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フリーダ・カーロの遺品と出会った写真家、石内都さん 「遺されたものたち」を見つめるまなざし

2015年08月04日 22時51分 JST | 更新 2015年08月06日 22時00分 JST

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Frida by Ishiuchi #34 (c) Ishiuchi Miyako

近代メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロ(1907〜1954)。少女の頃にかかった病気や遭遇した大事故で不自由な体となりながらも、痛みに抗い、ベッドの上でも鮮やかな色彩で自身の過酷な現実を描き続けた。

フリーダの死後50年。その遺品は封印されてきたが、2004年に初めて明らかにされ、遺品の中に含まれていた衣装をメキシコのフリーダ・カーロ博物館で展示する展覧会が企画、そのカタログとして遺品を撮影するプロジェクトを立ち上がった。その撮影を依頼されたのが、2014年に日本人で3人目となるハッセルブラッド国際写真賞を受賞するなど、国際的に注目を集める写真家・石内都さんだった。

石内さんは、母の遺品を撮影したシリーズ「Mother’s 2000-2005 未来の刻印」で、2005年に国際現代美術展、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表に。2008年に発表された作品集「ひろしま」(集英社)や写真展「ひろしま Strings of time」(広島市現代美術館)では、原爆で亡くなった人々の衣服を撮影、まるで生きているかのような存在感を写し出して話題を呼んだ。

その石内さんによる撮影を追ったドキュメンタリー映画「フリーダ・カーロの遺品−−石内都、織るように」(小谷忠典監督)が8月8日、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで封切られる(全国順次公開)。映画では、半世紀の時空を超えてフリーダの遺品と出会った石内さんがシャッターを切る様子がとらえられている。

では、石内さんはレンズを通して、どのようにフリーダと「対話」したのだろうか。石内さんにインタビューした(文中敬称略)。

■「フリーダの遺品を見た時に、今まで思っていたのとイメージ違うじゃないって」

−−−フリーダ・カーロは、世界的に有名な画家ですが、その遺品を撮影してほしいとフリーダ・カーロ財団から依頼があった時は、どのように受け止められましたか?

石内:私は知識としてはフリーダ・カーロを知っていましたが、深くは知らなかったので、依頼があってから日本で手に入る資料をかき集めて、勉強しました。それから、日本に来たキュレーターと会い、メキシコのフリーダ・カーロ美術館で3週間の撮影をすることになりました。

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近代メキシコを代表する画家、フリーダ・カーロ。世界中にそのファンは多い

−−−やはり、遺品を撮影された「Mother’s」や「ひろしま」でのお仕事をご覧になっての依頼ですか?

石内:そうですね。「メキシコから、わざわざ日本の私に頼むということはどういうことですか?」ってキュレーターに聞きました。やはり、2005年のヴェネツィア・ビエンナーレで私の作品を見て、その時の印象が凄く強かったそうです。

−−−石内さんご自身はフリーダ・カーロにご興味はありましたか?

石内:フリーダ・カーロですから(笑)。フリーダ・カーロに興味がないといったら、おかしいですよね。ただ、基本的に興味はあるけど、積極的な興味ではなかった。フリーダ・カーロの絵も、印刷物でしか見たことがなかったの。印刷物と生の絵というのは全く別のものなので、私はいわゆる一般的なフリーダに対するイメージしか持ってなかったんですよ。

−−−日本で資料を通じて得ていたイメージと、実際にフリーダ・カーロが暮らしていた建物でもあるフリーダ・カーロ美術館という空間で、その遺品を撮影して得たイメージは、どのように変わりましたか?

石内:海外で写真を撮るってことはこれまでも何度かあったけど、大きなプロジェクトだったということもあったし、「世界のフリーダ・カーロ」という、ある種の先入観とともに、最初の1週間ぐらいは緊張をしていました。

それが段々、ブルーハウス(フリーダ・カーロ美術館の愛称)の空間にも慣れていって、目の前のフリーダの遺品を見た時に、「あれ? 今まで思っていたのとイメージ違うじゃない」って。そういう感じで、少しずつ彼女と私が接近していったの。それは、やっぱりある時間が必要だった。

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「ブルーハウス」と呼ばれるフリーダ・カーロ美術館で撮影は行われた

