「ヘイトスピーチの被害者をきちんと映し出さなければ」 安田浩一vs.松江哲明【対談】

自伝的ドキュメンタリー映画「あんにょんキムチ」が高い評価を受けた、在日コリアン3世の映画監督、松江哲明さんと、『ネットと愛国』『ヘイトスピーチ』の安田浩一さんが対談した。

「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のデモなど、日本でもヘイトスピーチ(憎悪表現による差別扇動)が社会問題化して久しい。

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社)で、街頭で差別発言や扇動を繰り返す人々の存在をクローズアップしたジャーナリストの安田浩一さんは、2015年5月発行の新著『 ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書)で、差別への怒りと、差別する人(レイシスト)と戦う姿勢を前面に押し出した。前著での「彼らは何者なのか」という問いかけから、「怒りを伝えて、社会的に共有したかった」と話す。

一方で差別を受ける当事者は、拳を振り上げて正面から戦う人ばかりではない。同じ社会の構成員として、どう向き合うべきなのか。1999年、自身や家族のアイデンティティーを見つめた自伝的ドキュメンタリー映画「あんにょんキムチ」が高い評価を受けた、在日コリアン3世の映画監督・松江哲明さんと、安田さんが対談した。

安田浩一さん(左)と松江哲明さん

──『ヘイトスピーチ』が5月末に刊行されました。『ネットと愛国』と比較しても、安田さんがヘイトクライムへの旗幟を鮮明にされていて、読後感も重いものがありました。読者からの反応はどうですか?

安田:まず圧倒的に多いのは罵倒、罵声。僕の場合は本を出すたびにつきものですが、読んだ人も読んでいない人も「おまえの一方的な主張だ」と言われる。立場を鮮明にすることを好まない人もいます。僕は彼らを肯定したつもりはないんだけど「加害の対象者に寄り添っていない」という批判や、「怒りしか見えてこないし、ルポとしての奥深さがない」という批判は当然来ています。

それから、被差別の当事者からは「読むのが苦しかった」という人が圧倒的に多いです。「思い出すたびに夜も眠れなくなった」「いろいろな風景や言葉を思い出す」という反応はありました。僕自身も予測していたし、何のためらいもなく書いたわけじゃない。逡巡と、迷いと、いろんなものを振り切って書いた部分は確かにあります。

今回、新書の編集者には、今までの読者と違う層を考えてほしいと言われました。オファーを受けてから2年もかかってしまったけど、まだ「ヘイトスピーチって何?」という人もいれば、ヘイトスピーチというものを誤解している人もいる。たとえば単なる罵倒、罵声を「ヘイトスピーチ」と呼んでいるマスコミ人がめちゃくちゃ多い。そういった人の顔をイメージしながら、現状を見せたいという思いはありました。

──松江さんは、Twitterで感想をツイートしています。

松江:僕にとってはすごく力になる、安心できる本でした。変な言い方をすれば「やはり差別をするような人間はこの程度なのだ」と分かると同時に、安田さんのような書き手がいてくれる、ということが。と同時に、僕が帰化しているとはいえ在日3世として、1999年の「あんにょんキムチ」を今作れるだろうかと考えてしまいました。

あの頃はちょうど日本では韓流ブームの始まりで、撮影で訪れた韓国でも日本文化が解禁され始めた頃だったんです。それまで「在日」というと、必ず強制連行や従軍慰安婦の話から始めないといけなかったのが「僕のおじいちゃんは」という話から始めた。僕自身のアイデンティティーの問題を「今までの世代と僕らは違う」ということを自覚的に描けたし、それが新鮮だという評価も頂いた。

一方で、僕は社会問題というより映像を撮りたいので、以後、出自についてのドキュメンタリーは撮っていないんですが、安田さんの本を読むと後ろめたさを感じるんですよ。「自分にはどんな表現をするべきなんだろうか」と。たとえば僕やほかの人が、もっといろんな視点で描くべきことなのに、まだまだ担い手がいないんじゃないか。そして僕は関われるのか、と考えました。一方で、そうじゃない人もいるだろうし。

松江哲明(まつえ・てつあき)1977年、在日コリアンの父と母の間に生まれる。1983年に日本国籍を取得。1999年、「あんにょんキムチ」が山形国際ドキュメンタリー映画祭でアジア千波万波・特別賞&NETPAC(最優秀アジア映画)特別賞受賞。その他、映画「童貞。をプロデュース」(2007年)、「フラッシュバックメモリーズ 3D」(2012年)、テレビ「極私的神聖かまってちゃん」(2011年)、「山田孝之の東京都北区赤羽」(2015年)など。

──そうじゃない人とは?

