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「読者がお金を払わなければ、"あるべき関係性"が結べない」――漫画家・浦沢直樹さんインタビュー

2014年12月29日 21時46分 JST | 更新 2014年12月29日 23時30分 JST

urasawa

日本のみならず世界中にファンを持つ漫画家、浦沢直樹さん(54)。『YAWARA!』『MONSTER』『20世紀少年』をはじめ、多くのヒット作で知られる鬼才だ。その浦沢さんがみずから企画した番組『浦沢直樹の漫勉』が2014年11月、NHK・Eテレで放映された。漫画家の聖域ともいえる作画現場に潜入し、彼らのペン先を映し出すというドキュメンタリーだ。スマホ向け漫画アプリの普及、漫画誌電子版の創刊、漫画の海外輸出――今、日本の漫画を取り巻く状況は大きく変わりつつある。『漫勉』という番組を企画した浦沢さんは、日本の漫画を取り巻く現状に、漫画家としてどのような問題意識を抱いているのか。話を聞いた。

■読者がお金を払わなければ、「あるべき関係性」が結べない

――浦沢さんは、日本の漫画を取り巻く現状を見て、漫画家としてどのような問題意識を抱いていますか?

浦沢:うーーーーん。「問題意識」というほどのことかどうかはわからないんですけど、僕は作品を1回も電子書籍化したことがないんですよ。紙媒体だけでやっている残り少ない原始人(笑)は、もう本当に、数えるほどという感じ。なぜやらないのかというと、第一に画面の小さいスマホで読んでほしくない。それと、漫画って見開きで読む形態なので、それがキープできない媒体では、見てほしくないんですよ。見開きの状態で眼がどういう風にページ全体を追っていくのかが漫画の演出だと思うので。ただそれだけなんですよ。

それから、今は無料で読める漫画っていうのがあるじゃないですか。僕の今まで生きてきた感じからして、「タダで見る」ってことがどうしても、しっくりこないんですよね。漫画というのは、高いものだったんですよ。僕らが小学生の頃は単行本が220円から250円くらい。とてもじゃないけど、買えない代物だったんですよね。本屋も立ち読みさせたくないから、子供の手が届かない高い棚に並べてた。それを眺めながら「いいなあ、お金が貯まったら、あの単行本がほしいなあ」って憧れていたんです。そういう世代なので、「タダで見る」って、それ漫画の見方じゃないよな、って。漫画は憧れの対象で、背伸びして一所懸命、手に入れるものだったのに――映画にせよ、音楽にせよ、事情は同じだったはずなんですよね。それがタダになると、憧れもへったくれもなくなっちゃう。

もちろん漫画がタダになったといっても、配信会社が作者にお金を払っています。でも、そこはこの際、関係ないんですよ。僕ら漫画家と読者の間に、「対価を出して購入する」という契約がなければいけないと思うんです。その時初めて、作品に対する敬意だとか、逆に言っちゃえば文句を言う権利だとか、いろんなことが発生するんだけど、そこが無料だったら、何かその、「あるべき関係性」が結べない感じがするのね。問題と言えばそこですよね。

お金を出した人には、どんどん文句を言う権利があると思うんです。だけど、タダで見たんだったらゴチャゴチャ言うなよ、ってことになっちゃう。本当は作家にとってゴチャゴチャ言ってもらうことは、とってもいいことなんだよね。もちろん「面白かった」って言ってもらえればうれしいけど、なけなしのお金をはたいて買って思った意見て、重みが違いますよね。漫画家と読者の立場が、非常に対等な感じがするんですよ。

だから僕は、ものを見たり聴いたりする時はなるべく自分で買いますし、自腹を切った時に初めて意見するってことを心がけていますけどね。「受け手が直接お金を払う」っていうシステムを、もう1回復活できないかなあと思っているんですが、現状の流れを止めるのは難しそうですね。

――浦沢さんの作品は世界およそ20か国で発売されていて、特にフランスで読まれていますよね。日本の漫画は海外でどう受け止められていると感じますか? 

