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「聖書は闘いを禁じていない」総合格闘技に挑む牧師たち(動画)

2014年06月16日 00時14分 JST | 更新 2014年06月16日 00時38分 JST

冒頭の動画は、2014年のナッシュビル映画祭ボストン・インデペンデント映画祭の公式上映作品に選ばれ、アメリカ各地で上映会が予定されているドキュメンタリー映画『Fight Church(ファイト・チャーチ)』の予告編だ。

「闘う牧師たち」については数年前から話題になっているが、この作品は、その独特の世界を垣間見ることができる興味深い内容となっている。

この映画は、総合格闘技(MMA)を実践する宗教指導者たちの世界を探究し、「自らを愛するように隣人を愛しながら、その顔に思いきり膝蹴りを食らわせることができるのか」と問いかけている。

この作品を制作したブライアン・ストーケル監督は、ハフィントンポストUS版の取材に対し、今回の映画制作に関心を抱いたのは、アメリカ各地に「闘いの教え」を説く牧師がいるばかりか、そのコミュニティーが多数存在すると知ったからだ、と教えてくれた。人々に教会に足を運んでもらう手段として、「闘いの教え」を説く教会が何百もあるのだ。

監督は「闘いの教え」を、「教会に人を呼び集めるための、闘いに関連したことすべて」と定義しているが、こうした教えを正式に採用しているいないにかかわらず、「男性向けの教会活動の一環として総合格闘技を取り入れている教会は、数えきれないほどあるとわかったのです」と、監督は語る。

格闘技の教室や観戦イベントを開いている教会もあれば、教会の敷地内で総合格闘技の試合を実際に開催している教会もあるという。

同映画の公式サイトではこう述べられている

私たちの目標は、完全に客観的な立場を貫きながら、楽しめる物語として事実を紹介することです。私たちの意見や感情をさしはさまず、事実に自らを語らせたいのです。2007年のアカデミー賞にノミネートされたドキュメンタリー映画『ジーザス・キャンプ――アメリカを動かすキリスト教原理主義』と同様、この映画は、登場する挑戦的な人物たちを、客観的に、そしてしばしば共感的なかたちで紹介していきます。私たちは観客に、宗教と暴力の結びつきについて、自ら考察してもらいたいと思っています。

教会で闘いの教えを説くのは、一見、矛盾しているように見える。イエスは弟子たちに、「頬を打たれたら、もうひとつの頬を差し出せ」と教えたからだ。しかしこうした牧師たちは、救世主としてのイエスを、「たくましい人間」の理想型として見ている。

監督によれば、総合格闘技に関連する教会の活動には、小さな男の子から大人まで、年齢を超えて参加者が集まっており、「男らしさ」についての特定の理念が強調されているという。

予告編の中で、1人の牧師はこう語っている。「キリスト教主流派の教えは、男性を女性化させるものだ」。また別の牧師は「タフな男は、救世主も必要としている」と述べている。「われわれは互いに顔を打ち合う、神を恐れる人間たちにすぎない」と述べる牧師もいる。

闘いの教えを正当化する際によく持ち出されるのが、「聖書には、スポーツとしての闘いを具体的に禁ずる箇所が見あたらない」という主張だと、監督はハフィントンポストUS版に対して説明する。

闘いの教えを正当化する別の方法は、旧約聖書に登場するダビデ(古代イスラエル王国の王)やサムソン(古代イスラエルの士師で怪力の持ち主)といった英雄を引き合いに出すことだ。両者とも、戦場での実力と才能でよく知られた存在だ。

両監督が詳しく話を聞いた教会は、大半が(「宗教右派」とかなり重複している)福音派の教会であり、カトリック教会や南部バプテスト連盟は、「闘いの教え」に批判的だという。

この作品を監督したのは、キリスト教徒のギャンブラーを題材にしたドキュメンタリー映画『ホーリー・ローラーズ』を撮影したブライアン・ストーケル監督と、2011年のアカデミー賞ドキュメンタリー短編賞を受賞した『セイビング・フェイス』(顔に酸をかけられて負傷するパキスタンの女性たちをテーマにした映画)で有名になったダニエル・ユンゲ氏の両氏だ。

[Yasmine Hafiz(English) 日本語版:遠藤康子、合原弘子/ガリレオ]

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