「かっこいい福祉」で未来は変わる? NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事・須藤シンジさんに聞く

2020年東京オリンピック・パラリンピックで、世界中からの多様な人々を迎える日本。私たちの「心のバリア」を取り除き、真のダイバーシティを実現するためには何が必要か。

「地味」「ダサい」。高齢者や障害者の人たちが使う車いすなどの福祉機器にまつわるイメージを一気に塗り替えるできごとが2014年11月にあった。東京・渋谷のヒカリエで7日間にわたり開かれた「2020年、渋谷。超福祉の日常を体験しよう展」(超福祉展)。そこでは、SFで描かれるような「かっこいい」デザインや、健常者以上に動ける「ヤバイ」機能を持った車いすなどの福祉機器が並び、多くの若者や子供たちでにぎわっていた。

この「超福祉展」を渋谷区、KMD慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科と共催で仕掛けたのは、NPO法人ピープルデザイン研究所。近年、建物や道路など街の「ハードのバリアフリー」は進んでいるが、それぞれの心の中に存在する「意識のバリア」はいまだ高いとして、「心のバリアフリー」を目指して活動しているという。2020年に東京で開催予定のオリンピック、そしてパラリンピックには、世界中から多様な人々が訪れる。彼らを迎える国として、そして、ダイバーシティを実現するためには、心のバリアを取り除くことが大切だ。代表理事である須藤シンジさんに聞いてみた。どうしたら、私たちの心がバリアフリーとなる未来は実現しますか?

■障害者と健常者にある無意識の「心のバリア」

−−「超福祉展」を拝見しました。これまでの福祉機器のイメージを破るものばかりで、車いすがまるで未来の乗り物のようにかっこいいことに驚きました。

「超福祉展」は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを想定して、近い未来におけるデザインコンシャスなモビリティとしての福祉機器の展示ゾーンと、福祉を超える製品を提案したショップゾーンで構成しました。たとえば、アートとテクノロジーが融合した義足のカスタマイズショップや、体験できる超人スポーツショップなどです。このふたつの底流に流れているのは、「心をバリアフリーにする」こと。それを一般の人たちに体感してもらうことでした。

−−「心のバリアフリー」とはどういうことなのでしょうか?

僕の次男は今年20歳になりますが、重度の脳性麻痺で生まれました。次男が生まれ、福祉の行政サービスの受け手になった時に感じたのは、障害者が一般の人たち、そして社会から切り離されているということでした。今、日本の人口の約6%が何らかの障害のある人たちです。しかし、ハンディがあるために必要以上に福祉の空間に留められ、健常者と分かれて生活せざるを得ない状況が長く続いています。僕は、この「分かれている」という状態が、障害者と健常者、双方の意識に見えない「バリア」をつくっていると考えています。

もちろん、次男が生まれた当時から、バリアフリーやユニバーサルデザインという言葉は存在しました。しかし、莫大なコストを投入して、段差のあるところエレベーターをつけて、それで終わり。欧米諸国を旅行した時に、少し意識して見てみると、すごくかっこいいおじさんが一人で車いすで出かけていたり、おしゃれなおばあちゃまが一人で盲導犬を連れて歩いていたりします。ヨーロッパは地面が石畳で、でこぼこにも関わらず、年齢や障害を問わずにみんな街へ出てきています。彼らが路面電車に乗ったり、段差を超えたりする時には、当たり前のように周囲の人たちが「よいしょ」と手伝う。これが日本だったら、駅員さんが3人がかりで車いすを運びます。それを考えた時に、バリアとは物理的なバリアではないと実感しました。

−−私たちの心の中に、気づかないうちに「バリア」があるということですね。

まず、教育の空間では依然として、健常者のクラスと障害者のクラスが小学校になると分かれていきます。先進国の中でも日本の特徴です。僕が子供のころは、障害者クラスは「特殊学級」と呼ばれていました。今は「特別支援学級」と呼称こそやわらかい表現になりましたが、分離されていることに変わりはありません。

