布袋寅泰がロンドンへ行ったわけ。「YouTubeじゃ、今の俺はわからないから」

多くのヒットソングを産んできた日本を代表するギターヒーロー、布袋寅泰。2012年、布袋は多くの成功を収めた日本を離れ、ロンドンへと移住した。挑み続ける男の現在の心境、ロンドンでの生活、そして音楽への向き合い方は、どんなものなのか。話を聞いた。

80年代、伝説的なロックバンド「BOØWY」のギタリストとしてデビューし、解散後、ソロ転向。ギターを弾き自らも歌い、多くのヒットソングを生んできた日本を代表するギターヒーロー、布袋寅泰

しかし2012年、布袋は多くの成功を収めた日本を離れ、ロンドンへと移住した。挑み続ける男の現在の心境、ロンドンでの生活、そして音楽への向き合い方は、どんなものなのか。(敬称略)

■「50で旅するロンドン、楽しいよ」

――ロンドンに拠点を移して2年。まずは、向こうでの生活はどうですか。

布袋:とにかくのびのび生きてます。俺、デカいので、東京は歩いても迷惑になるし、なかなかバスに乗ったり地下鉄に乗ったりっていうのはね。「頑張ってください」って励ましてもらえるけど、なんとなく表に出なくなっちゃいましたね。だからロンドンに行くと、地下鉄。オイスターカードっていうSuicaみたいなやつをチャージしながら、それでどこでも乗って行ける。もうタクシーなんか乗らないもんね。

日本だと地下鉄とか人がいるところに行くといつも見られて、両方とも気付いてない振りしてるみたいな微妙な空気があるけど、向こうでは逆に自分のほうが、前に座ったインド人や前に座った若者をジロジロ見て、そういうことが新鮮。30年間、日本でなかなか味わえなかったこと、50にして若い頃には感じなかったことに今、興味があるし。

50で旅するロンドンは楽しいよ。昔のように夜中のクラブや刺激ばっかりを求めてっていう生活じゃないけど、静かな中に忘れてたもの、生きるってこととか、そんなようなものを感じられるから、それだけでも良かったかな。

――ご家族も一緒に行かれてて、娘さんの方が英語が上手くなってるみたいな話をされてましたね。

やぁ、子供は早いって聞いてたけど、ここまでとは。ホッとしてますけどね。決して彼女は望んで行ったわけじゃないから。「パパ、一人で行きなさいよ」って言われたけど、「それじゃパパが可哀想だろ?」って言いながら。

でもクラスにはね、いろんな国籍のお友達がいて世界を感じながら。まだ日本が恋しいかもしれないけど、いつか大人になった時にロンドンでの生活があったことをきっと良かったと思ってくれると思う。

――行ったばかりの時に一番キツかったこと、ありました?

僕は昔から、レコーディングに行ったり来たりして、何カ月も一人暮らしてたから、キツかったのは美樹さん(今井美樹)じゃないかな。母であり、妻であり、シンガーであり。彼女は英語の苦手意識が強いから。今はだいぶ克服してきたけど、いきなり(娘の)学校の連絡事項とかがドサっと英語で来たりすると、パニクっちゃうよね。だから初めはつらかっただろうね。

――そこはパパとしてはサポートするんですか?

できる限り。でも僕も何だかんだ向こうに行って、この2年忙しかったし、昨年は母を亡くしたのもあったりで、サポートが万全とは言えなかったかもしれない。

でもそうすると娘がお母さんをサポートするんだよね。東京に比べるといろいろな面で不便だし、電球1個替えるのもなかなか上手くいかない。生活するのに東京ってパーフェクトじゃないですか。ピザ頼んだら必ず何十分以内に来るみたいな。そういうのが当たり前じゃないところに行くと、初めはイライラしたけど、逆に東京の方が当たり前じゃないんだな、って最近は思いますよ。トイレのフタが急に開いたりとかさ、そういうのに驚く(笑)

――至れり尽くせり(笑)

