オウム真理教教祖・麻原彰晃の三女アーチャリー・松本麗華さん「単なる人間に、いつかなりたい」

今は「アレフ」とも、派生した教団「ひかりの輪」とも無関係と話す松本麗華さんが、「オウム事件20年」を迎えたこの3月、どのように父・麻原教祖を、オウム真理教を、日本社会を見つめたのか。

地下鉄サリン事件などの首謀者として死刑判決が確定したオウム真理教(現「アレフ」)教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の逮捕から、5月16日で20年となる。三女・松本麗華(りか)さんは2015年3月、初めて実名を明かし、自伝『止まった時計』(講談社)を出版した。

事件当時は11歳。教団内では「アーチャリー」という名前で、教祖の娘として、法皇官房長官という高位の役職にあった。事件後、両親は逮捕され、転入先での住民の反対運動や公立学校・大学の就学拒否に遭うなど、数奇な運命に翻弄され続けた。

今は「アレフ」とも、派生した教団「ひかりの輪」とも無関係と話す松本さんが、「オウム事件20年」を迎えたこの3月、どのように父を、オウム真理教を、日本社会を見つめたのか。

私だけではなく、日本の時計自体が止まっていた

──そもそも本を書こうと思ったきっかけは。

当初は「生きていられないな」と思っていて、生きている間にできることをしておこうと思ったんです。心神喪失して、赤ちゃん以下の状態になってしまっている父に、娘である私ができることをして、思い残すことなく死のうという気持ちがどこかありました。でも、出版社に相談した時に「お父さんのことを書けばいいという甘い気持ちでないなら」と言われて、グサッときました。今まで、自分の心もプライバシーも隠して、自分の中だけの尊厳を保つことで私という人間を保ってきたので、プライベートなことを自分の口から言ってしまったらもう生きられないんじゃないかと、2週間ぐらい思い悩んだんです。けれども、自分の中でもそういう甘さが嫌だったので、生きるために書いてみようという気持ちでした。

──3月20日の地下鉄サリン20年に合わせて著書を出版して、メディアのインタビューを受けたり、テレビや動画サイトに出演したりしました。実名で出たのは初めてとのことでしたが、どのような反応が印象に残ったでしょうか?

本を読んだ上で批判がいっぱいあるだろうと、ある意味楽しみにもしていたんですが、私の時計だけではなくて、日本の時計自体が止まっていたのかという印象を受けました。というのも、私は今「アレフ」とも「ひかりの輪」とも関係なく、個人として生活しているんですが、「本が売れたらアレフにお金がいくぞ」という話も聞きまして、世間はそういう認識なんだというのが改めてわかりました。

──私自身も本を読むまで、現在の教団との関係や、家族への複雑な感情といったものもあまり詳しく知りませんでした。まだ実は中心人物なんじゃないかとも思っていました。

そうなんですよね。個人で生きていくにはやはり収入が必要なわけですけれども、本が売れて私の収入になれば「それがそのままアレフに行くんだ」という認識だと、今後も仕事がしづらい状況が続くのかと。「古本になるのを待とう。資金源になったら嫌だから」「自分はテロには加担しないよ」という反応には、がっくりきましたね。

──今のお仕事は?

本を書いていると時間がなくて、その間はお仕事があまりできませんでした。出版後の仕事についてはあまり考えず、出版をゴールだと思ってやっていたんです。実際、ふたを開けてみたら、私への批判も「被害者の方に賠償するのか、しないのか」「謝罪するのか」という話にとどまってしまった。ただ、本に全て書いたという自信はありますので、どのようなことを指摘されても「それはここに書いてあります」と言える。ある意味、懺悔本を書いているような気持ちがありましたね。

──懺悔本?

