【LGBT支援】はるな愛さん、親へのカミングアウト明かす「一度きりの人生、自分らしく」(全文)

外資系化粧品メーカーのLUSHは2月10日、「WE BELIEVE IN LOVE」と題したLGBT支援宣言イベントを開催した。

「どんなカタチの愛も素晴らしい」をテーマに、外資系化粧品メーカーのラッシュジャパン(LUSH)は2月10日、LGBT支援イベント「WE BELIEVE IN LOVE」を都内で開催した。

LUSHは、性的マイノリティであるLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)が自分らしく暮らせる社会の実現を目指し、2月14日のバレンタインデーまで全国約140の店舗でキャンペーンを実施している。オンライン署名サイト「Change.org」でも賛同者を募り、LGBT支援に積極的に取り組んでいる7つの自治体に声を届けるという。

イベントには、タレントのはるな愛さんをはじめ、日本で初めてゲイを公表して公職に当選した前豊島区議の石川大我(いしかわ・たいが)さん、NPO法人グッド・エイジング・エールズの松中権(まつなか・ごん)さんらが登壇。日本におけるLGBTの現状や、企業や行政の取り組みについてディスカッションした。

はるな愛さんは「ありのまま、自分らしく生きること」をテーマに、これまでの苦悩や葛藤を紹介。親にカミングアウトした高校時代のエピソードでは、涙がこみ上げる場面もみられた。

トークの前に読み上げられた、はるなさんの「LGBT支援」応援メッセージと、トークの全文を紹介する。

■応援メッセージ

よく男性ですか? 女性ですか? と聞かれますが、私は、はるな愛です。私はひとりだけなんです。私は大西賢示として、この世に生まれて、この一度きりの人生、自分らしく最後まで生きたいと思っています。

100%の男性って何でしょうか。100%の女性って何でしょうか。「男なんだから男らしくしろよ」「あなた女でしょ。女らしくしなさいよ」という方もいるかもしれないけれど、それってすごく傷つくこともあると思います。

本当の100%の女性、100%の男性って何なのか、みなさんは説明できますか? そんなことをもっと世間のみなさんが考えていただければと思います。

みんなそれぞれが欠けている部分があったり、もっと増してる部分があってもいいと思います。100%じゃなくてもいいと思います。そういう分かり合える世の中になってもらいたいと思います。I BELIEVE IN LOVE.

――――

こんにちは。はるな愛です。よろしくお願いします。

――応援メッセージに込められている「男らしさ」や「女らしさ」。社会のなかではよくいわれていると思うんですが。

私も小っちゃいときに、両親から「女の子のおもちゃがほしい」っていうときも「男でしょ」とか。「赤い洋服がほしい」「赤いランドセルがいい」といっても、「男だから、賢示は」ってすごくいわれました。

私は物心ついた頃に、性の違和感というか、そういうのに気づいたんですよ。そのときは、カラダは男の子で、ココロは女の子で。なんか女の子の友だちが多いけど、カラダについてるものが違って。「あ、たぶんこのまま、大人になったら、この男の子のシンボルは、なくなっていくんだろうな」と思っていたんですよね。「なくなっていくんだろうな」と思っていたし、日々なくならない状況に「なくなってほしい!」という思いが強くありましたね。

――物心ついたのは、何歳くらいだったんですか?

早かったですね。私は幼稚園くらいから。本当に、ままごとやったり人形遊びやったりとか。もう全部女の子の遊びでした。うちのお父さんは、すごく野球が大好きで「男の子は男らしくしろ」っていう人だったので、少年野球に連れていかれたりして。小さい頃から、グローブとバットとボールを渡されて、「男はこっちで遊べ」っていわれてましたね。

――そういうときは、どう感じていましたか?

