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舛添要一さんってどんな人? 「ニュータイプの国際政治学者」としてデビュー、TVゲーム化も【都知事選】

2014年01月16日 19時05分 JST
時事通信社

1月14日に東京都知事選に出馬表明した元厚労相の舛添要一氏。同じく出馬表明した元首相の細川護煕氏に対抗して「私も脱原発です」と会見で訴えたが、今までどんなことをしてきた人だったのか。23日の告示日が迫っているが、経歴についておさらいしてみよう。2001年に参院選に出馬してからは、すっかり政治家の顔になっているが、かつては若手の国際政治学者として、新聞やテレビで引っ張りだこだった。TVゲームすら作られていた人気っぷりを振り返りたい。

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■若手学者としてお茶の間の人気者

舛添氏は福岡県生まれ。東京大学の法学部卒業後、助手として大学に採用される。 パリ大学への留学を経て東京大学に戻り、1979年に30歳の若さで助教授となった。

83年には、ミッテラン大統領当選直後のフランス政局を分析した「赤いバラは咲いたか」(弘文堂)という単行本を上梓。裏表紙には「今最も注目されているニュータイプの国際政治学者」と紹介文が書かれていた。1989年には東大を退官し、舛添政治経済研究所を設立している。

90年代には、田原総一朗氏らが司会を務める「朝まで生テレビ!」や、「ビートたけしのTVタックル」の出演を通して、国際情勢に通じた若手の学者としてお茶の間の人気者になった。1992年にはココナツジャパン社から「舛添要一 朝までファミコン」というTVゲームまで出ていた。

■都知事選で石原氏に敗れた後に国政進出

99年には、青島幸男氏の後任を選ぶ東京都知事選挙に無所属で出馬。石原慎太郎氏の圧勝の前に3位で落選している。その後、舛添氏は国政に進出。2001年の参院選比例区に自民党候補として出馬し、最多得票で当選した。2007年の第1次安倍政権で厚労相として入閣。「消えた年金」などの問題に取り組んだ。当時の仕事っぷりを、医療問題ジャーナリストの熊田梨恵さんは、ハフポスト日本版で以下のように振り返っている。

舛添氏の特徴といえば、外部ブレーンだ。東大の仲間や教え子、その関係者たち。なにせ東大出身者は各界の主要ポジションに散らばっている。中には党の違う国会議員もいた。彼らから、現場の声や厚労省には上がってこないデータがリアルタイムで寄せられる。舛添氏はそれを見て即決断、政策を実行に移した。その様子からは、政治家は政策の専門家になる必要はなく、信頼できる情報を多く得て、タイミングを見計らって重要な判断と決定をしていくことが大事なのだ、と唸らされた。

(熊田梨恵「舛添氏は、何を日本に残したか? 」2013/06/11 11:35)

舛添要一氏・画像集

■自民党執行部を批判して離党、「新党改革」代表に

舛添氏は民主党に政権を奪われ、自民党が野党に転落した後の2010年4月、執行部を批判を繰り返した上で離党。参院議員6人による「新党改革」の代表に就任した。このとき、自民党で除名処分を受けていることが、今回の都知事選で同党の支援を受けるに当たってネックになっていた。

舛添氏は自民党を離れ新党改革を結党し、自民党の党紀委員会で、一番重い「除名」処分となる。過去、党を除名となった者を復党させたり、選挙で支援したケースはない。

(dot.「細川・小泉ラインvs.舛添自民党 舛添氏が過去に繰り返した安倍批判」014/1/16 07:00)

舛添氏は1月15日、5年ぶりに自民党本部を訪ね、党本部の支持をようやく取り付けた。

舛添氏によると、党本部を訪れるのは2010年4月に離党し、党から除名処分を受けて以来のこと。その点について記者団に「(党内には)私に反感がたくさんあることは当然だ」「いろんな思い入れはありますが、過去のことは考えずに先のことを考えたい」などと、時折笑顔を交えながら語った。

(スポニチ「自民が舛添氏支援を決定 4年ぶり党本部で石破幹事長と会談」2014/1/16 05:30)

ただし、野党時代の厳しい時期に離党した舛添氏へのわだかまりは根深い。小泉進次郎衆院議員にいたっては「私は応援しない」と、はっきり言い切っているほどだ。

「父親譲りの筋を通す性格」(自民党関係者)の進次郎氏を突き動かしたのは、まるで「除名」の過去がなかったかのように知名度の高い舛添氏にすがった自民党の「節操のなさ」だった。「(舛添氏は)自民党が一番苦しいときに『自民党の歴史的使命は終わった』と言った。歴史的使命は終わってなかったってことですかね?」



(朝日新聞デジタル「進次郎氏「舛添氏応援に大義はない」 都知事選、自民に動揺」 2014/01/16 05:00)

■「私も脱原発です」

舛添氏は新党改革が党勢拡大できなかったことを理由に、2013年6月7日に引退会見を開いていた。このまま政治の世界から身を引くかと思われていたが、猪瀬直樹・前都知事が医療法人「徳洲会」グループから5000万円を受け取っていた問題で辞任したことを受けて、都知事選出馬を決意した。古巣の自民党の支援を受ける形で2度目のチャレンジになる。

東京オリンピックを「史上最高の五輪にする」と最重要課題に据える一方で、脱原発を唱えて出馬した細川護煕氏に対抗するかのように「私も脱原発です」と出馬会見で訴えた。

「東京は、日本で一番電力を消費する街です。私達は、電力のおかげで快適な生活を送れている。私は東北の大震災が起こる前からいつも言っていたのは、沖縄と福島、ないしは新潟の方々のほうに足を向けて寝れないじゃないか、と。基地の負担は75%沖縄で集中して、そのおかげで日本の安全が守られている。

私たちのこの電気は、新潟とか福島で作られている。そのおかげです。だから本当に震災の後、福島に行って悲しい思いで、なんとかしたいという思いでした。そこで、私も脱原発です、ということを常にそれ以来、言い続けています」

(ニコニコ生放送「《都知事選出馬へ》舛添要一氏 記者会見 生中継」より)

【※】舛添要一氏の都知事選出馬について、どのように思いますか?コメント欄にご意見をお寄せください。

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