「生きててごめんなさい」と思っているところからスタートしたので。本は名刺代わりになればいいと思ったんです。私はこういう人間で、こうやって生きてきたと明らかにならないと、お付き合いもしていただけない。罪悪感を感じているところも掘り下げて、事実を浮き彫りにしていきました。書くことで、目を背けていたために消化できていなかったことがたくさんあったと気がつきました。

父の裁判がしっかり行われなかったことが残念でならない

第7サティアン内部のサリン生成が可能なプラント(山梨・上九一色村) 撮影日:1998年09月16日 (C)時事通信社

──著書には、父親である教祖・麻原彰晃に対して、親愛の情が強くにじみ出ています。一方で、裁判で認定されたオウム真理教の犯罪、その首謀者という役割は、それが事実なのかも含めて、とても迷っているという印象を受けました。

まず裁判の結果については受け止めているつもりです。ただ、父が関与したという証拠とは信者の証言です。それを争った裁判は、一方の当事者である父が心神喪失状態のまま行われたんです。しかも盲目ですから、父がまだコミュニケーションが取れていた時も、裁判資料を読めず、内容についてメモすることもできなかった。そういう障害者としての父は、教祖として象徴的な地位にいたことは疑いようのないことですが、首謀者として具体的かつ詳細な指示を出せる立場にいたんでしょうか。例えば化学プラントなども、そこに行って、見ることで、何が行われているかわかっても、耳で聞いているだけでは何もわからない。目で見る情報って膨大ですから。なので、父の裁判がしっかり行われなかったことが残念でならないんです。

──ご自身の体験として、オウム真理教は「幼い集団」と書いてありました。「意思決定が系統立っていなかった」と。

ある程度の規模の会社でも、しっかりとしたルートで、誰がどういう権限を持って何をするというのは決まっているわけですが、オウムは若い人も多かったですし、そういうものがない状態でした。実際に父が提案して、却下されることは結構ありました。

例えば「世界記録達成部」というマラソンチームがあったんですが、かなりハードなトレーニングをするので、お肉を食べるか食べないかという議論になったことがあります。父は「食べたらいいんじゃないか」と言ったんですが、周りが「いやいや、それはやめましょう」と言う。すると父も「おお、そうか」となるんです。目的は記録を達成することなので、父が「筋肉をつけるためにお肉を食べるといい」と言っているにも関わらず却下されてしまう。結果として疲労骨折したり、スタミナ切れで最後まで走れなかったり。周りの人の思惑が結構大きかったと思うんですが、そういうところは語られていないと思うんですよね。法廷で語るような話ではないので。

──当時はまだ年齢が幼かったこともあって、全てを見聞きしているわけではないですよね。

はい、そうです。でもやっぱり、父の裁判がしっかり行われなかったことは残念です。

「絶対の真理」といった言葉に納得がいかなかった

家宅捜索でエンジンカッターなどを使って第6サティアンの扉をこじ開けて中に入る捜査員(山梨・上九一色村) 撮影日:1995年05月16日 (C)時事通信社

──本の中で、父が警察に逮捕された後、すぐ接見に言ったけど断られたという部分がありました。「もしあの時、父と会えていたらきっと私の人生は違うものになった」と書いてありますが、どうなっただろうと思いますか?

もうちょっと早くに自分の時間を取り戻そうと思えたかな、と思います。自分の知っている父を見ることで、現実をリアルに感じられたんだろうと。ようやく面会ができた時にはもう、別人のようになっていました。やっぱり逮捕前に父と過ごした時間と、面会で会った父というのはきれいにつながらないんです。

──自分の心の中で父親の存在というのは、その後の人生に大きく影響を及ぼしましたか?

私が生活してきた環境の中で、常に父のことを思い出さない時はありませんでした。入学拒否されれば「やっぱり麻原彰晃の娘だからか」と思いましたし。

──特殊な境遇に育って、引っ越せば住民から反対運動が起き、大学から入学拒否され、という体験が書かれていましたが、そういう時、誰を恨みましたか? 教祖、教団、それとも社会?

