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「トークバック 沈黙を破る女たち」 多様な背景を持つ人々を制作に巻き込む映画

2014年03月25日 14時47分 JST
Kaori Sakagami

アメリカ・サンフランシスコで、元受刑者とHIV陽性者の女性たちが自分たちの体験を演劇として表現する、アマチュア劇団に密着したドキュメンタリー「トークバック 沈黙を破る女たち」が3月22日に公開された。ネットで支援を募るクラウドファンディングで制作費を集め、その支援者や日本のHIV陽性者、薬物依存者らに完成前の作品を見てもらい、意見を反映させる「ワーク・イン・プログレス試写」という取り組みで完成させたこの映画。テーマでもあり、タイトルでもある「トークバック」には、沈黙を破り「声をあげる」ことや、人々と「呼応しあう」という意味が込められている。映画を見て完結するのではなく、鑑賞を終えた人が彼女らの声に呼応することこそ、監督である坂上香さんのねらいだ。

■アマチュア劇団「メデア・プロジェクト」との出会い

坂上さんは「暴力〈被害・加害〉の後をいかに生きるか」というテーマで「希望」や「変容」に着目し、取材を続けている映像作家。アメリカの終身刑受刑者に密着し、犯罪や暴力に社会はどう向き合えばいいのかを問うた自身初の監督作品「Lifers ライファーズ 終身刑を超えて」から10年。2作目の監督作品となる今作は、8年の歳月をかけて制作された。

「トークバック」では、女性だけのアマチュア劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場」に所属する女性たち8人を追った。メデアは女性短期刑務所の受刑者たちの劇団として約20年間、活動を続けてきた。映画では元受刑者とプロの演劇人の劇団にHIV陽性者の女性たちが参加し、共に一つの演劇を作る過程が描かれる。留学先でレイプされ感染した大学生、薬物の回し打ちや売春から感染した女性など、様々な背景を持つHIV陽性者の女性たちが、自身の実体験を演劇を通して語ることで、自らの人生を取り戻していく姿に迫った。

talk back event

渋谷アップリンクで行われた女性限定の試写で 宇佐美翔子さん(左)と坂上香さん(右)

公開前の2月11日、東京・渋谷のアップリンクで行われた女性限定の試写会では、上映後に坂上さんとレイプクライシスネットワークの宇佐美翔子さんが登壇し、坂上さんが映画を制作した背景について語った後、映画を見た人たちの声を聞く場がもうけられた。

「前作の『ライファーズ』は、犯罪を犯した人が言葉で更生して行くという話なんですけど、言葉だけじゃない、もっと非言語的な表現に関心を持つようになったんですね」

前作「ライファーズ」が完成した後、この映画をアメリカの刑務所から出所した女性たちに鑑賞してもらう機会があった。彼女たちは、事前に映画を観て感じたことを、ダンスや詩などの形にして坂上さんの前で表現した。そのうちの一つのグループが演じた寸劇に、坂上さんは心を動かされ、今回のテーマを扱うきっかけとなったという。

「そのグループのうちの一人に、体に重いやけどをして、皮膚がケロイド状になってしまった女性がいた。彼女は、アルコールをたくさん飲んでいたり、薬物をやったり、いろんな問題を抱えていて刑務所に入っていたんだけど、どうして自分がそう言う生き方になってしまったのかを、寸劇を通して顧みるということをやったんです。彼女の鏡役の人がいて、鏡役に向かって、自分がそこに映っているかのように演じているんですね。そして、『I 'm beautiful(私は美しい)』と言うんだけど、泣いちゃって最初は言えない。でも、みんなが『You can do it!(言える!)』と励ました。ケロイドで自分は醜いと思いながら生きてきたけど、最後に心から、泣きながら『I 'm beautiful』と言った時に、その場にいた60人みんなが泣いてハグをしたんです」

「何がすごいって、それ自体もすごかったけど、『ライファーズ』という映画を見て、それが起こったということがすごいなと思った。寸劇の内容は、ライファーズとは直接的な関わりはなかったけど、演じた彼女は『香、ありがとう。私はあなたが作ってくれたライファーズを観て、初めて自分に向き合うことができた』と言ってくれたんですね。『表現をすることはすごいことなんだな』と震えてしまった」

