少子化なのになぜ待機児童は生まれるのか? ジャーナリスト・猪熊弘子さんに聞く「子育てと政治の関係」

少子化なのに、なぜ保育園に入れない子どもがあふれるのか。そんな国民の素朴な疑問に向き合い、保育の現場取材を続けているジャーナリストの猪熊弘子さんが「『子育て』という政治」(角川SSC新書)を上梓した。2015年度からは「子ども・子育て支援新制度」もスタート。今、政治とは切っても切れない私たちの「子育て」が抱える課題について、猪熊さんにインタビューした。
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少子化なのに、なぜ保育園に入れない子どもがあふれるのか。そんな国民の素朴な疑問に向き合い、保育の現場取材を続けているジャーナリスト、猪熊弘子さんが「『子育て』という政治」(角川SSC新書)を上梓。待機児童や保育事故、保育士の労働など、問題が山積するこの国の子育てはどうあるべきかを論じている。2015年度からは「子ども・子育て支援新制度」もスタート。今、政治とは切っても切れない私たちの「子育て」が抱える課題について、猪熊さんにインタビューした。

■国の「義務」と未就学児の「権利」がない日本

2012年秋、猪熊さんは保育所入所の「激戦区」のひとつ、東京都足立区にいた。保育所に子どもを預けたいと考えている親を対象に、アドバイスを依頼されたのだ。そこで、参加していた父親に問いかけられたという。

「小学校に入れない子どもはいないのに、なぜ保育所に入れない子どもがいるのでしょうか?」。政府は盛んに少子化対策を打ち出しているにも関わらず、子育ての現場では待機児童があふれている。猪熊さんは、「本当に不思議に思えますよね。同じ質問を、あちこちで何度も聞かれました」と話す。

「私も最初は気づいてなかったのですが、いろいろなところを取材したり、海外の状況を調べたりする中で、衝撃を受けました。海外では子どもは国民の一人として大切にされて、その権利が認められている。でも日本では、国連で採択されている『児童の権利に関する条約』に批准しているけれども、就学前の子どもの居場所に関する権利や、それに対する国の義務が一切ないのです。小学校は憲法で義務教育として保障されています。だから、保育所に入れない子どもがいても、小学校に入れない子はいないわけです」

この条約の第18条には、こんなことが書かれている。

1 締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする。

2 締約国は、この条約に定める権利を保障し及び促進するため、父母及び法定保護者が児童の養育についての責任を遂行するに当たりこれらの者に対して適当な援助を与えるものとし、また、児童の養護のための施設、設備及び役務の提供の発展を確保する。

3 締約国は、父母が働いている児童が利用する資格を有する児童の養護のための役務の提供及び設備からその児童が便益を受ける権利を有することを確保するためのすべての適当な措置をとる。

「それが0歳の赤ちゃんであっても、子どもにきちんと居場所を与えるということは、世界的な潮流です。OECD加盟国で、0〜5歳の子どもに居場所が与えられる権利がないのは日本だけ。待機児童が社会問題化してもう20年経つのに、日本では子ども自身が過ごすのに最も適切な場所にいる権利は認められていないのです。法律できちんと必置と制定されれば、国や自治体は必死にそういう施設を造らなければなりません。それがないから、こんなに待機児童があふれているのです」

選挙の際には「子育てしやすい国」「子どもに優しい町」という公約を連呼する政治家だが、当選後に彼らは何をしているのだろうかと疑問を覚える。待機児童問題は解消されず、保育の現場は疲弊するばかりだ。

「議員は政治的に動いていますから、やはり、国や自治体に対するある程度の義務がないと難しいのでしょう。たとえば、児童福祉法24条には『保護者から申込みがあつたときは、それらの児童を保育所において保育しなければならない』と書いてありますが、『当該保育所における適切な保育を行うことが困難となることその他のやむを得ない事由がある場合においては、当該保育所に入所する児童を公正な方法で選考することができる』という抜け道も併記されています」

■「預かれればいい」「預かってもらえればいい」が招く死亡事故

「『子育て』という政治」では、まず待機児童問題について「待機児童ゼロ」を掲げる横浜市などの取り組みをひもとき、「待機児童対策は自治体の取り組み次第」と明言している。もちろん、国や自治体も手をこまねいていたわけではない。猪熊さんによると、待機児童問題を解決するためとして、2001年からすでに保育所の「規制緩和」は始まっていた。

