NEWS

横田めぐみさん両親「孫に会いたかった」 【会見詳報】

2014年03月18日 01時10分 JST
niconico

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親、横田滋さん(81)と早紀江さん(78)夫妻が3月17日、川崎市内で記者会見し、めぐみさんの娘のキム・ウンギョン(ヘギョン)さんに面会した様子を語った。3月10日から14日にかけてモンゴルのウランバートルで面会し、夫妻のひ孫となる生後10カ月の娘も同席したという。

北朝鮮は公式に、めぐみさんは死亡したと発表したが、夫妻は改めて「生存への確信はゆるがない」と表明した。

会見の主なやりとりは次の通り。

【今回の面談が実現した感想】

滋さん:ウンギョンさんは、これまでテレビでは何回も見たが、実際にお目にかかるの初めて。14、15歳のときにテレビで見たが、大人になって背の高さがさきえよりちょっと高いくらいで、前見たときは面長だったが、今はまんまる顔で、同じ家系なのかなと思った。子どもとして昨年5月に生まれた10カ月の子どもが、我々のひ孫がいまして、歩行器みたいなのに入って、非常に速いスピードで歩き回っていました。11キロ、あのぐらいの子でそんなに太った子は見たことないくらいで、早くなついてくれてよかったと思っています。

早紀江さん:本当にありがとうございました。何でヘギョンちゃんて言うんですか?っていうくらいで、ウンギョンちゃんが本当の名前だそうです。めぐみちゃんの若い頃を、私たちは見られなかったんですけど、若いときのめぐみの感じによく似てるなあと感じることが多かったし、赤ちゃんも思いがけなく大きく育っていて元気で、ニコニコして気勢を上げながら笑いかけてくれて、夢のような、長いこと願っていたことを実現したと、私たちにとっても奇跡的な日だったと思っています。たくさんの方にご尽力頂いたおかげと感謝しています。希望していたことがかなえられたことが本当にうれしくて、肉親として、祖父母と孫として会いたいと思っていたことが、静かに実現したことが、私たちには喜ばしいことであり、不思議な瞬間で、一つ一つが感動しながら過ごした日々でした。

【どんな人が同席し、どんなやりとりが】

滋:月曜から金曜まで5日間旅行したわけですけど、偏西風が強くて6時間かかってかなり遅く着いて、その日は本当にちょっとだけ顔を合わせただけだった。火水木の3日間はずいぶん長く会うことができました。私たちは3階で、ウンギョンさんは4階。食堂が2階にあった。そこにほかの宿泊客がいなかったので、ずいぶん長く話をすることが出来た。ウンギョンさんが、金曜日はただ帰るだけであまり話ができなかったけど、自分が持ってきた野菜なんかを使って昼食をつくってくれたりして、かなり長い間話をすることができました。先方は男の通訳が一人と、こちらからはウンギョンさん夫妻と赤ちゃん4人。こちらは2人と外務省の方が通訳をしてくださいましたので、3人。それだけの人数でずいぶん長い間いろんなことについて話ができましたので、行って良かったと思います。

早紀江:あまり込み入った話はできませんけども、私はとにかく孫に会いたかった。めぐみの面影を思い浮かべながら、普段と変わらない感じで、特別緊張もせず、動揺することもなく、ああこの人が孫だったんだ、本当に会いたかった人だったんだと。向こうもいつもニコニコして話してくれて、冗談も面白く手ぶりで話してくれて、前から一緒にいたような感じがするほど和やかにお話しさせていただいて嬉しかったです。赤ちゃんといっても10カ月かな、飛行機に乗って、部屋中を動き回って、本当に朗らかに歩き回っていてくれて、本当に良い子だなと思って見ていて、まさかこんな大きなひ孫が突然現れたということ、ウンギョンちゃんが突然、テレビに出てきたときと同じような。本当に私たちにとっては願っていたことが実現したということで、嬉しく思っています。

