新国立競技場「やっぱりザハ・ハディドが必要です」元ゼネコン社員から見た混乱の原因

白紙見直しになった新国立競技場は、誰がどう造るべきなのか。この問題に詳しい元ゼネコン社員が考える、「混乱した理由」と「新国立のこれから」

2520億円という巨額の建設費をめぐって紛糾し、安倍晋三首相の政治決断により白紙見直しとなった国立競技場問題。見直し後のプランはどうなるのか。

「問題視されたコスト増の原因は、キールアーチを用いたその特殊なデザインにある」そうした政府見解に対し、白紙撤回されたプランをデザインしたイラクの建築家、ザハ・ハディド氏の事務所、ザハ・ハディド・アーキテクツ(ZHA)は「キールアーチやデザインに問題があったわけではない」と7月29日、全面否定した

なぜ工費が膨らんだのか。

「あまりにも建築業界の実態とかけ離れた議論が報道されている」――この問題の一連の報道について疑問を投げかけるメールが、記者に届いた。このメールの送り主であり、元ゼネコン社員として実務経験を持つ人物が、匿名を条件にハフポスト日本版の取材に応じた。(取材日:7月30日)

■「そもそも1300億円であの競技場は無理」

――あまりにも今の報道が実態とかけ離れている、とご指摘を受けました。そう感じる点はどこですか。

ザハ・ハディドのデザインのせいだけでコストが増えた、というのはひどい認識だな、ということです。問題はそこじゃありません。

――予算が膨らんだ原因はどこにあると思いますか?

そもそも、1300億円であの要件を満たすスタジアムを造るのは、ほぼ間違いなく無理ですよ。

――当初予算の1300億円というのが、要件の大きさに比べて無理筋だろうと。

そう。1300億という数字自体、「1000億くらいかかるだろう。そこに3割かけて1300億でやれればいいんじゃないか」その程度の認識で決まったものだと思います。坪単価130万円で、8万人に開閉式屋根に可動式座席、加えて大規模な屋内空間、あれだけの要件を詰め込むのはムチャです。

コンペで選ばれたハディド氏の原案。3000億円がかかると試算された

――JSCはちゃんと予算管理を考えていなかった?

ざっくりした予算を立てるには、坪単価に面積をかけて算出できます。当初計画では10万坪だったので、1300億だと坪単価130万円で建てることになる。

この坪単価130万というのがどういう数字かというと、「スタジアム機能だけならなんとか建つだろうな」というくらいのが私の肌感覚です。

たとえば、同じくらいの味の素スタジアムでも日産スタジアムでも、客席から出ると屋外になっていて、その空間に売店が並ぶ、そういう形が一般的ですよね。こういう形式なら比較的安くできるんです。みなさんが見たことのあるスタジアムの作り方です。

でも、新国立競技場はその観客席裏のスペースを室内にして、そこに商業施設やジム、さらに厳密な空調管理が求められる博物館を入れようとしていた。床と壁、加えて空調設備、その分の坪単価が跳ね上がらないほうがおかしい。ザハの当初のデザインのまま造れば3000億円、という試算が出ましたけど、正直、それくらいは絶対に必要だろうなあ、と思いました。

よく新国立と比較されるガンバ大阪の新スタジアム。あれは坪単価70万円くらいで、総工費が140億。なぜそんな破格に安い金額でできるかというと、それはちゃんと理由があって、あれは寄付を集めて作られたもので、予算が最優先の要件だったからだと思います。いくら「工期に間に合わせるためにもう何十億かかります」と言ったところで、お金を出す主体がないので、2倍、3倍にはならないわけです。追加投資はない前提で造られていますから、機能も形もシンプル。サッカースタジアムに最適化され、モジュールを組み合わせることで予算を下げたものです。それでも今の労務費、資材費高騰の流れの中で、坪単価70万、140億円で造り上げ、また全体をコンパクトにすることでサッカーに必要な臨場感も演出している。非常にすごいスタジアムだと思います。できたらぜひ見に行きたいですね。

