ネットメディアも社会公共意識を持つべき - 『メディアの苦悩』出版記念 津田大介 × 菅谷明子 × 長澤秀行座談会

テレビや新聞の既存メディアから最新のネットメディアまで、そのトップたちの苦悩に迫った『メディアの苦悩』(光文社)が刊行された。著者は、元電通の広告マンとしてネット創成期から間近でメディアの変化を見続けてきた長澤秀行さん。その出版を記念し、同書にも登場するジャーナリストの津田大介さん、菅谷明子さんと長澤さんトークイベントが7月3日、都内の書店で開かれた。果たして、メディアとジャーナリズムの未来はどうなるのか? その様子をリポートする。
The Huffington Post Japan

テレビや新聞の既存メディアから最新のネットメディアまで、そのトップたちの苦悩に迫った『メディアの苦悩』(光文社)が刊行された。著者は、元電通の広告マンとしてネット創成期から間近でメディアの変化を見続けてきた長澤秀行さん。その出版を記念し、同書にも登場するジャーナリストの津田大介さん、菅谷明子さんと長澤さんのトークイベントが7月3日、都内の書店で開かれた。果たして、メディアとジャーナリズムの未来はどうなるのか? その様子をリポートする。

■ネットメディアはマネタイズを優先しすぎている

長澤秀行さん(以下、長澤):本日はお集まりいただきありがとうございます。『メディアの苦悩~28人の証言』という本を出させていただきました長澤秀行と申します。

私は電通という広告会社で35年メディアの仕事に取り組みました。その中でPCやスマホなど新しいデバイスが登場し、新聞・テレビ・ネットなどメディアは様々に変化してきました。では、ジャーナリズムはどう変化していくのか。デバイスの話とかプラットフォームの話とか新しいメディアビジネスの話は多いんですけれど、その根幹であるジャーナリズムはどう変わるのかということを問いたいと思いまして、この本では色んな先達の話を聞いてご紹介させていただきました。

「メデイアの苦脳」ではマスメディアの多くの方に取材させていただいて、マスの皆さんも危機感はお持ちなんですけど、まだ余裕はあるなということを感じました。。もう一つ、ネットメディアの多くの方に取材させていただくと、非常にビジネス精神はチャレンジャブルなんですけど、社会モラルとしてマネタイズを優先しすぎてないかなと。

津田大介さん(以下、津田):ネットはモラルがないっていうお話ですよね(笑)。

長澤:モラルをどう定義するかにもよりますけど、どうしてもマネタイズ優先でページビューやデ―タ至上主義になっている。まあ我々広告屋がいけないのかもしれないんですけど。

津田:質問です。長澤さんは『メディアの苦悩』の中で、多くの人に公共性とかジャーナリズムの質問をしてるのが印象的だったんですけど、もともと長澤さんは学生時代とかに、ジャーナリスト志望だったとかジャーナリズムに興味があったんですか?

長澤:父親がすごく新聞好きだったので、私自身も小学校のころから新聞を読めと言われていて、毎朝新聞を読む新聞少年でした。その影響もあって大学では昭和史の、特に戦前戦中のジャーナリズム史をやりました。戦争に対してメディアが果たした役割、これはマイナスの役割が非常に大きいです。だから今回の憲法解釈問題等もメデイアがどのような役割を果たせるのかと私自身は危機感を感じています。そういう意識を持っていたのでジャーナリストになりたかったんですけど、ちょうど石油ショックの時にあたりまして各メディアで採用がなかったんです。それだったら新聞というものを広告で支える仕事に就職しようということで電通に入り新聞局を志望しました。だから、もともとジャーナリスト志望ですし、今でもジャーナリスト志望なんですけどね。

津田:じゃあこの本をきっかけにして今後、色んな本を出していく?

長澤:それもありますが、逆に津田さんや菅谷さんのような方々が自由に発言できるようなインフラを作っていきたいです。

菅谷明子さん(以下、菅谷):期待しています(笑)。

■メディアのパワーが落ちると広告のパワーも落ちる

津田:ネットメディアはマネタイズ中心でモラルがないって話があったんですけど、広告の世界もジャーナリズムって商業性と公共性の間で揺れるものじゃないですか。そこで長澤さんは一番商業性の商業的な部分を体現された電通という会社に入られた(笑)。広告の側からジャーナリズムを通して見た時に、ジャーナリズムに幻滅するような経験ってなかったんですか?