松江:僕もデモに誘われるわけですよ。「カウンター(ヘイトスピーチのデモに併走して抗議する行動)に来てください」と。でも行けない。

安田:あえて聞くけど、松江さんが距離を保ちたいと思うのはどういう気持ち?

松江:うーん…。震災後、僕は福島に行くのも嫌だったんですよ。それに近いかもしれませんね。行ったら冷静でいられる自信がない。デモに行くとしても誰かに誘われて、というのはないと思います。自分のタイミングで参加したいです。

安田:差別に胸を張って拳を振り上げて戦っている人はごく一部に過ぎなくて、振り返ってみたら、僕の古くからの在日の友人は誰も運動に参加していない。「たかだか5、6人がやってるんだろ? 自分は差別って受けたことないから」と、みんな口ではそう言う。そう言うしかない。それ自体、言葉も表現も奪われて、沈黙を強いられて被害を受けていると思っているけど、避けて通りたい人の本音にきちんと答えているのか、常に思うところです。

松江:僕は日本人に生まれたかったと思った時期もあったけど、この国でマイノリティーとして生きてきたから、出会った人や作品を通じて自分自身の強さにするしかなかった。「あんにょんキムチ」は、自分が在日コリアンであることが恥ずかしいとか、後ろめたいとか思っていたことを映像で表現してみたら、そうでなかったというギャップが面白かったと思うんです。過敏に「韓国」というキーワードにビクビクしていたときの自分。そういう人はたぶん今すごくいると思いますね。

安田:僕と松江さんの違いって何かというと、自分の出自を考えなくていい人と、考えざるを得ない人の違いですね。松江さんは1999年の時点で、考える方向に踏み込んだわけですよね。それが「あんにょんキムチ」の最後のシーンに凝縮されている。松江さんの様々な親族に国旗を持たせますよね。妹さんがためらいもなく日本の国旗を揚げるし、アメリカの国旗を持つ人もいる。出自を考えざるを得ない人の中には、考えざるを得ない中での多様性があるんだと改めて思ったわけです。

■「一部のバカがやっていること」と言われ続け…

安田浩一(やすだ・こういち) 1964年生まれ。週刊誌記者などを経てフリーに。主に事件や労働問題を取材し『外国人研修聖殺人事件』などの著書がある。2012年、『ネットと愛国』(講談社)で第34回講談社ノンフィクション賞受賞。2015年には「外国人『隷属』労働者」で第46回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。

安田:僕がこの取材を始めたのは2007年、在特会が出来た年です。たまたま外国人実習生を取材していたら、彼らの労働裁判に奴らが来て「支那人帰れ!」とか叫ぶわけです。ところが追いかけてみると、主要な敵は在日コリアンだとわかってきた。ネットで調べて彼らが集まりそうな場所に足を運び、その風景を見続けてきたわけです。率直に言うけど「ネタになる」と思った。僕が知っている右翼や民族派の世界とはまったく違うし、僕は当時、ネットをまったくやっていなくて、2ちゃんねるの世界も知らなかったから、驚きは一般の人以上でした。

知り合いの週刊誌編集者、新聞記者、テレビの制作会社やテレビ局本体の人に話を持っていったけど、全部断られた。媒体の立ち位置が右でも左でも関係なく「一部のバカがやっていることだろう。いずれ消えてなくなるよ。ムーブメントとしてとらえても仕方ない人々だよ。ほっときゃいいんだよ」と言われ続け、何年間か記事を発表することはまったくできなかった。だから取材という形ではなく、見学に近いスタンスで彼らの集会やデモに足を運び続けたんです。

テレビ局の記者からも聞いたんだけど、ヘイトスピーチに関する企画って、実はかなり早い段階で「あの絵を流せない」と、何度も没になっているんです。「差別用語が含まれているから」「不快感を催す人がいるだろうから」という指示が、内容を見ずして機械的に上層部から降りてきた、という人を何人も知っている。そこで制作そのものを止めてしまうことには、違和感を持たざるを得ない。

2013年6月30日、東京・新宿

松江:なんで他の人はやろうとしないんですか? 売れないから?