障害を持った子供にとって、同世代の仲間よりも大人と過ごしながら成長していく。健常児にとっては、「分かれて過ごす」障害児の存在は「自分たちとは異なるもの」という刷り込みがされていく。そうした刷り込みは、障害者のことを特別視してしまいがちです。「かわいそう」「気の毒」「不憫」と感じてしまう。こうした状態が良いこととは思えませんでした。駅員さんが3人がかりで車いすを電車に乗せている場面にでくわすと、僕たちの心にこんな気持がわいてきます。「困っている人がいるけれど、それは駅員さんの仕事であって自分がするべきことじゃない」と。

障害を持っている人も、外出することに対して恐怖心を覚えてしまう。健常者も障害者も双方が抱えているこの「スティグマ」こそ、お互いにほとんど接触することなく分かれて暮らすという習慣や文化から生まれた「バリア」なのではないでしょうか。バリアの原因は無知です。無知には恐怖心が伴います。ですから、障害者の人もおしゃれをして街に出てきてほしい。「手伝ってください」「手伝いましょうか?」という会話が普通に街の真ん中で交わされるようになれば、無知が知に変わっていきます

■誰もが「かっこいい」と思えるデザインが意識を変える

−−では、その「心のバリアフリー」はどのように実現できるのでしょうか?

「心のバリアフリー」というと、もっともらしく聞こえますが、具体的にどうするのかということがまったく取り組まれていませんでした。そこで、僕たちが提案してきたのが、「ピープルデザイン」という"心のバリアフリー"をクリエティブに実現する思考と方法論です。そもそものスタートは、2002年に立ち上げた「ネクスタイド・エヴォリューション」というプロジェクトでした。

世界で活躍するクリエイティブ・ディレクターとともに、ファッションやインテリアデザイン、スポーツ、エンターテイメントの分野で、ハンディを可能性に変え、意識のバリアを壊す。みんなが当たり前のように混ざり合っている社会を実現していこうという試みです。デザインの力を借りて、あくまでも一般のマーケットに対して売れる製品開発を企業に対してコンサルして、実際に物を作り、市場に出してきました。

たとえば、当時、四肢にまひのある次男が履く靴は、ベルクロというマジックテープのような面ファスナーが使われた障害者向けの靴しか選択肢がありませんでした。一言でいうと「ダサイ」。そこで、障害者も健常者も履けるかっこいいデザインのスニーカーがあればと思い、スポーツメーカーにプレゼンしました。その中で関心を示してくれたアシックスとコラボして、これまでにない新しいスニーカーが生まれました。

アシックスとコラボして生まれたスニーカー「PROCOUT NEXTIDE AR」

このスニーカーは、渋谷やニューヨークの人気ショップで販売され、多くのファッションフリークを夢中にさせました。他にも、雨の日でも車いすでの移動が楽な機能性とデザイン性のあるレイングッズなど、さまざまな製品をこれまで世界のトップクリエイターとともに世に送り出してきました。124人のクリエーターによるデザインのストックは現在、800を超えています。

1980年代に出てきたユニバーサルデザインという発想は、みんなにとって使いやすいということでした。でも、たとえば僕のような51歳の男性100人集めても、体型も好みもみんなそれぞれ違う。だから、公共トイレぐらいにしかその思想は残っていません。みんなとって使いやすいものとは、水と空気ぐらいしかないと思っています。

ですから、僕たちが提唱しているのは、みんな違うということ。マイナスである『かわいそうな人』をゼロに近づけるのではなく、みんながゼロ以上に立っていて、違いのある人たちが混ざっているということが当たり前なんだというメッセージでもあります。従来のバリアフリー、ノーマライゼーション、ユニバーサルデザインの否定ではありませんが、違って当たり前という価値観こそ、これからは重要です。

