幻の憲法「大島大誓言」が行方不明に

敗戦翌年の1946年に伊豆大島(東京都大島町)で起草された「暫定憲法」の原本とその制定過程を示すメモが行方不明になっていることが判明した。
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敗戦翌年の1946年に伊豆大島(東京都大島町)で作られた「暫定憲法」の原本とその制定過程を示すメモが行方不明になっていることが判明した。朝日新聞デジタルが5月5日に報じた

この文書は同年1月に、連合国軍総司令部(GHQ)の覚書で伊豆諸島が日本から切り離されることになり、島民が米軍の協力のもとに日本からの「独立」を決意して約1カ月間で作ったもの。52日後、GHQの指令が修正されたため、施行は幻に終わった。

正式名称は「大島大誓言」。全23条から成っており、前文で平和主義をうたい、第1条で「大島の統治権は島民にあり」と主権在民を明記した。有権者の5分の1の要求で、議会の解散や行政府の不信任を決する住民投票ができるなど、島民主権が意識されている。

戦後40年近く、幻の存在となっていたが、1997年に町立郷土資料館の文献を整理中に、暫定憲法の原文とその草案、制定過程を示したメモなど約20枚を発見していた。これらの所在が、現在は分からなくなっているという。

町教委によると、コピーは今の担当者に引き継がれているものの、原本やメモの所在がその後、わからなくなっているという。石川龍治・町教育長は「管理が不十分だったことは認めざるを得ない。貴重な史料を捨てたとは考えられず、どこかに必ずある」と話す。昨年度から学芸員資格を持つ町OBを臨時雇用して史料の整理、点検を進めているという。

朝日新聞デジタル「伊豆大島の暫定憲法、所在不明に 敗戦翌年に制定の史料」2014/05/05 09:19)

大島大誓言について、名古屋学院大学講師の榎澤幸広氏は2013年に発表した論文の中で次のように評価している。

伊豆大島で目指された憲法観は“自治能力”がある島民による民主主義的な独立国家構想であったという点だ。(略)この独立構想は,行政権分離が直接的な契機であるが,明治以来の国家法制度に対する歴史批判的な複線も何らかあると私自身は推測している。

(榎澤幸広「伊豆大島独立構想と1946年暫定憲法」名古屋学院大学論集 社会科学篇 第49巻 第4号)

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