ただ、3倍以上の規模になる新国立競技場と比べるのは、フェアじゃない。規模、求められている機能、関わる人の数、施工例の数、何もかも違いすぎます。

ガンバ大阪の新スタジアム

■「見積りの2倍、3倍になるのは当たり前。でも仕事はそこから」

――とは言っても、「コンペで選ばれた案が、予算の倍になっている、けしからん」というのは、私も含め一般の人たちの感覚にありました。

今回行われたデザインコンペのやり方では、短期間でデザインの部分を中心に募集をしています。なのでコンペの後、実際に要件を全部取り入れてコストを積算したら予算の2倍、3倍ということはよくあることなんです。全然珍しくないし、むしろそれが当たり前。ここに一般の感覚と建築業界の常識の乖離、というのはあったでしょうね。

でも、建築の仕事というのは「これじゃ予算の倍かかります」というところからが腕の見せどころ。要件の削減を提案したり、素材を変更したり、建設会社が持っている特殊な工法を採り入れたり、発注元と相談して予算を増額してもらったり、ありとあらゆる選択肢を検討して「コストと要件」のバランスを詰めていくんです。

家を建てる時もそうでしょう? 「オープンキッチンにしたい」「暖炉がほしい」「ウォークインクローゼットがほしい」「飼っている犬の部屋がほしい」などなど、全部詰め込めばコストはいくらでもかかる。だから何かを諦めましょう、それかもう少しお金を出しますか、という話をしていくんです。

ましてや、8万人収容に開閉式屋根、可動式の座席に、大地震のための免震構造、なんて言ったら、こりゃ高いな、と思いますよ。そもそも、そのスケールのものを何度も建てたことがある人なんてほとんどいないわけです。最初からコストをきっちり割り出すなんていうのは土台、無理な話。半年以上の時間をかけて詳細に設計して、それを積算してみて初めてわかる。そこから要件を詰める。それしかできません。

――その「要件を詰める」プロセスは、なぜ行われなかったんでしょう?

実は、JSCも一度はやってるんです。3000億のものを、1625億に削減したJSC案を作っています。問題はそれがもっとかかるとわかった時に、さらなる見直しをしなかったことです。それはザハ声明でも「コストを削減したプランを提案したのに受け入れれなかった」と言っている部分ですね。

2014年にJSCが作った修正案。白紙見直し前までは、この形で建つことが決まっていた

――では、改修案は作れたのに、その後予算が膨らんでもさらに見直せなかった理由は?

JSCが考えていたのは「要件は削れない」「間に合わせる」その2つだけだったからでしょう。

改修案はどうやって3000億円から1625億円に落としたかというと、当初計画の10万坪から、面積を小さくして7万坪にしたことが大きいんです。開閉式屋根や可動式の座席といった、機能面の要件はほとんど削ってないんですよ。

それには理由があって、結局、要件を決める有識者会議自体が、「新国立競技場を使っていただくお客様のご要望を聞く会」みたいなもので、国としてどう造るべきか、という議論がなかったから。スポーツ業界が可動式の座席、エンタメ業界が開閉式屋根を要求し、盛り込みましょう、で終わっています。議事録を読めばわかりますが、唯一削れたのが陸上のサブトラックですよ。

普通は、発注元であるJSCとザハと日建設計らの設計チーム、ゼネコンの三者が、あれはできる、できない、いくらかかる、とバチバチやらなきゃいけなかったのを、JSCが要件を削りたくないから、「これでいきましょう」としたのが原因だと思います。

有識者会議の議事録に「8万人常設席を5.5万人にして、残りは仮設にしてはどうか」と残されています。発言者は黒塗りで誰かはわかりません。でも、あのメンバーで要件を削る主張を言えるのは安藤忠雄さんだけでしょう。安藤さんは2016年の招致活動の時に、限られた予算内で晴海にスタジアムを建てる計画を作っているので、コスト含めて厳しさを知ってるはずなんです。それぞれの業界代表の委員は要件を盛り込むためにいますから、言ったのは安藤さんだろうと思っています。

コンペの審査委員長を務めた安藤忠雄氏

■予算そしてデザインに横たわる、一般人の認識と「建設業界の常識」の乖離

――私がJSC案について疑問を持っていたのはデザインです。コンペで選ばれたものとあまりにかけ離れていて「ザハのものに見えない」ということ。好き嫌いの問題ではなく、これはコンペで選ばれたものではないだろう、と思ったんですが。