安田:いちばん簡単な理由は、面倒くさいからだと思う。蓄積が必要で、常に取材して発信しないといけない。僕は何か言われたところで痛まないけど、普通のライターだったら心が折れる人もいるだろう。それから、確実に売れない。新書にもなったし賞ももらったけど、まだまだヘイトスピーチという言葉自体でお客さんを集めることはできない。もともとノンフィクションが売れない中で、一人のライターの生活を抱えるほどには売れない。これは編集者もはっきり言っています。労多くして実入りは非常に少ないですね。

正直に言うと、2009~2010年ごろに、僕も「もういいだろう」みたいな気持ちにはなっていた。ひょんなことから、興味を持った編集者に「これをやるべきだよ」と言われて今に至るんだけど、今振り返ってあのとき「一部のおかしな人だ」と言っていた記者も編集者も、あるいは僕自身も、見ていなかったものがやっぱりあった。僕らが見ていたものは加害者の姿だけ。見た目も変だし、おかしいし。だから面白いと思った。見る力量がなかったと思うんだけど、被害者を見ていなかった。5人のデモだろうが、100人だろうが、そこから何かが壊れていく。それは確実に被害者を生むんだということに、あとで気づいた。

やがて社会的な圧力や盛り上がりもあって、マスコミ各社がこの問題を取り上げるようになった。それは悪いことじゃないと思う。でも僕はどうして、もう少し早く「ヘイトスピーチは奇矯な加害者の姿が問題なのではなく、被害が出ることが問題なんだ」と主張できなかったんだろうと後悔しています。それから、被害をきちんと映し出して世の中に理解を得るために、どんな描写が必要なのか。これは僕にとっても結論が出ない問題として残っています。

松江さんの映画は、あえてそういう結論を求めていないですよね。僕は「あんにょんキムチ」は今だからこそ見て新鮮なんですよ。「おまえ『在日』って簡単に言うなよ」という気持ちになってくるんですよ。

松江:今でも上映するとお客さんが割と来てくれるのは、普遍的なことを描けていたからだと思うんですよ。外国で上映してもみんな分かるのは、移民の話に見えるからですね。○○系アメリカ人など、自分の出自を考えるのは自然なことだから。その後に話題になった「GO」「パッチギ!」を見て、ああ、もう「在日」というのは普通の青春映画になったんだと思いました。

■怖いのは利用する人、許容する社会

松江哲明監督「あんにょんキムチ」(1999年)の一場面

安田:在日が政治的文脈を離れてエンターテイメントとして成立した時期ですね。そういうのを松江さんは同時代的に見てこられたわけだけど、「ヘイトスピーチ」というものを意識したのはいつごろですか?

松江:いつだろう…。たぶんTwitterだと思います。ブログやってたころも露骨な偏見はありましたけど、実は僕、鈍感なんですよ。「相手にしなくていいや」と思うので。

そういえば、ヘイトスピーチされたことあります。東京都大田区の人権講座で「あんにょんキムチ」の上映会を依頼されたんですが「こいつは『童貞。をプロデュース』というアダルトビデオを撮影した監督だ」と蒲田駅前でデモをやられた。それをネットで見てからですね。

情報が間違えすぎてることもあり、僕は、差別主義者個人ははっきり言って怖くない。それより怖いのは、それを利用する人、許容する社会です。デモの中心になっていたのが大田区議だったので、人権講座の担当者に電話したら「分かっちゃいましたか」「私たちも困っていて」と他人事のように言われて、ものすごくがっかりした。いざとなるとお役所は絶対に助けてくれないですね。「ああいうことをやる人は特別だから」とか、差別を表現の自由と認めてしまう社会には怒りを覚えます。

「ニッポン人は迷惑してんの。朝鮮人が生活することによって。お前らゴキブリホイホイやないか。な? ゴキブリー。何回でも言うぞ。ゴキブリ。ゴキブリチョンコを叩き出せ!」(中略)