浦沢:まずそこで確認しておかなければならないのが、たとえばかわいい女の子が出てくる萌え系の漫画と、谷口ジローさんみたいな漫画は、まったくジャンルが違うってことなんですよ。で、「海外で日本の漫画がウケている」っていうのは、「それぞれのジャンルでウケている」ってことなのね。映画でいうと、『トランスフォーマー』と小津安二郎作品を同じジャンルとしては語らないでしょう? それくらい違うんです。これは別にそこに優劣をつけているわけじゃなくて、全部一緒くたにしてしまうと大ざっぱすぎるということで。

まあ、フランスの場合、漫画を「9番目のアート」に認定するという話になった段階で、結局「谷口ジローさんのような漫画家を筆頭とする」ってものの考え方なんですね。そのアートとしての認め方は、日本の比ではない。だから僕らはフランスに行って、「こんなにちゃんとアーティストとして受け止めてもらったのは初めてだ」って思ったんです。日本でそんな扱いを受けたことはありませんでしたからね。

■差別用語としての「漫画」

――意外ですね。日本では事情が違っている?

浦沢:実はそのへんが長年抱いてきた問題意識なのかも。

僕は子供の頃から漫画が好きだったんですけど、読んでいたのは、いわゆる売れ線の漫画じゃなかったんですよ。もっとこう、マニアックである意味文学的な漫画が小学校の頃から好きだった。だから友達に「浦沢、漫画を描いてるらしいじゃん」と言われた時、「漫画といっても、君らの言ってるようなのとは違うんだよ」ってずっと思ってたのね。嫌な子ですよ。「僕がいう漫画は『火の鳥』なの、『ハレンチ学園』とは違うの」って。まあ、『ハレンチ学園』は『ハレンチ学園』で面白いんですけどね(笑)。同じように、親戚のおじさんが「直樹くん、漫画が上手なんだって?」なんて言ってくると、「おじさんは何もわかってない、おじさんが思ってるような漫画とは違うから」って思ってた。世間中の人たちが「漫画」と言うけど、みんな何もわかってない、って僕はずっと考えてたわけ、なまいきにも。

で、いまだにちょっと油断すると、国会議員が「何を漫画みたいなことを言っているんだね」って言ったりするんですよ。誰かと話していても、「ま~た、漫画みたいなこと言って!」という常套句が出てきたりとか。「私、漫画読まないんで」っていう人がよくいるけれど、それは「私、漫画なんか読むような人間じゃないから」って優越人種としての自分を強調しているんじゃないかと。

日本ではそれくらい、「漫画」っていう言葉が差別用語になっている。僕は幼少の頃からそのことに、心のどこかでずっとイライラしていました。でも、実はその差別用語感があるからこそ、「漫画」っていうのは下積みから叩き上げて、今のような大きな文化になってきた、っていうところもあるんですけどね。

――浦沢さんと世間では、「漫画」に対する見方が違っていた。

浦沢:うーん、なんだかねえ。自分が職業として漫画をやるようになって、名前もちょっと売れてくると、漫画に対する質問をされるんですけど、まあ、みんなわかってないわけです。「浦沢さんほど売れっ子の先生になっちゃったら、もうお弟子さんに任せて、自分ではほとんど何もしないんでしょ?」ってよく言われるんですよ。冗談じゃない、何から何まで描いてるっちゅうの!(笑)――つまり、親戚のおじさんに小学校の時、「直樹くん、漫画が上手なんだって?」なんて言われていたのと、状況はあまり変わらないのね。

もう50年以上も漫画とお付き合いをしてきたけれど、漫画に対する目線が世の中と自分で、ずーーーっと違ってる。この頭の中にあるモヤモヤをどうしたらいいんだろう、そろそろ年齢も年齢だし生きているうちに是正できないだろうか――そんな模索をずっと続けてきて、いろんなところでご相談はしてたんですよ。で、たとえばこういうやり方はどうだろうって企画したのが、今年11月9日にNHK・Eテレで放映された『浦沢直樹の漫勉』という番組だったんです。

白い紙から絵が立ち上がっていく瞬間を漫画家目線で捉え、ノーカットで見せれば、みんな「ああ!」と気づいて、世の中の目線はグッと変わるかもしれない。何とかみんなの目から鱗を剥がせないものだろうか――偉そうな言い方なんですけど、それが第一歩だったんですよね。

――『漫勉』では、『沈黙の艦隊』のかわぐちかいじさんと『天才柳沢教授の生活』の山下和美さんの作画現場を密着撮影し、ペン先から漫画が生まれていく様子を捉えていますが、お二人ほどの巨匠になっても、迷いながら描いているんですね。

