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「福島の人が地元に残る環境を」 菊池製作所が南相馬でロボットを作る理由

2015年03月12日 00時57分 JST | 更新 2015年03月13日 17時28分 JST
Kenji Ando

福島第一原発事故で住民の避難が続く福島県南相馬市の小高地区に、ロボット産業の拠点が生まれる。

東京都八王子市の機械メーカー「菊池製作所」の南相馬工場が、4月から本格稼働する予定だ。この工場では、人間の筋力を補助する「マッスルスーツ」や、災害発生時に上空から監視する無人飛行機(ドローン)などを生産する。いずれも、大学の研究者が開発したロボットを、菊池製作所の技術力で製品化するという。

菊池製作所の主力工場は、福島県飯舘村にある。創業者の菊池功(きくち・いさお)社長の出身地だ。東日本大震災後の原発事故で、飯舘村が避難指示区域となった後も従業員が避難先から工場に通い、操業を続けてきた。

新設される南相馬工場は、福島県の「災害対応ロボット産業集積支援事業」の交付を受けて、菊池製作所のロボット生産の拠点となる。3月13日には、南相馬工場で各種ロボットのお披露目をする予定だ。

菊池製作所は、どうやって震災を乗り越えてきたか。なぜ南相馬でロボットを生産するのか。八王子市内の工業団地にある本社で、菊池功社長に詳しい話を聞いた。

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■飯舘村に生まれて

菊池社長は、1943年に福島県飯舘村の農家の家に生まれた。中学卒業と同時に上京し、カメラの試作品などを作るメーカーに就職した。その後、1970年に26歳の若さで菊池製作所を創業。八王子市内の一軒家を借りて、従業員は妻と2人きりという状態から、社員400人を抱える中堅メーカーに育て上げた。

飯舘村に最初の工場を構えたのは、バブル前夜の1984年だ。好景気に沸く当時、育てあげた人材が大手企業に移ってしまうケースが絶えなかった。地元密着型の工場を地方につくれば、じっくり人材を育てあげることができると思ったという。菊池社長は、当時をこう振り返る。

「飯舘村に工場があれば、自分も東京に出ることはなかったでしょうね。東京に出られる人は、私みたく早く出たいんです。でも先祖代々の資産を管理しなくちゃいけないとか、それなりの理由があって村を出られない人もいる。そういう人でも地元に工場があれば、じっくり仕事ができるじゃないですか」

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福島県飯舘村の菊池製作所の工場

■避難者を受け入れる側から避難する側へ

菊池製作所は2009年までに、飯舘村に計6カ所の工場を稼働させた。開発・試作・量産のすべてのプロセスを、社内でカバーするという「一括・一貫体制」を確立。順風満帆に見えていた会社を2011年、東日本大震災が襲った。

「そのときは八王子にいました。飯舘村の工場から電話がかかってきたんです。『社長、すごく揺れています!』と。その時はまだこっちは揺れてなかった。『大変です』って言ったまま、プツッと切れちゃって。そのうちこっちも揺れてきた。そして今度テレビを見たら、もう津波が沿岸部に押し寄せていました」

心配だった飯舘村の工場の地震被害は、意外なことに軽微なものだったという。飯舘村のある阿武隈山地の地盤が頑丈だったことが原因だった。

事故が起きた福島第一原発からも35km近く離れていて、半径20km圏内の「警戒区域」には含まれていなかった。むしろ、飯舘村は警戒区域から避難してきた人を受け入れていた場所だったが、震災1カ月後の4月22日、飯舘村は放射線量が高いとして「計画的避難区域」に指定された。避難民を受け入れる側が、今度は自分が避難する側に回った。

「工場の被害はダクトが外れたくらいで、仕事にはほとんど影響がなかったんです。逆に、浜通りの会社はみんな被害を受けたから、そういう会社の仕事を優先的に手伝うつもりで、その準備をしている間に、放射能に汚染されていると話になった。飯舘村は計画的避難をしなくちゃいけないという話になって、住民はみんな避難したんです」

だが、菊池製作所の工場は一日も稼働停止しなかった。その判断について、菊池社長は、こう振り返る。

「社員にお願いしたことは、健康被害があってはいけない。風評については、しっかりと見極めなさいということでした。『毎日、社員をみんな集めて相談しなさい』と幹部に指示しました。国の情報、県の情報、村の情報を総合的に判断して、みなさんが自分で考えて、みなさんが決めて行動しなさいと。それしかなかったわけです」

