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大川小学校の校舎、保存か解体か 渦巻く葛藤、そして卒業生たちは住民集会に乗り込んだ【発言全文】

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被災した大川小学校校舎(2015年3月7日)

東日本大震災から4年を目前にした3月8日、大津波で児童74人と教職員10人が亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎をめぐって、保存か解体かを決める地元住民による初めての話し合いが行われ、アンケート投票の結果、保存を求める意見が最も多くなりました。

住民の意向確認を行ったのは、大川小の学区にあたる5地域の復興協議会が参画する大川地区復興協議会です。同協議会では、大川小周辺を追悼するための祈念公園として整備することを検討しています。8日は全体説明会を開き、その復興計画案の中で被災校舎をどう扱うか、また、現在他校に間借りしている大川小を新築するか統合するかなどを話し合いました。

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住民同士が初めて校舎や学校に対する思いを述べた(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

大川地区1400人あまりの住民(2月末時点の住民基本台帳)のうち、全体説明会に集まったのはわずか126人の住民だけでしたが、話し合い後にはアンケートで意向の投票を行いました。アンケートは会合後、メディアの見守る中ですぐに集計されました。

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アンケートを提出する大川地区の住民(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

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メディアが見守る中、大川地区復興協議会と遺族会によりアンケートが開票・集計された(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

内訳は下記のとおりです。被災校舎について票が一番多かったのは、第3案の被災校舎を全て残す案です。大川小の存続については、間借り先から移転して、新築してほしいという要望が最も多い結果となりました。

【被災校舎について】有効回答120件
1 全て解体(跡地に平面図を復元し、スマートフォンをかざすと校舎が映るAR/拡張現実を実現する) 37件
2 低学年棟等を中心とする一部施設のみ残す 3件
3 全て残す 57件
4 その他 15件(うち11件が公園整備も望まず全て解体して更地化することを希望)
白票 8件

【大川小移転新築について】有効回答120件
1 再建する 66件
2 現在の間借り先の小学校と統合する 40件
3 その他 5件
白票 9件

大川地区復興協議会は、20日に改めて、通称「50人委員会」といわれる執行部の集まりを開き、地域から市に提出する要望の詳細を決める予定です。

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被災した校舎を残す、大川小は新しく建て直すが、地元住民の最も多い意見(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

大川小の被災校舎を残すか壊すかについては、多くの当事者が複雑な思いを抱え、成り行きを見守ってきました。住民同士が公に意見を交わし合うのは初めてであるにもかかわらず、話し合いは今回きりだということです。「早く結論を出さなければ市での議論に置いていかれる」という執行部の思いから、当日の参加者のみで意向を集約する方式が採られました。

意見は保存、解体を望む双方の視点から出されましたが、形式ばった進行のためか、意見が言いやすい雰囲気は醸成されず、議論はあまり活発になりませんでした。議論を重ねて深めようとしない進め方に、参加者の中には不満が拭えないまま、苦渋の投票をした人たちもいました。また、市に対して裁判を行っている遺族からは、「結論を出すのはまだ早すぎる」という声が多く聞かれました。

解体派の意見は、「家族が亡くなったあの場所を通るたびにつらい」「亡くなった子どもたちが親が校舎を見て苦しんでいる姿を見ても喜ばない」「仮にお金を集めても、保存にかかる費用を将来の人たちに負わせるべきでない」といった内容でした。

そんな中、地域の大人たちに混ざって、友達や妹を亡くした大川小の卒業生たちも参加し、保存を望む立場から思いを述べました。

彼らは、最初に保存の声を上げた当時の生存児童・只野哲也さんの意見に賛同した当時の在校生や卒業生たち6人です。高校生や中学生になった彼らは、これまで昨年2度にわたり、宮城県内や東京都内で校舎保存を訴えてきました。

「大川小学校の校舎を残して」卒業生5人が意見表明【発言全文】

大川小卒業生が「大切な居場所を壊さないで」と表明 学習支援スタッフが証言する子どもたちとの3年間

「このままでは、子どもの意見を聞いてもらう機会がないまま、思い出の校舎の行く末が決められてしまう」

2月下旬、卒業生たちは危機感を募らせていました。急遽、地域住民の前でも意見表明を行うかどうかの話し合いが持たれました。

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住民が投票を行う場で、校舎保存の意見表明を行うかどうかを話し合う卒業生たち(2015年2月22日、石巻市内仮設集会所)