この経験を経て、坂上さんは、暴力的な経験によるトラウマを軽減させる、更生やセラピーを超えた表現について調べていく。そして、メデア・プロジェクトに出会った。創設者のローデッサ・ジョーンズは1989年、刑務所で女性受刑者にエアロビクスを教えるインストラクターとして雇われた。ローデッサは、女性受刑者たちの体験を聞く中で、彼女たち自身がなぜ犯罪を犯すに至ったのかを理解し、自分の人生を取り戻す必要があると感じ、参加者が自らを語り、書き、読む、演劇のワークショップを始めた。それがやがてひとつの芝居となり劇場公開に至ったという。

「2006年にメデア・プロジェクトを知り、2年くらいかけて口説いて、映画を作りたいという思いを向こうにはずっと伝えていたんですけど、劇団の創設者であるローデッサ・ジョーンズが「うん」と言ってくれず、はぐらかされる形で2年が経っていた。実際には2006年から刑務所のワークショップなどを撮影していたけど、あくまでもボランティアという立場。撮影したものは全てメデア・プロジェクトに納めなくてはならなかったの。2010年頃まで、自分が撮った映像を見ることすら許されなかった。おまけに、私は日本に住んでいるので、時々行くという感じで、あまり深い関係が築けなかったんですよね。2008年には、劇団が刑務所から出ないといけないことになっていて、その代わりに、大学病院のHIV女性プログラムと一緒に演劇をやることで話が進んでいて、刑務所からHIVの女性たちのプログラムになっていた」

取材許可がなかなか出ず、映画のために本格的に撮影できたのは2008年から2013年の6年間。その間20回程度撮影を行い、ようやく編集作業にはいった。

■多様な背景を持った人の意見を求める「ワーク・イン・プログレス」試写

取材が長期に渡ったことで足りなくなった制作費を募るため、坂上さんはクラウドファンディングを利用した。一定の資金を提供してくれた人には「市民プロデューサー権」という制作に携わることができる権利を与えた。さらに「ワーク・イン・プログレス」という開かれた試写会を行い、HIV陽性者や薬物依存症者、医療関係者など、様々な人に意見を求めた。ワーク・イン・プログレスは、映画制作にどのような効果をもたらしたのだろうか。

「今まで自主制作と言ったら、お金がないから、お金を寄付してくださいというスタイルをとってきたけど、何かそこに申し訳ないという思いがありました。お金だけもらって、作るのではない、何か別の参加の仕方ってないかなと思っていました。私が編集もプロデュースもディレクションも一人でやっていたので、すごく孤独になってきてわからなくなってくる。今回の作品の登場人物にはいろんな背景を持った人がいるわけで、それを仲間内だけで見ても限界がある。でも、多様な背景を持った人にも伝えられる映画にしたいと思いました」

ワーク・イン・プログレス試写は国内だけで7回に及んだ(アメリカも入れると10回を超える)。初回は、2013年7月にダルク女性ハウス(薬物依存症の女性のための回復施設)で、代表の上岡陽江さんを中心に行われ、字幕も音楽も入っていない2時間以上の映像を坂上さんがその場で翻訳しながら見てもらった。薬物依存症の女性たちは、意外なところで反応していたという。

talkback preview

ワーク・イン・プログレス試写の様子

「忘れられないのは、登場人物の一人、カサンドラのお孫さんで、お母さんが刑務所入っているんだけど、その子がたわいないことを言うんです。例えば、『ママはどこ?』ってきいたら『上!上!』とか『あっち、あっち』と言って写真を指すんだけど、いちいち訳さなかった。そしたら、子どもが喋る度に、ダルクの人が『坂上さん!今なんて言ってるんですか?!』と聞いてきて、みんなざわざわ、ざわつくんです。『単に「上、上」って言ってるんだけど…』と説明して」

「どうしてそんなにみんなが反応したのかを聞いたら、大体みんな子どもの親権がなかったり、一緒に生活できていなかったりする。もしくは、今は一緒に暮らしているけど、一緒に暮らせなかった時期があったりする。だから、『子どもはなんて思っているの?』と、幼い子が自分をどう思っているのかを聞きたいんです。母親として観るんですよね。薬物依存症者の、元犯罪者の母親として、その映像を見ているのかなと思いました。みんな身を乗り出して、普通だったら反応しないようなところにそうやって反応するから…」