−−−初めて、フリーダ・カーロの絵を見た時、その劇的な人生や印刷された画集の色彩の強さのイメージに反して、こんなに小さくて丁寧でかわいらしいものを描いていた女性なのかと驚いたことがあります。

石内:そうなの。だから本物を見ないと。印刷物だと軽い感じになってしまって、伝わってこないんですよ。

−−−モチーフや色彩のどぎつさだけが際立ってしまって……。

石内:そうそう。変なイラスト的な、きつい感じが凄く伝わるけど、現実で彼女が描いた絵っていうのは全然そうじゃない。私もそれはちょっとびっくりした。

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ベッドで過ごすことが多かったフリーダは多くの自画像を残した

■「フリーダも、広島で被曝した女の子も、一緒なの」

−−−今回、撮影された写真は、フリーダが自身のアイデンティティとして身にまとったメキシコの伝統的衣装(テワナドレス)や靴、生涯手放せなかった医療用コルセット、薬瓶、左右でヒールの高さが違う靴など身の回りの品々ですが、衣類をつくろった痕跡までとても繊細に美しくとらえていらっしゃいます。今まで、私たちが知らないフリーダの素顔を見せて頂いた気がして、感動しました。

石内:遺品には、お裁縫道具がいっぱい残ってたの。フリーダはテワナドレスを自分のサイズに合わせるために詰めたり繕ったり、縫い物を自分でしていたらしいと分かりました。

−−−日本の着物と同じ感覚ですね。大事に縫って繕いながら、自分の肌のように着る。

石内:そうです。全く一緒です。だから今まで知らなかったテワナドレスも、「そうだったんだ、着物とほとんど同じじゃない?ブラウスは頭からかぶり、スカートはひもで結ぶ」ということも見えてきて、いろんなことが繋がるわけです。

私はフィルムで撮っていますから、撮影している3週間は、何が写っているか見られないんですよ。それで一度、現地の現像所に行ってフィルムを現像をして、サービスサイズくらいに全部同時プリントしたものを見た時に、「初めてそうだったのか」っていうことがわかったの。「私はこういうふうにして、フリーダと出会うべくして出会ったかもしれない」みたいな。撮ってる時にそれはわからないんですよ。だから、写ってるものを見た時に、すごくうれしかった。

−−−映画の中で、その場面が出てきますね。石内さんの涙も見えました。

石内:そうね。ちょっと、涙が出てくるほど感動したの。

−−−今までも撮られていて、そういう体験というのはあったのでしょうか?

石内:やっぱり、それは「ひろしま」です。写真集を作るために広島に1年間通っていて、最後の日かな。NHKの「日曜美術館」の取材があったんですけれども、番組見たら、泣いてるの(笑)。泣くつもりじゃなかったけど、これで終わりっていう時に感極まるみたいな感じで。遺品を目の前に見ていたら、ちょっと感動しちゃって。

フリーダも同じです。フリーダ・カーロも、途中から「ひろしま」を撮ってるような感覚だったんですよ。初めは「フリーダの遺品」という固有名詞の有名性が強かったのだけど、段々と撮る中で、遺されたものというのは、フリーダも広島で被爆した女の子も一緒なの。それがなんだかすごく自然に、自分の中で昇華していったみたいな感じで、最終的にフリーダも「ひろしま」も、私の中では同じ距離感で撮っていました。

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フリーダ・カーロの遺品を撮影する石内都さん

■「遺された物たちって、何かかわいそうなの」

−−−映画で石内さんの撮影のプロセスを拝見しましたが、最初はブラウスだけを撮っていたけれど、最終的にはスカートと組み合わせて撮影し直す場面がありました。どういう心境の変化があったのでしょうか?