長澤:はっきりいってハフポストにも先日寄稿させていただきましたが「題字」ジャーナリズムに幻滅したことは35年間ありません。電通という会社を外から見るとどうしても色眼鏡で見られますし、見られてもしょうがない部分はあります。やはりメディア、特に新聞・テレビに食わせていただいてるわけで私も最初の15年間は新聞社に席を置かせていただいて、広告だけではなく編集の方ともたくさん話をしてきたんですが、彼らと同じくメディアを支えるという社会的公共性への存在意識を電通は強く持っていました。ですが、今はグローバル競争に突入し、日本も経済成長しておりません。そこでメディアと一緒にガラパゴスにとどまっても展望がないということで、世界市場でのグローバルエージェンシーとの戦いになってきました。その為にはどうしてもクライアント中心のエージェンシーに変わらざるをえないということで、海外のエージェンシーをM&Aして、多少、電通の意識も対メデイアに対して変わってきているかなと。そこにちょっとばかり警鐘を鳴らす意味もあります。2者択一の問題ではありませんが。この本の半分くらいは電通の若い人に向けたオールドアドマンのメッセージです。

菅谷:いきなり進行表と違う話になりましたね(笑)。昔のジャーナリストって録音スタジオで歌を完璧に録音して、それを私たちが家で聞くようなものだったと思うんですが、これからのジャーナリストは、オンラインでも同じですが、今日みたいに皆さんの前に登場してきて、間違ったり変なことを言っちゃったりすることも含めて受容していただくジャズの即興のような、プロセスが大事になってきていますよね。まずは 全てを皆さんの前にさらけ出すところから始まるという。横から失礼いたしました。

長澤:皆さん広告ってすごく煩わしいと見られてるかもしれないですけど、確かにアドマンの私自身もずっと35年間「これ雑音かもしれないな」と思ってました。ただ、それがメディアというものを支えているという使命感もアドマンは持っています。だからよく電通が編集に干渉するとか言いますが、実態はほとんどありません。

津田:まとめサイトとか見るとよく電通はなになにと繋がっていて……(笑)。

長澤:そんな力は全然ありません(笑)。ただメディアが自分たちのブランドの信頼性を維持してほしい。そこで広告というものが初めて信頼を得る。メディアの信頼がなければ広告の信頼なんてないんです。ところがネットのアドテクノロジーでメディアのコンテンツと広告が分離し始めている。ここになんらかの倫理性が働かないと非常に社会リスクがあると感じ始めていて、その健全化を図ることに、今は使命感を持っています。

津田:長澤さんは日本の広告マンの中では最初期のころからネットの広告に携わっていて、ずっとネットの広告の発展とか、ネットジャーナリズムを含めたメディアの成長を間近で見られてきた最古参の一人だと思います。なんでもともと新聞少年だったのがネットっていう新しい方向にいったのかというのと、この20年くらいネットメディアを見ていて思うことを聞いてみたいです。

長澤:広告の現場に立ちますと新聞広告が売れないんですよ。新聞社の広告収入というのは大体30年前くらいまでは、購読料と広告収入が大体5対5。だけど読売新聞の白石社長は、今は7対3程度ってつぶやいてたかな。それくらい広告のパワーが落ちてる。広告のパワーが落ちてるということは結局媒体力、メディアのパワーが落ちてるっていうことなんです。ユーザーからみたメデイアパワーのシフトは確実に起こっています。しかし、ネットメデイアの社会的信頼性がそれに応じて高まっているかと云うと疑問をもっています。

広告っていうのは正直ですから数字が出ます。その広告で物がどれだけ売れた、どれだけ見てくれた、どれだけブランドが浸透した。こういう調査を広告会社は必ずしています。そうすると新聞広告もしくは新聞社と一緒にできる仕事の範囲が限られちゃうわけですね。自分の人生時間を考えて世の中の役に立つ大きな仕事をしたいと考えた時に、新聞の限界というものの中でやるのか、もっと新しいメディアで挑戦していくのかということで、ちょうど18年前、ヤフーなりアサヒコムなどが立ち上がる時にそちらの世界に飛び込みました。これは電通では珍しく公募制で、僕のようなメディアアドマン、クリエイター、マーケティングが集まってチームを作って、ヤフー等の立ち上げなどを見てきました。

新聞をやってた15年で変わったことっていうのは新聞のモノクロがカラーになったくらいですが、ネットをはじめて18年の変化はとんでもない変化ですよね。このイベントもTwitterで同時につぶやかれていますが、ありえなかった世界です。この変化を体験できたことはすごく幸せだなと思ってますし、この変化の中で若いメディアマンやアドマンが社会への責任意識をもちながらチャレンジを続けてほしいなと。その先例として皆さんに菅谷さん、津田さんのお話を聞いてほしいなと思いました。

■アメリカのメディア・スタートアップの現状

津田:そしてメディアが激変してる中、アメリカの新聞社が中心になって大きな変化の流れが起きている。その先進事例を菅谷さんに紹介していただきたいなと。

長澤:菅谷さんはハーバード大学ニーマンジャーナリズム財団で役員を務めていて、名著の『メディア・リテラシー』(岩波書店)を14年前に出していますが、今読んでも非常に心に響く本です。それからネットが出てきて新しいメディアの動き、ジャーナリストの動きがあって、情報の受け手のメディアリテラシーがアメリカではどうなったのか。ここを菅谷さんにお聞きしたくて『メディアの苦悩』でもインタビューさせていただきました。ハフポストにも御寄稿されましたが今日はアメリカの状況を菅谷さんにまとめていただいてます。