【横田めぐみさん安否】

滋:立場ってものがあるから、仮に知っていたとしても話せないと思うので、政府の発表によると亡くなっているんだというようなことを言ったぐらい。

早紀江:政治的な問題が絡んでくる場にしたくなかったので、肉親同士が再会したという穏やかな温かい雰囲気でありたいと思っていた。ちょっと端々に聞くような感じでお話しすることはありましたが、どこまでが本当なのか私たちにも分からない。あまり言わないほうがいいんだなあ、と、気配を見ながら、元気でいるに違いない、またもう1回改めて自分で思うことにして、細かいことは何も聞きませんでした。だから今も行く前と同じ状態ですが、分からない。前と同じように、これからも(生存を)信じています。

【面談に至った経緯】

滋:一昨年秋だったかと思いますけど、私たちがキム・ヘギョンさんに会いに行くという噂が流れたことはあります。そのときの民主党の方にお願いしたんだという噂と、そうでなくて政府から呼びかけたけど我々が行かれなかったという噂が流れたことはありましたけど、会いたいという気持ちは以前からありました。今回も我々は、松木さんのお母さんのように、高齢の家族の方が亡くなったこともありますし、今、夫婦そろってというのは私のところと有吉さんだけなんです。被害者の方はみんな片親か、両方とも亡くなっている。できれば何かの機会に会いたいということを外務省とお話ししていましたら、時間がかかりましたけど、セットして下さいましたんで、ありがたく思っております。その直後に、赤十字会談が瀋陽で開かれるようになって、外務省からも交渉する機会がでてきたんんで、この話があったからそれができたということはないですけど、両国の交流が起きて、その結果以前のような交渉が開かれるということであればいいなと思っております。

Q ウンギョンさんにとっても育児など教えて差し上げたいことはあったと思います。おしめとか洋服とかお教えになったり一緒になさったことはありますか

滋:まったくありませんでした。ただ、薬があまりないというので、持っていったら、おなかがいたいということを言っていたということで、さっそく役に立ったりしましたけど。

早紀江:料理が大好きなことですということで、うらやましいと思いました。私は縫い物の方が好きですと言ったら大笑いしていました。とても育児も大変だったらしくて、大きな赤ちゃんなので眠れなかったときもあったり、みんなそんななんですよ、って、どこのおばあちゃんが言うように、普通の感じでお話ができて、とても楽しく過ごさせていただきました。お料理も好きなんで、自分で一生懸命楽しんでつくっているということで。私が教えてもらった方がいいのかなあと思うくらい。なんかお野菜を飛行機で持ってきて、青菜なんかもゆでてつくってくれたりとか、すましのスープみたいなのも。私も手伝いましょうかと言ったんですけど、小さなキッチンなので、一人でやりますとニコニコ笑いながら。本当においしいね、とたくさん頂きました。

Q ウンギョンさんのご家族について。旦那さんと10カ月のひ孫、お名前とかお仕事とか近況などは

滋:聞いたんですけど、聞いただけでは分からなくて。赤ちゃんの方も、ツバメという字が入ってるって言ってましたけど。名前は聞きましたけど、紙に書いてないのでよく覚えておりません。ご主人もウンギョンさんも金日成総合大学という、北朝鮮ではいちばんいいと言われている大学を出て、2人ともコンピューター学科の先輩、後輩で、自宅から歩いて10分ぐらいのところに勤めていると聞きました。赤ちゃんすぐ抱いてくれたりしますので、やさしい良い人と結婚できたということでうれしく思っています。

早紀江:細かいことはなかなか聞けませんし、人と人との交流を大事にしたかったので。私たちのことも、めぐみちゃんの小さいときのこととか、この辺がよく似てるんですよ、と、赤ちゃんを見ながら。そんな話が主だったので、名前がどうということは聞き出すことはできませんでした。ひ孫は女の子でした。私たちは4人孫がおりますけど、みんな男の子ですので、初めて女の子の孫ができたということで、10キロぐらいあるということで、本当に重いんですよ。楽しい時間を過ごさせていただきました。

Q 行くという決断という期待と緊張を改めて

滋:ウンギョンさんはできれば北朝鮮に来てほしかったと言ってました。どこでも案内できるんだけど、どうしても動く範囲が限られるので。我々としては、結局ウランバートルに決まりました。ちょっと距離が遠くなりますので、話をする時間は少なくなったかもしれませんが、帰る日以外の3日間はずっと一緒に暮らしまして、通訳の方も気を遣ってくださって、私たちの部屋に、たとえばアルバムを持ってきて赤ちゃんの写真を見せてくださったり、いろんなことをしてきましたので、充実した3日間でした。

