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映画「あん」で問いかけた「生きる意味」とは 原作・ドリアン助川さんに聞く

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ハンセン病の元患者と、中年のどら焼き職人の交わりを描いたドリアン助川原作、河瀬直美監督の映画「あん」が、ハンセン病というテーマを描いた作品としては異例のヒットとなっている。第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品に選ばれ、日本国内でも約150館で上映、世界45カ国でも上映が決まっている。

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物語は、罪を犯して出所し、借金を抱えながらどら焼き店で働く千太郎(永瀬正敏)の店に、年老いた徳江(樹木希林)がアルバイトを志願することから始まる。徳江が小豆に語りかけながらゆでる餡(あん)のおいしさに、店は評判となり繁盛する。徳江はハンセン病療養所に住み、所内で菓子作りを学んでいた。しかし店主は、徳江の曲がった指を見て仙太郎に命じる。「あの人、『らい』よ。やめてもらってちょうだい」。風評が広がったのか、店への客足は遠のき始める。徳江もいつしか店を去るが、千太郎と常連客の中学生ワカナ(内田伽羅)は、ハンセン病療養所に住む徳江を訪ね、交流を深めていく。

原作(ポプラ文庫)の筆者で、自ら朗読劇の出演者として全国を回る予定のドリアン助川さんに、作品を執筆した経緯や、映画への思いなどを聞いた。

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──原作はどういった経緯で生まれたのですか。

1990年代に「正義のラジオ ジャンベルジャン!」というラジオの深夜番組をやっていて、10代の中高生と生で話していました。よく俺が投げかけたのが、本当に青臭いんですけど「どう生きたら納得できるのか」ということ。たくさんの子が割と紋切り型に「社会の役に立ちたい」「人の役に立ちたい」「そうでないと生きている意味がない」と言うけど、俺は内心、何か隙がいっぱいある言葉のように思えたんですよね。

当時バンド(「叫ぶ詩人の会」)をやっていて、レコード会社の担当プロデューサーの子供が2歳で亡くなったんです。心臓に大きな病があって、病院から一歩も出られず、僕が誕生祝いに贈った小さな靴を1回も履くことなく、一緒に棺に入れられた。

その子の人生にどんな意味があるんだろうと思っていた頃、1996年に「らい予防法」が廃止されて、ハンセン病の患者たちの人生がメディアで浮き彫りになったんです。子供の時に発病して療養所から出られず、70歳、80歳になった人たちにも絶対、生まれてきた意味があるはずだし、「人の役に立たないと」という言葉の暴力性を感じたんですよね。ハンセン病の療養所を背景に、本当の命の意味を書こうと誓った。でも北条民雄さんなど、患者の手記を読むと、壮絶すぎて、心がやけどしたようになる。患者でもない人間が、無理かな、おこがましいかな、と、手が出ない状況が続いていました。


©2015映画『あん』製作委員会/COMME DES CINEMAS/TWENTY TWENTY VISION/ZDF-ARTE 配給:エレファントハウス

──何が転機になったんですか?

バンド解散後、ニューヨークに渡って別のバンドをやってたけど、2002年9月に日本に帰って来た。仕事はない。本を年4冊出しても、初版で終わっちゃうと年収200万円にもならないんだよね。子供の学費を払えるかどうか、ぎりぎりの生活でした。多摩川の土手にあるアパートで家族3人暮らしていて、あるとき気づいた。回りは高級住宅街だけど、俺には何もない。もう「所有する人生」なんて今後ないだろうという自由さ。「あっ、この多摩川は俺のものだ」。なんだ、世界ってもともと与えられてるじゃん。

地球外生命は見つかっていない、俺たちは宇宙でかなり孤立した存在らしい。ではなぜ生命が存在するのか。宇宙は認識する主体がいなければ消滅してしまうからという「人間理論」です。多摩川の土手を自転車で行ったり来たりしているとき、実感としてそれがわかった。

