後藤健二さんの妻が手記を公表「これは健二の最後のチャンスです」(全文)

フリージャーナリストとその家族を支援する国際団体「ローリー・ペック・トラスト」(本部・ロンドン)は1月29日、イスラム系過激派組織「イスラム国」(ISIL)に捕らえられているジャーナリスト後藤健二さんの妻の手記を。
ALEPPO, SYRIA - JANUARY 29 : A frame grab taken from a footage on October 24, 2014, shows Japanese journalist Kenji Goto Jogo, one of two Japanese hostages captured by Islamic State of Iraq and Levant (ISIL), gives an interview in northern Mari district of Aleppo, Syria. (Photo by Huseyin Nasir / Anadolu Agency /Getty Images)
ALEPPO, SYRIA - JANUARY 29 : A frame grab taken from a footage on October 24, 2014, shows Japanese journalist Kenji Goto Jogo, one of two Japanese hostages captured by Islamic State of Iraq and Levant (ISIL), gives an interview in northern Mari district of Aleppo, Syria. (Photo by Huseyin Nasir / Anadolu Agency /Getty Images)
Anadolu Agency via Getty Images

フリージャーナリストとその家族を支援する国際団体「ローリー・ペック・トラスト」(本部・ロンドン)は1月29日、イスラム系過激派組織「イスラム国」(ISIL)に捕らえられているジャーナリスト後藤健二さんの妻の手記を公表した

手記では、「イスラム国」からメールで、ヨルダン政府にリシャウィ死刑囚の釈放を求めるメッセージを送るよう求められたとしている。後藤さんが2人の幼い娘を残して、10月25日にシリアへ旅立ったこと、12月2日以降、「イスラム国」とメールでやりとりを続けてきた経緯などをつづり「ヨルダン政府と日本政府に、二人の運命が委ねられていることを理解して欲しい」と訴えている。

手記は英語で発表された(音声)。日本語訳の全文は以下の通り。

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私の名前はリンコ。シリアで武装グループに拘束されたジャーナリスト、後藤健二の妻です。彼は2014年10月25日に、私の元から離れました。それ以来、私は彼の解放のために舞台裏で休むことなく働き続けました。

私は今まで声を上げませんでした。というのも、健二の苦境に対するメディアの関心が世界中で騒ぎ立てられていることから、私は自分の子供と家族を守ろうとしたからです。

私たち夫婦には、2人のとても幼い娘たちがいます。私たちの赤ちゃんは健二が日本を離れた時には、わずか生後3週間でした。私は2歳の上の娘が再び父親に会えることを望んでいます。私は2人の娘が父のことを知りながら成長してもらいたいのです。

私の夫は善人で、正直な人間です。苦しむ人びとの困窮した様子を伝えようとシリアに行きました。健二は、湯川遥菜さんの居場所を見つけ出そうともしていたようです。私は遥菜さんが亡くなり、非常に悲しい思いをしました。私の思いは彼の家族とともにあります。家族の皆さんがどれだけつらい思いをされているか痛いほどわかるからです。

12月2日に、私は健二がトラブルに巻き込まれたことを知りました。健二を拘束したグループからメールを受け取ったときです。

1月20日、私は湯川遥菜さんと健二の身代金として2億ドルを要求する動画を見ました。それ以来、私とグループとの間でメールを何回かやりとりしました。私は、彼の命を救おうと戦ったのです。

これまでの20時間で、誘拐犯は私に最新の、そして最後の要求と見られる文章を送ってきました。

「リンコ、おまえはこのメッセージを世界のメディアに対して公開し、表に出さなければならない。でなければ、健二が次に殺されるだろう。29日の日没までにサジダ(・リシャウィ死刑囚)がトルコ国境付近にいなければ、ヨルダン人パイロットも即座に殺害する」

私は恐れています。これは健二の最後のチャンスです。健二の解放と、ヨルダン人パイロットの命を救うには、あと数時間しかありません。私はヨルダン政府と日本政府に、二人の運命が委ねられていることを理解して欲しいのです。

同時に、私は両政府の懸命の努力に感謝しています。ヨルダンと日本の人々から寄せられる同情にも感謝しています。私が若いころ、家族の拠点はヨルダンにありました。12歳になるまで、アンマンの学校に通っていました。だから、私にはヨルダンとヨルダンの人々に、特別な感情と、思い出があります。

最後に、私は家族と友人、健二の同僚にも感謝しています。この3カ月間、私と娘たちを支えてくれました。

私の夫と、ヨルダン人パイロット、カサースベさんの無事を祈っています。

リンコ

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