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ダーイシュ(イスラム国)に命を奪われたエジプト人 その21人には、それぞれの人生があった

2015年02月20日 21時22分 JST | 更新 2015年02月20日 21時22分 JST
Sophia Jones

エジプト・アルアウル ―― アルアウルには、死が至る所に転がっている。2月15日遅く、ダーイシュ(イスラム国)の戦闘員がリビアで21人の男性の首を斬って殺害する動画が公開された時、アルアウルでは、誰もが殺害された人たちの家族関係者のようだった。犠牲となった男性21人のうち、13人がカイロから南へ約3時間に位置する、この埃っぽいエジプトの町アルアウルの出身だったからだ。

男性たちは労働者だった。数カ月もの間故郷を離れ、苦労して手に入れたお金を家族全員を養うために仕送りしていた。彼らはエジプトの貧しい故郷を離れ、危険を承知でより良い将来のためにリビアで働いていた。

しかし、そこで彼らが見たものは、コプト教徒(キリスト教の一派)だからといって彼らを辱め、危害を与えることしか頭にない武装集団であった。これまでダーイシュに殺害された人間の大半がイスラム教徒だ。しかし、この集団が作成する最近のプロパガンダ動画を見ると、敵対する宗教としてキリスト教を脅かすことに焦点が当てられている。今回殺害された21人の男性がエジプト人であったことから、ダーイシュは他国よりもエジプト人を標的としていることが鮮明となった。エジプト人は、自国やリビアでイスラム主義者を弾圧している国民だ、という理屈だ。

生存者の証言によると、1月3日午前2時30分頃、リビアの沿海都市・シルトで覆面をした戦闘員がドアを叩いた。彼らは、古くからのエジプトのキリスト教一派であるコプト教徒と分かる、伝統的な入れ墨を手にしているキリスト教徒を探していた。男性の中には、銃を突きつけられてベッドから引きずり出された者もいた。そのほか隠れて祈った者もいたが、後日、ダーイシュが作成し、広く拡散した動画のなかで、捕まった友人や家族が首を斬られているのを見る結果となった。

しかし、この絆の強い町のなかでは、この男性たちは残酷に殺されたという記憶しか残らなった、ということはない。彼らは、愛する夫、息子、兄弟、いとこ、友人だったと記憶される。死んでも、彼らの生涯は称えられる。

ここに、家族が語る、彼らが生きた人生がある。

ハニ・アブデル・メシハ、32歳

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ダーイシュに殺害された夫の写真を持つマグダ・アジズ(29)。2月17日、エジプト・アルアウルの家に座っているところ。

家族によると、ハニは4人の子供(娘が3人、末っ子の息子が1人)を何よりも愛していた。彼は優しく、親切で、いつも冗談を言っていた。彼の妻、マグダ・アジズ(29)は彼の笑顔をいつまでも覚えているだろう。

「私には、彼が天使のように思えました」と、マグダは敬虔深かった夫について語った。「彼の語ることすべてに、祈りがありました」

ハニはリビアで8カ月働いていたが、何が何でも家に帰りたがっていた。絶え間なく続く暴力、そしていつも拉致されるのではと怯えながら仕事することに嫌気が差していた。しかし、なかなか出国できなかった。リビアにはアルアウルと違ってお金があった。マグダや子供たちを養うにはお金が必要だった。しかし彼女によれば、ハニはいよいよ母国の家族のもとに帰る決断をしていた。しかし、彼は帰国する前に殺害されてしまった。

「彼は家族みんなの面倒をみてくれました」とマグダは力のない声で語った。彼女の周りにいた女性たちは揃ってうなずいた。マグダは、微笑む父と息子が写った、色あせた写真を回してくれた。

「彼はとても親切でした」とマグダは言う。「私たちを抱きしめて、キスをしてくれました」

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リビアでダーイシュにより殺害されたハニ・アブデル・メシハ(32)。古びた写真の中で、幼い息子と一緒に微笑んでいる。

マグダは、夫と交わした最後の会話を決して忘れない。ハニは1月1日に電話をしてきた。そして、一人ひとりの子供と話したがった。夫婦は愛情のこもった言葉を交わした。彼は、欲しい物や必要な物がないかと尋ねた。「何でも持って帰るからね」。彼女は「あなたが無事であってほしい」と言ったことを覚えている。彼は、自分のために祈ってほしいと彼女に頼んだ。しかしそれ以降、ハニから彼女に連絡はなかった。

