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「時間の価値を知り、自分の人生を生きよう」ジャパンハート・吉岡秀人さんに聞く

2015年06月06日 00時49分 JST | 更新 2015年06月06日 18時15分 JST
japanheart.org

ミャンマーやラオス、カンボジアなど途上国での医療支援を続ける「ジャパンハート」代表の吉岡秀人さんは、1995年にミャンマーの地を踏んで以来、医療事情の劣悪な途上国の貧しい人々に、無料で医療を提供してきた。

20年前にたった一人で始めた医療ボランティアは、今や600人以上の医師や看護師が関わる大きな活動になった(2015年目標)。渡航費や滞在費など一切支給しないのに、日本での医療に限界を感じて途上国医療に飛び込んでくる人も多い。それはアジアの国々だけでなく、日本にも大きな恩恵をもたらすのだという。吉岡さんに聞いた。

「わずか1時間、わずか20年のずれで運命が変わる」

yoshioka

――医師を目指したきっかけは。

僕は昭和40年生まれなんです。ちょうど戦後20年。大阪の生まれなんですけど、家に行くのに国鉄の駅を降りて地下道をくぐって外に出る。この地下道に、ずらっと、物乞いの人が座っていた。半分ぐらいは、傷痍軍人の格好です。手足が戦争で失くなって、ゲートルを巻いていました。小さいながら、ただならぬ雰囲気を感じていました。小・中・高校時代、中国は文化大革命で栄養失調だらけ、韓国は軍事政権、カンボジアは大虐殺と内乱。わずか飛行機で1時間、わずか20年という時間のずれで、人の運命がこれほど変わるのかと思ったんです。これは僕にとっては単なる偶然でしかなくて、今、20年前の日本人のような状況の人がたくさんいるわけだから、この人たちに何かしたいと思ったわけですね。当時はインターネットがないから、そういう環境の人のために何かするのは、医者しか思いつかなかったんですよ。結局それが、現実にやろうとしたことの原点になっていると思いますね。

――戦後20年、20年のずれといった思いが、その後、医師になった吉岡さんをミャンマーへ向かわせたんですか?

ミャンマーに行ったのは偶然です。僕が行ったのは戦後50年ちょうどの1995年ですけど、ミャンマーはビルマ戦線で日本人がたくさん亡くなっている。その慰霊団の人たちが、高齢化でもう長く続かないから、何か集大成のようなことをしようとしたんだと思います。「失われた命が、次の命に変わっていくような活動を」と依頼して来られて、僕が行くことになったんです。

「思いに賛同してくれる人は世の中にたくさんいるはず」

(C)ジャパンハート

――一言でいうと簡単に聞こえますけれども、実際にはものすごい高温の中で、医療器具もままならないような経験をしてこられたと。

大変は大変だったんですよ。けど、50年前の戦争で、ミネラルウォーターもない時代にやってきて、殺し合いしないといけなかった日本人に比べて、自分は楽だなと思ってやってきました。ただひとつ言えることは、僕は自分が来たくて来ています。自分だけ大変と思ったことは一度もないんです。ミャンマーに行って日本と比べても意味がないですから。僕にとって大切だったのは、この現実をどう自分が理想とする環境に持っていくか、その1点だったんですよ。

――資金面はかなり大変だったのでは。

最初やり始めたとき、僕が医者になってから貯めたものしかなかったんです。このお金がなくなったときが、僕が医療を辞めるとき。だから、この医療を続けるために、いわゆる爪に火を灯すような生活をしました。糸や針も安いものを買ったり、質が悪くてもパキスタン製の器具を買ったりしました。自分の足で買いに行き、自分の目で見極め、自分が医療をするわけです。何らかの方法で、そのお金が途切れるまでに、お金や人を入れなければならない。時間との勝負でした。

――でも、その活動を理解してくれる方はやっぱりどこかにいたと。

自分のやっていることや、自分の思いに賛同してくれる人は世の中にたくさんいるはずなんだけど、知らなければ賛同できない。僕はもし、あと数年早く同じ試みをしてたら、確実に失敗していたと思うんです。

「いろんな苦労は、自分自身のための苦労」

(C)ジャパンハート

――そうですか?