菅谷:私も先ほど長澤さんが言われたように、日本ではメディアの公共的な役割、つまり情報というのは結局、何のために存在するのかという議論が非常に貧困だと考えていましたので、『メディアの苦悩』のプロジェクトに関わらせていただきました。アメリカではネットメディアをはじめとして、様々な動きが日本の100倍以上の早さで起こっている気がします。まずは今日の議論の土台を作るために、ここでプレゼンをさせていただきます。

前提として知って頂きたいのが、アメリカと日本の新聞とは随分違っているということです。先ほど長澤さんは5対5とおっしゃっていましたが、アメリカの新聞の伝統的なビジネスモデルは基本的に8割が広告収入で2割が購読料。広告が減るとビジネスが傾きやすい側面があります。また、ひとつの新聞の発行部数が少なく、ニューヨークタイムズにしても紙とデジタル合わせて200万部ほどの非常に小さな規模なんです。よくアメリカの新聞が危ないから日本の新聞も潰れると言う方がいますが、土台になっている部数やビジネスモデルは明らかに異なっています。確かにネットによって今までのモデルが崩れてきてはいるんですが、日本に直接当てはまるかというとちょっと違う。また、これまでは新聞の競合は他紙だったのが、今は私たちが持つ24時間からいかに長く自分たちのメディアに滞在してもらうかが争点になってきています。

次にメジャーなスタートアップを特徴ごとに手短にご紹介します。とにかく拡散すればいいっていうのが「BuzzFeed」。かわいいネコちゃんとか「この3つをやればあなたの気分はよくなる」とか、思わずクリックしたくなるような内容を扱っています。「ブロッコリーもチョコレートでコーティングすれば食べてもらえる」なんて言って、社会派バイラルをやっているのが「Upworthy」。いっぽう、花形記者の力が非常に強くなってきて、組織の後ろ盾がなくてもやっていけることを証明したのが、ウォールストリートジャーナル(WSJ)でペアで長年仕事をしてきたテクノロジーライター2名が立ち上げた「Recode」。彼らは毎年テック系のカンファレンスをやってたんですけど、WSJから離れても動員数を十分稼いだということで、力のある人は独立する方が有利になっている。

次は、日本の新聞社の人も思うところがあるかもしれないですけど、「テクノロジー音痴の上司はもうやだ! 移籍してやる!」ってことを実行したのがワシントンポストから独立して「Vox News」を立ち上げたエズラ・クライン。「TPPってそもそも何なの」という人がいるように、ニュースってほとんどの人は実はよくわかってないんですよね。そこを丁寧に解説してくれるのがこのサイト。フラッシュカード的になっていて、記事中のリンクをクリックするとニュースの背景がわかるようになっている。

津田:これいいですよね。もう1年とか2年したら日本のメディアもインターフェース的にどんどん導入していくって言われてますね。

菅谷:それから「Intercept」。これは、eBayの創業者オミダイアがNSAの盗聴に関して得たドキュメントを今後どんどん公開し報道していくサイトです。「Quartz」はデザインが非常に美しく、海外からのアクセスが多いのも特徴で、若いエリート層を取り込み、ネイティブアドも上手くいっています。

津田:Quartzが成功したので今みんなこのウェブデザインを真似しはじめている。ブログのテンプレートなどでもQuartz風のテンプレートが公開されてすごく利用されてるみたいですね。

菅谷:そこがまたデジタルの難しいところですね。簡単にコピーして広まると、特色がなくなってしまいますし、非常に競争が激しい世界です。

続けると、「なぜ同じ人間の命なのに、白人・金持ちの死ばかりがニュースになるのか」という問題意識から始まったのが「Homicide Watch」。亡くなった人たち全員を同じように扱うだけではなく、殺した人の背景を載せたり、その後、裁判がどう展開したかも載せる。どこで殺人事件が起きたかのマッピングもあるので、長期的にその殺人事件の原因や傾向を分析するのにも使われています。ここはシステムを新聞社に売却するビジネスモデルで成り立っています。

■ジャーナリズムのゲームを変えたハフィントンポスト

メディア・スタートアップは、立ち上がりが早いものの、潰れるのも早くてなかなか生き残るのは難しい状況です。その中で、いい意味でも悪い意味でもジャーナリズムのゲームを変えたと思うのはハフィントンポスト。当時は、自分たちで取材もせず、記事を書かないアグリゲーションなんてありえないとバッシングを受けていましたが、今ではジャンルとして完全に定着し、他のメディアも当然のようにアグリゲーションをしています。