自分らしくいることは、家族がこれだけ叱ったりするくらい、ダメなことなんだ、悪いことなんだっていう、そういう気持ちでした。

――小学校に入ったりすると、より「男の子」「女の子」の差が出てくるような気がします。

ランドセルの色もそうでしたし、体重測定も「まずは男子から、その後に女子」とか、とにかく区別をされる時期になってくるんですけど。本当に、なんか女の子の中で一緒に体重測定したり、プールの着替えも女の子と一緒にしたかった思いとは別で、学校には規則があって。ルールがあって。

プールは恥ずかしいから休んでました。自分の男という真の姿をみんなに見られたくなくて、なるべく休んでいたんです。私の小学校は、私服だったんですよ。そのときに、親からいわれていて一応スカートはダメだったので、女の子がはくズボンを買いにいって。女の子がはくズボンだったらいいかなって思って。ちょっと、女の子と男の子のボーダーラインの間にいるようなファッションを探して着てましたね。

――自分はこうじゃないとわかっていても、幼いながらも周りからの目を感じていたんですか?

そうですね。そのときは性同一性障害という言葉もないですし、とにかく「女の腐ったヤツや」とか、何か言葉をかけられることも多かったので。オカマだのとか。だから、ちょっとでも女っぽいことを、例えば(言葉の)語尾に出してしまうと、集中していじめられたりとかっていうのもありましたね。中学のときは。

――中学校の制服はありましたか?

ありました。私は本当にセーラー服を着たかったんですけど、やっぱり詰め襟(の学生服)だったのが現実で。

中学に入ると、よその小学校もひとつの中学に集まるので、うちのお母さんが「これからもっといじめられると思うから、男らしくしなさい」って。「男らしく振るまってないと、いじめられるよ」といわれたので。ほんと、いじめられるのは嫌だったので学生服でした。学生服をぬぐと、男女兼用のジャージだったんですよ。とにかくジャージにすぐ着替えて。でも、男っぽくズボンに手を入れてダラっと座ってみたりして。自分らしさを隠すようにしていましたね。

――お母さんの「いじめられるよ」もひとつの愛ですよね。一方で「本当の自分じゃないんだ」という思いも。

そうですね。いつになったら、親の前で、本当に楽にいられるんだろうって。なんか、自分らしくいられる家族の関係性って、これからあるのかなって。

もう授業中、学校の勉強はほとんど手につかないんですよ。もう悩みごとばっかりで。それは自分の性の悩みで。例えば歴史の授業にしても、紫式部とか出てきたら「この人は女性だから、こういう人生だけど、私はこの先、どうやって生きていくんだろう」って。もう絶対、どんな授業をしても、最後は自分の問いかけになってしまうんですよね。やっぱりそこに親の理解がないっていうのは、つらかったですね。

私、高校生のときに、父親に初めてカミングアウトしたんですね。好きな人ができて、彼の家に泊まりに行ったりして、学校をちょっと休みがちだったんですよ。それがバレて「賢示、早く帰ってこい! お前何しとんじゃー」って。すごい怖い父だったんです。

手が出る父だったので、ファミリーレストランにして。ふたりで向き合って「女の子で生きていきたい」という話をしたんですけれど。

カミングアウトしたときに「ようやくこの日が来た」って思いました。でも、本当にいってしまってよかったのかって。家族の今までの思い出に、全部溝が空いちゃうんじゃないかっていう寂しさがあったりして。女になれるのかな、とか。いろんな複雑な思いでカミングアウトしたのを覚えていますね。

――お父さんの反応はいかがでしたか?