■「iPhone」的発想で福祉機器の市場を拡大

−−実は「超福祉展」を拝見して、一番驚いたのは、福祉に関する展示だったにも関わらず、来場していた人たちの多くが健常者で、しかも若い世代が目立っていたことでした。

僕たちは新しい潮流を作る上でのターゲットは次世代だと思っています。これから父となり、母となるような世代です。ですから、週末には子供たちを中心に車いすの試乗会をやりました。これまでだったら、遠い距離にあって「かわいそうな人」が乗っている乗り物が、とてもかっこいい乗り物だということを見せました。また、義足のパラリンピアンたちがいかにかっこいいお兄ちゃんなのか。そういう直感的なところから、コミュニケートするという、その狙い通りの風景が散見できました。上から目線の「かわいそう」という形容詞が「かっこいい」とか「すごい」「かわいい」という形容詞で始まるコミュニケーションに転じていくわけです。

きゃりーぱみゅぱみゅ属するアソビシステム社の協力で、原宿カワイイ モデルさんが「車イス」のイメージを変える。

実際、「超福祉展」の反響は大きかったです。正式な数字は公表されていませんが、会場で配布したフライヤーは1万3600枚でした。あの会場での来客数は最高記録だったと聞いています。障害当事者の方々も多くご来場いただきましたが、ほとんどは健常者の方々でした。初日にNHKのニュース番組に取材されて、それがアジアでも放送されたそうなのですが、それを見たという海外からのお客さんが3人いらっしゃいました。上海、シンガポール、台湾からで、買い付けに来ていた。中には「出ているモデルを20台ずつ買いたい」といった人もいました。40代、50代のアジアの富裕層が、両親にプレゼントするためだと。

−−海外からの反応の方が、早そうですね。

とてもありがたいことに、『福祉という領域に、これまでにない新しいアプローチで挑んでいる日本人』として、2010年に開催された上海万博のシンポジウムに呼ばれたり、それがきっかけとなって、オランダのデルフト工科大学で特別講義を行う機会を得ました。海外では、自分の国の未来のため、そしてコストを下げるために、使える新しい視点を取り入れ、若き人材を育てていくことを国家レベルでやっていますね。

僕は日本に明るい未来を描けてないのですが、それでも今、日本をなんとかしなければならないという思いが強いです。日本の従来の福祉は、厚労省の領域で社会保障の対象だったわけです。しかし、医療費や年金の制度が破綻しつつある。この年を境に団塊の世代が75歳以上の"後期高齢者"に移行する『2025年問題』を僕たちは10年後に控えています。

そこで、意識やテクノロジーによる改革を行い、売れるものづくりをすることが必要になります。福祉にもこれだけのマーケットがあって内需があるんだと示すことです。かつてメガネは目医者さんで処方される医療器具だった。ところが現在は、メガネはおしゃれなアイウェアです。医療器具だったものをファッションに置き替えれば、市場が広がって選択肢も増え、価格も安くなります。これを僕たちは福祉機器でやろうとしているのです。

たとえば、iPhoneは電話機器メーカーが作ったわけではありません。黒電話の延長線上にあるのではなく、まったく別の発想から生まれています。それと同じように、これまでの福祉機器の延長線上ではなく、「これはかっこいい乗り物なんです」という別のところからパラダイム・シフトを起こすのです。今の高齢者は資産を持ち、年金ももらえている世代です。この人たちにお金を使ってもらえれば、福祉機器は内需拡大のチャンスだと思っています。確実にターゲットがあるとわかっていれば、結果的に市場で競争が発生して、ロットが増えて価格も下がる。何よりも、それを欲している人たちの選択肢が広がる。そんなイノベーションを狙っています。