しかし、規制緩和による保育所が増える一方で、猪熊さんが懸念するのは保育の質だ。たとえば最近、用地を取得しづらい都市部で増加してきているのが、高架下の空きスペースを利用して設けられた保育所。猪熊さんが訪れた高架下の保育所では、「振動や音が気になった」という親の声が聞かれたという。室内は柱が多く、危険な死角も多い。園庭もあるにはあるが、高架下だから日が当たらない。

育ち盛りの子どもたちが日中を過ごす施設がこれでいいのだろうか。「死を招いた保育―ルポルタージュ上尾保育所事件の真相」(ひとなる書房)の著書もあり、数々の保育事故を調べてきた猪熊さんは、疑問を投げかける。

「保育所が増え、保育時間が延びたるこことで、もともと不足気味の保育士が足りず、ギリギリの保育士数で回さざるをえない保育園も増えています。保育現場は疲弊し、内側から見たらもう<保育になっていない>状態のところも。子どもに向き合うことなく、<何時になったら何をする>と機械的にマニュアルで決まっていて、それ以外のことをしてはいけない。そんな保育が主流になってしまったら、戦後60年以上かけて<文化>として培ってきた日本の保育がなくなるんじゃないかという危機を感じます。保育現場の先生たちは熱心で真面目で、子どもたちに良い環境を整えたいと頑張っている。でも、政治的に訴えかける声が相対的に小さい。子どもには選挙権がないから、政策的にもどうしても後回しになってしまうんです」

規制緩和にともない、それまでの定員に上乗せして保育を行える「詰め込み保育」が可能になったが、余裕のない保育は、保育事故へと直結する。「『子育て』という政治」によると、2011年に保育施設で亡くなったと厚労省に報告のあった子どもは14人。それが、2012年に18人、2013年には19人となっているというのだ。亡くなった子どもの多くは0歳児から2歳児。より注意が必要な乳児にも関わらず、十分な態勢の取れていない保育施設で亡くなるケースがほとんどだ。

「待機児童の8割が0歳から2歳の子どもで、事故に遭った子どもの年齢と一致します。認可保育所に入れなかった赤ちゃんが、やむなく預けた先で事故に遭う事例が多いのです」と猪熊さん。「保育の質を保つことは、子どもの命を守るために当然の権利として認められるべきもの。でも、待機児童が多い自治体では、親は『預かってくれればどこでもいい』と思いがち。すると、預かる側は呼応して『預かれればなんでもいい』という保育になっていきます。本来は、親と保育者がお互いに子どもの保育環境を高め合っていかないといけないのに、現状は保育のスパイラルが下向きに落ちている。その合間で、子どもたちが犠牲になっているんです」

では、多くの働く母親を悩ませてきた「3歳児神話」のように、幼い子どもは家庭だけで育てるのが最適なのだろうか。

猪熊さんはそれも否定する。「実は、家庭での事故死が最も多いです。日本では1年間に保育施設で亡くなる子どもよりも、家庭で虐待されて亡くなる子の方が3〜4倍ぐらい多い。アメリカの論文でも、虐待を含めた子どもの死亡率は家庭が最も高く、預かる場所としては個人の自宅で保育する『ファミリー・デイ・ケア』も高い。もっとも低いのは日本の保育所のような保育施設『チャイルドセンター』に行くことだという大規模な研究結果が出ています。子どもにとって最も良い居場所を与える権利、というのは虐待の問題にもリンクしていると思います」

■子育ては未来の国民、日本という国を育てることと同じ

2013年、東京都杉並区を皮切りに、保育所に入れない子どもの親たちが自治体に対して、異議申立てをする「保育園一揆」が起きた。親たちの悲痛な訴えだったが、一部からは「わがまま」だとバッシングを受けることもあった。子育ては家庭で扱われるべきもので、政治とは遠いものだという風潮が、その背景になかっただろうか。

「杉並区のお母さんたちはネットでバッシングされたり、偏っていると言われたりしていました。しかし、彼女たちを政治的だと揶揄したり、中傷するのではなく、子育てとは政治に関わるものなのだと理解しなければいけません。親が子どものために政治に参加することは何ら恥ずかしいことではなく、自信を持ってほしいと思います」と猪熊さんは語る。

「子どもを育てるということは、未来の国民、つまり国を育てているのと同じことなんです。その子どもたちのためにお金をかけて欲しいと訴えることが、どうして批判されるのでしょうか。OECD諸国では今、未就学児についての研究が進められています。未就学児の子どもたちへの保育を手厚くすれば、安定的に良い人材が育つということが実証されつつあるそうです。保育には教育ももちろん含まれますが、保育の質を高めることが、安倍内閣がいうところの日本の発展にもつながるのでは。もし、子育てが豊かにならなかったら、日本という国は将来、滅びます」

