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苦境で耳を傾けた「感性の声」 吉岡秀人さんが格闘した途上国医療の現実

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japanheart.org
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ミャンマーやラオス、カンボジアなど途上国での医療支援を続ける「ジャパンハート」代表の医師、吉岡秀人さんは、医療事情の劣悪な途上国で、無償の医療を提供し続けてきた。

5月15日、アジア各地で活躍する人材を支援するNPO「ABROADERS」の講演会で、途上国医療を始めた思いや、当初の体験談、世界に出ていくことの意義などを語った。

苦境に陥ったとき耳を傾けた「感性の声」

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人間は、生まれたときから、大人が持つすべての病気を持って生まれてくる可能性があります。この子は腸閉塞の赤ちゃん。肛門がないから腸が破れて腹膜炎で亡くなるか、吐いて脱水になって死ぬ。母親とおばあちゃんとお父さんが満員のバスに乗って8時間、地元の病院で診察してもらうと「ここでは診られない。もっと大きな街に行きなさい」と言われます。

それからまた5時間、診察を受けて「手術をしないといけない」と教えてくれる。ところが必ず「いくらもらえる?」と聞かれます。普通の村の人は払えません。普通は村に連れて帰って静かに死を待ちます。たまたま、医者が呼びとめて「日本の医療チームが今来ているから、一度行ってみたらどうか」と言われてここへ来たんです。

人工肛門は15分ぐらいの手術ですが、たった15分の手術が受けられずに死んでいく子どもたちがたくさんいるんですね。医療も0と1が全然違うという現実とずっと僕は戦い続けてきたんです。

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当時のミャンマーは本当にひどい時代だった。薬もなければ保険もない。1日一生懸命働いて日本円で50円ぐらい。借金して僕のところにやってくる。僕は毎日、朝の5時から夜の10時まで診ました。こういう子どもたちが僕のところに毎日来る。ところが、ようやく本当に助けたかった子どもたちを目の前にしたのに、手術する場所も、道具もない。医者は僕1人。申し訳ないけど帰したんですよ。その残念そうな姿を見送らないといけない。

諦めようかと思ったんですけど、ふと、天の声が聞こえたような気がしたんです。「よくここまでたどり着いた。で、これからお前はどうする」と。やろうと決めた瞬間から、人間は吹っ切れる。手術道具もひとつひとつ買い集めて、6カ月後に手術にこぎつけました。人間、やらなければならない強烈な衝動に近い思いが来るときがあります。これを僕は、感性の声と呼んでいます。そのときの現状を突破する正解かどうかはわかりません。でも、この感性の声こそが、自分が今出せる最高の答えだということです。

「出会いにすべてのエネルギーを」

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これは13歳の女の子、口唇裂の患者です。こんな顔だから学校に行かない。教育の機会も奪われる。このままだと結婚できません。性格も暗くなります。お父さんお母さんを手伝って、年老いて死んでいく。だけど治療を受けて普通の顔になったら、まず学校に行きたくなる。次に結婚して、子どもたちを産みます。その子供たちに囲まれて死んでいく。絶対に違う人生が待っているんです。

もし治療ができたら、この世に生まれるはずのなかった命がこの子から生まれてきます。命を助ける作業ではないけど、命を生み出す作業なんです。患者の人生をよくする作業こそが医療の役目だと自覚したんですよ。日本では形成外科医がやる手術ですけど、僕は見たことがなかった。でもこういう子どもたちが大量にやってくる。

首都ヤンゴンにバスで15時間かけて行って、インターネットがないからすべての書店を当たって、1冊だけ外科学の本を見つけた。全2052ページの中で1枚だけ、この手術の挿絵が載っていたんです。このたった1枚の挿絵を頼りに手術をしました。今は恐らく、僕は日本でいちばんこの手術をやる人間だと思います。

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この子はもう他の病院では手術してくれない。僕が診たとき、あと3カ月ぐらいかなと思ったんです。急がないといけないけど、麻酔医がいないし、引き受けてくれる現地の麻酔医もいなかった。数か月後、死んだことを確かめに行かないといけないと思って、探しに行ったんです。そうしたら家のいちばん奥の籠で寝かされて、動けなくなっていました。

とにかくね、臭いんですよ、ウジが湧いて、体重20キロのうち、2キロは腫瘍に変わっています。この子を助ける方法は、海外に連れて行くしかない。日本に連れて来ても手術代が1000万ぐらいかかる。この頃は僕が貯めたお金が全てで、1日でも長く、1人でも多く医療を届けようと、節約して使ってきた。この子に1000万円使ったら、もっと早く僕の医療が終わる。

当時は軍事政権で、パスポートを取るのに6か月かかった。ましてミャンマー政府は「ミャンマーの医療は遅れていない」というスタンスだった。ミャンマー政府と揉めたら、もう僕らは医療活動をできなくなるかもしれないと思たんです。

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一方で僕はずっと、医療は一期一会と思ってやってきたんです。その出会いにすべてのエネルギーをかけなければならない。この子を見捨てて、明日からの医療に意味があるのだろうか。目の前にいるこの子に、自分ができる限りの医療をするべきじゃないか。だからもう追い出されてもやるしかないと思ったんです。

次の瞬間には「あなたの子どもを日本に連れて行きます。助かるかどうかわからないけど治療をしましょう」と言いました。手分けして、ビザやパスポートを取って、わずか1か月で連れ出すことができました。邪魔すると思っていたミャンマー政府も警察も、すべて協力してくれたんです。

