三瓶明雄さん 、口癖の「まだまだ」に込められた思いとは 「ザ!鉄腕!DASH!」と歩んだ14年

日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!」で放送している人気企画「DASH村」で農作業の指導をしていた三瓶明雄さん(さんぺい・あきお)が6月6日、福島県伊達市内の病院で死去、84歳だった。
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日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で放送している人気企画「DASH村」で農作業の指導をしていた三瓶明雄さん(さんぺい・あきお)が6月6日、福島県伊達市内の病院で死去した。84歳だった。朝日新聞デジタルなどが報じた。

三瓶さんが出演していた「DASH村」は、2000年に放送を開始した。コトバンクによると、企画開始当初は、正式な日本の地図に「DASH」の文字を載せることを目的としてスタートした。「DASH村」と名付けられた村で、TOKIOのメンバーが古民家を改築したり、土地を耕して米や野菜などの農作物作りに挑戦した。

村のスタート時、70歳だった三瓶さんは農業の達人としてTOKIOに畑の耕し方から伝授。年月が経つにつれ、TOKIOメンバーと三瓶さんのチャレンジは畑仕事だけにとどまらず、井戸掘りや養蜂、陶器づくりなどに拡大した。「DASH村」が地図に記載されることはまだかなっていないが、現在の「DASH島」や「DASH 0円食堂」など人気企画の源流とも言える。

三瓶さんは、昭和25年以降にDASH村周辺に住み、家族と共に森を切り開き、20年かけて土地を開拓した。当時は家や畑がないどころか電気もなく、夜はランプの灯りだけがたよりだったという。DASH村のホームページには三瓶さんの人柄について以下のように記されている。

人柄は大変温厚だが、いいかげんな仕事ぶりを嫌うため、時に厳しい。

よく口にする「まだまだ」という言葉は、「何でも『これで終わり』と決めつけてしまうと、そこから向上していかない」という戒めの意味が込められている。

何でもできる明雄さんだが、唯一苦手なのが「自転車」。

以前、みんなからそのことを指摘された明雄さんは、一念発起して自宅前の庭で猛特訓を始め、見事1日で乗りこなすことができたという。

(日本テレビ「DASH村 | 三瓶明雄さん」)

DASH村の所在地は視聴者には伏せられていたが、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島県浪江町にあることが公表された。DASH村は福島県第一原発からおよそ25kmの位置にあり、計画的避難区域に指定され、DASH村での企画続行は困難となった。震災以降、避難生活を続けていた三瓶さんはいつか村に戻れる時のために、全国で農業の知識を得て村の発展につなげようという企画、「明雄さんのにっぽん農業ノート」に出演していた。

スポニチによると、8日放送の同番組でTOKIOメンバーからの追悼メッセージが放送されるという。

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