うん。だいぶロンドン人になってきたかな。日本人は、綿密に打ち合わせから設計図を描いて、完璧な仕事をやる。これはもう世界に誇れる素晴らしさだと思うけど、向こうの大雑把さに慣れて、こっち帰ってくると几帳面なのが逆に気になって。何か、リセットすることで、感じるものが多いよね。今まで、当たり前だったことを当たり前にやる、っていうのを止めた。そうすると当たり前のありがたさもいろいろ感じるし。1回リセットできてよかった。

■「YouTubeやWikipediaでは、今の俺はわからないから」

――リセットしてロンドンに行ってから、初めてのアルバム「New Beginnings」が10月にリリースされました。アルバム作りの過程は?

過去の作品で今の自分は語れないしね。今はインターネットでWikipediaがあるけど、どこまで本当かわからない。そして、YouTubeじゃこんな髪の毛ツンツンにしてた若い頃の僕を見ることはできるけど、あれは過去のものであって、見てもらっても何も僕は伝えられない。むしろ、見て欲しくないくらい。

やっぱり今の音楽で、興味を持つ人を一人一人増やしていきたいし、退屈な音楽じゃ誰も振り向いてくれない。でも、それを自分自身で考えるには限界がある。自分をプロデュースすると、どうしても自分で自分を限定してしまうんで。

今回は、イギリスのプロデューサーにとにかく委ねて、どうにか僕の魅力や可能性や力を、引っぱりだして欲しいとお願いしたんですね。人にプロデュースされるのも初めてで、まな板の鯉なんだけど、「そこ切っても駄目でしょ」ってとこ切られたりするとね、自分の方から身を捩っていって、「このへん切ってください」みたいな。そういった面では、俺、よくできたまな板の鯉だと思いますよ。

――(笑)

初めはプロデューサーの言う通りに彼らの感覚を感じて5回、6回、7回。最後の方のセッションになって初めて自分から、「もう1回弾き直していいですか?」って言うと、「いいよ。僕はこれで十分だと思うけど」って返ってきてね。そこから、スイッチ入れて思いっきりウワーッと弾くと、プロデューサー達は「ワオ!」。

そういうプロセスが僕にとって大事だった。いろんな音楽があってもいいけど、僕はただ心地良いだけの音楽はやっぱり退屈だなと思うし、そこに自分の生き様や自分の匂いや自分の美学や、そういったものを封じ込めて伝えたい。

10月に発売したニューアルバム「New Beginnings」

――「これは俺の音楽じゃねーだろ」と、プロデューサーに対して反発を感じたことは?

いや、ギター弾くのは僕ですから。何でも俺色には染められる。ただギターソロが長いと半分に切られたり、イントロが長すぎって言われたりとか。でも言ってくれるのはやっぱり大事だなって。日本にいると僕が絶対的になっちゃうんで、口も挟みづらい。新鮮でしたよ。最初は、もぎ取られた気持ちだったけど、何回も聴いてるうちに、こっちの方がいいなって。

――プロデュースされることによる、新しい発見は?

オリエンタルだっていうこと。日本ではあまり意識されないですよね。ロンドンからすれば日本はアジアだし、“Far East”。日本と韓国、ごっちゃ混ぜになってるからね。僕らが思ってるほど、全員が日本のこと知ってるわけじゃないし。

ただ、イギリスに行ったからといって、イギリス人と同じような格好して、同じような音楽をやると、やっぱり埋もれてしまうし、自分がアジア人であるっていうアイデンティティを活かしきれないことになってしまうから。

でも、自分の身体の中に日本的な和声や、音楽が流れてるかっていうと別に、ね。沖縄音階みたいなのを使えばわかりやすいかもしれないけど、それも取って付けたような。急に羽織り袴持ってきたみたいで、借り物になっちゃう。

それでも、自分の曲で、どことなく三味線だったりとか、和太鼓だったりとか、無意識に和的なもの、要素ってあるんだなっていうのに気がつく。日本人であるってことからは逃げられないし、向き合うべきだし、自分の中の体液というか、血液とか、汗とか、そういう無意識にまとってるものの中に、きっとヒントがあるんだろうな。