■「これはHIVの映画じゃない」HIV陽性者からの意外な反応

ある試写では、HIV陽性者の人たちにも見てもらったが、そこでの反応に坂上さんはとても落ち込んだという。

「陽性者でもいろんな背景の人がいる。映画に出ている人たちには、ものすごい修羅場を生きてきて、しかもHIVになったという人が何人かいます。でも、普通に生きてきて、最初の相手に感染させられた、というような女性もいる。そういう人がこれを見た時に『私と彼女たちは違う』という見方をした。『これはHIVの映画じゃないですね。薬物依存症者の話なんですね』と」

「映画の登場人物と同じような体験をしたという別の人にも『これ日本では受け入れられないですよ』って言われて…。同じ体験をしていても、そう言うんだ、とショックでした。それは言いかえると彼女もそういう体験をしたことは隠してきたということなんですよね。『隠さざるを得ない日本なんだから、こういう映画は無理』と言われ、こういう反応があることはどこかで予測できていたものの、かなり落ち込みました」

その様子を見ていた当事者団体の支援者から「順番を変えてみては?」とアドバイスをされたが、2週間後には完成をさせるつもりで、編集スタジオなどの予定を組んでいた。早く仕上げることを優先するべきか、坂上さんは悩んだ結果、スタジオの予約をキャンセルし、経験や価値観が異なる人々に見てもらえるよう時間をかけて編集し直すことを選んだ。

■薬物依存症の女性から起きた「トークバック」

こうして、何度か試写と再編集を繰り返し、11月に行われた6回目の試写で、ダルク女性ハウスのメンバーが発した言葉は坂上さんにとって忘れられないものとなった。

「一人が手を挙げて意見をしたんです。『これはやっぱりアメリカの人だから強いですね。みんな声をあげている。でもこういう強い声の人たちの映像を見せられると、逆に声を上げられない人にとっては威圧感を感じるんじゃないですか』と。そしたら、ダルクの一人が手を挙げて『私はそうは思いません』と反論したんです。」

「彼女は『そこに映っているのは自分でもあります。自分は彼女たちのように声をあげられないところもある。声をあげるのも怖かったりするけど、でもああやって、同じような背景を持った女性たちが、いろんな問題にちゃんと直面してそれを語って、こんな風にかっこよく演技をして私はとても励まされました』って言ったんですよね。それを聞いて、本当に私は感動しちゃって泣きそうになりました」

「その後、最初に発言した人も、私のところに来て『ダルクの人があんな風に言うことにすごく希望を感じました』と言ったんです。『実際、語れない人はいっぱいいるんだけど、当事者もいろいろなわけだし、どこか自分たちで無理だと思い込んでいるところがあったのかもしれない』と言っていて、ダルクの人が言ったことに、最初に発言した人が心を動かされて、本当に良いトークバックがそこでできていた」

■自主制作映画の新たな可能性 映画プラスアルファの見せ方

6回目の試写の後、さらに編集を行い、作品の完成試写が行われたのは12月だった。制作に時間はかかったが、それ以上に、ワーク・イン・プログレスでは大きな発見があったという。

「今回いろんな当事者を対象にして思ったのは、彼女たちは自分の体験をなかなか社会の中で活かす場がないということ。最初、ダルクのメンバーは、意見を言ってくれないかなと思っていたけど、でも、どんどん言う。この人たちは喋らないんじゃなくて、語る場がないんだと感じました。だから時間をかけて、そういう場を作っていけば、語る方も、聴く方も、気づくことがたくさんあるし、お互いの変化を促していける」

「彼女達が今回語ってくれたおかげで、映像もすごく厚くなったと思う。全ての映画で使える手法ではないけれど、これからも人を巻き込む発想は大事にしたい。せっかく映画を自主制作で作るんだったら、ハリウッドとか大きなバックを持った映画じゃなく、何十万人とか何百万人という人に届くわけでもないから、やっぱり、その映画プラスアルファの見

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