東京大学構内の遺跡発掘から見える江戸や明治の「お・も・て・な・し」

江戸時代、東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)には、加賀藩やその支藩である富山藩や大聖寺藩など多くの大名屋敷があった。キャンパス内では発掘で、「蘭引」(らんびき)と呼ばれる薬や酒を蒸留するのに用いた器具や、泡盛が入っていたと思われる沖縄の「壺屋焼」のとっくりなど酒にまつわる遺物が出土、江戸の大名屋敷の豊かな暮らしぶりを伝えている。

江戸時代、東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)には、加賀藩やその支藩である富山藩や大聖寺藩など多くの大名屋敷があった。キャンパス内では調査が進められ、現在、東京大学附属病院のクリニカルリサーチセンターの建設にともなう発掘調査が行われている。「蘭引」(らんびき)と呼ばれる薬や酒を蒸留するのに用いた器具や、泡盛が入っていたと思われる沖縄の「壺屋焼」のとっくりなど酒にまつわる遺物が出土、江戸の大名屋敷の豊かな暮らしぶりを伝えている。

■蒸留酒を製造する「蘭引」や沖縄の泡盛の徳利

加賀藩は江戸随一の雄藩だった。本郷キャンパスに位置していた屋敷は、約8万8000坪(29万900平方メートル)にも及び、藩主が公私の営みをしていた屋敷である御殿と、それを取り囲むように家臣たちの住む長屋などが配置されていた。今回、2380平方メートルにおよぶ調査地点は加賀藩と富山藩の藩境にあたり、大規模な地下室が約100基、検出された。また、富山藩側からは深さ3メートル以上、長軸15メートルにもなる大型の土坑(ゴミ穴)が確認され、藩邸内のゴミを最終処分していた場だったと思われる。地下室や土坑などの配置から、加賀藩と富山藩の間にあった主従関係や、富山藩内での主従関係を知ることができる貴重な遺構群となっている。

また、大名屋敷の暮らしをしのばせる遺物も多数、出土している。加賀藩側の土坑から発掘されたのは、19世紀のものと思われる「蘭引」だ。「蘭引」とは、ポルトガル語の「alambique」が転じたもので、江戸時代に使われていた蒸留器具だ。最下段に水や原料を入れて加熱、気体を冷水が入った最上段で冷やす3段構造になっている。底面には「粟田寶山」の釜印があり、京都の「粟田焼」であることが分かる。江戸時代にはこうした「蘭引」が、医療や酒、化粧水の製造などに利用されていたとされる。

また、同じ遺構からは、泡盛が入っていた可能性がある沖縄の壺屋焼の徳利が出土。遠路、沖縄から運ばれた泡盛や、蘭引で作った酒に舌鼓を打ったり、客人をもてなしたりした上流階級の武士たちがいたのかもしれない。

これ以外にも、多量の陶磁器や貝殻などの生ゴミが捨てられていた地下室の一つからは大量の鹿の角が発見された。何かに加工される途中の段階のもので、耳かきの完成品も同じ場所から出土している。藩邸内にあった工芸品などの工房に関係する遺物と思われる。

富山藩邸は弘化3(1846)年、加賀藩邸は明治元(1868)年にそれぞれ火災に遭い、明治時代には文部省用地となった。その後、東京帝国大学が発足、幕末から明治時代にかけて、近代化を促進するために招聘された外国人の教師や技師ら「お雇い外国人」の住居も敷地内に建てられた。

武蔵野台地の東端にあたる本郷キャンパスだが、今回の発掘調査地点はその中でも最も東で、上野方面へとゆるやかに東京低地へ傾斜する立地。上野公園や不忍池が眺望できる場所に、外国人の住居跡も確認された。発掘調査を担当している東京大学埋蔵文化財調査室助手、追川吉生さんは「当時から、日本に訪れた外国の方たちへの『おもてなし』があったのではないでしょうか」と話している。

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