着替える義手や義足。もはやカッコイイアート。3Dプリンターで出力されるそれに、もはや「負い目」や「スティグマ」と言われる「心のバリア」は微塵も無い。

■人というリソースを活用して「思いやり」を復活

−−2025年を迎える前に、2020年の東京オリンピック・パラリンピックがひとつの契機になりそうですね。

おもてなしと合わせて、「心のバリアフリー」によってどんなふうにその成功を支えられるか。ひとつ注目されているトピックスではあると認識しています。世界では、ダイバーシティ、すなわち人々の多様性は、先進国を標榜する上では今や前提となる概念です。人種の偏見をなくし、障害者や性的マイノリティも大きなテーマに含まれます。日本ではまだまだ心のバリアがありますから、これを壊して混ざり合うことが当たり前の次の潮流をどう作るかが、僕らの目標です。

僕たちが5年間続けている活動に、「子供にパラリンピアンのかっこよさを知ってもらう」というものがあります。そのひとつが、ブラインドサッカー(編集者注:視覚障害者と健常者が同じフィールドでプレーする5人制のサッカー。アイマスクを着用し、目が見えない状態で「ボールの音」と「まわりの声」を頼りにゴールを奪い合う)です。

日本代表チームは今、世界6位にいるのですが、その選手たちを招いて3月8日に「ラゾーナ川崎プラザ」(川崎市)でブラインドサッカーの体験ができるイベントを予定しています。子供たちは学校で、車いす試乗体験をしていますが、それは障害者の大変さを体験させるもので、「ああなりたくない」というスティグマを再生産してしまっているのではないかと思っています。でも、目隠してブラインドサッカーを始めると、「◯◯君、どっち?」と友だちに声をかけ始める。コミュニケーションを発動させるツールにもなるわけです。

−−ダイバーシティを実現するきっかけですね。たまに想像するのですが、もしも明日、自分が交通事故に巻き込まれて歩けないようになった時に、この社会はどう自分を受け入れてくれるのかと。そうした時、「超福祉展」で見たような車いすがあるということがうれしいと思いました。ちょっとした想像力から、かっこいい福祉機器が生まれるんですね。

想像力、イマジネーション力こそが、人間の生存性を高める非常な重要な要素だと思っています。今、僕たちはデザインやファッションなど、クリエティブな視点からアプローチしていますが、一番重要なのは、イマジネーション力です。そのイマジネーション力を育てることに、戦後の日本は近年日本ではあまり目を向けていなかったように思います。

問題の答えを暗記して、一流大学に入り、一流企業に勤めることが成功だと思われてきました。もちろん、そうした生き方もあるべきですし、確かに生産性は上がりました。ただ、戦後のものがない時代から、経済が成長していく時期はそれでもよかったのですが、少子高齢化など想定外の事態が起きた時、生き方の一元化は機能不全に陥ってしまいました。答えを暗記することに慣れてきてしまった人にその話をしても、他人ごととして考えてしまい、当事者として甘受できないわけです。

一方で、東日本大震災を経て、もう一度、家族や友人、地域を大切にしながら、コミュニティを立ち上げていこうという新しい気運も目にするようになりました。この流れを大事にしたい。まわりの人にも意識を向けて、困っている人がいたら積極的に声をかけたり、手を貸したりしたい。人というリソースを活用して、大きなムーブメントに仕立てていきたいと思っています。そうした文化を見える形で再構築することで、新しさの顕在化につながります。大風呂敷を広げていくように感じるかもしれませんが、「思いやり」をもう一度復活させるだけです。そんな未来は、意外に早くやってくると信じています。

■須藤シンジさん略歴

1963年生まれ、大学卒業後マルイに入社。次男が脳性麻痺で出生し、自身が能動的に起こせる活動の切り口を模索。2000年に独立し、有限会社フジヤマストアを設立。2002年にソーシャルプロジェクト/ネクスタイド・エヴォリューションを開始。「ピープルデザイン」という新たな概念を立ち上げ、障害の有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや、各種イベントをプロデュース。2012年にはNPOピープルデザイン研究所を創設し、代表理事に就任。「ピープルデザイン」とその活動は近年、国内外から注目を集めている。

【関連記事】

超福祉展

注目記事