なぜ、こんな言葉を発するのか、別の機会に尋ねたことがある。少年は「確かに下品だとは思いますが」と前置いたうえで次のように続けた。

「ここまで言わないと、誰も振り返ってくれないじゃないですか。一種の問題提起ですよ」

(安田浩一『ヘイトスピーチ』(文春新書)p.126-127より)

――ここに出てくる少年は、間違った危機感からやっているんですよね。一方で文春新書も、岩波新書『ヘイトスピーチとは何か』も、帯に「朝鮮人ハ皆殺シ」という同じヘイトデモの写真を使っている。誰もが触れてしまうカバー回りに、こうした過激な写真を入れるのはどうなのかという思いもあります。

安田:奴らがあえて「死ね、殺せ」とか、それ以上の言葉を口にするのは、本気で誰かを殺したいという願望以上に、ふざけ半分にせよ、みんなに見てもらえるからというのは、その通りなんだろうと思う。わざと露悪的に言って振り返らせる。僕たちメディアも、あるわけですし。

本の帯は、おそらくアイキャッチでしょう。岩波も文春も編集者が衝撃を受けたんでしょう。反発してもらおう、あるいは手にとってもらうためにどうしたらいいのか、あえてこれに結論を出したと言えると思う。

――そのとき「触れたくない」「近づきたくない」思いの人は、遠ざけますよね。

松江:遠ざけますね。うちの母親はまず、手に取らないだろうと思う。

――「メディアも露悪的な部分がある」とは、どういうことですか?

安田:特に週刊誌は定期購読者がいないから、タイトルはすごく重要。時に羊頭狗肉を繰り返しながら、手にとってもらわければ仕方ないだろうという世界でやってきたのは事実です。それをみっともないと思う半面、インターフォン越しに「帰れ!」と言われるためだけに何日も張り込むようなことを繰り返す中で、現場のリアリティーを少しずつつかんでいくという思いが僕にはある。

『ヘイトスピーチ』の取材だってほとんどそうなんです。たとえばこの中に登場する「ヘイト宮司」だって、簡単には会えていないわけです。アポなんて取ろうとした時点で断られるのは分かっている。行くまでずっと不在で、関西まで行って、肩すかしを食らって帰ってくる。会えたのは3回目だったかな。自己満足にしか過ぎませんけど、10万円近くかけて、たった一言取りに行った。「これ以上無理だろう」というところまでやるのがノンフィクションの世界です。

――彼らはなんだかんだ言って、メディアに取り上げられると喜ぶ。取り上げてしまうことで彼らの存在を世の中に認知させてしまうのではないかと思うこともあるんですが。

安田:確かに、あいつら「マスゴミ」とか言って毛嫌いするじゃない。でもたまに朝日とか毎日にインタビューされて、発言が載ったりすると自慢するわけ。批判的なトーンであっても。それに手を貸しちゃうことになるんだろうなという懸念は僕にもある。何も知らない人がこの本を読んで「在特会って面白そうだな」と、在特会に入っていく可能性だってゼロじゃない。

――それでも書くべきだと結論づけたんですか?

安田:いや、正直言うと、何一つ整合性がついたとは言えない。「奴らの知名度を高めてしまったかな」という罪の意識は若干持っていますが、僕が記事を書くことに「奴らを社会的に認知してしまう」という理由で反対していた人たちは、結局、被害すら報じていない。今も何もしていないし、何も書いていない。つまり傍観者であるためのエクスキューズだったんじゃないかという疑いを持っています。

僕は身近な人の顔をイメージしながら書くことがある。今回はヘイトや差別の問題にまったく無自覚な記事を書き続け、この業界で生き続ける同業者です。「大したことないだろう、安田さん、おまえもヘイトスピーチ気をつけた方がいいよ」と露骨に言ってくる記者、編集者の顔。「そんなことを言ったらヘイトスピーチの本質が見えなくなるだろう」という憤りが先走りながら、そのための表現として書いたんです。