住民や遺族の間で、校舎の解体を望む声が少なくないことは彼らも知っています。解体を希望する意見を同級生から言われて、落ち込んだことのある子もいます。地域の誰もがつながりを感じているみんなの学校が、辛い記憶を呼び覚ます象徴となったことを受け入れ難く思う人が数多くいることも十分理解しています。

様々な意見があるなかで、自分たちが校舎の保存を訴えることで、周りの人たちの心をざわつかせてしまうかもしれない可能性と、自分たちもこの問題を語る資格のある当事者であるという思いの間で、ためらっていました。

「地元の人の前では、ちょっと無理……」

「チャンスであることはわかってるけど、まだ決められない……」

当然ながら、すぐに決断はできませんでした。

それでも長い沈黙の末、口を開いたのは、春から大学生になる高校3年の佐藤そのみさん(18)です。震災当時は大川中学校の2年生で、大川小6年だった妹のみずほさんを亡くしました。

「これまでも意見表明を行ってきたけれど、やっぱり地域の人の前で話せる今回が一番重要だと思う。私は一人でもやる。解体したいという人たちの思いも直接聞いてみたい」

そのみさんの固い決意に引っ張られるように、後日、ためらっていた卒業生たちの心も決まりました。6人全員で住民投票の場に乗り込み、意見表明を行うことになったのです。

そうして迎えた8日ーー。卒業生たちが意見表明することを希望している旨が議長役の復興協議会の大槻幹夫会長(72)から参加者に告げられると、会場から大きな拍手が起こりました。地域の人たちは、どんな意見であれ、子どもたちを温かいまなざしで見守っているのでした。

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大川小卒業生たちは、地元の人たちの前では歓迎されないかもしれないと相当な覚悟をもって挑んだ(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

「私たちは全員大川小学校の卒業生です。震災当時大川小学校に通っていた子もいます。私たちは1年前から大川小学校の校舎保存について定期的に話し合いを重ねてきました。今回大川地区の皆さんの前で、直接お話しするのは初めてで、緊張しています。被災後の状況や置かれた立場はそれぞれ違うのですが、大川小について私たちの意見は皆同じです。それは大川小学校の校舎をありのままの形で全て残して欲しいということです。今日はそれについて一人一人思いを述べさせていただければと思います」

まずは一番年上のそのみさんが挨拶をし、続いて自分の思いを述べました。

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佐藤そのみさん(右から2人目)がまず、大川小卒業生たちを代表して挨拶(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

「私が校舎を残して欲しいと主張するのには、2つの理由があります。

ひとつは、あそこは私たちの大切な母校であるということです。あの場所には、ほかの何にも変えることのできない素晴らしい思い出が詰まっています。それは、私たちだけではなく、あそこに通った全ての人、子ども達をいつも見守ってくれていた地域の方も同じだと思います。(統合で)大川中の校舎もなくなり、大川地区のほとんどが被災に遭ってしまったいま、あの校舎を含めたうえでこれからの大川地区の復興について考えていくべきだと思います。

もう一つは、子どもたちの死を無駄にしたくないということです。震災で多くの子どもたち、先生方があの校舎で犠牲になりました。まだ見つかっていない子もいます。子どもたちがあそこで生きた証と二度とあのような悲劇を繰り返さないために、あの校舎を通して伝えていくことが大切です。あの校舎にはそれだけの説得力があります。辛いから壊して欲しいという気持ちも十分理解できるのですが、何十年先の未来を考えた時に、あの場所が更地になっていたらどうでしょう? 子どもたちのことや大川地区のことはだんだんと忘れ去られていくような気がしてなりません。

保存において、様々な問題はありますが、どうかあの校舎は残って欲しい。私は、(校舎は)残るべきだと第3案の意見に賛成します」

続いて、当時大川小6年だった成田涼花さん(16)がマイクを握りました。

「私にとって大川小学校で過ごした時間、思い出は、今でもずっと宝物です。これは、小学校でみんなと共に過ごした私たちだけが知る大切なものでもあるのです。この宝物のような時間を過ごした唯一の母校を失いたくありません。私はこの学校があることで、たくさんの色々なことを思い出します。私たちはいま、この悲劇を色々な人に伝えるべきだと思います。なぜなら二度とこんな悲劇が起きて欲しくないからです。これは私たち自身が経験したからこそ言えることではないかと思います。