生まれてから死ぬまで椅子に座り続けて、花や光や鳥を、地球や宇宙や人生を真剣に受け止め続けた人生があったら、それは無意味ですか? 宇宙的にはあっぱれな人生じゃないか。療養所に閉じ込められてしまった人生でも、垣根を越える心を持って、月や木と話をする人がいたら、すばらしい人生じゃないか。「あん」のラストで、療養所内の木々が「よく頑張ったな」と徳江さんに語りかける、そのシーンから空想が始まったんです。

そして2009年2月に埼玉県所沢市で呼ばれたライブに、お年を召された男女3人が最前列にいた。終わって聞いたら、ハンセン病療養所の「多磨全生園から来ました」と言う。そこで初めて、本当の元患者さんたちと出会ったんです。「療養所に遊びにいらっしゃい」と誘われて行ってみたら、びびっちゃいました。手に穴が空いている人も、鼻がない人もいる。そこで森本美代治さんから、ハンセン病の歴史などを始め、いろいろ教えていただきました。


©2015映画『あん』製作委員会/COMME DES CINEMAS/TWENTY TWENTY VISION/ZDF-ARTE 配給:エレファントハウス

──どんなことを?

森本さんは中学生のときに発病して、療養所を転々とするんですが、岡山に日本で唯一あったハンセン病患者の子供の高校に入学するとき、客車でなく貨車に載せられて、広島駅で消毒薬を頭からかけられる。その後、東京の全生園に移って、12人の雑居部屋でしつけなど厳しく教えられた。その厳しく教えた人が製菓部のおじいちゃんだったんです。療養所は、火事になっても消防が来てくれない「ミニ国家」だから、手に職ある人が「国家」を支えていかなくちゃいけない。たぶん菓子職人だった方を中心に、患者さんの誕生日や盆と正月に甘いものをつくる「製菓部」という集まりをつくっていた。俺はその頃、パティシエの小説を書こうと製菓学校に通っていて、一般教養であんこも作っていたから、初めて「書ける」って思った。

森本さんがどうしても勉強したくて、消灯後に毛布をかぶって1時間だけ勉強するのを許されたこと、療養所を脱走して慶応義塾大学に入るんだけど卒業後に再発して、自ら療養所に戻って、その後の20数年は自殺することしか考えていなかったこと。そういう話をしてもらって、発見が相次いだわけ。ハンセン病の知識がほとんどない俺みたいな奴が、患者さんと出会うことで差別の歴史を知り、最終的にはハンセン病も関係なく、人間って、生きている意味って何なんだと問いかけられればいい、と思った。森本さんも「その方が広がります。患者のことは患者が書けばいいから」とおっしゃってくれました。

徳江さんの少女時代は「人間回復の瞬間」という、星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)の元患者、上野正子さんの手記からヒントを得ました。上野さんはお父さんに連れられて療養所に来て、お父さんが帰ってしまうんです。何度めげても立ち上がる少女のイメージができました。


©2015映画『あん』製作委員会/COMME DES CINEMAS/TWENTY TWENTY VISION/ZDF-ARTE 配給:エレファントハウス

──映画化はどういう経緯で実現しましたか。

単行本が2013年2月に出版されてから、角田光代さんや中島京子さん、その他いろんな方が書評を書いてくださって、あれあれ、という間に広がった。すぐにNHKが西田敏行さんと竹下景子さんで、ラジオで連続ドラマを6回やってくださった。

映画化のオファーもあったんだけど、聞こえないものを聞こうとする、見えないものを見ようとする人の物語。そんなものを撮れる人は河瀬直美さんしかいないと思った。2011年に彼女の作品「朱花の月」に出演させてもらったんですが、彼女は自分が書いた物語以外は絶対に撮らないんです。無理だろうなと思いながら手紙を添えて本を送ったら、1カ月後ぐらいに「号泣しました。私でいいんですか」と返事が来た。

