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海に捨てられた「甲子園の土」 沖縄の球児が涙をのんだ1958年の事件

2014年08月25日 00時31分 JST | 更新 2014年08月26日 18時46分 JST
時事通信社

8月25日に決勝戦を迎える「夏の高校野球」。敗退したチームが甲子園球場の土を、青春の思い出として持ち帰るのは風物詩の一つだ。しかし、ある高校の球児が地元に帰った瞬間に「甲子園の土」は没収、海に捨てられてしまった。1958年8月31日、戦後初の沖縄代表として参加した首里高校の話だ。

当時の沖縄は日本返還前で、アメリカの統治下にあった。1958年には第40回記念大会として、大会史上初めて全都道府県に沖縄の代表校を加えた47校で開催された。首里高校は1回戦で福井の強豪、敦賀高校とぶつかり、奮戦むなしく3-1で敗退した

首里高ナインの数人がビニール袋に詰めて甲子園の土を船で持ち帰ったが、那覇港で彼らを待っていたのは冷たい仕打ちだった。アメリカの法律では甲子園の土は「外国の土」ということで、植物検疫法に抵触して持ち込み不可能だったのだ。「世界飛び地大全―不思議な国境線の舞台裏」などの著書がある、元さいたま市議の吉田一郎さんは、以下のように書いている。

沖縄はアメリカ統治下にあったから、日本本土から船や飛行機で着くとパスポート(沖縄住民の場合は渡航証明書)の審査や税関、検疫の検査を受けなければならなかったが、検疫では「外国の土は持ち込んではならない」という規定があり、球児たちが大事に持ち帰った甲子園の土は外国の土だから検疫法違反と言うことで没収され、那覇港の海に棄てられてしまったのだ。

(世界飛び地領土研究会「飛地と甲子園」)

このことが当時の新聞で報じられると大きな反響を呼んだ。「悲しいやら悔しいやら、じっとしておれません」と憤った日本航空の客室乗務員の女性が、甲子園の小石を40個近く集めて沖縄に届けた。検疫法にひっかかるのは、土のみで石は含まれなかったからだ。首里高校の甲子園出場記念碑には今も、この甲子園の石がはめ込まれている

首里高校の事件がきっかけの一つとなり、沖縄返還運動は一層盛り上がった。1960年には沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成され、本格的な大衆運動がスタート。1972年の沖縄返還につながった。2010年の興南高校が沖縄勢初の夏大会優勝を果たしている。

甲子園の土を集める球児達の姿を見る機会があったら、約50年前に涙を呑んだ沖縄の球児達がいたことを思い出して欲しい。

【訂正】吉田一郎さんの肩書きが、さいたま市議となっていましたが、「元さいたま市議」に訂正しました。(2014/08/26)

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