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「原発には興味があっても、福島には興味が持たれない」被災地ボランティアの苦悩

2014年05月21日 19時12分 JST | 更新 2014年05月21日 19時32分 JST
HuffPost Japan

「福島第一原発には興味がある人は多いけど、復興に向けて活動する福島の自治体住民には興味が持たれない」

そんな課題を解決しようというワークショップ形式のイベントが、5月18日、日本財団(東京都港区)のボランティア支援プロジェクト・CANPANの主催で行われた。避難指示が解除され、住民が戻り始めた福島県の広野町で活動するボランティアらが、テレビなどでは報じられない地元の生の声を伝え、それを元に被災地の状況を知ってもらおうという取り組みだ。首都圏や北陸などから30名近くの参加者が集まり、4時間ほどの議論が行われた。

■まだ福島に行ったことがない人に被災地をイメージしてもらうには

広野町を知る CANPANオープントーク

参加者は20代〜30代の若い世代が3分の2を占め、そのうち「震災から3年経つけど、まだ福島に行ったことがない」という人もみられた。「震災当時のことはテレビで見た」ということはあっても、原発被災地の現状については、なんとなく「まだ人が戻っていない」程度の知識しかない。

これらの人に、原発被災地に目を向けてもらうにはどうすればいいか。被災地の現状をそのまま伝えても、他人事として流されてしまうのではないか――。

この課題を解決すべく、イベントではまず、被災地ではなく、参加者自身のふるさとに目を向けてもらうことから始まった。参加者の自己紹介を兼ね、自身のふるさとの「今後も残したいところ」を紹介しあう。「四季の食べ物が採れる」、「人が温かい」、「科学と自然が融合している」など、めいめいが故郷の思い出を語り、自慢した。

ここで、ワークショップの案内役が問いかける。

「もしあなたのふるさとから、子育て世代の20代、30代が消え、公園から子供たちが消え、スーパーもなくなり、銀行もないという状態になったらどうしますか?」

吉川彰浩さん

吉川彰浩さん

ワークショップの案内役を務めたのは、元東電社員で、原発作業員や原発被災地を支える活動を行っている「アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ(AFW)」の吉川彰浩さん。吉川さんはワークショップを行ったきっかけを、次のように話す。

「原発には興味があっても、福島には興味が持たれない。しかし、自分のふるさとを原発被災地に置き換えることで、そこに住む人の気持ちを理解してもらえるかもしれない」

吉川さんは、自身が地元の住民の気持ちを考えず、善意を押し付けそうになったという苦い経験をもつ。住民の気持ちを知らずに外からの視線だけで地元の復興を語れば、地元の住民らを傷つけることにもなりかねないと、その時、気づいた。

加えて、避難を続けている人たちもまだ多くいるため、地元で頑張る住民の活動を、地元の人々すら知らないという状況も生まれていた。

「復興を加速させるためには、地元の人々が前を向くことが重要。前を向くには、明るいニュースが必要なんです。地元には、明るい未来を目指して地道に頑張っている人たちがいる。しかし、なかなかその存在が知られていない。なぜその活動をするのかも、伝わっていない」

吉川さんによると、既にいわき市などでは、地元の復興を考える住民らの取り組みが進んでいるが、福島第一原発のある双葉郡の自治体にはまだまだ余裕がなく、手が回っていない状態だという。吉川さんは、双葉郡の最南端である広野町で活動するボランティア団体に声をかけ、原発被災地の現状や、住民らの思いを「地元の言葉」で伝えるイベントを開催することにした。

■帰還が始まった自治体、スーパーはまだ無い

福島県・広野町と福島第一原発の位置関係図

福島第一原発から南に20Km離れた場所に位置する広野町は、2012年3月31日に避難指示が解除され、住民が戻り始めた。しかし、10〜30代の帰町率が鈍く、さらにこの世代の女性は、男性の半分ほどしか戻っていない

町の商工会も、加盟する小売り40店のうち、営業を再開したのは24店。スーパーもまだ再開されていないため、車で25分ほどかかるいわき市まで買い物に出かける必要がある。子供たちの学校生活も、震災前とは異なる。

「今は孫らと一緒に、いわき市に住んでいるんですが、孫は6時15分に家を出て、巡回してくるスクールバスで広野町の学校まで通っているんですよ」

いわき市に避難している広野町民の佐藤久美子さんは、現在の生活についてそう紹介する。

「孫はバスケ部なんだけど、人数が集まらなくて試合ができないの。だから、バスケだけではなく、陸上だとか、色々な活動もやっているの」

町民が町に戻らない反面、広野町の最北部にある、東京電力が福島第一原発事故に対応する拠点「Jヴィレッジ」には、日本全国から事故収束にあたる作業員らが大勢集まっている。その人口は帰町した町民の数を大幅に超え、2600人近く。Jヴィレッジ近くにあるコンビニエンスストアは盛況で、東北でNo.1の売り上げを誇る商品もあるようだ。

「町に活気があるということは悪いことではない」「町に新たに進出しようとする企業もある」と、原発作業員が集結することに良い面を見出そうとする意見もある反面、避難を続ける町民からは「作業員など知らない人が増え、不安」などの懸念の声も多い。