恨むってすごくエネルギーが必要で、初めはなんでそうなるの?と考えるんですけど、すぐに悲しくなっちゃう。「生きてちゃいけないのかな」と。誰に怒りをぶつけていいかわからない。怒りというよりも悲しい。居場所がないという感じですね。

──義務教育も途中までしか受けられませんでした。

父の逮捕時に小学校6年生で、静岡県富士宮市の教育委員会から「申し訳ないけど来ないでくれ」と頭を下げられたと聞いています。このとき、頭を下げてこないでくれと言われる存在なのだと実感しました。

教団にいる間は幼稚園に通って、小学校1年に在籍していました。2年に上がる時に学校へ行くのをやめたんですけど、その頃はもう、熊本県波野村の住民票不受理が起きているんです。なので、教団が学校に行かせなかったのではなく、行かせられなかった。新興宗教に対する社会の風当たりが強かったんじゃないかと思うんです。私は一応、学校に在籍していましたけど、出家した他の子供たちが多分もう、学校に行けないので「うちの子もやめておくか」と、ある意味平等にしたんじゃないかと思っています。そこでも教育は必要だと考えていたので、「真理学園」という、独自の学校を作ろうとしていました。

──引っ越した先で、住民の反対運動も起きました。

行政主導の反対運動というのが非常にわかりやすかったですよね。茨城県旭村の家では反対運動は起こっていなかったにも関わらず、栃木県大田原市が行政主導で反対しているから、旭村でも、地域住民が自宅の前に大挙して現れてシュプレヒコールを繰り返したり、きたない言葉を書いたプラカードを周辺に打ち付けていったり、右翼の街宣カーが来たりしました。

一人一人にお会いすると、皆さん人間なんですよね。そこが集団になると「個人的には...」と言いながら、やっぱり周りの目が気になる。行政側が受け入れる努力をした日本を見てみたかったなと思います。本当に基本的なことでいいんです。衣食住、教育を与えた方がいいという、法律を守る姿勢だったらどうだったんだろう。

──もしあのまま、例えば教団が何も悪いことをしなかったり、あるいは全く表に出なかったりして、今に至るまでオウムの社会で生きていたら、ご自身とご家族はどうなっていただろうと考えたことはありますか?

ちょうど10〜11歳くらいで、家出を考えていました。「絶対の真理」といった言葉に納得がいかなかった。絶対と言うからには根拠が必要だけど、私が持っているのはオウム側の情報だけ。いろいろ知らないと「絶対」なんて言えない。私は自分で判断してオウムにいるわけではない。でも、入ってくる情報はオウム側の情報ばかり。それが納得いかなかったので、どこかの時点で家出して社会を見て、いろんな宗教を見て、本当にオウムが正しかったのかどうかを探索したいと思っていました。いずれにせよ一度は確実に離れていたと思います。

──それは教祖である父の言葉に疑問を持ったということですか?

そうですね。父の言葉を聞きながら「情報というのは一方のことだけ聞いててもわからないよ」と思っていました。幸福の科学や創価学会への反論のような話もあったんですが、反論だけを聞いてもわからないですよね。本当はどういうことを言っているのか、実際に会ってみないとわからない。ちょっと冷めたような目でいましたね。

まず治療を受けさせるべきだ

第6サティアンで逮捕され、警視庁に移送される麻原彰晃(後方中央)死刑囚(山梨・上九一色村) 撮影日:1995年05月16日 (C)時事通信社

──もうすぐ逮捕されて20年経ちます。もう長いこと会っていませんが、何十回と面会した経験から、現状の麻原教祖の精神状態はどのようなもので、どうすべきだとお考えですか? 「詐病だ」「早く死刑を執行すべきだ」と言う人もいますが。

まず、詐病だと言っている人は、なぜ詐病だとわかるのでしょうか。会っていないからこそ神格化してるのではないかと思います。会って詐病だと言っている方はほとんどいないですよね。