僕がなぜ、曲りなりにも生き延びてきたかというと、たったひとつ。インターネットの発達だったんですよ。ミャンマーの田舎で医療活動をやりながら、情報発信できたんです。日本に仲間がいるわけじゃないし、あの時代に僕のことを知っている日本人なんか誰もいない。僕より前に始めた人たちは、一旦中断して日本で講演会をしたり、広報活動したりしてお金を作って、あるいは自分で働いて、お金を稼いでもう一度現地に行って、またなくなったら日本に帰っていたんです。これはもう時代なんですよ。時代に助けられたんです。

――社会の役に立つ、素晴らしいことをしていますが、「なぜ、そこまでするのか」とも思います。

僕は自分のためにしていますから、それ以上でもそれ以下でもないんです。彼らは確かにかわいそうな人たちだけど、多くの人は放置する。僕は別にそれを責めたりはしない。だけど僕はあの現状を見て、何とかしなければならないと自分が思うから、そこにとどまってやっている。いろんな苦労は、自分自身のための苦労であって、彼らのための苦労ではないんです。だから長く続けていくことができるんです。人は所詮、人のための苦労なんか長く続かないですから。スタッフにとっても、自分がやりたいから来て、ここで自分の存在価値や生きがいを見つける。患者たちは自己の存在価値を再認識させてくれる存在なのです。患者に感謝してもらうのはお釣りですね。

「みんな安っぽいお金で、自分の価値を売り飛ばしている」

(C)ジャパンハート

――スタッフの方も最低2年は無給、渡航費と宿泊費、食事も自己負担。それでも500人以上の医師や看護師が来ているんですか。無報酬で来るのは、勇気がいると思うんですが。

僕の考え方はまったく逆で、無報酬だからいいんです。例えば労働対価として10万円を受け取れば、どんな素晴らしいことをやっても、自分のやったことは10万円の価値しかない。でも、もし報酬をお金で受け取らなければ、お金で測れない価値になるんです。みんな安っぽいお金で、自分の価値を売り飛ばしている。僕はもったいないことだと思っているんですよ。

――相当迷って来られる医療関係者の方も多いでしょうね。

そうですね。びびってね。人間は自分の力が相対化されていない世界ではびびるんですよ。医者や看護師になって10年やってきたけど、同じ病院でしか働いたことがないから、技術や知識が外で通用するのかわからない。だけど英語と一緒で、通じなければそのうち通じるようになるし、初めてそこで自分の実力を相対化できる。でも、井の中にいる限りは永遠にわからなくて、ただ得体の知れない恐怖にさいなまれているだけ。一歩踏み出すのに、エネルギーは要ります。でも越えてしまえば、エネルギーは要らない。

――それは、聴診器ひとつで最初にミャンマーに乗り込んでいったときの…

僕も最初行ったとき「本当にできるかな?」と思いましたよ。まあ若かったし、何も知らなかったから行けたんだと思います。

「時間の価値を知れば、人は動き出すことができる」

(C)ジャパンハート

――「私、支援に行きたいんだけど上司も反対するし、お金も心配だし迷っているんです」という人が、いっぱい来ると思うんですが、どう背中を押したり、あるいは突き放したりしているんですか?

本当に知恵のある者は、時間の価値を知る人間なんです。時間の価値を知れば、人は動き出すことができる。例え大金持ちでも、時間の価値を知らない人間はお金を永遠に稼ぎ続けて一生を終える。その時間の価値を知ることだと思いますね。

もうひとつ、多くの人は自分の人生を他人に乗っ取られているわけです。例えば病院で働いていても、朝9時に出勤して、病棟に集まって、会議をして、仕事をして…ほとんど他人が決めたルールでしょ? 高校に3年行って、大学に4年行って…人生で、どれほど自分でその選択をしたかと言えば、ほとんどしていないんですよ。言ってみれば囚人ぐらいの決定権しか与えられていないんです。その対価として牢屋に入る代わりに、1カ月に何万から何十万と給料をもらっている。40年も刑務所につながれて、保釈金という貯めた貯金と、刑務所の中で労働した賃金ぐらいのお金を、退職金としてもらって、残りの人生を生きていく。やりたいこと、正しいと思うことをやりたいときにやれるような人生を生きてみたら、恐らく生き方が変わるでしょう。