日本に来て僕が病院を探したんですけど、僕が大学にいたときの教授が病院の院長になっていた。そこで手術をしました。終了後に院長に食堂に呼ばれて「君いくら払える?」って聞かれたので「いくらでもいいですよ」と言ったら、指3本パッと立てました。

「ありがとうございます。300万でいいんですか?」と言ったら、「いやいや、30万」と。「CTスキャンもMRIもテストで何回も回す。手術も特別な給料は払わなくていい」と言われたんです。で、僕も破産せず、ミャンマー政府からも追い出されずそのまま医療を続けてこられた。

今この子は、結構勉強ができて、学校で1番になったりするようです。

「20年前は変態扱い。時代が進歩した」

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長くやっているといろんな問題に気付き始めます。タイ、ミャンマー、中国は麻薬の栽培地帯でしたが、近年それが禁止され、住民は生活ができなくなった。大人は労働者になって、タイや中国へ行ってエイズになって帰って、みんな死んでいく。残されたのはおじいちゃん、おばあちゃん、孫。女の子は「お手伝いをさせる」と言われてブローカーに連れて行かれて行方不明になり、12歳で売春婦にさせられ、エイズになって行く場所がなくて、最後は施設に入れられて死んでいく。何とかしないといけないと思ったんですね。

好きなことが勉強できて、手に職を付けて、自分の兄弟を養える収入を得られるような施設を、2009年の終わりごろヤンゴンに造りました。ずっと国境を回って「海外の人に預けるんだったら僕に預けろ」と言ったら、新しいタイプのブローカーかと思われましたが、最初28人の子どもたちが僕に預けられました。この中には虐待を受けている子もいます。様々な事情で教育を受けられない子どもたちが日本人に預けられます。僕の人生にとって大切なのは、やるかやらないか。結果、悲劇を220、230消すことに成功したんです。

3年前、日本で外科学会の総会が開かれ、海外で活動する日本の外科医が8人呼び戻されました。その1人が僕でした。20年前、途上国の医療をやりたいと言ったら、完全に変態扱いでした。医者は大学を卒業したら医局入るのが当たり前。

外国に行く人はアメリカなど先進国。途上国で医療をやりたいと言ったら「日本で働けなくなるよ」と言われ、みんな潰されたんです。ところが一番大きなセッションで基調講演して、最後に「途上国の国際医療に興味ある人いますか?」と言ったら、全員手をあげました。かつて邪魔していた偉い人たちもみんな。僕のやっていることは20年前も今日もまったく一緒なんです。時代が進歩しているんですね。

これから多くの人がアジアに出ていきます。そして日本には大量の外国人が入ってきます。日本は自らアジアに繰り込まれることによって生き延びていく。そして、日本の真面目さと勤勉さを持った労働力は、必ずアジアのためになるしアジアで重宝される。どれほど日本の看護師たちがアジアで喜ばれているか、目の当たりにしていますから、決定的にその差がわかっています。そしてアジアに大量の日本人が出て行きますから、その人たちを日本に逆輸入して、日本を復活させていくのが、僕らの仕事だと思うんです。

「今の日本、若者に夢と希望はあるか」

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僕は1995年、ミャンマーに行きました。慰霊碑がいっぱい建っています。大きな慰霊碑には無数の日本人の名前が刻まれています。今の僕の子どもみたいな年齢の人たちです。結婚したばかりの人も、生まれたばかりの乳飲み子を置いてきた人も、たくさんいましたよね。もしこの人たちの思いをひとつにまとめたら、どんな言葉になるんだろうと思って、慰霊碑の前に立ち続けたんです。そしたらあるとき、僕の中にふっと湧いて来た言葉がありました。

それは「日本のことをよろしく」でした。1995年の日本は、この人たちの死に報いるような国になっているのかな。若い人たちは夢と希望を持っているのかな、と思ったんです。だから僕は、たくさんの日本人をここに連れて来て、もう一度鍛え直して日本の社会に送り帰しているんです。

これからTPPが結ばれて、誰もが最高の医療を受けられなくなって、死んでいかないといけない時代が来ますが、「医療とは何なのか」「患者の心を救わないと意味がない」と、いろんなことをわかってくれた医療者が、みなさんの人生、心、病気に思いをはせてくれて、その人に心救われて死んで行けるとしたら、素晴らしいことですよね。

アジアに散らばって活躍しているみなさん、これから日本の若い人たちがたくさん来ますから、しっかり面倒を見てやってください。チャンスがあれば日本に送り返して、かつては死んで帰ってこられなかった人の分まで活躍してくれるようにして頂きたい。日本で働いているみなさんは、是非日本の中で子どもたちも含めて、立派に生きていけるような役割を担って頂きたいと思っています。

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マカラ君の命を助けるためにご協力ください

今年の4月、カンボジアの田舎町、チューンプレイ病院で診療をしていた時、一人の男の子が父親に連れられてやって来ました。
彼の名前はマカラくん。7才の男の子で、小児腎臓がんでした。
顔が黒っぽく、痩せているのにおなかはパンパンに腫れ上がっていました。

診察を行ったJapan heart代表の吉岡秀人医師は、このままでは余命数ヶ月、すぐに日本で手術することを決断しました。
マカラ君の腎臓の中には、ウィルムス腫瘍という悪性の腫瘍があり、以前カンボジアの病院を診察しましたが、高額な薬代を支払えず、その時に村の人に借りたお金で家計も限界です。
Japan heartは今、来日手術に向け急遽準備を始めました。
私たちカンボジアスタッフは、マカラ君の来日と日本での手術を実現するため、資金集めを始めています。
マカラ君の命を救えるよう、ぜひとも皆様のご協力をお願いします。
http://japangiving.jp/p/927

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