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飯舘村・菅野典雄村長「経済一辺倒のままでいいのか」 将来を見据えた復興のありかたとは

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RECONSTRUCTION OF FUKUSHIMA
将来を見据えた復興のありかたを議論した武藤琴美さん(左)、飯舘村・菅野典雄村長、岡田豊さん | HuffPost Japan
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「将来を見据えた復興」とはどのようにあるべきなのか――。

福島第一原発の事故から3年が経ち、福島の各地域では復興で新たな街づくりが計画されようとしている。しかし、今後10年、20年経ったとき、今の計画が正しかったと、自信を持って言えるものなのか。2月27日に東京都内で開催されたトークイベント『J.Iフォーラム 福島から日本を考えよう』では、福島の現場の視点だけでなく、他の震災での復興事例も交え、活発な議論となった。

■モノによる復興ではなく「心の復興」を=飯舘村・菅野典雄村長

「原発事故から私たちは何を学び、何を次の世代にバトンタッチするべきなのか。成長一辺倒では、日本は危ない方向に向かっていると言えないか」

菅野典雄村長菅野さん「国民に寄り添ってもらわなくてはならないのに、国はイケイケドンドンということで住宅を作ったり、岸壁をつくってきれいな海を見えなくしたり。少しでも改善されるように地元から逆提案をしていくということも大事なのではないか」

モノによる復興ではなく「心の復興」が今こそ必要だと話すのは、村民約6000人全員が避難した福島県飯舘村の菅野典雄(かんの・のりお)村長。

菅野さんは被災地だけでなく「成長一辺倒」になっている日本全体の動きに警鐘を鳴らす。

「成長だけが、日本や世界の進む道ではないとわかると思う。アメリカがおかしくなり、ヨーロッパがおかしくなり、日本もおかしくなった。これだけ豊かな国になりながら、まだ豊かさを感じられなくて、もっと豊かに、もっと便利に、もっと、もっと、と言っている。

そう言っている限りは、どんどん危ない日本が成り立って、それを次の世代にバトンタッチすることになるのではないかなという気がします。

大量生産、大量消費、大量廃棄で日本の経済は回ってきた。私らのときにはおふくろが縫い物をしていたが、今はユニクロでいくらでも買える。大量に投げて日本の経済は発展してきた。それはこれからも必要です。

でも、それだけで良いんでしょうか。ちょっとこれから暮らし方を考えていかなければならないのではないですか」

までい 飯舘村が掲げる「までい」の語源「真手」

菅野さんが掲げるのはスローライフという言葉を飯館流に言い換えた『までい』の暮らし方だ。

『までい』は、左右揃った手を意味する『真手』という語が訛ったもの。お茶を出すときは両手を使う、キャッチボールは片手で受け取るのではなくもう一つの手を添えることで万が一の落球も防げるというように、丁寧に、念入りに、手間ひま惜しまず、心をこめて物事に取り組むという考え方だ。

経済効率を重視してばかりいては、子供たちを育てることや、人とのコミュニケーションがおろそかにならないか。真の豊かさとはなにか。

『までい』な暮らし方をすることで、無駄なものを排除したり、他人のことを思いやれる暮らしができるようになるという。菅野さんが思いやりなどの「心の復興」を訴えるのは、原発事故によって住民らの間で「心の分断」が起こっていることも一因とみられる。

「原発事故の対応は、ほかの災害とは全く違う。これは痛いほど思い知らされた。

ほかの災害は心が結束する。しかし、この放射能の災害は心の分断の連続です。家の中でも、年代の違いで全く受け止め方が違う。夫と妻でも違う。原発離婚、結構あります。

村の中でも、高いところと低いところ、賠償金もまた大幅に違ってきますので、心の分断とどういうふうに向き合いながら進めて行くかが重要です。しかし、残念ながら国が出す政策は、その心の分断を助長する政策ばかりだなという気がします」

「心の分断」の原因となった原発。首都圏が必要とする電気を作り出すために、福島に作られた施設だった。

「私は安倍さんは大好きです。アベノミクス、全くそうだろうと思います。国民の7〜80%がそうだと思って、そこに期待をしている。もっと経済をという話になりますと、もっとエネルギーが必要になってもっと危ない日本を次の世代にバトンタッチすることになりませんか。