■日本を離れ、またイチからギターと向き合う

――ロンドン移住前には、閉塞した状況があったんですか。

正直言ってここ数年の作品作りや、コンサートなんかでのギタープレイも何かちょっと限界を感じてたっていうか。同じようなものばっかりだな、これじゃまずいな、と思っていた。イギリスに行って、またイチから、ギターと向き合う。弦を替えるところから始めると、ぐーんとギターとの距離が近づいた。

昔はギターと喧嘩してた。僕が弾かない限り鳴るわけないのに、何かギターのせいにしたり。でも今は、昔、鳴らなかったギターが、ひさしぶりに弾いたら急に鳴り出した。もう一度、ギターを弾くことが楽しくなってきたね。

――でも、ロンドンで受け入れられるのは、簡単ではないですよね。

“アンノウン”(無名)ですよね。「誰も知らない俺だ」っていうことが、僕の今の武器だし、そこからスタートできるって素晴らしいこと。いい音を出せばちゃんと反応が返ってくる。先入観なく。

日本だと“布袋”っていう熱い兄貴キャラが、みんなのイメージ通りじゃなければいけない。そういう僕が僕であるための、無意識が働いてしまうところがあるんだけど、ロンドンでは「そこの皆さん、ちょっと聴いてくださいよ!」ってところから始めてさ。

でも、僕の名前は誰も知らなくても、「キル・ビル 」(クエンティン・タランティーノ監督の映画)のテーマの「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」っていう曲は世界中、知られているからね。

――「あ、キル・ビルのお前か!」という感じ?

うん。あの曲が始まると、さっきまではそっぽ向いてた人達が、「お? なんだなんだ」っていう感じで、そこが勝負時。とにかくアウェイ、誰も知らないところでもあのイントロを始めるとみんながこう――

――グワっとくる。

うん。あの曲が始まる前までは500人か、600人くらいだった観客が、あの曲が始まった途端に倍になり、2倍、3倍になり、最後はもう一杯になって、大歓声になって。でも悔しいのは、終わった後に、「Kill Billのカバーが一番良かったです」って言われて……(笑) それでも、あの曲があるっていうのはすごく大きなアドバンテージ。

――向こうのオーディエンスは厳しいですか。

日本の人の方が厳しいような気もする。

――というと?

公の空間に飛び込むのは苦手かもしれない。日本の人の方がね。まず頭で考えちゃうっていうか。あっちの人はもう誰であろうが何であろうが、気持ち良かったらもうアドレナリン出すし、その音楽を楽しもうとしてくれるから、演る方も楽ですよね。

あの時も三拍子の曲から始まったら、前でちょっと年配のご夫婦がワルツを肩抱いて踊りだしたりとか、そういう光景はなかなか日本ではないから。

ステージの上で感じること……今までもそうだけど、やっぱり家で教則本で練習しても何も胸の中に残らない、入ってこない。でも、ステージの光景は、誰かがね、笑顔になった瞬間、そういうものを積み重ねて自分のスタイルがあるし、今、そういう経験がまたできることはとてもフレッシュで。

■ロンドンと群馬・高崎、そしてロックンロール。僕の中では1つ。

――ロンドンには宿命的に惹かれる、と自伝『秘密』の中でも書かれていましたね。

おとといホームタウンの群馬の高崎でコンサートやって、久々に群馬に帰ったら、僕が小学校の時に初めてピアノの発表会をやった会館だったんだよ。

――えぇ!

