「最高級の編みもの、仕事の誇りに」 気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さんに聞く、ある東北の働きかた

気仙沼の女性たちが手づくりしたニットを製造・販売する「気仙沼ニッティング」のお店メモリーズは、気仙沼港を見下ろす高台にあった。東日本大震災をきっかけに誕生した、この小さなベンチャー企業の歩みや働きかたについて、同社代表取締役社長の御手洗瑞子さんに聞いた。

2月24日、岩手県の一ノ関駅からJR大船渡線に乗り換え、電車で約1時間で宮城県の気仙沼駅に着く。気仙沼市は、春が一足先にやってきたように暖かかった。

商店街を抜け、気仙沼港に面した高台にある気仙沼プラザホテルを目指し坂を上る。途中にあるヘアピンカーブを曲がり、民家の間の小道を通り抜けると、小さな青いお店があった。

壁には、白く塗られた「KESENNUMA KNITTING」の文字。気仙沼の女性たちが手づくりしたニットを製造・販売する、株式会社気仙沼ニッティングの販売店「メモリーズ」(画像集)は、気仙沼港を見下ろす高台にあった。

気仙沼ニッティングが手作りした最高級のニットは、全国から注文が寄せられる。東日本大震災をきっかけに誕生した、この小さなベンチャー企業の歩みや働きかたについて、同社代表取締役社長の御手洗瑞子(みたらい・たまこ)さんに聞いた。

■震災をきっかけに、ブータンから帰国

東日本大震災が起きた2011年3月11日、御手洗さんはブータン王国にいた。東京出身の御手洗さんは、新卒で就職した経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーで2年半働いた後、ブータンの初代首相フェロー(補佐)として観光産業の育成を主導していた。

10代の頃から国際協力を夢見ていた御手洗さん。ブータンで充実した日々を過ごしていたが、震災をきっかけに「日本に帰ろう」と思ったという。

「上司は首相や長官という環境で、ブータンのために働く人たちと非常に充実した日々を過ごしていました。でも、母国の日本で震災が起こって。海外にいたことで自分のアイデンティティを強く感じたんですね。『今は、日本人として、東北のために仕事をするときじゃないか』と考えて、任期を終えて帰国しました。震災がなかったら、多分日本に帰ってなかったと思います」

気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さん

■東北の人たちの復興は「人の暮らしが戻ること」

帰国した御手洗さんは、東北で自治体のサポートに携わる。自治体や企業のヒアリングをしながら、御手洗さんは復興について考えるようになった。

「“復興”をどう定義するかによりますが、例えば道路を作ったり、家を作ったりすることは、思ったより時間がかかることはあっても、政府主導のトップダウンで、いつかは成し遂げられると思いました」

「ただ“復興している状態”は、人の暮らしが戻ることだなと。また家族が一緒に暮らして、働きに出て、稼ぐことができて、ご飯を食べられる。会社も、働く人にお給料を払いながら、回っていくことができる。そのサイクルそのものが戻ってくることだなと。下草が生えてくるように、仕事が回復していかなきゃいけないと感じました」

■“東北のこれから“、誰かがやらないと芽は出ない

震災後、メディアや有識者によって“東北のこれから”が議論されるようになっていた。「東北から、新しい何かが生まれるんじゃないか」という声も上がっていたが、実際に被災した人たちは、まだ避難所にいるか、抽選に当たり仮設住宅に入っているかという状況で、産業に目を向ける余裕などないのが現実だった。

「新しい芽は、放っておいて、ニョキニョキ出るものじゃない。誰かが種を蒔いて、水をやらなければ出ない」

東北の人たちの暮らしを目の当りにしていた御手洗さんは、「自分でやろう」と決めた。旧知だった『ほぼ日刊イトイ新聞』の糸井重里さんに「気仙沼の編みものの会社で、社長をやらないか」と誘われたことも転機となった。

■気仙沼で、編みものの会社を始めた理由

気仙沼で、編みものの会社を始める。突拍子のない話に思えるが、御手洗さんは、起業する前にビジネスプランを冷静に考えたという。

「編みものなら、編み針と毛糸だけで、明日にでも始められると思いました。その頃の気仙沼は、まだそこら中が水たまりで、地盤も沈下していて盛土の工事をしないと、新しい建物も建てられない状況でした。上屋を建てなきゃいけないような事業は始められなかったのです」

遠洋漁業の町・気仙沼は、新しいものやよそ者に対してオープンとはいえ、現実的に、東北がビジネスを始める上で好条件の揃った場所というわけではない。御手洗さんは「困難しかないときでした」と振り返るが、「働く人が誇りを持てる仕事を作りたい」という思いで、何ができるかを考えていった。

働く人たちの仕事を作ろうとすると労働集約的な事業になる。人件費の高い日本でやるとコストは高くなる。それでも働く人がちゃんと収入を得られるように――。気仙沼ニッティングが“最高級のニット”を商品化した背景にはそうした考えがあった。