今、全国には4万8千件のコンビニ、256万個の自動販売機があるそうです。どんどん便利になって24時間電気がついている。確かに便利ですよ。しかしその結果、星空の綺麗さを見れない。これは本当の幸せなんですかね。

無駄なものをちょっとずつ、電気を消していくという時代になっているんだという認識をもっていただく。東京の電力を私たちは送ってきたからこういうことになっているわけで、少なくとも東京近郊の方には考えてほしいと思っています」

■復興に湧いた奥尻島―20年後は人の居ない「過疎」に悩む

モノによる復興を危惧するのは、菅野さんだけではない。みずほ総合研究所の岡田豊さんは、北海道南西沖地震で大津波に見舞われてから20年たった現在の奥尻島の様子を写真で紹介した。岡田さんは、“ハコモノ”はつくって終わりではなく、メンテナンスも必要になると指摘する。

国から予算が降りてきて、町は建設ラッシュに湧いた。震災需要で一時は潤ったかもしれないが、20年経ってみて、当時つくったハコモノは存在価値があるものだったといえるのかと問いかける。

奥尻町の震災住宅 奥尻町の災害公営住宅。人は住んで入るがメンテナンスのお金がないので草ぼうぼう

奥尻町の避難路
高台に逃げるためのドーム型避難路

奥尻島の人工地盤
奥尻島の人工地盤

aonae okushiri 青苗地区に作られた広大な公園

「この写真は、北海道奥尻町の高台に作られた災害公営住宅です。注目していただきたいのは、草ぼうぼうだという点ですね。人は住んでいるのですが、荒れ放題です。メンテナンスするお金がないんですね。

何億円かかけてつくった集会場(新生ホール)も、壁も崩れ落ちていますが修理されていません。費用がかかるため、改修できないという状況になっています。つくられて20年たたないうちに立入禁止になって、これでは何のためにつくったのか分からない。

高台に避難するための避難通路は、ドーム型で天井に電気がつくようになっていますが、この電灯のほとんどが切れてしまっている。奥尻島の地震は夜に起こったので、避難するときに明かりがあればという考えでつくられましたが、その後は使われたことがない。使われないので電球も切れたまま。

海側には防潮堤がつくられました。町からは海が全然見えなくなった。観光の町なのに海が見えないんです。人工地盤もつくられ、津波が来た時には逃げられるようにしましたが、これも使われたことがありません。

津波記念館も作られましたが大きい赤字を生んでいます。資料を維持しなくてはいけないし、人も雇わなくてはいけない。津波で壊滅的な状態になった青苗地区には公園がつくられました。観光客を呼べばいいのではないかということだったんですが、公園だけで呼べるわけもなく、重荷になっています」

■早く復興を行えばいいというわけではない=岡田さん

岡田豊さん 岡田さん「どんな町も頑張れというつもりはない」

地域経済を研究テーマの一つにしている岡田さんは、日本の各地において地域経済が軽んじられていると指摘する。震災の前から言われていたように、働く場所がないことは地域の存続に関わるということを、震災復興ではもっとリアルに考えるべきだという。

「若い人たちにどんな仕事を与えるのか、どんな活躍の場を与えるのか。そういうことを考えなくして、その地域の活性化はあり得ない。例えば奥尻島には大学がない。大学進学するために島を出る。大学進学した人を島に戻すにはどうするのか。そういうことをリアルに考えなくてはいけない。

奥尻の震災の後、人を増やすということを考えられたでしょうか。人を減らさないためには何をしていかなければいけないのか、考えなくてはいけないが、それを震災復興では忘れられているのではと思います。

今地方都市を中心に人口が減っています。理由は明らかで、若い女性の仕事が無いからです。特に高学歴の女性の仕事が無い。よく考えてください。若い高学歴の女性は仕事がしたいのか。震災の後では阪神淡路大震災でもそうでしたが、そういう観点が忘れられてしまう。