いっぽうで、ネイト・シルバーという統計分析の専門家がいます。彼は高校時代から統計、スポーツ、ジャーナリズムが大好きでした。大学卒業後に大手の会計事務所に就職するものの仕事がつまらなくて、メジャーリーグの野球選手の評価や戦略を考えるサイバーメトリクスを開発し(映画「マネーボール」にも出てきます)、それを売却して、その後はしばらく無職で、オンラインポーカーで小銭を稼いでいたという異色の経歴です(笑)。そのうち、個人で統計ブログを始め、ニューヨークタイムズが面白いと声をかけ、タイムズ内でブログを始めたのが彼のスターとしての第一歩。彼は政治の取材など全くしなかったにも拘らず、統計分析でオバマの2回の大統領選挙結果をほぼ全州で的中させました。日本は特にその傾向が強いですが、伝統的な取材法はまさに現場主義。現場に行って声を拾い、東京大学のA先生によるとこうです、とまとめて記事を作っていた。ところが彼は、現場は実はバイアスが多く、サンプル数が少なすぎて、むしろ客観性が少ないと考えたんです。従来の取材法に一石を投じる、非常に意義ある視点を提供してくれたと思います。

アメリカには今約70の非営利のニュース組織があります。新聞業界の収益悪化で資金はかかるものの、その割には多くに読まれるわけでもない調査報道は、足切りの対象です。ところが、権力のチェックは民主主義に不可欠であり、そこを危惧した富豪カップルが、毎年10億円ずつ出すので調査報道に特化した非営利組織を設立しようと「プロパブリカ」が創立されます。2011年、2012年には連続でピューリッツァー賞を受賞しています。今や調査報道も、オペラや美術館のように、社会的には重要でありながらも、採算がとれないので、寄付で成り立たせるビジネスモデルになってきているのです。

プロパブリカの報道で、私が面白いと思ったのは、「Dollars for Docs」という製薬会社のお金がいかに医者に届き、それが私達の処方薬にどう影響するのを考えさせる報道です。アメリカでは大手製薬会社はそれぞれのホームページで、病院や医師に研究資金、講演料、旅費代等をいくら支払ったのか等を全て報告する義務がありますが、一般の人が15社のサイトを見て詳細を調べることはなかなかできません。プロパブリカは、これを2人のテクノロジーに強いジャーナリストが、フォーマットを統一し、データベースでサーチできるようにしたのです。自分がかかっている医者がどこからいくらもらってるのか、どの病院が他に比べて金を多く受け取っているのが一目瞭然で、金を多くもらってるトップ25の医師を顔写真付きでサイトに載せたりしています。また、単に問題提起するだけではなく、患者が医師とどう接すればいいかまで指南してくれます。

つまり情報はいくらウェブサイトに公開されていても、それをまとめて私たちが理解しやすいフォーマットにしなければ意味をなさないということです。今はGoogleで検索すればなんでも出てくると皆さん言いますけど、調査報道をずっと追ってみて思ったのは、大事なことになればなるほど、どんなに検索しても絶対出てこないものばかりということです。だからこそ調査報道には価値があると言えます。ですから、市民が独立した情報を手に入れたいのなら、多少のお金を出しても、このような団体をサポートするという選択肢を考えてもいいのではないかなと思います。

■日本のジャーナリストは独立するインセンティブが無い

長澤:ジャーナリストのエキスパート性というのが基盤にないとプロパブリカ的なものはできないと思うんですけど、菅谷さんに取材した時に日本のジャーナリストは専門性が薄い、ジャーナリストを育てる仕組みがアメリカとは違うというご指摘をされました。それはどういうところからお感じになりましたか。

菅谷:アメリカでも他国でも、記者は皆さん転職するんですよね。小さいところから始めて力をつけてどんどん影響力のあるメディアに移っていく。自分の力を磨かなければ次の道がないわけです。だからインセンティブがあるわけですけど、日本でも最近、移動する人も多少でてきているものの、基本的には会社に就職してその中でやっていくので、自分のジャーナリストのスキルを高めるよりも上司とどうやって折り合いをつけていくかとか、組織の中で生き残る方法を考えてしまうのが問題だと思います。また、アメリカは組織の垣根を越えて、ジャーナリズムの理念を追求する団体が多々あり、取材法なども皆で共有して高め合おうというカルチャーがあります。

長澤:津田さんは日本の組織ジャーナリストとだいぶ接触されてると思いますが、どう感じられますか。

津田:優秀な人は多いですけど、アメリカの記者と比べて年収が1.5倍から2倍くらい違うので、それを辞めて独立するインセンティブが無いというのはありますね。ヤフーみたいによっぽど稼いでるネットのメディアだったら別ですけど、自分で独立してやっていこうというのはなかなかきついだろうと思います。メディアで何かやろうと思った時に実際にお金にする環境がないというのが、流動性が低くなっている一つの原因だと思います。