しかし、日本の現実は理想にほど遠いという。2015年度から「子ども・子育て支援新制度」がスタートする。複雑な制度だが、最も影響するのが保育所、認定こども園、一部の幼稚園の利用方法だ。

「2015年度から新制度になりますが、国民への告知は十分ではありません。新制度では介護保険の要介護度のように、『保育の必要度(支給認定)』で、子どもたちを1号・2号・3号、そして短時間、標準時間というように切り分けます。現在の認可外保育所の一部も市町村の認可になり、自治体によっては、今の認可保育所と同時に入所を申し込むことになります。東京のように待機児童が多いところでは、認可外に振り分けられる人も多いでしょう。でも申請書に書いているのですから、本当は認可に行きたかったと言っても、意義申し立てはできないはずです。支給認定を受けないと保育園は利用できなくなるので、今後、保活がとても大変になる可能性があります。新制度に入らない東京都認証などの認可外や、幼稚園もたくさんあるので、保護者は入りたい園が新制度に入っている園かどうか、事前に確認する必要があります。こんなに複雑な制度を始めたのは、罪だと思います」

ジャーナリスト、猪熊弘子さん

■子育ての問題に近い政治を誰の声が動かしているのか?

日本中の保育所で取材を続ける猪熊さんは、家庭内での子どもへの虐待が増えているという話をよく聞くという。

「園の先生たちは日々、相談にあけくれています。保育所にいるから命が助かっている子どもも、本当にたくさんいます。親から引き離している間に、先生が親とコミュニケーションを取り、心を開かせていく。必要なら施設などにつなげています。子どもの事故や事件は、さまざまなケアが必要な親の下に生まれた子どもたちの間に起こりがち。今年、神奈川県厚木市で、5歳の男の子が餓死する事件がありました。あの子は何のために生まれてきたのか、なんてかわいそうなことを……と、どこの保育所の先生も、あの事件の話になるとみんな泣いていましたね。保育所はそういった支援の仕事もしています。もしその部分が薄くなってしまったら、子どもたちのセイフティネットが失われることになります」

2014年3月には横浜市に住む子どもが、預けられたベビーシッターのところで死亡する事件があった。横浜市には、子どもの預け先を探している親に対し、認可保育所や保育室、一時預かり事業、幼稚園預かり保育などの保育サービスについて情報を提供する「保育コンシェルジュ」を設置している。

「あの事件で、親が周囲に助けを求めたり相談したりすることのハードルが高いことを感じました。保育コンシェルジュがあることを宣伝している横浜市の親子が被害にあったことが、象徴的に示していると思います。情報が、本当に必要な人にきちんと届いていない。子どもを保育園に預けようと思っている親は、『うちの地域では保育園に空きがない』と簡単にあきらめず、とにかく役所や子育て支援センター、地域の子育てNPOなど、信頼できる機関に行って相談してほしい。ネットの情報だけで判断せず、保育施設も自分の目で確かめてください。もしも心配だったら、周囲にいる子育て経験のある人と一緒に見学に行くことをおすすめします」

「『子育て』という政治」を一読すると、この国は子育ての分野でどれほど多くの課題を抱え、子どもや親、保育の現場で働く人たちが悩んでいるかが伝わってくる。

「自治体も努力はしていますが、たとえば保育所を建設しようとしても、『子どもの声がうるさい』という理由で住民の反対運動があってなかなか実現しないケースもあります。子どもなんて、狭いところに押し込めて静かにさせておけというのでしょうか。人数が多いお年寄りの方がずっと声が大きいし、しかも彼らには選挙権があるから、どうしても子どもの分野は後回しになってしまう。義務教育になっていない就学前の子どもの分野はなおさらです。子育ての問題はとても、政治に近いのです」

政治は誰の声によって動いているのかを考えさせられる。そして、猪熊さんはこうも語る。

「今まで体験したことのない少子化時代を控えて、子育ては、子育てが終わった人たちも、子どものいない人たちも含めて、あらゆる世代、あらゆる国民に関わることです。日本に住む人の暮らしを将来支えるのは、今、まさに育っている子どもたちなのです。いろいろな世代の人が暮らせる町が健全で、国としての成熟なのではないでしょうか。法的な支えがほとんどない中で待機児童や保育の現場の課題を解決するのはとても難しいけれど、日本に住む子どもたちにとって、最良の場所を、子どもの周りにいる私たち大人たちがきちんと作ることを考えていくことが大事です。それが世界的にはもはや常識の、子どもの権利なのだと気づいてほしいと思います」

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