大川小の、折れて崩れた体育館通路、2階の3・4年教室の床が盛り上がった所など、見るだけで改めて津波の恐ろしさを感じさせられます。もしそれらが全てなくなってしまうと、やはり鮮明には伝わらないと思います。だから私は、大川小学校を全て残して欲しいと思います」

同じく震災当時6年だった浮津天音さん(16)は、地域の再建のために学校の保存が必要だと訴えかけました。

「私は第3案の校舎全体を残すことに賛成しています。理由は3つあります。
あの壊れた校舎を見ることによって、津波の悲惨さがわかり、今後このような悲劇が起こらないためにも、震災遺構として語り継ぐものとして残すことができるかもしれない。

それと、津波によって嫌な思い出はあったけれども、私たちには6年間通った母校であり、地域の人や両親が通っていた母校であり、私たちが行ける唯一の思い出深い場所であるということです。

もう一つが、地域の再建です。郵便局や交番、お店もなく、住んでいる人も少ない状況のなか、いま大川から離れている人たちが、今、大川に戻りたいかと言ったら、戻りたくないと思っていると思います。震災前の大川小学校が地域の拠り所だったように、何か一致団結し、地域を再興するためのものとすることができるのではないかと思っています。

当事者である在校生や、卒業生や先生にしかわからないことや思っていることがあり、第三者や他県の人やメディアの人たちだけが感じていることがあります。色々な見方が考え方があって良いのだと知りました。だから、意見が食い違うことがあるのは当然だと思います。

私の大川小学校を残したいと言う考えは、わがままなのかもしれません。しかし、このような考えを持っている人間がここにいると知って欲しいのです。(校舎を)残したくないという人たちの気持ちも、今では十分にわかります。それでも私は、次の世代、未来のことを考えると残したいと思うようになりました。自分たちの気持ちを尊重するのは大切だけれど、これから先の子どもたちに何を残せるだろうか。私たちができることは語り継ぐことです。このようなことが二度と起こらないためにも、大川小学校を残したいと訴えていきたいと思います。今日のような機会を逃さずに、一歩一歩伝えていきたいと思います。

われらいま きょうの日の 歴史を 刻む
われらこそ あたらしい 未来を ひらく

大川小学校の校歌の最後の歌詞です。(「未来をひらく」 作詞 富田博、作曲 曽我道雄)。

我ら今こそ歴史を刻み、新しい未来を拓く。皆さんの一人一人の意見がとても重要です。アンケートにご協力お願いいたします」

当時中学1年だった紫桃朋佳さんは、6年生の妹の千聖(ちさと)さんを亡くしました。

「私はあの時卒業式があり、早めに帰り、あの地震が起きました。それから辛い日々が続き、ずっと泣いていました。

大川小にはたくさんの思い出があります。色んなことを学びいろんな出来事があって、言い尽くせないほど大切な思い出がたくさんあります。そんな思い出がたくさんあるあの学校がなくなるのは卒業生として、大川っ子として反対です。

母校だから、というのが残して欲しい理由の一つですが、もう一つ理由があります。それは、もうあんなことが起こって欲しくないからです。この理由が一番強いかもしれません。

私はあの出来事を、一生忘れてはいけない出来事だと思います。でも大川小での出来事を伝える人は、いつかいなくなります。私たちは同じことを繰り返さないように何をすればいいか。それは未来のためにあの校舎を残し、地震と津波の恐ろしさや、地震が起きたら何をすればいいかなど、色々なことを見て、感じて、学べる場所にすることだと思います。あの校舎を見て感じることは、映像や写真を見ることよりも、明らかに多いはずです。何十年先の未来にも伝え続けて行けるよう、どうか、校舎が残っていくことを私は願っています」

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卒業生6人で、大川小の被災校舎保存を訴え続ける(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

当時6年だった三條こころさん(16)は、学校が自分に残された故郷の唯一のものであると話しました。

「私は震災で色々な大切なものを失いました。家族、友達、住んでいたふるさと、一瞬の津波で全てなくなりました。それでも唯一津波に飲み込まれても残ったものがあります。それは私の母校、大川小学校です。私が6年間友達と楽しく過ごしてきた場所です。住んでいたふるさとをなくし、唯一帰れる場所が大川小なのです。