■彼らは「そこら辺の人」

20代の一時期、私はさまざまな党派に出入りしたことがある。「生きた」左翼と出会いたかった。(中略)どうせ自分はこんな社会では、うまく立ち回ることができないのであれば、いっそ、社会なんて壊してしまったほうがいいと真剣に思った。私をそこに導いたのはマルクスでもレーニンでもトロツキーでも毛沢東でもない。世の中をブチ壊すことで、ダメな自分もようやく人と同じ地平に立つことができるのではないかという、一種の破壊願望だ。

だから、もしもそのとき――。私に差し出された手が在特会のような組織であったらと考えてみる。

よくわからない。よくわからないけど、その手を握り返していた可能性を、私は決して否定できない。意外とがっしり抱擁しちゃったりしたんじゃなかろうか、とも思ったりする。

(安田浩一『ネットと愛国』(講談社)p.361-362より)

――『ネットと愛国』では、エピローグで、ネット右翼の行動をご自身の過去の体験に重ね合わせていました。『ヘイトスピーチ』では、かなり反差別という立ち位置を鮮明にされていた。どのような変化があったのでしょうか。

安田:まず、この新書は、僕自身を語る所ではないと思ったし、もう「なぜヘイトの隊列に加わるのか」という心情を理解する時代でもなくなったと思ったんです。最初は右翼なのか左翼なのか、単なる遊びなのかも分からなかったし、理解する瞬間があってもよかったと今でも思っています。その過程で、差別は絶対に許せないけど、その隊列に絶対に加わらないという自信はあったのかと自問した。僕は対極の隊列にいたことがあったけど、社会主義、共産主義に共鳴して飛び込んだのかと言われれば、違う。思想は全然違うけど、たどりつく回路自体は似ているということを発見するため、自分語りをしたところはあった。

それから2~3年、その間も風景を見続けてきて、相手のしていることを止めるにはどうすればいいのか、と、僕の中での変化はありました。彼らは何者かと問われた場合「そこら辺の人」としか言いようがないわけですよ。日曜のデモになると、会社を休む人、一般の主婦らしき人、最近は中学生、高校生、大学生がいる。要するに、誰もがああいう隊列に入れるというだけの話。分析を必要とするなら、どうやって差別をなくし、奴らを路上から追い出すか。どうしたら社会を動かせるのかを考えた方がいいと思う。デモを止めるためには仲間が必要だし、規制を加えるという社会的な合意が必要だと訴える本が『ヘイトスピーチ』です。僕は、怒りを伝えて、社会的に共有したかった。

2014年1月19日、埼玉県川口市

松江:やっぱりレイシストを理解し、寄り添うのは不可能ですか?

安田:それも、歯切れが悪くて申し訳ないけど、今できるかと言われたら、できないです。そもそもレイシストであること自体に許容できる材料を見つけることができない。だけど彼らも社会の一員で、地域の中でともに生きていかざるを得ないとき、どうするかはきちんと考えないといけない問題。『ネットと愛国』は心情を理解しようとしたけど、寄り添ってその先に何があるのかとも思うわけです。寄り添うことで理解しあい「悪かった、レイシストやめるわ」という美しい物語があればやってもいいと思う。カウンターの中でも「レイシストを転向させる」という試みはやっていた。でもうまくいってないし、そこにすごく精力を注ぐよりも、デモを止めた方がいいだろうと。

松江:僕はレイシストの発言だけでなく、電車内でアジアを蔑視する見出しや中吊りを目にすることが出来る状況に嫌悪感を抱きます。書店で日本の文化を紹介する本と、ヘイト本が隣同士に並べられていることに怒りを覚えます。でもそう思わない人もいるし、それを自然なこととして受け止める社会がある。そのことに恐怖感を持つ人がいることを想像して欲しい。

安田:レイシストでない古典的な民族派に、24時間付き合ってルポを書けと言われたら、できるような気がするんです。ただ、レイシストたちを相手にはできない。なぜなら、ロジックというものを感じないから。知りたいといっても、意外と発見って少ないような気がする。僕と同じようなものを食べて、同じような音楽を聴いて、普通に仕事してるんです。政治的なものでなければ同じテレビ番組を見て笑っているだろう。決定的な違いは、差別を半分娯楽としてとらえている感受性だけ。それは僕には決定的なものなんですよね。

(司会は木瀬貴吉「ころから」代表と、吉野太一郎・ハフィントンポスト日本版ニュースエディター)

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