いろいろ思い出してさ。生まれ育って、それこそ田んぼだらけのね、走っても走っても田んぼみたいな、ほんと夕焼けまで走るみたいな。そういう時代から、それで14歳からギターを始めて、でもその時からデヴィッド・ボウイや、艶やかな演劇や、文学や、ファッションや、いろんな要素を孕んだ、きらびやかなロックンロールに衝撃を受けて、その時からロンドンに行きたいと思ってたから。

群馬からロンドン。その途中に東京が30年あったっていうか。群馬からじゃ、飛行場もないしさ、まずは東京行かなきゃ、みたいなね(笑)

――飛行機乗るために(笑)

思い出すよ。ロンドンのなんもなさが、あの日の群馬の空のようだし。冬はもう寒くて暗くてさ。

――曇ってて。

うん。ロンドンと群馬・高崎、そしてロックンロール。僕の中では1つ。

――今、ロンドンでの生活を経て、日本にツアーで戻ってきて、今回は歌がなくギターだけ。日本のオーディエンスからの反応は、感じるものは違いますか。

盛り上げるのは簡単。今までみんなが大好きなパーティーソングをやったら一気に火がついて、いつもの熱狂の“布袋寅泰のステージ”になる。でも今、味わってもらいたいのは、熱狂というよりはやっぱ音に秘められている、サウンドの中にある今の俺だし、“布袋寅泰”それを一番感じて欲しい。そのことに戸惑ってはいないかな。「今度は布袋何やってくれるんだ」っていう、期待感の方を強く感じるね。

■「Spotifyのおかげで音楽を聴く時間が増えた」

――聴いている音楽は、ジャズ、ダブステップ、ロック、ポップまで幅広いと、他誌のインタビューで読みました。いろいろ聴くのは昔からですか。

レコードマニアだったし。群馬ではちっちゃなレコード屋さん、何カ月に1回か、お小遣い握りしめて。時には歯医者に行くフリして、行かない。歯が痛いまんま、新宿レコードっていうところに行って、イタリアのプログレとかさ、何だかよくわからないブートレグとか探しちゃあ、群馬に帰って聴いてドキドキしてたクチなんで。音楽は本当に幅広く聴きますね。逆にギターミュージックはあんまり聴かないかもしれない。あんまり好きなのがない。

――音楽は普段、どうやって聴きますか。

ロンドンでは、最近はSpotifyだね。

――聴き放題サービスですね。

無限のジュークボックスをどこでも、あれはやっぱりいいですよね。ミュージック・インダストリー(音楽業界)に及ぼす影響や、果たしてそれが音楽のありかたかどうかっていうのは置いといても、あれがあるおかげで音楽聴く時間が増えましたよね。朝から晩までかけて。懐かしいのを探したり、新しいのも出てきたり。

あとクルマ運転するのが多くなってきたんで、プロデューサーの家まで2時間、往復4時間とか。ラジオから聴こえてくる音楽はやっぱロンドンで聴くと格別だね。たまにビートルズとかCD積んでいくと、ロンドンで聴くビートルズは泣けてくるもん。

――東京で聴くビートルズと違う?

違うね。やっぱりみんな、ビートルズ聴いてたじゃないですか、昔は。ビートルズはみんな聴くものっていうか、誰もが通るところで。少なくとも10曲は入れるみたいなさ。アメリカで生まれたロックンロールがアートになったのはイギリスだと思うし、ローリング・ストーンズもしかり。その街で聴くロックはまた格別ですよ。

日本には上陸していない、聴き放題サービスのSpotify

――Spotifyは、リスナーにとってはいいんですけれども、ミュージシャン側からすると、という話は聞きますが……

ホンネは一人でも多くの人に聴いてもらえることが我々の喜びなので、なかなか語りづらい。でも無料になっちゃうと本当に飯食えなくなるっていう世界だし、実力のある人だけがコンサートで生き残っていくんだって言ったって、コンサートが苦手な人だっているじゃない? もう本当にね、人に見られること意識しないで美しい音楽生む人もいるし、ちょっと限定されてしまうのはどうかなぁって。

これから若い人たちは、お金が夢ではないかもしれないけど、それはそれで目標の1つであっていいと思うんですよね、若者にとっては。一発当てて、ロールスロイスに乗るみたいな。バカバカしい言い方かもしれないけど、そんな叶わないような夢が叶うのもロックンロールマジックだし。