菅谷:アメリカでは、公共心があって世の中を変えようという正義感ある人達というのが一定数いるんですよね。それはジャーナリズムだけじゃなくて他の分野でも同じですが、一時的に給料が減ったり仕事が変わっても、意に反することには「ばかやろう、辞めてやる!」と、自分の意志に従い、世の中をよくする方を選ぶ。あと、共働きで一方が一時的に仕事を失っても、どちらかが頑張って支えていこうという人が多いのも、ジャーナリズムを支えてる要素の一つかなと思います。日本の新聞社にいても奥様が専業主婦だったりすると家のローンも子供の教育もあるし、ジャーナリズムを追求するよりも会社に残る方法を考えちゃう。

長澤:マスコミは「マスゴミ」とか言われてますけど、やっぱり現場の記者とか幹部の方々と接すると非常に公共心がありますし、記事を究めるという意識も強いです。その基盤が日本の場合アメリカと違って、どうしても新聞の場合は宅配制度という戸別配達制度、先ほどの購読料にあたる部分に支えられている。それをなんとか維持したいという意識がトップの経営層には非常に強いです。ただ実態として若い人たちが新聞をとらなくなっている。これもあまり公表されてないですけど、紙の新聞の平均購読年齢は50歳を超えてると言われてます。日本の新聞社は地方紙も含めて非常に強いんですが、シニア層しか読まなくなった時に経営基盤が維持できるのか。

維持できなくなった時に、デジタルの方向でもということは日本のメディアの経営者も考えている。上がデジタルわからないっていうことは全然ないです。今どの新聞社もどのテレビ局の経営者もデジタルというものをどうするか、どう戦っていくか、もしくはどう共にいくかということを考えている。だから角川とドワンゴの合併は非常に大きなインパクトを与えたんじゃないかと思います。宅配制度や視聴率が崩れた時に、日本のジャーナリズムのあり方がどうなるのか、長期的に見ると不安がある。アメリカは先に崩れちゃってるんで、菅谷さんが紹介してくれたように、プロのジャーナリストが自分の力で社会に訴えていくんだと色んな知恵を絞っているけど、その危機感の違いがあるんじゃないかと僕は感じます。

■日本で成功しているネットメディアは営業が優秀

津田:今日のひとつのテーマでもあるジャーナリズムの公共性とか調査報道的なものをやるには、記事の書き方の訓練が必要。それをどこが代用できるかという問題があると思います。たとえば堀江さんがライブドアですごい元気だった10年前くらいは、ライブドアのサービスってパクリばっかりだって言われてたんですけど、その速度感はすごかった。そのとき彼らがやったのは個人で優れたウェブサービス、ウェブメディアを作っている管理人に連絡をとって、「お前1千万で、もしくは1億でうちにこい」ってことだった。そんな風に新しい新興メディアとか既存メディアからスピンアウトした面白い情報発信しているメディアに対してお金が集まりやすくなる環境は間違いなく増えていく。一方で、そのトレーニングの機能っていうのはやっぱり既存メディア、特に新聞社が持っている一番重要な部分なんですけど、じゃあネットって本当に記者をトレーニングする機能を持ちうるのかっていう問題が出てくると思います。

長澤:今はネットにおけるニュースメディアの変革期にきてると思います。2、3年前まではヤフーニュース1強の時代でした。広告的にもニュースメディアのPV的にも圧倒的で、ネットでニュースを見る人の7割がヤフトピを見ている。だからヤフトピには各新聞社とか通信社とかテレビ局から情報が出てるんですよね。本にも書きましたが、ヤフーというのはヤフーニュースがなければトップにならなかった。24時間365日新しい情報をプッシュで出していくというメディアは外からの情報を常に入手しないとできない。そこに対して簡単に情報を提供した新聞社サイトというのはご承知のように非常に厳しい状況に追い込まれている。

その中でNewsPicksとかSmartNewsとかGunosyとか新しいニュースアグリゲーションメディアが出てきました。スマホというものが出てきた影響でPCのヤフー中心の状況というものが一回リセットされて、また新しいニュースアグリゲーションの競争が始まりつつあります。その中には自分でコンテンツも作りつつアグリゲーションもする新しいメディアも生まれ始めている。世の中がスマホファーストの時代になって、大分ネットメディアの状況は変わってくるんじゃないのかなと。それにどうソーシャルを使うかという問題が大きく被ってくると思います。当然、マスメデイアにも影響する変化です。

津田:今日本で成功しているネットメディアに話をよく聞くと、営業が優秀なんですよね。ネットメディアって記事をちゃんと作ってアクセスを集めればいいのかと思うと、それだけアクセス数あるのに全然マネタイズ成功してないじゃんってところがある。広告営業、特に企画が提案できる優れた営業がいるかどうかで売り上げが5倍くらい違う世界になっている。また、もうちょっと小さな規模だとトップ営業なんです。だから新しいネットメディアをインディペンデントでやっていくとなると、編集長、社長、プロデューサーみたいな人は優れた営業マンでなければいけないし、優れたウェブディレクターでもなければいけないしで、やらなきゃいけないことがすごく増えてきている。そうすると今度はその人が取材したり記事を書いたりする時間がなくなっちゃって、それはまたもったいないなと思う。その辺り菅谷さんにお聞きしたいんですが、アメリカのマネタイズっていうのは今後どうなっていくんでしょう。

