【3.11】福島第一原発事故をきっかけに考える人類の「愚かな行い」とは? 「続・百年の愚行」刊行

戦争や差別、格差、そして原発事故。「9.11」から「3.11」にいたるまで、人類が犯した「愚行」を象徴する事件や事象を50枚の写真とともに編んだ「続・百年の愚行」(小崎哲哉・Think the Earth編著)が2014年12月に刊行された。編著者の小崎さんに、「3.11」から考える私たちが抱える問題解決の糸口を訊ねた。
猪谷千香

戦争や差別、格差、そして原発事故。「9.11」から「3.11」にいたるまで、人類が犯した「愚行」を象徴する事件や事象を50枚の写真とともに編んだ「続・百年の愚行」(小崎哲哉・Think the Earth編著)が2014年12月に刊行された。2002年に出版され、現在も12刷とロングセラーとなっている「百年の愚行」の続編で、クラウドファンディングによって約380万円という熱い支援を受け、出版が実現した。

前作は、20世紀の人類による「愚行」をテーマに、100枚の写真と文化人類学者の故クロード・レヴィ=ストロース氏らの寄稿などで構成されていたが、本書では、21世紀にも前世紀と同じ過ちを犯さない社会をつくるためにはどうしたらよいのかを語りかけている。編著者の小崎さんに、「3.11」から考える問題解決の糸口を訊ねた。

■ジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領になって21世紀の道筋が決まった

−−−前作「百年の愚行」から12年を経て、続編を出すきっかけはどういうことだったのでしょうか?

「百年の愚行」は、ロングテールで今も読まれています。好評だったこともあって読者の方や出版社から「続編を」という話はありましたが、なかなか良いアイデアが浮かびませんでした。最初は、1冊目が「愚かな行い」だとしたら、2冊目は「賢い行い」を取り上げるべきではないかという声もあって、正論だと思いながらも踏み切れなかった。21世紀になっても、圧倒的に愚かな行いが続いていたからです。

そして、いつか続編を出そう出そうと思っている時に、福島第一原発事故が起きました。実は3.11の数カ月前、作家の広瀬隆さんが2010年8月に出した「原子炉時限爆弾」を読んでいたんです。その本に、2010年6月、こともあろうに福島第一原発の2号機で、全電源が喪失されてあわやメルトダウン寸前という事故があったことが書かれていました。「事故当日には地震が起こっていないのに、このような重大事故が起こったのだから、大地震がくればどうなるか」と広瀬さんは記しています。この文章が頭に残っていた時、3.11の事故がそれをなぞるかのように起こった。これが続編刊行の直接の大きなきっかけです。

−−−前作から続く人類の「愚行」ですが、12年前と現在とでは何か違いはありましたか?

前作を出したのは2002年4月22日だったのですが、作っている最中に9.11が起きました。非常に驚きましたが、いま考えると世紀の変わり目において、9.11は非常に象徴的な事件でした。

9.11以降の世界の混乱は、2001年1月に共和党のジョージ・W・ブッシュがアメリカ大統領になったことに端を発しています。民主党候補のアル・ゴアとほぼ互角の選挙戦でしたが、不正も取り沙汰される中、最終的にブッシュが大統領に決まった。そういう選択をアメリカは下し、21世紀の世界の道筋があらかた決められてしまいました。

アメリカはその後、京都議定書から脱退を表明して「環境より経済」という方向性を示しました。その結果が9.11であり、それに引き続くアフガニスタン空爆、イラク戦争です。9.11が引き金であったとはいえ、その大義は「イラクが大量破壊兵器を保有しているから」というものでした。「ならずもの国家」という言葉まで使い、あんな危険な国家に大量破壊兵器を持たせてはいけないといって、アメリカは戦争を仕掛けたんです。でも、戦後の査察で大量破壊兵器は見つからなかった。IS(イスラム国)が生まれたきっかけもそこにありました。

そうした政治的な変化に加え、大きな変化がもうひとつあります。スマートフォンとソーシャルメディアの普及です。この2つには「アラブの春」で用いられたように良い面もありますが、他方、現代人は急速に増大した情報に振り回されています。続々と送られてくる細切れの情報を処理するために、多くの人々が時間と判断力を奪われている。日本の大学生の4割が年間1冊も本を読まないという調査結果に、その事実が端的に表れていますね。

その事実を踏まえ、「続・百年の愚行」では本や映画などから多数の引用を行い、巻末に一覧を載せ、オンラインストアにすぐにアクセスできるようQRコードを付けました。一方、本の刊行後も愚行は続いています。そこで、特設ウェブサイトを作り、本で取り上げた事件や事象のその後の展開や新たに生じた愚行について、世界のメディアが報じた記事を紹介することにしました。現実〜本〜ネットの間によい循環が作れればと願ってのことです。

■「安心できる日は来ない」と言われた原発を卒業した「その先」

−−3.11に話を戻しますと、本書の「核・原発」という章では、1945年7月にアメリカ・ニューメキシコ州で行われた史上初の核実験から、現在の核保有国の状況、そして核と表裏一体にある原子力発電について言及されていらっしゃいます。その中で、内閣府原子力安全委員会委員長を務めていた斑目春樹氏の言葉、「原子力発電所に対して安心する日なんて来ませんよ」という言葉を紹介されていますね。

映画「六ヶ所村ラプソディー」で、鎌仲ひとみ監督が引き出した言葉です。信じがたい発言ですが、ものを考えている人であれば、原発の存在について懐疑的にならざるを得ない。では原発を卒業した「その先」をどうしたらいいのか。具体的には、どんな代替エネルギーを選ぶのかということが問題になります。