確かに見た目はぜんぜん違うんですが、間違いなくザハは関わっています。そうでなければ声明を出してまで、抗議しませんよ。

今回のデザインコンペの応募期間は2か月です。こういった短期間のコンペで選ばれたデザインは、現実可能性やコストを含めて検討した「詳細な設計案」ではなくて、コンセプトやアイディアを絵にした提案なんです。だからザハ本人も、安藤さんも含めて、あれがそのまま建つとは誰も思っていないです。審査委員会の議事録にも「選ばれた建築家に、デザインを変えてもらう許可を取ります」と記されていますね。

コンペで選ばれた後、ザハがJSCと結んでいるのは「デザイン監修」の契約なんですね。ここがポイントで、なぜ自分で描いた絵を建てるのに「監修」なのか。それは、実際に建てるための検討を始めたら、要件に従って、設計サイドは発注者と建設会社と何度もやりとりを重ねて、デザインを修正するのが当然だからです。その修正の過程も含めてお手伝いしますよ、責任を持ちますよ、という意味が「監修」に込められているんです。だから、ザハの仕事は最初に絵を描いただけ、という批判は的はずれだと思いますね。

――一般人からすると「コンペで予算を見積もれなかったのか」「デザインがコンペと違うじゃないか」となるところが、建設業界では「常識」。この乖離は大きいですね。

一般の人たちの見方と「業界の常識」の溝はありますね。

ただ、コンペで予算を検討できないんじゃ困る、というのは誤解で、コストの検討も含めたコンペを行うことも当然あります。コンペの段階で、指名した数名の建築家と設計会社からなるチームに設計料を支払って、デザイン、詳細な設計、つくり方、コスト計算まで含めた綿密な設計をさせる事例とか、ですね。それは選ばれなかった案に支払ったお金は無駄になりますけど、それでも全体で考えれば、詳細な設計までやった上で選んだ方が予算が収まるだろう、そういう考え方です。

――今回のケースで、設計込みのコンペをやることは難しかったんでしょうか?

やるべきだったと思います。しかし、時間がなかったみたいですね。設計込みのコンペとなると製作期間だけで少なくとも半年はかかる。しかし、まだオリンピックの決定前で2020年の招致活動に間に合わせなければならず、絵だけ先に決めなきゃならなかったんでしょう。

■コストを上げた「特殊性」とは何だったのか

コンペで優勝したが、自らの案を白紙撤回されたザハ・ハディド氏

――ZHAの声明では、設計が終わっていないのに先にゼネコン2社が決まっていた、だから競争が働かずコストが上がった、と指摘していますね。

うーん、これは難しいところです。

もう、今の建設業界はとにかく人と資材が足りない。資材によっては値段が何年か前の数倍なんてものもあります。だからまずは資材調達を担当してくれるリソースを確保しなきゃいけない。設計完了を待ってられない、というのが先にゼネコンを決めた理由でしょう。

どれだけ資材が足りないか例を挙げると、たとえば1994年にできた日産スタジアムでは、建設現場でコンクリートを流し込むんじゃなくて、すでに固められたコンクリートの塊を、建設現場に持ち込むプレキャストコンクリートというのを使っています。一種のモジュール化ですね。でも、この工法を新国立に使おうと思っても、製造元が2020年までフル回転しても供給が追いつかないことがわかっていて使えないんです。他の建物でも使われるから、日本全体として資材が足りないんです。それくらい今のリソース不足は厳しい。だから設計が終わってなくてもまずゼネコンと契約しちゃって確保しよう、というのはある程度、合理的な判断だったと思います。

ザハからすれば「競争させれば安くなったのに」ということだとは思いますが、相見積もりの競争以上に資材不足は深刻です。

――国会でこの問題が追求された際に、コストが上がった原因は「特殊性」にある。そしてそれはキールアーチだと、そういう話になっていました。

キールアーチが他の構造に比べて高いかどうか、同じ要件で誰か検討したんでしょうか。「自分の方が安くできる」と言っている建築家の提案は、ほぼ全て要件が違うので参考にならないんですよね。それなら、ザハと設計チームに要件を削減して作らせればいいだけです。

つまり、ここで言われてる特殊性というのは、デザイン云々以前に、要件を詰め込んだ8万人収容の巨大スタジアムである、ということや、今日本が置かれている建設費の物価上昇のことだと考えるのが妥当かと思います

■「ザハの力を借りるしかないと思います」

――現段階で、考えられる最悪のケースは?