──法廷で見た人、それから西山鑑定(東京高裁の依頼を受けて鑑定した西山詮医師の鑑定)。妹さんも。

西山鑑定も「拘禁反応の状態」と精神状態がおかしいことを認めているけれども、鉛筆を差し出したときに握り返したことなどを根拠に「訴訟能力を失っていない」と書いています。物を握ったから、笑ったから訴訟能力があると言えるんでしょうか。その他のほとんどの人は見ていないまま言っています。妹は私ほど面会していないのでわからないと思います。

私は28回以上会っています。他の先生や姉も会った上で「やはり父はもう人間じゃない」と言っています。赤ちゃん以下になっている。普通は向かい合って話すとき、相手の気配をなんとなく感じているわけじゃないですか。それもないんですよ。モノになっちゃっている。呼びかけても反応がないんです。

──相槌を打っているのか何なのかわからない。

でもそれは、黙っていても同じことが起こるので、空気みたいな存在なんです。接見前に接見室の外から「うん、うん」って声が聞こえてくるんですよ。部屋に入って「来ましたよ」って言っても何も変わらないんですよ。目の前で手をバン!って叩いても、変わらないんですよ。絶叫しても届かない。

──妹さんも含めて死刑を執行しろと言っている人もいます。

まず治療を受けさせるべきだと思います。精神科医の方々は「治療したら治る」と言っているので、治療して話をさせるべきだと思います。

──その上で再審といったことも考えるべきだと思いますか?

そこについてはわからないですけれども、とにかく治療すべきだと思います。心神喪失の状態で裁判が行われたことも違法ですし、死刑という判決を受けたことも違法だと思っています。

──3月20日をピークにオウム20年を振り返る報道がありましたが、ご覧になってどうでしたか? 視聴者として、あるいは一当事者として。

もしかしたら、報道はこの20年でだいぶ悪くなったんじゃないかと思いました。

──20年前はだいぶひどい目にあったけど、それより悪いと?

20年前は「父が直接手を下してないから逮捕できないのではないか」という報道も結構ありました。事件の真相がわからない中で、わからないまま報道している感じで、メディア側の迷いもしっかり出ていたんですけど、今の報道は断定的ですよね。先日はテレビで「アレフはまた事件を起こします」と、公安調査庁と妹にコメントさせていましたけれども、50分の特集で根拠がないんですよ。なんとなくこれを見ていたら「もうまずい、危ない」という恐怖感だけがしっかり植え付けられる構図になっていました。

──オウム20年を巡る報道の中で、アレフがまた勢力を伸ばしてきているという話が出ましたけど、アレフの現状はどう見ていますか。

アレフの現状について詳しくはわからないですが、ここ数年の報道を見ているだけでも、毎回「勢力を伸ばしている」と言いつつ、合計の人数はあまり変わっていません。入会者と同じくらいの人数が辞めていってるのではないでしょうか。なぜ「拡大」と報道しないといけないんだろうと、すごく興味がありますね。

私がお飾りだというのもみんな知っていた

──ご家族でアレフに関わりを持ち続けている方もいますよね?

それについてはもうわからないですね。私がもう、母たちと関わっていないので。

私が16歳の時まで教団にいたから、今も教団にいるだろうと推測で言われますが、アレフ内部では私を「悪魔」と言っているという噂を聞いています。私の本も読まないように言っているみたいですし。私自身がアレフに利用されないためにFacebookやTwitterをやって、社会のここにいるというアピールをしているのかもしれないです。

──教団が犯した犯罪については、どう考えていますか? 自分のやっていないことに責任を負う必要はない。でも、もし仮に教団として、その後の意思決定に関与していたのであれば、ある程度の責任は仕方ないのかとも思ったりするんですよね。

それは、その後のどういう意思決定に関与したことによりますか?