若い女性が働けない土地に将来はないです。何故か。若い女性しか子供を生まないからですね。将来を担うのは若い女性なんです。男性ではない。

工場を誘致しましょうという話はいっぱいあります。製造業の工場が来て大卒の若い女性は働きますかね。

そういうことを何も考えずに、震災復興というのは何故か行われてしまっている。安全安心だけですませて、なんとか町になったなぁという空気になっている。

今回の震災復興でも、20兆円を使ったのにもかかわらず、奥尻町と同じような場所が100箇所作られることになりかねない。奥尻町では過疎化が進み、2005年から2010年の国勢調査では、全国で2番目の人口減少率となっています。

奥尻町では被災者一人あたり、4〜5000万円が復興で使われ、義援金も一人あたり1000万円ぐらいあった。そこまでしても、それだけにしかならなかった」

しかし、現実にはゆっくり町の将来を考えることは難しい状態であると、岡田さんは課題をあげる。

「奥尻の地震は夏に起こったが、冬には復興計画ができています。すごい速さです。残念ながら彼らは、町の将来を決めるようなことをじっくり考えられなかった。

奥尻だけではなく、町の将来を考えている地域はそんなにありません。訓練をされていません。だから、地震などの事が起こったとしても考えることは難しい。そのため、国や北海道から現れたメニューを、鵜呑みにするしかない状況に置かれたんだと思います。

ですから、被災地に対して『もっと考えろ』と言うのは簡単かもしれないですが、現実には難しいと思います。訓練を積んでいない人に街づくりを考えろというのは難しいですよ。(地域の発展を研究している)私でも難しいです。なかなかアイデアは出てこない。

町の将来を考えるためには、ものすごい知恵と、ものすごい新しいアイデアが必要になります。それには時間がかかるんですよ。震災後すぐに復興するというのはあり得ないわけです。

今回の東日本大震災で恐ろしいなと思ったのは、すぐに住宅を建てないと『何もやっていないじゃないか』と言われるわけです。

阪神淡路大震災では確かにすぐに家が建ちました。直下型の地震でしたし、土地の経済力もありました。しかし、阪神淡路大震災が復興したのは国のお金じゃないんです。民需があったからです。あの地域には人口が、ビジネスを展開できると思う人たちがいたから、民間企業がどんどん投資した。

逆に、国がやったことというのは神戸空港をつくったり、ポートアイランドをつくったりというものなんです。国はそういうことをやっちゃうものなんですよ。

迅速な生活再建が、被災者からは望まれている。国は、除染さえ住めば人は住むんだといいます。そんなことはあり得ない。

町の将来を考えるには時間がかかる。その間の住民の生活をどうするのかを考えなくてはいけない。このへんのリアルさが、国には欠けていると思います。また、それが被災地に丸投げされているように思います」

■「普通の仕事はあります。住みやすいです」武藤琴美さん

被災地の復興を一緒に考えたい。そのために被災地に移り住むことも選択肢の一つとして出てくるだろう。しかし、いくら何かしたいと思っても、現地では暮らして行けるのか。実際の被災地では、人手不足だと話すのは、震災後に福島県南相馬市に移住した武藤琴美さん。救援物資を届けるボランティアをしているうちに、南相馬の街に惹かれて移住したという。この街は今、「普通の仕事」をする人が足りないという。

kotomi muto 武藤琴美さんは南相馬が気に入って移住した

「ほんとうに人が足りないので、一時的なことかもしれませんが時給がどんどん上がっていて、行った時には高くて800円という状態だったのが、今は1200円出してもアルバイトがこないという状態です。

普通の仕事で人が足りなくて、営業だったり、事務だったり、コンピューターを使うだったり、今まさにここ(首都圏)で仕事をしている人が、自分の仕事を持って行って、仕事ができる状態。どうして南相馬で人が足りないかというと、働く年代層の人が街をが去ったからなんですね。