執筆していた3年間、上野さんを精神的モデルにしながら、ビジュアルのモデルを樹木希林さんに書いていた。希林さんの「ずれ方」がすごく愛らしくてファンなんです。希林さんにも手紙を書いて本を送りました。河瀬さんも口説きにいってくれて「やりましょ、やりましょ」って言ってくれた。河瀬監督は奄美和光園の療養所に行って、「初めてわかりました。病んでいるのは囲いの外です」というメールを送ってきた。希林さんは上野正子さんにも会いにいってくれたし、クランクインの1カ月前から手を縛って生活して、ものすごく役に入り込んでくれた。

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2015年5月14日、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットに立つ、(左から)ドリアン助川さん、樹木希林さん、内田伽羅さん、永瀬正敏さん、河瀬直美さん。

──国際的な反響は大きかったですね。

2014年1月にスポンサーゼロでスタートした企画が、あれよあれよとスポンサーも決まって、2015年6月にカンヌのオープニングを迎えられた。生きている人間だけじゃなくて、いろんなものが後押ししてくれたような気がします。全員、壇上に上がってスピーチしましたし、すごい拍手が5分ぐらい鳴りやまなかった。希林さんが「拍手している人たち、手が痛いでしょ」と言って、舞台から下がっちゃったので終わりましたけど。カンヌから2週間で40カ国で上映が決まりました。

うれしかったのは、地中海にある小さな島、マルタの映画祭で作品賞と主演女優賞を取ったこと。まったく違う人種、文化で、審査員の満場一致。観客の熱気が後押ししてくれていた。たぶんマルタの人はどら焼きなんて見たことないだろうけど、人の命とは何かという普遍的なところで、河瀬さんの作品が伝わっている。徳江さんの気持ちが国境を越えたんだと思う。

時間の都合でカットされたシーンも多くありますが、幸せなことに、なぜ俺がこれを書いたのかを、監督と俳優陣が完全に理解してくれているので、シーンの数は減っても違和感はない。完全版は朗読劇でやっています。中井貴恵さん演じる徳江さんはまた違ったよさがあります。全国を回って公演するつもりです。


©2015映画『あん』製作委員会/COMME DES CINEMAS/TWENTY TWENTY VISION/ZDF-ARTE 配給:エレファントハウス

──千太郎が働く「どら春」は、ハンセン病患者が働いていると噂が立ってお客さんが減っていきます。そんなことが、今の日本であるのかとも思いましたが。

それはね、多磨全生園のある東京都東村山市は今「あん」で町おこししようと動いてくれているんですが、あの場面が「それが東村山だってことになる」と反対の市民もいるんです。でも市長は「じゃあこの町に差別はないのか」と言ってくれた。

「らい予防法」が廃止されて十数年経つけど、入所者や納骨堂の骨はまだほとんど故郷に帰れていない。受け入れてもらえないんですよ。それが何よりも現状を語っています。本を読んだり、映画を見たりした方から「指が曲がった人がどら焼きを作ってたら、その店に私は行きません」というメールも来ます。日常的に接すれば、何ということはないんですけどね。誰だって鼻が取れた人を見ればショックを受けるけど、たくさんの経験や、学んだことで、屁とも思わなくなることも立派な教養だと思うんだよね。

──2015年にこの作品が広く受け入れられる意味って何でしょう。

NYでマンハッタンに住んでいて、2001年9月11日の同時多発テロを目の前で見たんですよ。アメリカがどう戦争に向かっていくか、つぶさに見た。アフガンやイラクに行く連中を、ブッシュ(大統領)は「選良」と呼んだ。良き市民が正義、自由のために勇敢に戦うと。日本でも「社会のために」がいつ「国家のために」「役に立つ、これが正義」となるかわからない。もう寸前まで来ていますよ。たかだか100年の人生で、誰のものでもない小さな島のために命を捨ててどうしますか。そんなところが伝わっているのかもしれませんね。

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