その結果、菊池製作所では国や自治体に頼らず、自分たちで積極的に除染して工場を続けることになった。工場の入口にはエアシャワーを設置、靴の洗い場も作った。外気の放射能が工場内に入らないように厳重な体制を取ることにした。健康被害があってはいけないから、放射線の値の確認は毎日とらせた。「だから飯舘村の工場は社員が残してくれた会社です」と、感慨深げに菊池社長は振り返る。

震災から4年を経た2015年3月現在も、飯舘村の居住は許されていない。震災前には350人いた従業員のほぼ全員が村内から工場に通っていたが、震災後の通勤環境はガラリと変わった。福島市内などから片道1時間半から2時間かけて、自動車で通勤しているのが実態だ。それがネックとなって、辞めていく人も多いという。

「震災から時間が経てば経つほど、大変さも上がってきました。最初はあまり辞める人はいなかったんですよ。みんな『何とかしなきゃいけない』と、気が張っていました。でも、4年近くになってくると『通うのも大変だし近場の方がいい』『まだ戻れないんだから、その時に考えればいい』という風に思うようですね。特に子育て中の若い世代、25歳から35歳くらいの働きざかりの人を中心に100人近くは辞めました。それは、人材を育ててきた会社としては痛かったです」

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南相馬工場に並べられたマッスルスーツ(2015年1月27日撮影)

■「匠の技」で南相馬をロボット産業の拠点に

震災の後遺症で苦境が続く中で、菊池製作所が力を入れるのが、大学の研究者らと連携したロボット開発だ。2012年11月に川内村に工場を新設したのに続いて、南相馬工場が4月から本格稼働する。

「飯舘村は住民が避難しているから、新人の雇用ができない。それで、飯舘村から1時間くらいで行ける所に工場を探しました。現地で人材採用して、そこから飯舘村の工場をバックアップするためです。たまたまセイコーエプソンさんが撤退した工場が南相馬市の小高地区にあったので、その施設を使うことになりました」

南相馬工場が担当するのはロボット事業だ。マッスルスーツとドローンの量産が4月から本格スタートする。中堅メーカーである菊池製作所がロボット開発することのメリットを菊池社長は次のように話す。

「うちはあえて国内に主力工場を置き『匠の技』を重視してきました。金型とか試作品を作ろうとすると図面通りに組んでも、やっぱり微調整がいる。そうした技術というのは、日本人は強いんです。特にロボット関係では一番大事ですね。ただ性能とコストだけじゃない。使う人や使う用途に合わせてロボットというのは全部微妙に違うじゃないですか。そこに日本の中小企業が持っている『匠の技』が活かせると思っています」

菊池製作所には、東京工科大学教授を退官した一柳健(いちりゅう・けん)所長が率いる「ものづくりメカトロ研究所」がある。一柳氏のコネクションを生かして各大学の研究者との共同でロボット開発を進めてきた。

「マッスルスーツ」は、東京理科大の小林宏教授の協力で開発した人工筋肉の装置。身につけた人が荷物を運ぶ際に、30kg近くを補助し、身体の負担を軽くするという一種の介護ロボットだ。2013年12月には東京理科大とともに、マッスルスーツを商品化するベンチャー企業「イノフィス」を設立した。

無人飛行機(ドローン)の「ミニサーベイヤーMS-06VL」は、千葉大学の野波健蔵教授が開発し、菊池製作所が生産を担当する。GPSを使った自動操縦で30分程度の連続飛行ができ、除染が必要な地域での放射線量計測などの用途を見込んでいる。

さらに同工場には、ロボット研究開発拠点「産学官連携研究センター」ができ、東京大学から早稲田大学まで研究者や学生が10数人常駐することになる。菊池社長は南相馬工場の開設を聞いて、地元を離れる意向だった住民が考え直した例もあると話す。

「南相馬でロボット事業を始めるとなったら、以前は『地元に残らない』と言っていた人たちも地元に残るようになったんです。今までは都内に行くって言ってた人も、先祖伝来の土地を見ながら地元に残る。やっぱり、福島の人が地元に残る環境づくりが重要です。そのために福島県も各市町村も一生懸命、頑張ってますし、大学の先生方も、福島の復興に何らかのかたちで応援したいという強い思いを持っているから、うちと組んだのでしょう。福島の復興という思いは一緒ですから」

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南相馬工場で生産されるドローン「ミニサーベイヤーMS-06VL」(2015年2月20日撮影)

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