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イラン革命から35年 激動の時代をとらえた写真

2014年11月13日 22時18分 JST | 更新 2014年11月13日 22時47分 JST
Getty

2014年2月11日にイランは革命35周年を迎えた。親欧米派のリーダーだったシャー モハンマド・レザー・パフラヴィー(パーレビ国王)を打倒し、イラン・イスラム共和国を樹立したのだ。イランの新聞によれば、各地で開かれた記念集会では何百万人ものイラン人が通りに集まってこれを祝った

現職の大統領はハサン・ロハニ。政権を取って以来、イランの核開発計画をめぐる西側諸国との対話に努め、膠着状態から抜け出したところだ。彼は革命記念日のスピーチの場で国内の強硬派に訴えかけた。アルジャジーラ・アメリカの報道によれば、アメリカの政策を批判し、引き続き平和的な核開発の道を歩むことを誓ったのだ

イランの1979年革命は西側諸国の支援を受けた専制政治という 「屈辱」を 終わらせた、とロハニはテヘランの市民に語りかけた。「国民は自分たちの考え方が国の方向を決めることを望んでいたが、西側列強はこの国の内政にまで干渉を始めた。… アメリカ人はイランを属国か何かとでも思っていたのだろうか。干渉はあらゆる方面におよび、安全保障上の問題にまで口を出してきたのだ」

革命によりイランの立憲君主制は終わりを告げ、シャーとして専制政治を敷いていたモハンマド・レザー・パフラヴィーは国外追放となった。代わって14年間の亡命から帰国したシーア派リーダーのルーホッラー・ホメイニ師がイラン・イスラム共和国の初代最高指導者となった。宗教に基づいた国家システムは今日まで続いている。

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シャー モハンマド・レザー・パフラヴィーに忠誠を誓う軍隊は1978年11月4日、イスラム革命の炎が激しさを増すテヘランに到着し、燃え上がる政府の建物近くでデモに集まる民衆の前に立ちはだかった。(Kaveh Kazemi/Getty Images)

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ホメイニ師のポスターを掲げ、君主モハンマド・レザー・パフラヴィーの銅像を取り囲みデモに参加する女性たち。1978年12月11日、エスファンド広場24にて(Kaveh Kazemi/Getty Images)

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イランを去るため飛行機まで歩くシャー モハンマド・レザー・パフラヴィーと王妃ファラー。1979年1月16日、テヘランのメヘラーバード空港(AP Photo)

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シャイヤッド (シャー記念建造物) の周りに集まりイラン・イスラム共和国を支持する100万人以上の群衆。1979年1月19日、テヘラン(AP Photo/Aristotle Saris)

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兵士の一人がシャーを支持するポスターを掲げ、もう一人が預言者ムハマンドの娘婿であるイマーム アリの肖像を捧げ持つなか、デモ参加者たちは空にはためくイラン国旗のそばを通り過ぎていく。1979年1月25日、テヘラン(AP Photo/ Bob Dear)

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ルーホッラー・ホメイニ師が14年間の亡命生活を終えて帰国し、機体から姿を現す。1979年2月1日、メへラバード空港(AP Photo/FY)

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革命が始まって間もなく、テヘランの大きな広場で銃を持ち警備に当たる女性たち(Keystone/Getty Images)

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兵員輸送用の装甲車の上でSAVAC (国家情報治安局) 司令部の警護に当たる陸軍将校と、団結を示すジェスチャーをするデモ隊の3人。この日の午後に軍は敗北を認め、イラン革命の勝利が宣言された。1979年2月11日、テヘラン(Kaveh Kazemi/Getty Images)

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政府軍の駐屯地から盗んだ銃を掲げてイスラム革命の勝利を祝う男2人。1979年2月11日午後、テヘラン(Kaveh Kazemi/Getty Images)

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ホメイニ師に忠誠を誓いアメリカ大使館の前に立つ銃を持った一団。敷地内への発砲も起こった。1979年2月15日、テヘラン

■1979年11月4日、イランの学生がテヘランのアメリカ大使館を襲撃

1979年11月4日、学生グループはイランの首都テヘランにあるアメリカ大使館を襲撃して占拠し、大使館職員を拘束した。若い過激派らが、444日間にわたり、緊張した状態のまま最終的には50人以上のアメリカ人を人質にした。

イランの人々は2014年11月4日、首都で大規模な反米集会を開き、占拠を記念する日を迎えた。AP通信は、過激なデモ隊が、アメリカやイギリス、イスラエルの旗を燃やしながら、「アメリカをぶっつぶせ」「イギリスに死を」「イスラエルに死を」と叫んだと、報じた。

1979年11月からのテヘランでの強烈な写真を見てみよう。

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イラン革命で、アメリカ大使館の壁をよじ登るイランの学生ら。学生らは、大使館職員を拘束、うち52人を444日間にわたって人質に取った。1979年11月4日、テヘラン (Photo by AFP/Getty Images)

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アメリカ大使館の敷地内で祈りを捧げる学生ら。1979年11月8日、テヘラン(AP Photo)

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革命防衛隊を担当し、ホメイニ師の側近である高位の宗教者が、アメリカ大使館の外に集まった群衆に対して話しかけた。1979年11月10日、テヘラン (AP Photo)

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アメリカ大使館で、横断幕や、鎖で巻かれたアメリカのジミー・カーター大統領とパーレビ国王の絵で覆われた門を挟んで話をするイラン人。1979年11月9日、テヘラン(AP Photo)

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武装した革命防衛隊が通りに立つ中、アメリカ大使館の門では、イランの指導者ホメイニ師の肖像画や反米スローガンが飾られた。1979年11月6日、テヘラン (AP Photo)

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アメリカ大使館が学生によって占領された直後、手に持ったライフルを振りながら反米スローガンを叫ぶイラン学生。1979年11月5日、テヘラン(AP Photo)

イラン人女性の密かな自由

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この記事はハフポストUS版に2月11日11月4日に掲載されたものを翻訳しました。

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