マグダによると、彼女がエジプトのテレビ放送で夫が斬首される映像を見た時家族があまりに号泣したため、近所の人たちが救急車を呼んだ。彼女は、今どのように感じているか多くを語らないが、依然、ショックを受けているという。

「彼がいなくなって寂しい」と彼女は小さな声で語った。

3人の娘たちは彼女の周りに座り、母親から離れようとしない。長女は、周囲の悲しみを理解できずにあたりを見回す2人の妹を見ているうちに涙をこぼし始めた。

「あなたのお父さんは、お空にいるのよ」と、親戚の1人が少女を慰めようとして言った。「天国にいるのよ」







































動画撮影: メイ・カメル

ユセフ・ショウクリ、24歳

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シェノウダ・ショウクリが、弟のユセフ・ショウクリが写っている写真(右)を手に持っている。ユセフは24歳のコプト教徒で、ダーイシュにより首を斬られて殺害された。

ユセフは物静かな若者で、子供のような純真な心を持っていた、と家族は言う。彼が求めていたのはただひとつ、仕事を見つけて家庭を持つことがすべてだった。

しかし高校を卒業した後に入った軍隊をやめてからは、就職口がほとんどなかった。「ユセフは自分が生きたいと思う人生を生きることができなかった」と、母のテレサは自宅で家族に囲まれ、座りながら振り返った。

アルアウルはリビア国境からそれほど離れていなかったから、ユセフの周囲にいた男性たちは、すでにリビアに働きに出ていた。ユセフはエジプトを離れる決心をした。彼の母は行かないように懇願したが、彼は聞こうとしなかった。ユセフが信仰するコプト教が、危険にさらされてもリビアへ行く勇気を与えたと、彼女は言った。「僕には神様がいる。ここでも、リビアでも神様は同じだよ」と、ユセフが言っていたのを彼女は覚えている。

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ユセフ・ショウクリの死を悼む母と息子

ユセフの母の家には、入れ代わり立ち代わり女性たちが入ってくる。みんな、喪服を着ている。女性たちは手を差し伸べ、嘆き悲しむ母親を慰めようとしていた。

「彼は殉教者です」と、母は自分の十字架を胸元に近づけて語った。「私は分かっています。彼が天国にいることを」

家族の誰もがユセフを尊敬していた。姉妹が言うには、彼は好奇心が強く、家族が困難な状況にあってもいつも元気だった。

彼の兄、シェノウダ(27)は4人兄弟の次男だ。シェノウダは、彼のことをいつも誇りに思っていたと語った。

「彼は聖書に従って生きていました」と、若い兵隊姿のユセフが写っている写真を持ちながらシェノウダは語った。「彼が何か悪いことをしたことを思い出せません」

ユセフはいつも、「自分に順番が回ってくるように早く結婚してよ」とシェノウダをからかっていた。そして、ユセフは家族を養うために貯蓄をしていた。

家族がユセフと最後に話をしたのは、彼が1月1日に電話をしてきた時だ。「彼には、あなたのためにお祈りをすると言いました」と母は振り返る。「私は、『神があなたの生活を楽にしてくださるように』と言いました」

テレサは、息子が殺害される動画を見ることを拒んだ。しかし、もう1人の息子は、あえて見たと言う。

「ユセフが最後の瞬間まで力強く生きていたことが分かりました」と、シェノウダは語った。殺害された後でも、弟の顔には神聖な光が射していたと言う。「それが慰めになりました」







































動画撮影: メイ・カメル

トワドロス・ユセフ、42歳

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コプト教徒の男性が、彼の兄、トワドロス・ユセフの身分証明書を持っている。トワドロスはダーイシュに殺害された。

ダーイシュに殺害されるずっと以前から、トワドロス(42)は家族がより良い生活が送れるように自分を犠牲にしてきた。1年半前に、彼はリビアに向けアルアウルの村を旅立った。居心地がよく安全な故郷を離れて、3人の子供(息子2人、娘1人)の父親は、家族を養うために遠いリビアで働いた。