菅谷:日本の多くの企業に当てはまると思いますが、専門性と誰が担当するかってことが結構ごっちゃになっていると思います。アメリカでは、新聞社でも営業は新聞社と全く関係ないところから営業に強い人を引っ張ってきてその人に全てを任せちゃう。記者は記事だけ書いてる。役割がはっきり分かれてるんです。一方、日本は組織の中の人で全てを固めてしまおうとする。日本の新聞社の経営者は記者から上がった人が多いですが、アメリカでは経営のプロがつとめます。ビジネスでも何でも、その道のプロフェッショナルがやるというところが、日本とちょっと違うんじゃないかなと。

■三者三様の視点から見たハフィントンポスト

長澤:朝日新聞とハフィントンポストの組み合わせっていうのは日本のマスメディア界で非常にユニークな試みだなと思いました。私は今までの朝日もずっと見ているので、よくそこまで朝日が踏み込んだなと。そのへんのハフポスト評価っていうのはお二人から見て、いかがでしょう。

津田:僕が自分でメディアを作ろうと思ったのは、ハフィントンポストの影響がすごく大きいです。AOLに買収されて何百億円もの大金を手にしたアリアナ・ハフィントンは、それまでアグリゲーション中心だったところに大量に記者を雇って自分達で記事作成や調査報道を始めた。それを見てこんなモデルがあるのかと思ったんですね。ネットメディアって公共性という意味ではそもそも上場になじまないじゃないですか。多くの日本のメディアが上場してないっていうのは僕もそのほうがしかるべきだと思うけど、バイアウトして運営資金を手に入れてそれによってメディアを成長させていくっていうのはすごく影響を受けたんですね。もし4、5年後日本でも同じようなことが起きた時にはその最前線にいたいなと思って、そのための準備として自分で何かメディアを作ろうと思いました。そういう意味でハフポストの日本版の登場には注目してましたし、1年くらい経って最初の頃よりも目配せが効いた記事がよく出てくるようになったなと思います。ソーシャルでも目にする機会が増えましたね。

菅谷:津田さんが経営者の視点からハフィントンポストを見ていたっていうのは非常に興味深いですね。私の場合は読者として見てまして、ハフィントンポストが朝日と一緒になってやるって聞いたときに、非常に可能性があるなと思ったんです。朝日でできることは限られてると思うんですけど、全く違うメディアを持ってきたことによって何か生まれるのではないかという期待。ただ、ハフィントンポストは対話のためのプラットフォームということになっていますけど、やはり対話はネットでは難しくて、1万もコメントがついていても読めないんですよね。そこを何か工夫できないかなと。アリアナ・ハフィントンさんはやっぱり商才がある方だなと思うのは、「自己表現は新しいエンターテイメント」との名言。昔は誰かがエンターテインしてくれるものを消費していたけど、コメントやブログを書いて自分で自分を楽しませようと呼びかけた。読者の自分も一言言いたいっていう欲求をコメント欄によって満たしている。だけどあれだけの膨大な情報をそのままにしてるいるのは非常にもったいないと思うし、日本では日本のまた違ったコミュニケーションの方法があると思うので、そこで日本色をつけて何かできないのかなっていうのはいつも思っています。

長澤:まさに菅谷さんがおっしゃった読者間のインタラクション、もしくはブロガーと読者のインタラクション、これがきっちり整理された形で出てくるべきなんですが、なかなか日本にはなかった。ソーシャルに任せておくと大体荒れてしまう。そういう状態の中でハフポストに朝日の血が入って整理役を果たすことによって、よりクオリティの高いコンテンツが見れる、もしくは自分で発言できる。こういうメディアに朝日という一番古いブランドがチャレンジしたということは大変興味があります。

津田:そういう人材交流がさかんになると、もっと面白くなると思うんですけどね。

長澤:そうですね。朝日新聞の記者Twitterってそれだけ見ててもすごく面白いんです。ああいう方々がハフポストに行って色々チャレンジされるともっと面白いと思うんですけど、なかなかそれも組織の限界があるようですが。

津田:この本でもテーマになってましたが、記者一人一人の顔が見えるのが日米の新聞ジャーナリズムの違いと言われてましたけど、個々人の記者の顔が見えてくる時代になると思いますよね。