――お金に替えられない喜びは、医療従事者ならではかもしれないですね。

医療者は、これだけ不景気だった時代もずっと、売り手市場だったんですよ。どこの病院も人手不足で、明日から就職したいと言えば就職できたんです。そこにブーたれながら、自ら同じ病院につながれている情けない人たちなわけです。本当にやりがいを持ってやっていればいいですよ。でもブーたれながらやるなら、いないほうがいい。医療者を取り巻く環境が最高潮の時代に、この優位な状況をもっと利用すればいいのに、と思うんですよね。

医療者の原点を思い出すということ

(C)ジャパンハート

――その経験は、日本の医療の現場にどうフィードバックできるんでしょう?

僕らの場合、医療者が必ず帰るときに言うことがあります。「なぜ医者になったか、なぜ看護師になったか、原点を思い出しました」と。日本の医療は今、患者との関係がギクシャクしています。とにかく医療者は訴えられないように、そのために使うエネルギーが多大です。患者はミスされるんじゃないかといつも監視している。日頃やっていることは自分の身を守ることばかり。

医療は今やもうビジネス。いつしか「患者様」と呼ぶようになり、「サービス、サービス」と言うようになった。その割には医療者がサービス残業で長時間拘束されている。以前は国がやっている社会福祉事業の側面が強かったからまだ許されたけど、今やサービス業。そこのギャップが仕組みとしてまだ埋まっていないんです。だから医療者はかつての社会福祉事業を押しつけられている。

みんな疲れて、何のために医者や看護師になったのか忘れてしまうんですよね。だけど海外に行くと、ただ治したい医者が来て、治してほしい患者がそこにいて、そこで発生するのはもう善意の交流しかない。患者は感謝して喜んでくれる。「ああそうだった、私はこうやって患者さんに喜んでもらいたくて、医療者を目指したんだ」と思い出す。もう一度、患者のために働こうと思って帰っていくんですよ。そういう人が1人でも職場にいたら、みなさんが病気になったときも、みなさんの人生に興味を示して、同情もしてくれる。素晴らしいことじゃないですか。

「民主化で富裕層は増えるでしょう。しかし…」

(C)ジャパンハート

――ミャンマーはここ数年で情勢がかなり変わって、日本を含め各国から駐在員が押しかける時代になりました。求められているお仕事の現状や環境はだいぶ変わりましたか?

確かに中国と一緒で富裕層は増えるでしょう。だからといって、貧困層が医療を受けられないのは変わらないと思うんですよね。

ミャンマーの軍事政権はトップダウンだったので、僕らは誰にどんなスタンスでアプローチすれば許可が取れるか、秘密警察を安心させるためにどうしたらいいか、どこと常に連絡を取ればいいか、といったことを学んできました。それが民主化され、トップダウンでなくなってきた。今までこの人にいったら話がついたところが、それだけではうまくいかなくなる。秘密警察が張り巡らされているうちは、セキュリティーもかなり安全だったけれども、悪いことをするやつも出てくる。するとセキュリティーの強化も必要になる。あの国もまだまだ変わるし、彼らに合わせて自分たちも動いていかないといけないんです。

――ラオスなど、別の地域にも活動を広げています。

ラオスもカンボジアもミャンマーもそうですけど、なかなか医療が貧困層に行きわたらない。乳幼児死亡率が高いから、意義を感じましたね。あとはそれに追いつくような資金や、人材面の調達ができるかというバランスだと思います。

吉岡さんは5月15日、アジア各地で活躍する人材を支援するNPO「ABROADERS」の講演会で、途上国医療を始めた思いや、当初の体験談、世界に出ていくことの意義などを語った。(講演録を6月7日に配信予定です)

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今年の4月、カンボジアの田舎町、チューンプレイ病院で診療をしていた時、一人の男の子が父親に連れられてやって来ました。

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