でもね、音楽が身近にある、いろんなものと出会うチャンスがたくさんあるっていうのは、やっぱり良いことなんだと思う。なかなか答えは……なんともね。

――難しいですか。

だって昔は外盤、世界の音楽なんて新宿レコードにないものはどこにもないみたいな感じだったけど、今はもう、ぽっとYouTubeでね。

――聴けちゃいますもんね。

でも、日本の人はCDも買う。僕のファンも、いつでもどこでもあって、共有するものじゃなくって、やっぱり大切なものは自分だけのものにしたいっていうね。そういうのは変わらないと思いますけどね。

とにかくセレクト文化だから、皆いいものをセレクトされて今聴くべきなのはコレ! とか、今年のファッションはコレ! とか、ここに行ったら間違いない! とかセレクトショップに行くとそれなりのコーディネートがさ、それなりにお洒落だし、それなりな感じじゃない? ピックアップするセンスっていうか、それがやっぱその人のさ、アイデンティティに繋がるから。それは個性になるわけだし。便利なのも考えものですよね。探さなくなっちゃうっていうか。

――適当にリコメンドを聴くだけになっちゃいますね。

おととい、ツアーの初日にコンサートが終わった後、スタッフが「今日は女子高生が1人で来てましたよ」って。「へぇ〜嬉しいね」「どうだった? 楽しんでた?」って。僕もそうだったけど、多感な時期にあのコンサートを見たら、ものすごい衝撃受けるだろうな。楽しいヒット曲ばかりのコンサートじゃないけど、照明とバンドとオーディエンスが作り出すものは、見たこともない世界だろうから。彼女がそこで何かに気付き、人生に、ひとつ色を持つんだとしたら……。「何コレ!?」っていうさ。自分がオーディエンスだったときの気持ちを忘れちゃいけない。エンターテイメントでもありたいし。そこらへんはテーマですよ、自分のね。

■夕暮れの中、観覧車の上から娘と二人で観たローリング・ストーンズ

――ロンドンで自分がオーディエンスになってこれはすごい!って思ったステージとか、ありました?

あるね。ローリング・ストーンズ。僕がちょうど2年前に向こうに行った時に、初めて家族3人で行ったコンサートなんですね。

次の年は娘と2人でハイドパークにストーンズ見に行って。ものすごい人だったから2人で人の波を抜けて、後ろの方に観覧車があったんで乗ったら、お兄さんが気利かせてくれて、観覧車の一番てっぺんで止めてくれてさ。夕焼けのハイドパーク、そして何万人の観衆。向こうから聴こえる、ローリング・ストーンズ。

――すごい体験ですね。

「あぁ!」って。もう一、ロックファンですよ。日本では、見に行ってもなかなかこんな風に踊れない、後ろの人に気を遣っちゃって、立つのも申し訳なくて中腰でいつもコンサート見てるんですけど、向こうではもうね、楽しめる。

そんなストーンズからお声が掛かって、まさか同じステージに上がるとは思わなかった。びっくりしたもんね。スタジオでリハしてたらさ、メールが入って、「ミックが呼んでるから東京に行って」と。ミック? どのミックさんですか? みたいな(笑)。ロンドンに行ってなかったら、そんなことも起こらなかった。だから、一からのスタートとか、そんな大げさな――いや、実際はそうなんだけど――気負いはないし、リラックスしてるし、楽しんでるよ。

■BOØWYを解散してから25年たった今、思うこと

――今年は、BOØWYを解散して、ソロ活動を始めてから25年の節目の年でもあります。あの時と、どう違いますか。

あの時の若さ。怖いもの知らずの、爆裂的な衝動的な強さっていうのは今はないかもしれないけど、あの時よりも革新的ですよね。音に対して、全てに対して。やっぱりいろんな経験をしてきたから。挑戦もしてきたし。あの頃よりも強いですよね、絶対。