お父さんは奥歯を噛みしめて、私の前で初めて泣いて「わかった。お前がそこまでいうなら、男なら一番になって、絶対人生悔いのないように、後悔だけするな」っていってくれたんですよ。でも、私「女になりたい」っていったのに「男なら」って(笑)。思うよねこれ(笑)。ちょっと。

でも母親って全く逆で。私すごいお母さん子だったんですよ。小っちゃいときからお料理とか一緒に手伝ったりしてたんですけど、その日からお家の中でも、一緒に住んでいるのに、私が存在しないように無視するようになったんですよ。ずっと。「ごはんできたよ」もなく、ごはんが置いてあるとか。

「わー悲しい。大好きなお母さんが無視するんだ」って、すごくつらかったけど、100%何でも受け入れてもらうのは難しいと思うんですけど、ひとつ自分が決断したことで、それがお母さんの無視っていう結果になったんだったら、私がいえたことで、これからの時間で、お母さんとの溝は埋めていくものだなと思ったんですね。

こうやってテレビに出て、今はお母さんに理解してもらっているので、「なんで、あのときに無視だったの?」って聞いたら、母は母なりに自分を責めていたんですって。

「なんで賢示に、あの…………あの……こんな悩みを持って……産んじゃったんだろう。なんで男か女かもっとはっきりして、なんで世の中に出してあげられなかったんだろう」っていうのを母は悩んでいたみたいで。その思いが、結果的に家の中でも無視っていう形になったみたいです。

うちのお母さんは、四国の愛媛の山奥の出身なので、ニューハーフとかオカマさんがいたら、出会ったら「気持ち悪い、ニューハーフだ」っていうところがあって。多分、今思えば、どうしていいかわからなかったのかなって。

でも今はその話を聞いて、お母さんが無視した意味もわかったし。今は、お母さんと一緒に下着を買いにいったり、本当に仲良しで。良かったです。

――一番近くの人にわかってもらう、伝えるというは本当に勇気のいることですよね。時間をかけて変わっていくことっていうのもあるんですね。

周りに全然理解者はいなくて。私の家の周りは団地ばっかりで、そこにもしニューハーフになったりしたら、近所でもすごく評判になって。色々こそこそいわれるから、こういう悩みを誰にいっていいかわからないし。ましてお母さんとお父さんは普通の人だったし。

お母さんも悩んでいるときに、友だちの若いお姉さんに「賢示は、女の子とセックスしたことないから、こういう病気なんだ」と相談したみたいで。一度、お姉さんに車で呼び出されて「賢ちゃん、そういうの病気だと思うから、今からお姉ちゃんとセックスしよ」っていわれたことも。

私、そういうのじゃなくて、病気でもないし。本当に「私みたいな生き方をわかってくれる人いないんだな」って、すごく孤独でしたね。

――世界からの動きもありますよね。2月9日もイギリス人シンガーのサム・スミスさんがグラミー賞を受賞されました。ゲイをカミングアウトされています。

サム・スミスさん。自分の好きになった男性のことを思った歌詞が、女性も共感してくれる歌詞になっていて。グラミーの授賞式で、みんなが手を振って曲を応援してるときに、最後のコメントで「自分らしさを受け入れてくれて、感謝してる」っていう言葉をいったときに、まさにこういうことなんだなって思いましたね。

――日本も少しずつ変わってきた。はるなさんみたいな多くの方のロールモデルとなる人が増えてきました。

いらっしゃいますよね。本当に動きはじめた感じだと思うんですよね。私がテレビに出はじめた頃は、お茶の間でニューハーフの人(を観ること)は、なかなかいなかったと思うんですよね。

私は、ニューハーフでも、女装家とかいろいろなカテゴリーがあるなかで、どこのカテゴリーにもあてはまらない人でいたいと思ったんですよ。それはもっと深いもので、広いものであるから。「大西賢示!」っていって男の声を出したり、ときには足を広げたりとか。私のキャラで全部が決まるのはイヤだと。それはイコール全部の代表でいようという気持ちもあったんですけれど、今は本当にいろんな方がいて。

でも、もっともっと性はグラデーションがあって。もっと深くいうと、今日いらっしゃるセクシャル・マイノリティじゃないみなさんの中にも、男性らしさの部分と、女性らしさの部分があって。今日がどっちかが多かったり、日によっても変わって。絶対そういうものだと思うので、もっともっと理解してほしいなと思います。

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