でも今は、大川小を壊すという案が出ています。大川小は亡くなった友達と友情を育み、たくさんの思い出を築いた大切な場所です。その大川小学校がなくなってしまうと、みんなと過ごしてきた思い出も無くなってしまうので残して欲しいです。大川小に行くと、自然と亡くなった友達との楽しかった日々を思い出します。そんな思い出のある大川小を失くしたくありません。私は、大川小学校を残したいという思いを伝えていきたいと思います」

震災当時5年で、津波に飲まれながらも唯一助かった只野哲也さんは、校舎とともに自分の言葉で伝え続ける決意を語りました。

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津波に飲まれながらも奇跡的に助かった只野哲也さんは校舎保存を訴え続けている。てっちゃんと呼ばれて知られた男の子も、この春からは高校生(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

「私は震災直後から今まで、たくさんのメディアの方々の力を借りて、大川小を残して欲しい思いを伝えてきました。そして今日、この場を借りて地域の方に私の思いを伝えることができると聞き、この会に参加しました。

私は絶対に大川小学校の校舎を残して欲しいと思っています。大川小の校舎を残すことによって、どんな文章や写真や映像よりもあの場所で大川小の校舎を見ることでそれを見た人にとっても強い印象を与えると思います。

私も大川小の校舎を見ると、大川小で過ごしたたくさんの思い出がよみがえります。校舎を見ることによって、思い出すことができることがあります。これがもし、大川小の校舎がなくなったら、何が残るでしょうか? どんな時も地域の中心にあった大川小が、今では校舎の周りには何もありません。校舎がなくなってしまえば、大川地区や震災で亡くなった地域の方々が、子どもたちがあそこで生きていたという記憶が薄れてくのではないかと思います。そうなれば、本当の意味で死んでしまうと私は強く思います。そうなるのを防ぐためにも、大川小の校舎は絶対に残すべきです。そして今以上に多くの人々に大川小の校舎を見てもらいたいと思っています。広島の原爆ドームが、戦争の愚かさを伝えてきたように、大川小の校舎も、地震や津波の恐ろしさや命の大切さを、何十年、何百年、何千年と構成の人に伝えるきっかけになればいいと思っています。

私自身、マスコミの方やたくさんの人の前で震災の話をすると、当時の恐怖が頭をよぎってとても苦しい時もたくさんあります。しかし私は、このような悲劇を二度と繰り返して欲しくないと強く思っているので、こういう場で伝えています。そして、私が伝えたことによって、今後大きな災害があったときに、今回の教訓を生かして一人でも多く、いや、犠牲者0人を現実にするために、東日本大震災で亡くなった人の命を無駄にしないためにも、私は、自分の言葉で伝えていきます。みんなの生きた証を壊さないでください。また、いつの日か豊かな自然がいっぱいで、子供の笑顔の絶えない大川に帰れる日が来るまで、私たちは伝え続けます」

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子どもたちの勉強指導を通じて心のケアを行ってきたカウンセラー。子どもたちの堂々とした意見表明を聞き、心の回復ぶりを実感(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

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住民も、大川っ子たちを見守る。緞帳は大川小前を流れる北上川の美しい夕日をモチーフにしたデザインだった(2015年3月8日、石巻市河北総合支所総合センタービッグバン)

校舎保存については、地域からの要望をもって球が市・国にわたりますが、実際には学校周辺は係争中の現場でもあり、たとえ公園化事業が認められても簡単に着手できない事情もあります。地域では今後、校舎の残し方や、公園の整備の内容について具体的な話し合いをしていくことになります。

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被災校舎周辺で測量の位置決めを行う遺族ら。遺族と市は裁判中のため、整備事業は裁判が終わらないと始められない(2015年3月7日、石巻市釜谷)

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震災から4年。大川小の裏山で壊れかけた「津波到達地点」の看板を打ち直す遺族の紫桃隆洋さん

地域の大人たちの前で堂々と意見を述べた6人の卒業生たちは、次は仙台での国連防災会議のパブリックフォーラムで、世界に向けて校舎保存を訴えます。大川っ子たちの意見表明は、14日の「宮城県子ども支援会議」「世界防災ジュニア会議」の2つの会議で行う予定です。

(写真・文 フォトジャーナリスト 加藤順子)

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遺族の只野英昭さんが撮影した学校内部の様子
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写真家・ジャーナリスト加藤順子氏が追った大川小学校
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只野哲也が撮影した大川小の風景(2012年10月1日)
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