長期的な展望でいうなら、太陽光が唯一にして最良のエネルギーであることは自明です。環境研究者の清水浩さんによれば、地表(陸地)の1.5%にソーラーパネルを敷き詰めれば、変換効率が10%程度だったとしても、70億の全人類が、現代のアメリカ人と同レベルの裕福な生活を送ることができるそうです。「地表の1.5%」というのは、実は相当に広大な面積であって、設置は簡単ではありません。でも、実現すれば資源・環境問題はもちろん、食糧問題や戦争・紛争も激減するはず。何十年かかろうとも取り組み甲斐のあるプロジェクトでしょう。

−−−今回、山極寿一、王力雄、イリヤ・トロヤノフ、ベネディクト・アンダーソン、ベルナール・スティグレールの5氏が寄稿されています。その人選基準は?

「賢人」であるということです。ベストメンバーが揃いました。たとえば、京大総長で霊長類学者の山極先生は、暴力の起源について研究しています。それを書いていただこうかと思いましたが、いい意味で裏切られました。「サル化する現代社会」と題して、人間がどんどんサル化して、家族や共同体の絆が壊れていっている理由を、食事の分配という視点から書いてくださっています。現代文明の問題である個食やファストフードとからめた原稿で、すばらしかった。

■「他者に対する想像力の欠如」を持ち、遠方や未来に思いをはせる

−−−3.11がきっかけとなった本書は、人類の「愚行」を列挙するだけでなく、問題解決への糸口も示唆されています。

前作に寄稿してくださった人類学者の故クロード・レヴィ=ストロース教授は、「厄災」の要因はたったひとつしかないと主張しています。それは、人類があまりに増えすぎたことにあると。彼は20世紀初頭に生まれ、21世紀になって丁度100歳で亡くなりましたが、その100年間で人間の数は4倍に増えて、15億から60億人になったと書いています。それからさらに10億人増えているので恐ろしいことになっているわけです。

レヴィ=ストロース教授はそう書かれましたが、個別の要因をあえて3つ挙げるとしたら、1つは、「他者に対する想像力の欠如」だと思います。例を挙げれば、戦争の際、高い空の上から爆弾を落としたり、遠い安全な基地からミサイルを飛ばしたり、最近ではドローンを使って無人で攻撃したりする。爆弾の下にいる人たちに想像が及ばない。

人間は相手に共感できる生き物ですから、目の前にいる人を簡単には殺せないはず。でも、それができてしまうのは「見えない」からです。これを阻めるのは個々人が持っている想像力なのですが、それが使えなくなるように軍事テクノロジーは進化しています。それだけではなく、みんな面倒なことは考えたくないから、どんどん想像力が欠如していく。

もう1つは「他者の、ときに自らの記憶の破壊と忘却」。IS(イスラム国)による文化財の破壊などもありますが、後者でいえば3.11では、津波で多くの方々が亡くなりました。何十年かの周期で必ず津波に襲われるということを知っていた祖先は、「ここから下には住むな」と記したモニュメントを残していた。ところが子孫は、過去の歴史や教訓を忘却して、そこにマンションを建ててしまう。想像力の欠如と表裏一体に、人はいろいろなことを忘れてしまうのです。

■「速度と効率の追求」の果てに生まれた原子力発電所

さらに、近代以降、人間を駆り立ててきた最大のものに「速度と効率の追求」があります。少しでも速く、効率良く……。資本主義はそういう性質を帯びて誕生し、この2つの追求の果てにさまざまな厄介なことを引き起こしました。その最たるものが、福島第一原発事故だったのだと思います。

原子力発電所も速度と効率を求めて作られたものです。パワーのある効率的な発電力だといわれ、環境を汚さないとも謳われました。しかし、何百年というスパンで見なければならない人間の歴史をショートスパンでしか見ず、目先の利益ばかりを追求してきた、その果てに起こったのが、あの事故でしょう。

この3つを何とかしなければならない。事実を知る、他者の存在に思いをはせる、ちょっとだけ立ち止まって考える、違う意見の人と話し合う。まずはそこから始めればいいと思います。

−−−本書に寄稿されたベルナール・スティグレール氏の言葉に、「新しい技術とはつねに良薬であると同時に毒薬でもあり、文明とは薬物の有毒な効果を制限して良き効能を活用できるように薬物の活用法を定めていくことにある」とありますね。「愚行」を抑制するには、それを自戒しつつ、教訓を「忘却」しないということが必要なのでしょうか。

最近の世論調査では、福島第一原発事故について「風化しつつある」と答えた人が7割ぐらいいました。実際に風化しつつあるのだとしたら、それはひどい。福島の人たちを隣人として見ていないということですからね。「他者への想像力の欠如」とは、空間的に遠くで暮らしている人や、時間的に遠い未来の世代へ思いをはせることができないことです。廃棄物を押しつけたり、資源を収奪したり、無責任で理不尽な行動がはびこっています。私たちは、地上に、そして未来に自分たちの仲間がいることをもっと理解し、想像しなければいけない。

1冊目を作った時には、「海・川・湖沼」「大気」「森・大地」「動物」など環境問題にかなり大きな比重を置いていました。しかし、今回は「戦争・紛争」「差別・暴力」に大きくページを割いています。ただ、根っこは同じで、上の枝はあらゆることが複雑な因果関係のもとに絡み合っているカオティックな森みたいなものだという気がしますね。我々はその森の中に生きているわけですが、森の全貌も細部同士の関係も、想像力なくして理解することはできないと思います。

「続・百年の愚行」

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