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中国政府が連れ去ったパンチェン・ラマ11世「普通に暮らしている」 こじれた経緯とは?

2015年09月06日 22時37分 JST | 更新 2015年09月06日 22時37分 JST
TOSHIFUMI KITAMURA via Getty Images
A protester holds a placard with portrait of Dalai Lama's choice for Panchen Lama, Gedhun Choekyi Nyima (top) during a peace march in Tokyo on March 14, 2009 to mark the 50th anniversary of Tibetan uprising against Chinese rule. Premier Wen Jiabao said on March 13, Tibet was prospering under Chinese rule, as he hit back at the Dalai Lama who this week said his Himalayan homeland had turned into 'hell on earth'. AFP PHOTO / TOSHIFUMI KITAMURA (Photo credit should read TOSHIFUMI KITAMURA/AFP/Getty Images)

中国政府が資格を認めず、消息不明になっているチベット仏教の宗教指導者パンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チューキ・ニマ)について、中国当局は9月6日、「普通に暮らしている」と明らかにした。イギリスのガーディアン紙などが伝えた。

中国チベット自治区の幹部は、パンチェン・ラマ11世の消息を問う質問に対し「教育を受け、普通の生活を送り、健やかに成長しており、邪魔されることを望んでいない」と答えた。

gedhun choekyi nyima

ニマ少年の現存する唯一の写真 (C)ASSOCIATED PRESS

1989年にパンチェン・ラマ10世が死去した後、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(インドに亡命)と中国政府はそれぞれ独自に後継者探しを始めた。ダライ・ラマ14世は1995年に、10世の「転生霊童」(生まれ変わりの少年)として、当時6歳のニマ少年を認定した。しかし中国政府はこれを認めず、別の少年を継承者に認定。2人の「パンチェン・ラマ」が併存する異常事態となった。1996年5月、中国の国連代表部大使は「保護の目的」でニマ少年を連行したことを認めたが、その後の消息は明らかになっていなかった。

背景には、1956年に始まった大規模なチベット自治区の反中国暴動(チベット動乱)で、インドに亡命政府を樹立したダライ・ラマ14世の影響力拡大を防ぎたい、中国政府の思惑があったとみられる。

パンチェン・ラマは、チベット仏教界ではナンバー2の最高指導者だったが、1959年のチベット動乱の際に国外に出ず、チベットにとどまった。66年から76年にかけての文化大革命では、10年間も獄中につながれた。釈放後は、中国のチベット政策を支持し、ダライ・ラマとは対照的な生き方をしたことで知られる。(「6歳の坊やがパンチェン・ラマ後継に ダライ・ラマ14世が公式指名 」朝日新聞1995年5月15日付朝刊より)
パンチェン・ラマ10世は親北京だったことから、政府は後継者にも同じ道を望む。ダライ・ラマの指名が、チベット社会で受け入れられてしまうと、政府は承認権を否定されるだけでなく、ダライ・ラマの影響力拡大を許すことになる。(「親中国の霊童探し難航 パンチェン・ラマ後継指名問題」1995年5月20日付朝刊より)

2015年9月6日の会見でチベット自治区の幹部は、ダライ・ラマ14世による認定について「歴史的な慣習を無視し、宗教的な儀式を破壊した。正式な権威によるものではなく違法であり無効」と、改めて非難した。

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