彼は内向的で、部屋の中でも静かな人間であった。「彼はどんなことが起きてもあまり騒がない人間でした」と、彼の弟は微笑みながら振り返った。しかし、彼は闘志あふれる人間で、子供には自分よりもよい人生を与えると心に決めていた。

「彼は本当に働き者でした」と彼の弟、ベバウィ・ユセフ(34)は、アルアウルの小さな教会の信者席に座り語った。「彼は働くのが好きでした」

リビアでの生活はとにかく厳しいものだった。しかしトワドロスが家族の食卓に食べ物を並べるためには、苦労するだけの価値があった。彼は、何にもまして家族思いの人間であった。

「彼は、家族や子供たちといる時が一番幸せでした」と、ベバウィは愛情をこめて語った。「彼は親切な人間でした」

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エジプト・アルアウルにある教会の信者席に座るベバウィ・ユセフ。2月17日、彼の兄を含むダーイシュに殺害された21人のコプト教徒を追悼する儀式が行われた。

ベバウィは兄と交わした最後の会話を覚えているが、それには悔いが残っているという。トワドロスは家族みんなの様子を確認するために電話をしてきた。最後に、「家に帰りたい」と言った。彼はその準備をしていた。トワドロスを深く愛していた父は、彼の身に何か悪いことが起きるのではないか、これ以上家族を支えることができなくなるのではないか、と心配していた。

「私たちは彼に、少し待つように言いました」とベバウィは振り返った。「ダーイシュがコプト教徒を狙っていたのが分かっていましたから、『1月1日に戻るのは危ない』と言いました」。家族は、エジプトへ戻る危険な道を戻ってくるよりも、じっとしていた方が安全だと考えた。

最後の瞬間まで、ベバウィは兄を救うためにあらゆる手を尽くした。彼はアルアウルからカイロまで出かけ、テレビ番組でコプト教徒拉致事件について関心を高めるために話をした。放送が始める5分前に、彼は地元の神父から運命の電話を受けた。

「お悔やみ申し上げます」と彼が言ったことをベバウィは覚えている。「終わりました。彼らは亡くなりました」

ペパウィはトワドロスが死んだことが信じられなかった。「私は、最後まで一縷の望みを捨てないようにしていました」と、彼は沈痛な面持ちで語った。

マゲド・スレイマン・シャハタ、40歳

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ダーイシュに殺害されたコプト教徒、マゲド・スレイマン・シャハタの兄弟が、マゲドの身分証明書を示している(2月17日、エジプト・アルアウルの教会にて)。

マゲドは貧しい家庭に生まれた。彼の子供たちも同じであった。しかし3人の子の父親であるマゲドは、自分たちの将来を変えると心に決めていた。

「私の兄弟、マゲドたちの暮らしぶりは……」と、彼はマゲドの家族の貧しさについて首を横にふりながら語った。「1つの部屋に彼とその妻、3人の子供が一緒に生活していました」

「ここでの生活はとても厳しいものです」と、彼は会葬者に囲まれコプト教会に座り語った。「彼は懸命に働いたのです。彼はお金がないことにうんざりしていました。南エジプトには仕事がないのです」

マゲドは村の他の人間と同じように、家族の生活を変えることができるだけのお金を稼ぐ希望を持ち、危険を承知でリビアへ向かった。マゲドは、家計が厳しい中、長女が大学に行っていることを誇りにしていた。だから長く、厳しく、危険なリビアでの仕事には、何物にも代えがたい価値があった。

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ダーイシュに斬首された兄弟の死を悼むエマド・スレイマン・シャハタ

エマドは、兄弟が拉致されるわずか数時間前に話をしていた。彼はマゲドに、ダーイシュに拉致された他のコプト教徒たちについて尋ねた。そしてそれがマゲドの身にも起こるのではないかと心配した。マゲドが最後に言った言葉を思い出すと彼の心は痛むという。それは「電話代のチャージが切れた」というものであった。「私はそれが何のことか分かりませんでした」とエマドは言った。別れの言葉を言ったり、自分にとってマゲドがどれほど大切なのかを伝えたりする機会を逃し、気が動転した。

「彼はとても優しい人間でした」とエマドは言う。「そして恥かしがり屋でした」