「バザーで買えるようなものを作っていては会社として成立しない。ハードルが高くても、最高と思えるものからスタートしようと思いました。編みものなら “小物”でなく“洋服”を作ることができます。一生ものの洋服なら、東京の丸ノ内や表参道を歩いても、それなりの値段がしますよね」

■最高級のカーディガンを一から作る

2012年の夏、気仙沼ニッティングは、編みもの作家の三國万里子さんらとともに商品開発に取り組んだ。毛糸を一から作ることから始めたという。

「日本の毛糸は柔らかいのですが、ペチャンとなって模様が立体的に浮かび上がらなくて。ヨーロッパの糸だと日本人にとっては重かったり、チクチクしたりするんですね。こういう肌触りで、これだけ柄が出る糸はなかった。それで、オリジナルの毛糸を作ることにしました」

2012年秋、三國さんのデザインによって、オーダーメイドのカーディガン「MM01」が誕生した。

手編みのカーディガン「MM01」

■気仙沼で「編みものが好きな人」を探す

もちろん毛糸を開発するだけではニットはできない。手編みのニットを作るにはプロの編み手も必要だ。震災後の気仙沼で、どうやって編み手を探したのか。

「編みものが好きで、ぜひ編み手の仕事をやりたいという人に会わなきゃと思って。三國さんに手袋を一個デザインしてもらって、手袋のワークショップをやったんです」

「『これ、編めます。お茶も毛糸も編み針もあります、おやつは自分でね』というポスターを作って、図書館とか市民会館とかコンビニとかカフェとか、人が集まりそうなありとあらゆる場所に貼りました。焼肉屋さんにまで貼って。地元の『三陸新報』という、気仙沼と南三陸町だけで読まれている新聞にも載せました」

街中に貼った手袋ワークショップのポスター

ワークショップには40人ほどが集合。「震災後、初めて自分の楽しみのために外に出ました」「編み針も毛糸も流されちゃったけど、これをきっかけに来ました」という声が寄せられた。御手洗さんは、朝早くから集まった全員の姿を見ながら、「編むこと」自体が楽しく、夢中になれるものを求めていたことを実感したという。

■仮設に貼ったポスターを見た、編み手との出会い

後日、ワークショップに参加した人のうち、とくに編みものが上手だった人たちの家に伺い、「実は会社をやりたいんです」と打ち明けた。筆頭格のひとりは、中学校の校庭にある仮設住宅に住んでおり、そこのセブンイレブンに貼られたポスターを見て、ワークショップに足を運んだという。

「あのとき、あのセブンイレブンにポスターを貼ってなかったら、この編み手さんには会えなかったのだなと思って。その人がいなかったら、今の気仙沼ニッティングはないので、もうそこにポスターを貼った自分を褒めてあげたいくらいです(笑)」

「手袋ワークショップは、空気がすべてポジティブに変わった瞬間でした」と当時を振り返る御手洗さん。「会社を作る予定といっても、まだ毛糸も商品も会社もない。私がひとりいるだけです。そんな状態で、よくついてきてくれたなと思います」と笑った。

■初年度に黒字を計上「気仙沼市に納税できます」

「MM01」の開発を進めながら、4人の編み手は猛練習を重ねた。2012年12月に初めて抽選販売での受注を開始し、15万2000円(税込)のオーダーメイドのカーディガンは、全国から注文が寄せられた。2013年、法人化し株式会社となった気仙沼ニッティングは、初年度から黒字を計上したという。

「うちは手作りなので、損益分岐点が低い。スケールが小さくても黒字にはなるし、大きくなったからといって利益率が上がるわけでもないんです。納税額も大した額ではなく、いばるほどのものではないのですが、それでも『黒字になりました』と発表したのは、気仙沼ニッティングを応援してくださる方々に『ここまで来ました』とお伝えしたかったからです。チャリティではなく、この地に根づく会社を目指しているんだということを、見せたかった」

何より、黒字は編み手の人たちの励みになった。

「『黒字になったので気仙沼市に納税できます』と発表したら、編み手さんたちは『わーーー!』と沸いてすごく喜んで。ある編み手さんは『これで、肩で風を切って気仙沼を歩けます』といったんですね。地域の役に立つことまで含めて、仕事の誇りなんだということを、学びました」

「“被災したかわいそう人”とかではなく、自分たちの足で立って稼ぐことができて、ちゃんと地域を回していく力になるのがうれしいんです。気仙沼では被災した企業が多いですし、いま街に納税できている会社はほとんどないと思います。そういう意味では、小さいことですけれど、明るいニュースになったのかなと思います」

