学校Windells Academyから奨学金を得て、家族と離れて暮らし始めた。「あれはあれで、別のものを失った気分でしたが」とNickの母親は語った。

傷ついた子を親の力で元通りにできるわけではない

デイヴィスとホワイトは2005年の全米アイスダンス選手権(National Ice Dancing Championships) を数か月先に控えていたが、その矢先、チャーリーがプレー中に足首を負傷した。母は、数週間リンクに上がれなくなった息子を、もう戻ってこないのではないかと心配した。「今までスケート以外の時間がなかった分、しばらくは存分に楽しんでいました。私たち家族は何も言わずに、自分で考えさせてみました。ほどなく、彼はリンクに入りたくてうずうずしてきたのです」チャーリーとメリルは2006年全米ジュニアアイスダンス選手権(U.S. Junior National Ice Dancing) で優勝し、2009、2010、2011、2012年には全米タイトルを獲得、2011年と2013年には世界選手権を制覇し、2010年のオリンピック大会では銀メダルを獲得した。

チャーリー davis and parents
チャーリー White (R), world and Olympic ice dance champion, and his parents (courtesy Davis family)


一方シェリ パーディは、我が子がスロープに戻らないのでは、と心配したことは一度もなかった。むしろ、自分の願いが絶対に叶わないのでは、という心配はあった。エイミーは19才のときに両脚を失い、脾臓が髄膜炎を発症して死の縁をさまよった。「スノーボードへの情熱があったから、生還して立ち直ることができたのでしょう」と母は振り返る。市販品ではスノーボードには使えないため、ダクトテープで父親と義肢を設計することになった。さらには、父親から腎臓の提供を受けて移植した。エイミーは現在、世界屈指の女性障がい者スノーボーダーとして認められている。「私は『本当にこれができるの?』のような問いかけはしなくなりました。娘はできると思っている、だから私も信じるしかないのです」

うろたえない自分になる

ニック ゲッパーの母リンダは「ニックが木の上から後方宙返りするのを見て怖がるのは、私より、むしろ彼を知らない人のほうだろうと思います。息子はできる、と私は信じているからです。彼の行動は危険ですが、怪我を負うような方法は取りません。慎重に計算し用心した上での行動なのです。姉たちや体操競技といった、大技を教わるずっと以前から関わってきた相手から得た様々なことが活きているのでしょう」と話している。

「心配なのは競技中です。と言っても一番気になるのは着地が決まって高得点を獲得して優勝できるかどうかです。まあ、風が強いとか、雪が降っているとかのほうが気になりますね」

自分から手を放す

シェリ パーディの言葉だ。「娘が初めて負傷したときは、家族の間で何か月も会話ができませんでした。親業のやり直し、3才の子どもを大切に育てるように接しました。娘を一人歩きさせるまで、私自身に時間が必要でした。しかし娘がゼロから立ち直っていく姿に、私は、また怪我をするのではなどと考えなくなりました。一時は、見えない敵に命を脅かされましたが、今では、娘がやると決めたことなら何でもできるはずだと確信を持てるようになりました」

しかし完全に大丈夫かというと

リンダ ゲッパーはこんなことを打ち明けてくれた。「今年、ニックは2度の手術を受けました。扁桃摘出と手の手術です。術後の回復期間、ニックは自宅で過ごしたので、普段より接する機会ができました。また子ども扱いできたのです。最高に楽しかった、なんて言ったら気持ち悪いですか?」

[(English) Translated by Gengo]

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