菅谷:なってほしいですけど、署名は増えましたが、一面の一番大事な記事を誰が書いているのか肝心な所はなかなか出てこなくて。記者の人に聞くと、関わっている人が多くて出せない、あるいは、名前が出ないほうが取材もしやすくてと。社内の事情もあるんでしょうが、やはり情報の透明性やオープンさでいえば署名を出してほしい。そのほうが記者と私たちとの距離感も近くなるし、記者のブランド化ということにも繋がる。つまり私たちは別に媒体は朝日新聞でも毎日新聞でもいいんですけど、それなりに好きな記者はいると思うんです。若い人にウケる面白い記者がいれば、記者目当てでその新聞を買ってくれるかもしれない。ネイト・シルバーが大統領選前にニューヨークタイムズのトラフィックを独占していたんですが、そういう時代なので、スター記者を作るというのも一つの手かなと。

津田:Twitterのフォロワー数に応じてボーナスが変わるっていう人事評価制度を導入するのはどうでしょう(笑)。

菅谷:実はもうアメリカでは、そういうことが実際に起こっています。自分の新聞社のフォロワー数よりも記者個人のフォロワー数のほうが多い人が出てきている。それを持ってきて「私引き抜かれそうだけど、もっと良いポジションくれない?給料上げてくれない?」って交渉に使ったりしてるんですよ。

長澤:中国ではほとんどのメディアに統制があるわけですけど、記者個人では社会的批判精神を持ったジャーナリストもいる。彼らは色んな網の目をくぐって色んな話を出していく。まさに命をかけたジャーナリズムスピリットを持っているって話を聞いて、記者個人個人がどう自分の言葉で語っていくかっていうのはこれからのメディアで必要なんじゃないかなと思いました。

■遅れている日本のソーシャル教育

津田:ジャーナリズムの公共性で僕が最近気になっているのが、美味しんぼの問題や都議会の野次問題。最近の炎上事例ってネットだけにとどまらないで、ソーシャルで炎上してそれをテレビや新聞が取り上げてそれがまたソーシャルで拡散してっていう、両者の間でぐるぐる回って炎上が大きくなっている。その時に公共性ってどういうことなんだろうって考える。野次問題は海外メディアでも大きく取り上げられましたが、それは日本で言及されているセクハラとか暴言とかの問題ではなくもっと大きな人権問題だということだった。海外メディアは発言そのものよりも、その発言に対して他の多くの議員が笑っているという日本の議会を批判的な論調で報じたんですね。

菅谷:ジャーナリズムで大事なことは、何かが起こったときにそのエピソード一つで終わるのではなく、根底に何があるのかという水面下の部分、それから今後その問題を通してどのように社会を変えていくのかという部分です。高校生が校舎の裏でタバコを吸っているところを「見つけた!」というのと、世界の禁煙運動を推進する為に報道していくことは同じようでいて随分違うと思うんです。日本の場合はエスカレートして点を集中的に指摘しますが、それをやっても実は世の中は変わらないんです。

先程紹介した、非営利ニュースのプロパブリカは、日々のニュースは全く追いません。記者会見も行かないしプレスリリースも見ない。日本のメディアは、どこかが取り上げると、自分たちもというプレッシャーがある。と同時に、実はメディアに文句を言いながらも見たり読んだりしている読者にも責任があるんです。メディアって結局「読まれていくら」ってことなので、皆が読むからメディア側も載せざるをえない。だから、読者の側も、自分が相容れないような報道は、文句だけでなくシャットアウトしなければいけないんです。そうしないと世の中はなかなか変わりません。

津田:菅谷さんから見て日本の新しいジャーナリズムとして出てくるといいなっていうものは、どういうものですか?

菅谷:私は調査報道がすごく大事だと思っています。記事は読者が読んでいくらっていうものですけど、調査報道は物事を深く追求していて、楽に読めるものではないので、読者にもしんどいです。でも普通のニュースと何が違うかというと、社会をよい方向に導く為の報道なんです。先ほどの製薬会社の献金問題にしても、自分の体という一番大事なことも、報道がなければ製薬会社と処方薬相関関係は誰も明確には知らなかった。情報がたくさんあると言われつつも、調査報道を追いかけていくと実は私達が知るべき情報って、世の中にほとんど出てきていないことに気が付いたんです。そう考えて日本のメディアを見ると確かにビジネスモデルも大事だしサイトに人を集めることも大事ですけど、本当はそれを読んだ後の社会の変化が一番大事なんです。そうした成熟したメディア空間を作って行く為には、ジャーナリストの育成はもとより、メディアリテラシーを持った市民がマーケットを作っていく必要があります。特にソーシャルの時代は私たちがメディアのあり方を主導してるわけですから、そこをどう支援していくかが重要になります。

津田:『メディアの苦悩』でも「今までのリテラシーは国語を教えていればよかったけど、これからは社会科を教えていかなきゃいけない」っておしゃっておられますね。。それをどうやって教えていけばいいのか。

長澤:やっぱり怖がらずにまずソーシャルメディアに入っていくっていうことだと思うんです。あとは親と学校ですね。ここが今一番日本で遅れてるんじゃないかと僕は思います。先生も親もソーシャルにあまり接していないまま急にソーシャルな時代が来てしまったので教育ができないんですね。そこで色々な炎上事件が起きている。まず、ネット教育をする仕組みをメディアがきっちり投資して作ること。それは最終的には自分達に戻ってくるものだ、というくらいの発想が必要なんじゃないかなと思います。