最悪のケースは、オリンピックに間に合わないことです。

政府は再度、デザインビルドでコンペを行い、できれば年度内に着工したいと考えているようですが、この半年でゼロからコンペを行うんですから、本当に設計に当てられる時間はわずかしかない。

大規模な建築物の設計は、時間を掛ければ掛けるだけ、使いやすいものになっていきます。これまで長い時間設計を行ってきたチームのノウハウが活かされなければ、非常に大きな損失です。

もちろん、全国どこでも同じ形をした倉庫のような、簡単なモジュールの組合せでできるスタジアムなら、コストは安くなりますし、間に合う可能性も高くなります。でも、コンペで選んだザハの案を撤回してまで建てる新国立競技場が、それでいいんですか? というのは議論すべきだと思います。もちろん、コストも大事。でも、世界に何を発信するのか、というのを忘れてはいけないと思います。

――では、今の段階で最も取りうる最善の策は、どのようなものでしょう?

ザハのデザインが好き、嫌いという水準でなく、「ザハは日本が主催したコンペで選ばれた建築家である」という正当な事実は守るべきです。その点も踏まえて、これまでやってきたザハ中心の設計チームが官邸が整理した要件とコストでやるのが望ましいと、個人的には思います。

工期短縮のために、旧国立競技場を復元すればいい、という人もいますが、それはナンセンスです。50年前と今では、公共建築に求められるスペックがぜんぜん違う。大地震への備えとバリアフリー。特にこの2つの要件を満たすのは50年前よりも非常に厳しくなっています。バリアフリーで言えば、廊下の幅から、階段の段差、スロープの有無、エレベーターの設置、全てが厳しくなっているので、昔のものを今の基準で建て替えるというのはかえって難しいでしょうね。

取り壊される前の旧国立競技場

そもそもこの問題は、JSCがきちんと要件調整をしなかったら予算が膨れ上がって、白紙撤回になってしまっただけの話。設計作業はずっと進んでいたわけです。8万人という観客の入れ替えをどのように捌くのか、また災害が起きた場合にどうやって人を避難させるか、また受け入れるのか、綿密にシミュレーションがされているでしょう。その結果を要件と結びつけながら具体的な設計に落とし込むことが、詳細に設計をするということですね。

ZHAが声明で「このプロジェクトには膨大な時間と労力をかけてきました」と書いているのは、こういった、よりよい建築を作るためにさまざまなことを検討してきたという背景があったから。屋根やアーチばかりに注目が集まっていますが、災害対策、バリアフリー、こういう地味だけど重要で時間と手間がかかる作業を全部なかったことにしてやり直すのは、次に設計に掛けられる時間が限られていることがわかっているのだから、ものすごくもったいないですし、危険だと思います。

何より、撤回されてしまった計画の中にも新しい、そして日本らしい技術やアイデアがあったと思うんです。そういった情報が開示されないまま、正しいかどうかわからないキールアーチに焦点が当たってしまったのは、本当に不幸なことではないかと思います。

今、間に合う、間に合う、と言っているのは本当にただ「建てる」だけの話。すべての関連する検討をやり直す時間などないでしょうから、いい加減なものができる可能性が極めて高い。そして、いろんな人たちが「自分がやりたい」「これが欲しい」と群がって、互いの意見を非難しあう。収集がつかなくなる。それじゃ間に合わなくなるのが見えています。

だから私は、ゼロベースでやり直すんですか? そりゃ無茶でしょう、というのが率直な感想です。現時点で望みうる最高のものを造るには、これまで作業してきたザハと日本の設計者の力を借りなきゃいけない。それが最も望ましい姿だと思いますね。

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