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桜井勝延・南相馬市長「国も我々もパニックの連続だった」【東日本大震災3年】

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KATSUNOBU SAKURAI
記者会見する桜井勝延・南相馬市長=日本記者クラブ | 中野渉
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福島県南相馬市の桜井勝延市長が3月3日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、除染が進んでいないことが大きな課題だとして「原発とは共存しない」と脱原発を強調する一方、「お金よりも心の再生が重要」と述べた。

桜井氏は2014年1月の市長選で再選された。2011年の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で多くの市民が避難を余儀なくされるなか、事故に対する国や東電の責任追及や、脱原発を明確に掲げる姿勢が評価された形だ。桜井氏は、アメリカのタイム誌から2011年版の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。

南相馬市は南端が福島第一原発の約10キロ北にあり、市域の4割が避難指示区域に指定されている。大震災の直前は人口は約7万1千人だったが、約1万3千人が避難し、区域外からも1万人超が市外に自主避難している。

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■人材育てる塾を作りたい

記者会見の要旨は次の通り。

(2011年)3月12日に原発事故があり、残念ながら、日本のマスコミの人たちは南相馬から去っていった。その後、我々のところに来た大手マスコミの若い記者の態度はあまりにもひどかった。我々があたかも悪いこと、犯罪をしたかのような取材の仕方をしていた。

南相馬で働く人たちは、作業員を含めて少なくなっている。子育て世代のお母さんたちを中心として、避難した人たちが戻れなくなっている。市民の感覚では、とにかく除染をしないといけないということだ。除染の費用は莫大で、1200億円を越える当初予算の半分以上が除染の費用にあてられる。膨大なお金が投下されているにも関わらず、残念ながら結果が伴っていない。

原発事故での関連死は今でも増えている。災害弱者のケアもできていない。原発20キロ圏内から避難した若い世帯の人たちの中には、戻るところが無くなったことで自ら命を絶つ人も少なくない。賠償では解決できない。コミュニティーがなくなったことへの損害はまったく含められていない。

また、帰還しなさいと言っても、セキュリティーがないところはどうするのか。避難させてしまった責任は大きい。

世界的な災害だからこそ、いま取り組んでいることは世界的な事業だと言っている。南相馬では、担い手の人口、生産人口が激減している。一方、多くの学生がボランティアとしてやってきている。雇用不足(解消)に役立ってほしいと思う。だから大学を作ることを提案している。一定期間、被災地にいることとで単位がもらえるようにする。地元民との関係が築かれる。復興大学だ。

学生は、現実を見ることで何が出来るかという使命感をしっかりもつことができる。南相馬に役立ってほしいのはもちろんだが、彼らが日本を背負って立つ人材になるきっかけにもなる。一方、南相馬の中から人材を育てる必要がある。南相馬に塾をつくって人材を育てる。公費でやろうと思っている。南相馬でやることが世界で役立つのだと、しっかり見せつける必要がある。

官僚との関係もできた。震災から3年、多くの官僚と大いに議論した。私は無理なことを言ってきたのかもしれないが、現実的には市役所を残す決断をして、結果として多くの事業所が再開できた。市民は避難させても私は避難しないという決断をして、役所の求心力は高まった。だがインフラはまだまだで、課題は残る。国と対峙するつもりはないが、南相馬で起こったことと、家族や地域、市のありようを考えると、原発と共存せずに南相馬を再生させていく。

■政権交代しても変化はなし

一問一答は次の通り。

――大震災の後、政権が民主党から自民党に変わりました。政権は、国が全面に出ること明確にしてアピールしています。国の姿勢をどうみますか。

政権批判をするつもりはないが、政権交代してどれたけ変化したかというと実感としては変わっていない。お金は多分来ているのだろうが、進んでいない。

――取材のありかたについて、大手マスコミの取材のあり方がひどいとの指摘がありました。具体的にどうひどかったのか。

50キロ圏外に出てくれれば取材に応じてあげる、という記者がいた。なにを考えているんだろうと思った。私は50日間役所に籠城しているのに、そんなに意気地のない人が記者をやっているのかと思った。

市民への説明会を開いて体育館に市民700人が集まった。市民から私が叱責、罵倒される姿を見て、「市長は逃げるんですか」と平然と若い記者が私に詰問した。私は一度も逃げたことはない。しかし、そういう事態をおもしろおかしく伝える。私は国の人が右往左往すのを避けたかったし、直接、市民に対応したかったのだ。原発事故で逃げた記者に答える義務はないと思った。

――再生のためになんでもやる、とのことですが、地域連携などの予定は。

震災によって、いままでは考えられなかった自治体のつながりが広くできている。今後、連携を拡大して、強い防災体制につなげていくことができるのではないか。

――除染について、もっとうまいやり方はないのでしょうか。もう一点、市長は市役所に籠城したのですが、市役所の職員はどういう体制だったのですか。どう説得したのですか。

除染の方法は確立されていないし、莫大なお金がかかる。しかし一方で、除染をしないと元に戻らないという心理的な問題がある。

震災当時、職員は大変だったと思う。「働き方は通常の勤務態勢で」と職員に伝えた。避難したくて仕方ない人もたくさんいたのも事実。しかし避難できない避難弱者の市民もいるわけで、しっかり支援をしないといけなかった。「公務員は市民の奉仕者。市民が一人でも厳しい状況にあるなら、市役所が逃げてはいけない」と全体集会を開いて職員に伝えた。疲弊して早期退職した職員もいた。職員は頑張ってくれた。感謝している。

――日本はどう、震災の教訓をいかしたのでしょうか。東電の経営姿勢や、政府の政策には問題がありました。感想は。

東電は、事故から11日後にようやく連絡をとってきた。被災した各自治体に見舞金2千万円を支払った。しかし問題は、不安になった人々の生活や心を立て直すこと。心の再生が重要ということだ。いまも(避難区域が)線引きされ、補償額も差別されている。その刃(やいば)は、国ではなくて各自治体の長に向けられる。現場の不安や不満をどう解消するのか。お金で解決できることもあるかもしれないけれど、お金では解決できないこともある。心を再生させることが重要だ。

国も東電も我々も、(震災という)新しい初めての経験をしてパニックの連続だった。この事態から学んで、二度とこういうことを起こさないことが大切だ。それを世界にも示したい。もっと住民に寄り添って、住民の気持ちを一緒に考えようではないか、と言いたい。

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