浦沢:そりゃ迷いますよ。だって目の前にあるのは、毎回毎回、白い紙で、そこには何万通りでは利かないやり方があるんですよ。その中から、ベストなものをチョイスしながら描くわけでしょう。迷うに決まってるじゃないですか。手塚治虫先生が1947年に発表した『新宝島』、あの時から日本の漫画っていうのはぐっとこう、今の方向に大きく舵を切ったわけですけど、あそこから、いや、それ以前から、漫画家の目の前では、いつもあんな光景が繰り広げられている。

「漫画家の先生、描いていないんでしょ?」ってみんながいうような状態を、システマティックに作っている人も何人かはいます。でも、それもそれとて、やっぱり人の手で白紙から作っているわけで、ほとんどの場合、漫画家さんが一人、もがき苦しんで絵を描いて、「アシスタント」と呼ばれる人が指示にしたがって作業している。それが毎週、みんなの目の前に印刷された状態で届くから、何気なく見ちゃうんですよ。安い紙に刷られたのを、ものすごいスピードでパラパラめくってね。漫画の読み方としてはそれが正しいんですけど、それを毎週毎週やっていくことで、みんな大事なことを忘れていっちゃってるような気がしたんですよ。

■「週刊で漫画を描く」ということは不可能

――漫画は人間が描いているものなのに、あたかも工業製品のように捉えて消費してしまっている、というか。

浦沢:そうなんだよね。週刊誌の連載って、だいたい18から20ページなんですよ。7日間でそれだけのページを描くって、そんな作業は人類史上ないと思うんです。戦後の日本人しか成し得ない感じがする。

歴史的に言えば、1959年に漫画週刊誌、「少年マガジン」と「少年サンデー」が始まっていて、僕は1960年1月生まれだから、ほぼ同い年。それまで漫画っていうのは月刊誌、その前は貸本っていうサイクルで刊行されていました。貸本から始めて、月刊誌にしたら、戦後のベビーブーマーたちがワイワイとそれを楽しんで読みだした。その時、「これは週刊で出しても余裕で売れるんではなかろうか」と思った講談社と小学館が、「マガジン」と「サンデー」という週刊誌を同時に創刊するんですよね。現場の編集者も漫画家ももちろん、みんなが「週刊で漫画を描くなんて絶対に無理だ」って言ったんですよ。そうしたら上層部は「無理なのはわかってる」と。「わかってるけど、とりあえずやれるかどうか、様子を見てみよう。駄目だったらまた月刊とかそういうペースに戻せばいいよ。とりあえず、『週刊』というものにチャレンジしてみないか」と言って、それが1959年に始まった。とりあえずお試し期間で始めたら、後に戻れなくて、そこから55年続いてる。

その無茶が功を奏して、僕らが小学校の時、漫画週刊誌は50万部突破、100万部突破って、目の前でどんどん記録を刷新していくんですよ。120万部突破、200万部突破、どんどん行く。天井知らずなんですよ。漫画のブームも、それでガーッと上がっていった。その週刊文化の中でトップを取るということは、日本漫画を制するということになる。漫画家たちもしのぎを削りだすんですよ。「てっぺんの見えない文化」ってすごいもので、そこでてっぺんの取り合いしてみ? ってなった時の、その取り合いたるや、すごいんですよ。で、ギネス記録にもなった1995年の「ジャンプ」653万部、そこまでずーーーっと上がり続けたんです。やればやるほど、読者にとっては「週刊でモノが届く」っていうのが普通になっていっちゃった。そこから、勘違いが始まっちゃったんですよ。

しかも途中で「絵の革命」が起きたんです。大雑把に言えば、それまでの絵は、手塚治虫先生が描いた『新宝島』から派生したもの。それが1980年、大友克洋っていう人が『童夢』という作品で出てきた時、漫画界にショックが走ったんです。超絶なデッサン力、緻密でリアルな背景―― 「これからは、こういう絵でなければ駄目だ」って。僕も当時、19、20くらいですから、それをもろにかぶって、絵柄がガッと変わりました。そうすると、週刊では無理になってくるんですよ。でも今は「大友克洋のクオリティが、漫画のクオリティ」ってなっているんです。

現在の漫画週刊誌の目次を見ると、「◯◯先生は今週、取材(もしくは急病)により?