「一つの家族の中でも、旦那さんや奥さんの間で考えが違ったりして、戻らない家族もいるみたい」と、久美子さんは避難者の声を代弁する。イベントに参加した広野町のボランティアの一人も、家族と離れて広野で暮らしていると話した。

■復興に必要な、住民の「心の復興」とは

それでも、久美子さんは広野町の将来に夢を馳せる。

「子供たちが肩車なんかして、大きくなったオリーブの収穫ができるようになったらいいな」

ひろのオリーブ村が育てたオリーブの苗

ひろのオリーブ村が育てたオリーブの苗

久美子さんらは、町中にオリーブを植える「ひろのオリーブ村」の活動を震災後に始めた。オリーブを育てるだけの1次産業で終わるのではなく、実からオイルを作ったり、缶詰製品を作るなど第6次産業の可能性も含め、町の産業に発展させることを目指す。

しかし、活動はまだ始まったばかりで、2012年に初めて植えたオリーブから収穫ができるようになるには4〜5年かかる。さらにこれを町の産業にするためには、途方も無い年月が必要で、3〜40年かかるという廃炉作業と同じぐらい、あるいはそれよりも長い期間が必要になる可能性もある。

ひろのオリーブ村の会長を務める佐藤賢治さん

佐藤賢治さん

それでも、続けたい、前進したいと、ひろのオリーブ村の会長を務める佐藤賢治さんは話す。続けることが、仲間を増やし、活動範囲を広げるきっかけになるという。

賢治さんが活動を始めたきっかけは、たまたまだった。知人から広野町でもオリーブが育つことを教えてもらい、除染で殺風景になった学校の花壇や公共施設にオリーブを植えるところから活動が始まった。当時はただ植えるだけで満足していた。しかし、仲間と話すうちに、未来の広野町の姿を想像するようになった。

「100年後に、町に住む人々の笑顔が思い浮かぶことを、今やらなくちゃ」

賢治さんらは既に200本近くを植樹。これまでは自主的に、「植えさせてください」と頼んで植樹するばかりだったが、最近では、ひろのオリーブ村の活動を知った企業からも「うちにも植えてよ」と、依頼が来るようになった。

守屋卓政さん

守屋卓政さん

「きっかけはなんでもいいんですね。始めることが大事なんだと感じました」

神奈川県から参加した守屋卓政さんは、まだ福島に行ったことがない一人だ。震災直後に父親が撮影した被災地の状況は知っているが、現在の活動についてはよく知らなかったという。

小学6年生の参加者は、「震災のことはテレビで見ていたけれど、そこから何かの運動を広げることは、難しいのだと感じた」と、ボランティアメンバーに共感した点を述べた。

mutsumi yumoto

湯本むつみさん

都内でIT企業に務める湯本むつみさんも、福島には訪問したことがなかったという。広野町のことを聞き「行ってみたい」と感じたと話す。さらに、賢治さんらの活動も参考になるという。

「もし、自分のふるさとで災害が起きたら自分はどうするか。考えるきっかけになった」

尾引智恵さん

尾引智恵さん

尾引智恵さんは、震災当時は福島に住んでいたが、出産をきっかけに新潟に移ったという。それでも福島のことは、頭からはなれない。しかし世間から福島のことがだんだん忘れられてきているのを感じ、福島で現地の声を集める活動を続けている藤城光さんと「てぬ結い」という活動を始めようとしている。手作りの「手ぬぐい」を二枚つくり、そのうち1枚を、福島第一原発で働く人に送るという活動だ。手ぬぐいを使うたびに、福島のことを思い出せると考えた。

「うまくいくか不安だけれど、地元の人たちの活動を見て勇気をもらえた。始めなくちゃ」

尾引さんは、広野町のボランティアメンバーにそうフィードバックした。

広野町のボランティアの一人は、なかなか地元では話すことが出来なかった心境を、参加者らに打ち明けた。

「私の会社は、原発事故で撤退してしまって。震災当時は、何をしてよいか考えられなくなった」

現状に対して、悲嘆に暮れるのは簡単。しかし、それで良いのかという思いもあれば、自分に何ができるのかという考えも浮かんだという。

「それでも、何かを始めるきっかけができたことで、前向きになれた」

笑顔で力強く、発表した。美枝子さんも「広野町民ではない人が、こんなにたくさん広野のことを考えてくれることで、私もまたやる気が出たよ」と嬉しそうだ。

賢治さんはイベントの締めくくりに、復興に向けて一番重要なものとして『心の復興』をあげた。

「復興には、『心の復興』が一番重要なのよ。『自分は何もしていないのに、こんな目にあって、どうしてくれるんだ』と人のせいにするのではなく、自分で何かをするんだって。行政に頼るのではなく、まず自分が置かれている立場で、何ができるかを考えることなんです」

震災復興にはまだまだ時間がかかる。課題も山積みだ。

しかし、今、自分ができる何かを自ら始めることが、前を向くきっかけになり、さらにその気持ちが、誰かに伝播する。

それは決して、被災地の人々なかだけで『心の復興』が起これば終わりという話ではない。被災地に住まない人々のマインドを変えることが、さらに復興を加速することに繋がるのではないだろうか。

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