早紀江:会いに行きたいという思いは最初から持ち続けていまして、特に主人は会いたいという思いはありましたので、けれども向こうの国に入っていくことはできない、いろいろな面で難しいと思っていましたので、ほかの国で元気な間に会いたいという思いはありました。だんだん私たちも体力が弱ってきているのはわかっていましたので、ここ何年かの間に会わないと孫たちにも会えないと思っていましたので、本当に思いがけなくギリギリのところだと思うんですけど、飛行機に乗るのはもうダメだと思いました。よいタイミングで奇跡的にと思えるほど、よかったなあと思って。しかも第3国で。向こうは赤ちゃん連れて大変だったと思いますけど、気の毒なことをしたと思っていますけど、まだ若いですからね、あちらは。私たちも元気で帰ってきてお話させていただける。本当によかったと思っています。

Q 今回会われたのは、ウランバートルのどこの施設か。今後、再会の約束はあったのか

滋:ウランバートルの市内でして。1回だけ外に出たら、山が岩みたいで木がほとんど生えていなくて、大きな亀がいるようなところがたくさんありまして。再会は約束というのはもちろんできませんのでしておりませんが、会えるようになったら日本にも来て、北朝鮮にも訪ねて行きたいと思っているという話はしました。(施設の名前は)よく分かりません。ちょっと大きなホテルのような所でしたけど。

Q 「金正恩氏は早く拉致問題を解決してほしい」とおっしゃってましたよね。体制の変化のきざしを肌身で感じてますか。金正恩氏に何かおっしゃりたいことは?

滋:体制が変わったかは分かりませんけど、今回行って、被害者だけでなくて、被害者の子どもの子どもまで会わせたというのは、それだけ人道問題について関心が高くなってきたのかも知れません。そうであれば嬉しいことですけど、これから先、見守って行きたい。北がどう反応するか分かりません。

早紀江:今回のウンギョンちゃんとの再会は、当たり前のおじいちゃん、おばあちゃんと本当の孫が隔たれたままになっている。元気で生きている、めぐみちゃんの血のつながった人に会いたいという思いが叶えられたという、当然のことをなしとげてくださった、私たちも喜びを持って会わせて頂いたということがいちばん大きなことであって、そのことを政治化してどうしよう、こうしようというのは私たちには分かりませんので。それが本当によい方向に用いられていくならば両国にとってもよいこと。国民全部が政治活動している方の姿勢とか外交展開とか、私たちだけじゃなくて、マスコミも含めてじっと見つめて、ちょっとおかしいんではないですか、とか、発信していただければありがたいと思っております。

Q お料理の話、出てましたけど、何をどれくらい。お薬持って行かれたということですが、ほかには何か

滋:モンゴルのしきたりかも知れませんけど、普通の食堂に行くと3皿ぐらい出てくる。一つ出てきて、食べさせると皿を下げてつくるということで、一番最後はデザートをつくって、そっくりというか、ホテルとは材料が違いますけど、同じようなしきたりでなかなか上手につくってありました。持っていったのは、一つはおもちゃのピアノみたいなもの。ご主人がピアノを弾くこともあるかもしれませんが。それからセーターをウンギョンさんと夫の方に。それからビオフェルミンとか風邪薬を。子ども用があまりないという噂を聞きましたので、持っていきました。

早紀江:私は京都なので、薄味なんです。だから味がとても京都風の味で、スープのようなものをつくって下さったんですけど、とてもおいしくて。3回くらいよそって頂いて、緑の野菜もたくさん、おいしいね、って。おしょうゆだけで十分ダシが出るんですって、真似してみようかなと。

Q めぐみさんの小さい頃の写真で似てたなあと思い出されるものは

早紀江:写真というよりも、歩行器で自由に歩き回ってるんです。そのときに自分で歌のような形で首を振って楽しそうに、そういうしぐさが、めぐみ?

関連記事

北朝鮮の日常(写真集「隣人。38度線の北」より