津田:すごい影響力のあるまとめサイトを、むしろ敵であるような朝日新聞が買収することによって教育して変えていくようなことも意外とあるかもしれないですね。

菅谷:私はもうちょっとメディアリテラシーってシンプルなものだと思うんです。色んな調査でも言われていますが、人が真実だと思うことは、実は自分の思想に近いことなんですよね。だからまず自分自身が持つバイアスを知る。それから自分はどういう情報を好んでいるかを知る。フードピラミッドっていう、人間が一日に栄養をバランスよくとるための図があるんですが、それだと考えればいい。自分はデザート系が好きだけどカルシウムをとっていないとか。自分が一週間の中で、どんなメディアにどれくらい時間を使っていて、どんなトピックを見ているのかを記録してみるのも第一歩。また、チェック項目としては、どんな目的で情報が発信され、何を情報源とし、発信者の特性は何か。また、何が語られていなくてどんな視点が抜けているのかを頭に入れておけば、情報の特性ってかなりわかると思うんですよ。

津田:でもそれって裏返して言うと、今ずっと議論になってるフィルターバブルですよね。TwitterとかFacebookとかGoogleでさえもログインしてあって、常にその人の好みの情報ばかりが入ってくる。知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、Googleの検索結果すら人によってバラバラで、その人の趣向に合わせたものが出るようになっているんです。その情報環境自体がもしかしたらジャーナリズムにとっては一番敵かもしれないですよね。

長澤:私もそう思います。アルゴリズムとフィルターバブルはターゲッティングが効くので広告のマネタイズが非常にやりやすい。ただ、受け手には同じ情報しか入ってこない。僕だと「血圧が下がります」とかそんな情報ばっかり(笑)。自分の情報を取る権利は自分が持っているんだという意識を持たないといけません。僕は小学生のころから新聞をずっと読んでいて今でも毎朝切抜きをしていますが、今の若い社員は広告業界の記事をリコメンドしてくるニュースサイトからさらにリコメンドされたものを「今日のニュースです」と配られているわけですね。それじゃダメなんです。自分の関心がないところから拾ってこないと。社会を俯瞰的に眺める視野の広さが創造性をうむには大切とおもいます。

菅谷:それはテクノロジーで解決できると思うんです。自分の好きな情報だけじゃなくて、「こういう情報もとったほうがいいよ」というリコメンドのオプションを用意する。その人に意識があればそういうオプションを選ぶことが可能になると思います。

■ネットメディアも社会公共意識を持つ

津田:最後に長澤さんに質問です。今後の日本では既存メディアとネットメディア、どちらが勝つと思いますか?

長澤:広告の視点でいえば、クライアントの目はアドテクノロジーの進歩とターゲッティングのほうに向いてますのでネットメディアが強力で有利とは思います。おそらく視聴率や部数というのではもたなくなる。ただ強いコンテンツはどんな状況下でも勝ち残ると思いますのでネットメデイアとか既存メデイアとかユーザーは関係なく関心あるコンテンツに対していく。メデイアの区分け自体が無意味になって行くと思います。

津田:でも新聞社がネットメディア化するという道もありえる。

長澤:それはありえます。ただ販売の問題を抱えてますんで、この課題を突破できるかどうかが大きな問題ですね。

津田:全国に張り巡らされている販売網を新聞社が切り捨てることができるかという大きな問いかけですね(笑)。

菅谷:津田さんは、あと5年後、10年後日本のジャーナリズムはどうなっていると思いますか?

津田:今よりは面白くなっていると思います。この会場に来ている人の中にもTwitterで有名な記者が何人もいる。彼らが独立してほしいなと思います。

長澤:私から最後に一言。やっぱり新聞をやってネットを初期からやってきて感じるのは、マスメディアが持っている社会的公共財としての意識とネットメディアが持っている意識がものすごく違うということです。とにかく儲ければいいんだというネットメディアが多い。これだけ大きくなるとネットメディアも社会公共意識を持たないと、国の社会全体がもたなくなるんじゃないかなと思います。外資メディアであれ日本メディアであれ、その意識を経営者や現場が強く持つ。そういうジャーナリズム精神を持ったメディアが育ってほしいし、それを旧メディアも応援して津田さんのようなパイオニアが推進していく。こういう新しいメディア環境を作って欲しいなと思いました。既にスマホの時代になっていて、10年後にはスマホネイティブが新しいメディアの情報を見ながら意思決定していく時代になると思います。その時にメディアの社会公共性、ジャーナリズムの成長というものがないと非常に厳しい国になっていくんじゃないかなと感じます。そんな苦悩をこの本では少し書かせていただきました。今日は私も非常に勉強になるお話が伺えました。ありがとうございました。

(取材:大井正太郎)

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