石内:初めは遺品、遺されたものっていう感じで見ていて。だからあまり、「ひろしま」の遺品に対するような感覚がなかったので、とりあえず遺されたものを撮ろうと思って始めたんですね。だから、ブラウスはブラウス、スカートはスカートみたいな。それが、現像して自分の写真を見た時に、何か足りないなと思ったの。それで、後半はブラウスとスカートを合わせて撮り直したりして。フリーダだったらこう着たんじゃないかなとか想像しながら、楽しかったです。すごく。

−−−フリーダと会話ができるようになった感じですね。

石内:そう。

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Frida by Ishiuchi #59 (c) Ishiuchi Miyako

−−−亡くなった方の物に触れたり、対峙したりする時って、すごく緊張もするし、生きている方とはまたちょっと違った距離感もある気がします。ですが、今回、石内さんが撮影されたフリーダの遺品は本当に美しくて、細やかでした。映画のパンフレットで、美術家の森村泰昌さんが石内さんのことを「重い記憶を記録する写真家であると思われている石内都の根幹にある、この覚悟の出来た人の見事なまでの透明感を見過ごしてはならない」と描写されていました。その「覚悟」とは、どういうところから生じてきているのでしょうか?

石内:やっぱり、一番初めは母の遺品から始まってますかね。死んでしまった母とどうやって会話するか、もう遺されたものしかなかったので。それは下着とか、粗末なものですよね。誰かにあげられるような遺品じゃないわけです。捨てるのは簡単。でも、それをどうやって捨てるか、1つのプロセスとして写真を撮ろうと思ったの。写真に撮っておけば、捨てても別に後悔しないかな、みたいな。

そうして撮っていたら、やはり遺された物たちって何かかわいそうなの。だって、もう着る人がいないんだもん。結局、遺品って、着てた、持ってた、使ってた人の、要するに嗜好品なわけ。好きな物を買って、身にまとってる。母の遺品にしても、彼女が嗜好しているものに母が乗り移っているようなものなんですよ。だからこそ、きちっと対話しようと。

だから、遺品という意味では、個人的な私の母の遺品なので、ちょっと広島とフリーダとは違うんですけれども、出発点はそこ。「遺された物たちがかわいそうだよね」と。死んだ人と一緒に焼かれず、どこにも行けなくて……。

「ひろしま」は特にそうでした。特別高価なものではないブラウスやワンピースが、本当に無名の人の着ていたものが、戦後70年経っても大切に保管されている。これは一体なんだろうと。歴史ですよね。歴史の証人、証拠として物たちはずっとそこに存在し続けなきゃいけないの。少し残酷なことです。

それはフリーダも一緒ですね。フリーダ・カーロはもういないけど、ああいう物たちは彼女の代わりにずっといなきゃいけない。かわいそうだなって。私にはそういう感覚があるの。例えば、私は入れ歯が大好きで(笑)、撮ってるんですけど、口がなくって、入れ歯だけある様子って変じゃない。シミーズも、肩がないシミーズは変だなあとか。コルセットだってそう。ちゃんとした目的がもう失われちゃってる。残骸みたいなものですよね。

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Frida by Ishiuchi #109 (c) Ishiuchi Miyako

■「遺された物たちっていうのは、人間の片割れみたいな」

−−−かわいそうというお気持ち以外に、重いとか辛いとか悲しいとか、そういった感覚っていうのはあるんですか?

石内:悲しいとか辛いではないですね。遺された物は非常にクールなんです。クールって変な言い方だけど、はっきりしてるから。汚れていれば汚れているし、破れていれば破れているし。広島だったら原爆の跡があったりする。遺品は特別、美しいものではない。でも、私が撮ると美しくなる(笑)

−−−そうですね(笑)。生者の生々しさが浄化されていて、森村さんのお言葉を借りていうと、その透明感が伝わってきます。

石内:自分で言うのも変ですけど、私は美しく撮ろうと思っているから。私の気持ちが写真に出ています。「ひろしま」では、「被爆した服がこんなにきれいでおかしいじゃないか」って批判されたの。バカ言ってんじゃない、原爆が落とされる前はもっときれいだったんだと。だから、私は本当に見知らぬ女の子が初めて袖を通した時のことを想像しながら、その服を撮影しました。

−−−亡くなった方の人生までが透けて見えるのでしょうか?

石内:人生は見えない。悪いけど(笑)。人生っていうよりは、その彼女の存在。彼女が生きていたっていう証拠ですよ。だから遺された物たちっていうのはすごく濃密な物であるわけです。人間の片割れみたいな。

−−−あらためて、石内さんが撮影されたフリーダ・カーロの遺品の写真を拝見したいと思います。貴重なお話、ありがとうございました。

(おわり)

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写真家、石?