被災地で暮らすといっても、仕事はなんでもいいというわけにはいかないと思います。今は、水産業でなくても仕事はあるんです」

武藤さんの夫も、ホテルのフロントの仕事をしながらボランティアを続けていると話す。また、被災地で暮らす際には、一つの市町村や一つの県だけで見ずに、全体を見ることで町での暮らしやすさに関するイメージが掴めるのではないかという。

「南相馬は商店が揃っていて、ユニクロもあるし、スーパーもある。南相馬には映画館はありませんが、電車で1時間弱の宮城にはシネコンがある。県をまたいでいるのでなかなか分からないですが、現地の人は知っていて教えてくれます。

現地に見にくると、暮らしやすいかどうかということがわかるんです」

福島県の海岸沿いの浜通り地方は、各町がつながっており、その町にはなくても隣の町にはある場合もある。そこを知ってほしいと、武藤さんは話す。

■未来の街をつくる「アイデア」はどのように生み出せるのか

未来の街を考えるためには時間がかかる。しかし、時間はかかっても諦める必要はない。岡田さんはハリケーン災害の後、復興してきたアメリカのニューオリンズの街のことを紹介した。

「ニューオリンズはハリケーンの前は衰退していた。衰退する街は投資するに値しない。当り前な理由でした。

しかし、街では何もやらなかったわけではない。ニューオリンズは今では全米で2番目に起業が多い街になった。全く新たらしい街で、違う街にしようという人がぞくぞく出てきたんです。この視点が日本には足りないのではないかと思います。

日本では元に戻す復旧ということを政策でやります。傷ついた小学校を寸分違わずもとに戻すということについては、お金がびっしり出るようになっている。でも、復興という点については、何も定義されていない。

20兆円というのを投資と考える方法もあったんじゃないかなと、私は思います。震災直後、欧米のメディアには『20兆円は投資ですよね。日本はどうやって投資を回収するつもりなんですか。投資すべき土地なんですかね』とたくさん聞かれました。復旧ではなく人々に分け与えるということも方法論の一つとして議論されてよかったのではないかとも思います。

また、被災地に求められているのは『何かを生み出す人』です。お金を使う人はいらないんです。被災地に多いのはお金を使う人たち。

monopoly aizu 岡田さんがつくった「会津版モノポリー」

私はモノポリーを使って地域おこしを手伝おうとしています。どの地域でもそうなんですが、地域資源というものがあります。しかしそれを活用して何かを生み出すということを生み出していない地域はいっぱいある。

私はこの震災で、会津に絞って地域おこしをやりました。会津は被災地ではないのですね。しかし、風評被害で苦しんでいるという。被災地じゃないからできることはいっぱいあるのに。

それは、何もやっていないからじゃないかということで、私は会津の地域資源を集めたモノポリーをつくって売るんですね。売るということはビジネスになるということです。あなた方がやってこなかったことで、カネになることはあるということを見せることができる。

何にもないところに、何かを生んでくれる人たちが求められている。そのためには時間がかかる。日本人は苦手ですね。こういう人たちが集まってくるには時間がかかります」

tadao kanno 菅野さん「まけないって書いてありますが、この手拭い、短くてクビにも頭にも巻けないんです。そういう考え方ができるかどうかです」

また、菅野さんはこれからの時代はバランスを備えて柔軟に物事を考えられる人が必要だと話す。

「日本は第3の転換期が来たということが、15、6年くらい前から言われています。第1は明治維新。武士の時代が終わり、第2は戦後で、軍人の時代の終わりを告げた。では、第3の転換期では何が変わるのか。多分時代の流れを読めないものが滅びてゆくということだろうと思っています。

時代を読むためには、柔軟な考え方をするべきではないかと思います。経済も大切だと思いますし。バランスですね。

どうも日本人は、極論に酔う国民になってきてしまったなと私は心配しています。郵政民営化、コンクリートから人へ、脱原発、失われた20年だからアベノミクス。そんなに簡単に解決できる、単純な世の中ではなくなっていると思います。

日本人はシロかクロかに決着をつけようとする。真ん中の決断をすると悪い方に捉えられるが、バランスというのは必ず必要だ。物事をひとつの面からみるのではなく、色々な面から見ることが、必要なのではないでしょうか」

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