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大滝詠一さんの「お別れ会」 はっぴいえんど元メンバー・細野晴臣さん「また一緒にやりましょう」

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EIICHI OTAKI
2013年12月30日に死去した大滝詠一さんが手がけた、アルバムジャケットの数々 | ソニーレコード
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2013年末に解離性動脈瘤のため亡くなった、ミュージシャンで音楽プロデューサーの大滝詠一さんを偲ぶ「お別れ会」が、3月21日に東京・SME乃木坂ビルで開かれ、ロックバンド・はっぴいえんどの元メンバーなど、250人が参列した。オリコンNewSが報じた。

昨年12月30日に解離性動脈瘤のため亡くなった元ロックバンド・はっぴいえんどでミュージシャンの大瀧詠一さん(享年65)の「お別れの会」が21日、東京・SME乃木坂ビルでしめやかに営まれ、歌手・佐野元春、甲斐よしひろら250人が参列した。

大瀧さんは1970年、松本隆、細野晴臣、鈴木茂とともに「はっぴいえんど」でデビュー。解散後はソロ活動や自身のレーベル・ナイアガラを立ち上げ、代表曲「君は天然色」などを発表。山下達郎や大貫妙子らが在籍したシュガー・ベイブなどのプロデュースも手がけた。さらに、楽曲提供でもヒット曲を連発。松田聖子が歌った「風立ちぬ」など、80年代の音楽シーンを彩った名曲を数々生み出した。

(オリコンNewS「大瀧さん『お別れの会』に佐野元春ら250人参列」より 2014年03月21日 22時00分)

■細野晴臣さん「また一緒にやりましょう」

大滝さんが細野さんらと始めた「はっぴいえんど」は、「日本語ロック」と呼ばれる新しいジャンルを開拓した。しかし、グループはわずか2年で解散し、1985年に1度だけ再結成ライブを行なった。

「お別れ会」には、元はっぴいえんどのメンバー3人が参列した。細野晴臣さんは、大滝さんの遺影を前にして、積年の思いを明かした。

細野は、「突然逝かれてショックでした。いなくなって初めて自分の中に大瀧詠一という存在がずっといたんだなと思いました。老後はのんびりと音楽の話をしたいねと言っていた。僕にとってそういう仲間はもう残り少ないです」と吐露。

さらに、「また、何かできるんじゃないか。今なら本当にじっくり、ぱっぴいえんどをもう一度できるんじゃないかなと思っていた矢先でした」と再結成を考えていたといい、「また一緒にやりましょう。またね」と呼びかけていた。

(MSN産経ニュース「細野晴臣ら元メンバー、大瀧さん偲ぶ『一緒にやろうとしてた矢先に…』」)

■最期の言葉は「ママ、ありがとう!」

会の最後には、妻の大滝静子さんが亡くなった当日の様子を語った。

静子さんによると、その日大滝さんは17時頃に自宅に戻った。かねてから東日本大震災のことが気になっていた大滝さんは、新聞を読みながら「少しずつ復興してるんだな」と喜んだという。ナタリーは次のように報じている。

静子さんは「夕食前だからリンゴでも食べるかなと思い皮を剥いていたとき、突然『ママ、ありがとう!』と大きな声で言われました。そんなことを突然言われましたので、びっくりして主人のほうを見ますと、イスにもたれかかり、ぐったりしていました」と当時の様子を克明に語ってくれた。

(中略)亡くなる最後に『ありがとう』と言ってくれたのは、これまで主人を支えて見守ってくださった方々、またファンの方々に私から一言お礼を述べてほしいということだったと思います。この場をお借りしまして、本当にありがとうございました」と深々とお辞儀をした。

(ナタリー「大瀧詠一お別れ会、はっぴいえんど3人が弔辞『またね』」より 2014年3月21日 18:00)

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