――解散以降は曲作りだとか、歌うことに軸足があった感じですか。

やっぱ歌うとなると、それは身体的だし、言葉を発するとそこにはメッセージがある。嘘は歌いたくないじゃない? カッコいいだけのこととか歌えないし。もう子供じゃないし。

ラブソングっていってもいろんな愛があってもいいだろうけど、なんとなくハッピーエンドか片想いみたいな。日本の歌って、特に僕みたいにビートに乗せてってなると、言葉自体も立った言葉じゃないと音に負けちゃうし、歌は難しいよね。

弾きながら歌いながら踊る、まぁ踊れって言われてるわけじゃないけど、半ば曲芸に近いからね。あれ、3時間、よくやってたなって本当に(笑)。今はギターに集中してる。

――ひとつ、伺いたいのが解散してから25年、氷室京介さんが引退報道が7月に出た際に、「最後のステージはせめて一曲でも 隣りでギターを弾かせてほしい」とブログでメッセージを書かれていましたね。

7月、自身のブログに思いを綴った

びっくりした。25年前ですよ……バンド解散したのがね。いまだに愛されて、大きな存在だから、BOØWYっていうバンドは。こうやって語られること自体素晴らしいことだなと思うけど、その後、お互いどんだけ努力をしてここまで来たかっていうことも、忘れてほしくない。

また僕はスタートを切ろうとしてる。彼は彼の道を選んでる。10代から夢を共にして、ゼロからね、一番大事な時期を一緒に過ごした、どんな存在を超えた仲間なので。ただまぁ何を言っても言葉になってしまう限りは伝わらないだろうなと思うね。言葉じゃないものだから。慎重になるよね。変なこと言うと見出しになるしさ。でも、いつもこの質問、最後のほうなんだよな、なんでだろうね(笑)

――聞き手も、聞きにくいからでしょうね(笑)

答えるの難しいの、わかってるのにさ(笑)

でもいつまでも応援してますよ。耳の具合がよくないって聞いたんで、一日も早く良くなって欲しいし、これからの音楽にも期待したい。離れてるけど、このアルバムも聴いてくれたらいいなと思うしね。僕が世界でまた頑張ってるんだっていうこと、彼が知ったら何て言ってくれるかなっていうのもなんとなくどっかにありますしね。

吉川(晃司)もそうだし、今までいろんなミュージシャンやクリエイターと作品を作ったり、共有してきたんでね。こういう作品や僕の活動っていうのは今の僕を伝えるにはこれ以上の方法はない。伝わるとこには伝わってるんじゃないかな。

■目標は、ロイヤル・アルバート・ホール

――世界に打って出るアルバムを作って、ストーンズとも共演して。今後の野望は。

昔は「別に、ビルボードの何位なりたいとか、どこどこスタジアムでやりたいとか、そういうことじゃない。もっともっと、ピュアな気持ちなんですよ」って言ってたけど、最近はビルボードも狙うでしょ! スタジアムも狙うでしょ! じゃなきゃつまんないなって思ってきた。でも、いきなり飛び越えてそこに行くわけにはいかないんで、ひとつひとつ、手応えを感じながらやってる。まぁ、苦しいけどこれを楽しまなきゃな、っていうのが今の思いかな。

目標については……どうだろう。都合のいい言い方だけど、行き着いたところがゴールってよく言うじゃない? それでいいと思う。きっと思い通りにはならないだろうけど、またチャンスが巡ってきて、そこで左に曲がるはずが右に曲がったらまた違う世界が広がっていて、導かれるように、手繰っていけば何かに行き着くという。そんな、のん気な考え方なんで。

でも、来年は今年の2倍、3倍、フェスティバルに出たいかな。あとアマチュアの時の目標が武道館であったように、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールっていう、美しい伝統のあるホールがあるんだけど、あそこはやっぱ1つの目標にしたいよね。いつになるかわかんないけど。そう遠い目標にはしたくない。一歩一歩、自分のギターを磨いて、来るべき時のために。そしてまたチャンスが来た時に堂々とギターが鳴るようにしていたいよね。

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