■新作は、編み手さんのトレーニングにもなる一着

その後、気仙沼ニッティングは「MM01」の次に、2つめもモデルとなる「エチュード」7万5600円(税込)を発表した。

色違いのセーター「エチュード」

「『MM01』はしっかりしたデザインで、かつオーダーメイドなので、大切な日に晴れ着のように着るお客さまが多いことに気づきました。それで、もっと気軽にデイリーに着られて、それでいて『実は、これ手編みなんだよ』ってちょっと自慢できるようなセーターがあったらいいなと思いました。それで、この『エチュード』をつくったんです」

「『エチュード』は“練習曲”という意味です。練習でもありつつ、作品として成立するもの。この『エチュード』はデザインもシンプルですし、オーダーメイドではありません。『MM01』は作れる数が少なく、ずっと抽選販売でしたが、『エチュード』はより多くの編み手さんが編むことができるため、お届けできる数も増えます。価格も『MM01』の半分にできるんですね」

■オーダーメイドの手編みニットは「一生ものの服」

果たして、7万円や15万円を超えるニットは、どのような人たちが注文しているのだろうか。御手洗さんによると、かつての着物のように「一生ものの服を着たい」という声が多いという。

「クローゼットを開けたら、娘に渡したいと思える服がなかったとか、一生ものの服を一着は作りたいという人が女性は多いですね。男性はスーツやシャツを仕立てる習慣があるので、体に合うニットを作りたいという人もいます。ほかには、体がとても大きいとか、痩せ型であるとか、既製の服で合わないけど格好良く着たいっていう人もいますね」

オーダーメイドの商品には、編み手と一般の人たちの交流の時間も含まれている。

「サイズをうかがって編み出して、メールで『こんなふうに編み上がりました』っていうご連絡をします。こまめにお返事を下さって密にやりとりされる方もいますし、『ある日パッと送られてきた方がいいから、途中経過いりません』っていう方もいます。お客さんに合わせるって感じです」

■高額ニットを売るには「ちゃんとやって、正直に言う」

御手洗さんに、高額なニットを販売するための工夫について尋ねると「ちゃんとやって、それを正直に言うこと」というシンプルな答えが帰ってきた。御手洗さんは「ブランディングとかよくわからないですし、小手先のことは何もしてないんですよ」と語る。

「ちゃんと良いものを作り、編み手さんにも給料払い、納税もします。自分たちが信じられる品質の毛糸をつくり、デザインは三國万里子さんにお願いし、しっかりと編み手さんの練習をする。やるべきことをちゃんとやって、その上で『このセーターは、こうやってつくられました』ということを、正直にお客さんにも話しています」

そのため、開発した毛糸がいつもより弱く出来上がってきたときには、売上が落ちることになっても、「一生ものとは言えない」と思い、その毛糸を使わなかったという。

「その弱い毛糸で編んでしまったものは、編み手さんには賃金を払ったんですが、商品としては出しませんでした。『一生もの』と自信を持ってお客さまに出すことができないと思って。日ごろから、編み手さんたちが何十時間かけて編んだものでも、ちょっとでもサイズが違ったら全部ほどきます。自信を持って出せるものしか出さない。そういう地道なことの繰り返しです」

ちゃんと正直に、よいと思ったものを伝える。御手洗さんは窓辺に座りながら「今日この窓から見える海の景色、きれいですよね。だから、『きれいですね』と言う。それと、同じことです」と微笑んだ。

■続く会社に―—気仙沼ニッティングの挑戦

気仙沼ニッティングは、2014年秋には女性向けの新商品「リズム-A」も開発。編み手は30人以上に増えた。そして、3月10日から旗艦商品の「MM01」が“抽選販売”から“順番待ち販売”に切り替わる

「これまでは作れる数と申込みの数にギャップがあって、抽選販売にしてたんです。でもそれは、お客さまに対して不親切な売り方でした。申し込んでも、抽選にはずれた方には編めないので。とても残念なことでしたが、最初はあまりに編める数が少なすぎて、それしか方法がなかったのです。今はようやく『MM01』を編める編み手も増え、いつか編ませていただきますと約束をしても破らないで済むまでになりました」

フラッグシップの商品が抽選販売ではなくなる。御手洗さんは「地味なんですけど、私たちにとってはすごく大きい変化です」と語った。

「世界を狙いたいとか、いろいろ考えはありますけど、今一番やらなきゃいけないのは、“続く会社”としての基礎固めです。“続く会社”というのは、お客さんにちゃんと誠実に接することが、個人ではなく組織としてできること。そういう状態に会社を持って行くのが、今の頑張りどころです」

「編み手さんたちに会社に何を望むかと聞くと、一番に言われるのが『“ずっと”この仕事を続けたい』ということなんです。“ずっと”って、たぶん本当に“ずっと”なんですよね(笑)」

御手洗さんは今、気仙沼の編み手の人たちとともに、“続く会社”を作っている。

※初出時、記事タイトルにて御手洗さんのお名前を間違って表記しておりました。お詫びして訂正いたします。(2015/03/10 09:10)

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