──組織としての対応でしょうか。

組織の一員というのは、何歳から自分の意志でいるものですか? 地下鉄サリン事件当時、私は11歳で、一応「法皇官房長官」の地位がありました。でも、意思決定をしていたのは服を買うくらい。私がお飾りだというのも当時みんな知っていました。教団を出たのは16歳。その頃は、形式上には「長老部」の座長でしたが、死ぬことばかり考えていたので、教団のことを考える余裕などありませんでした。

──私は正直「地下鉄サリン事件の被害者に謝れ」と松本さんが言われる筋合いは本来ないと思うんです。

被害者の方からも、そういった声はいただいていないです。「被害者」という言葉を使って何か世論ができていく。大多数は「なんで謝らないんだろう」と疑問に思っていらっしゃるんですよね。

考えに考えたんですよ。「謝るってなんだろう」って。やっぱり自分がやっていないことについて、自分が知らないことについて謝るのはあまりにも無責任だと。儀礼的に謝って自分の身の安全を図るのは、誠実な態度と思えなかったんです。

──それは正しいと思うけど、おそらくなかなか受け入れられないですよね。

あの事件の重さを考えれば、知りもしない私が「すいませんでした」と謝っても、「謝って普通の人間になりました、生かしてください」という態度は、単に自分の身を守りたいがために謝ることになると思ったので、まあ批判されるべきなんだろうと思いました。受け入れるしかないんだろうと。

知人が「麗華ちゃんがアレフに関わっていないっていうのはわかったけど、もし仮に関わっていたとしても、それは単なる生まれたバックボーンだよね」って言ってくれました。その方は、中学校時代にお父さんが病気になって、大学の頃に亡くなった方でした。「病気のお父さんを見るのが不安でたまらなくって、私の中の時間も止まってた。これを読んで時間が動き出すかも」と言っていただきました。

──ある時期までは家族としての形が曲がりなりにもあった。それが今は散り散りでバラバラになっている。そうなってしまったのは、何が悪いんだろうと思うことはありますか?

あまりにも社会からの圧力が強すぎて、かつ、大切な父が死刑になるかもしれないという状況の中、それぞれの精神の均衡を崩していったのかと思います。母ももちろん孤独で寂しがっていましたし「若くして生涯の伴侶を失う者の気持ちがわかるか」と言われると、黙っちゃいますよね。そういう背景もあって、母がアレフに関わっていることも秘密にしていました。今だったら、「小学生で両親が逮捕されて、周りの信頼していた世界が全て壊れる辛さわかる?」ってそのまま言い返しますけど。

人が好き。人間になれるのはいつのことか

──今は心理カウンセラーを目指して勉強しているとのことですが、具体的にはどんなことをしていますか?

勉強会に参加したり、学会に所属したりといったところですね。

──将来の夢は?

将来の夢は、普通の人間として認められること。

──現在はまだ認められていないと。

認められていると思いますか?

──私は、例えば同じ学校とか会社にいたら受け入れると思います。この本を読んだ上で、ですけど。

そういう意味では今、初めて戦いが始まったと思います。これを読んでいただかないと、私はやっぱり人間になれないんですよ。大学時代の友人とかも「バックボーンがよくわからなくて聞けることでもなかったけど、読んでわかったよ。普通でいいんだね」と連絡をくれたりしました。やっぱりこれくらいの説明がないと、何か訳ありな人だと思われるのかなと。人間になるのはいつのことやら。

この前、テレビのニュースでハーフの問題をやっていたんです。50人に1人いるのに、ハーフは日本人と認められない。「日本語喋れるの?」と思われる。最後にコメンテーターが「ハーフの日本人ではなく、一人の日本人として受け止めない限り、本当の多様性と言えない」と言ったんです。私について「麻原彰晃の娘の日本人ではなく、一人の日本人」というコメントをテレビでしてもらえるくらいの、普通の人間になりたい。今そういうことを言ったらバッシングされるじゃないですか。今回、私が出演したテレビでも「被害者のことを思っていないだろう」など、いろいろ非難されましたし。

単なる人間、単なる日本人に、いつかなりたいというのが夢ですね。とにかく人間になるところから、何かに関わっていきたい。人が好きなので、そういう方向で何かやらせていただければと。

──人が好き?

はい、好きですね。

──いろんな人にひどい目にあったけど。

それもまた人間らしいというか。

オウム真理教事件から20年

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