「シャイな人ほど、外国に出て欲しい」リーマンショックでリストラされ、今はニューヨークで公園を造る島田智里さんの言葉

日本を飛び出し、建設会社に勤めるも、リーマンショックでリストラされ、そのあと永住権も取らないまま、外国人としてニューヨークの市役所で働く島田智里さんに、外国で働くということについて話を聞いた。

夏のニューヨーク。公園に降り注ぐ日差しの下で「そうなんですよー」とあっけらかんと笑う姿だけからは、その凜とした強さは想像できない――。

日本を飛び出し、建設会社に勤めるも、リーマンショックでリストラされ、そのあと永住権も取らないまま、外国人としてニューヨークの市役所で働く島田智里さんに、外国で働くということについて話を聞いた。

――リーマンショックでリストラされ、さらにニューヨークの市役所で働いているという経歴に、思わず興味を惹かれてしまいました。今は、どんなお仕事をされているんですか。

今、2009年から今で6年目なんですけれどもニューヨーク市の公園レクリエーション局ですね。天然資源課という部にいるんですけれども、そこで環境と都市計画の分析をしています。半分は研究職、半分は公園作り。ここ過去3、4年は災害がひどいので、たとえば洪水とか台風に備える緊急災害対策をやっています。

やっぱりエンジニアリング、土木、または建築とかの分野になるので、日本では男性ばかりの職業で、女性が少ない分野なんですけど、アメリカでは男性も女性も同じようにチャンスが与えられるっていうので、実際、日本より入りやすかったんです。

――日本にいるときは、どういうお仕事を?

全然関係ない事務職だったんです。研究職ではあったんですけれども、やりたい都市計画ではない。どちらかと言えば農学部から入りやすい形の研究所でやってたんですね。とにかく、都市計画の分野ではなかなか日本では女性にチャンスがなくて。

――いつかまた留学したり、こっち戻りたいなという気持ちを抱えつつ?

そうですね。懐かしいな。もう10何年前の話ですよ。日本だとまず分野的にも男性が多い、または日本では専門職になってくると途中から入れないじゃないですか。大学や専門学校を出て、何年か経験を積んでっていうところが、こちらはいくらギャップあったとしても経験と知識さえあればドアは開くので、そういう意味で海外に出ようかなと。

――日本だと最初にしている仕事と違う専門職に就くのは難しいですよね。

難しいですね。なかなかチャンスが回ってこないので。今は、持続可能な社会を作りましょうというので都市緑化というのをやったり、地図を作ったり、防災対策をやったり。

あとは、公園作り。これは面白いですよ。おっきな目立つ公園じゃなくても、自分が提案したものが形になるのが見えるっていうのはやっぱり、この職業のおもしろいとこだと思うんですよね。ここのこの部分は自分関わった、みたいな。ベンチのデザインはした、みたいな。

――ニューヨークでは、どういう発想で公園づくりや、都市設計を進めていますか?

ニューヨークはやっぱり土地が限られていて、値段も高いので、いかに無駄にしないか。たとえば、湿地帯があったとして。ただ残していくだけじゃなくて、絶滅危種の鳥を呼ぶ、そうすると一般人がバードウォッチングできるねと、付加価値が付く使い方をしようとしています。公園でも、ただベンチに座れるだけじゃなくて、1週間に1回は野外の映画館を開いたり。土地をいかに多目的に、多くの人に使ってもらえるかを考える。そういう発想になっていると思います。

これって、やっぱり経済開発なんです。

持っている土地を有効に、自然を残したまま、活かす。ソーシャルプランナーと呼んだりしますが、そういうところに子供を連れて行って自然を触れさせるプログラムをやったり、植林したり、病気の人に森林療法をしたり。長期で見て、いかに多くの人をターゲットにして、幸せにできるかということを考えています。

――学校出て、最初に就職した時にはもうニューヨークだったんですか?

大学院に入って、一番最初にまず研修したんですね。インターンシップというのが都市計画局だったんですよ。そこに1年半ぐらいいまして。次にアメリカの建築会社に入ったんですね。そこでも1年ぐらいい2009年かな、リーマンショックの影響で、会社が私の部署を潰してしまって、典型的な職ナシになりまして。「いやー困ったな」と思っていたら、「面白い仕事があるから来ないか」と声をかけてもらいまして。公務員なんで、試験もあるので試験受けて勉強もして、結局半年後ぐらいに雇ってもらって、そこから6年。踏んだり蹴ったりでしたね(笑)。アメリカでまさか解雇されるなんて。

解雇通知されると、自分の席に戻れなくて、別の場所にエスコートされるんですよ、データを盗まないように。「映画で見たのと同じだー!」って。あとで、自分の荷物は全部段ボールに入れられて、渡されるんです。段ボールを待ってる間も、ずっと監視されて(笑)

――普通はそこでめげてしまいそうですよね。

私、市民権も取ってないですし、専門職向けのビザで来ています。外国人として働いているんです。そういう意味でアメリカっていうのは本当に夢があって、努力を惜しまない人にはすごく良い場所だと思うんですよ。市民権がなくっても、市役所で働けるんですから。待ってたら別にチャンスが回ってくるわけじゃないけど、自分から取りに行けばなんとでもなるところだなあって。

海外に興味がある人は、とりあえずボランティアでも何でもいいからやって、人とのつながりを作って、もし何かあったら、フッと何か湧いてくる時があるんじゃないかって。

私が働いているところも、歴史とか法律が関わる仕事で公務員なんで、地元出身の人が多いんです。おじいちゃんもおばあちゃんもここで生まれ育ってます、だから街を守っていきたい、みたいな。そんな中で、明らかに外から来た私、という。でも、だから覚えてもらえる。珍しいから、逆に面白いことをすればするほど目立つからいいんだよ、って。「あの変なアクセントある子」ね、みたいな。それでいいと思います。

――珍しい存在であることを、チャンスと捉えるか、怖気付くか。そこですごく変わりそうですよね。

そうですね、本当に。こっちはシビアなところもあって、ただ待っているとクビになるだけだから。実際、なったから(笑)。今はとりあえず自分を押して、押して、それでもダメだったら日本に帰ればいいわと思ってます。どうしてもアメリカじゃないと嫌だとか、どうしてもニューヨークじゃないと嫌だというわけではなくて、自分がやりたいことをやらせてくれる場所にいようと思ってるだけなんで。

――それがたまたま、ニューヨーク?

たまたまここであって、もし他の場所で、たとえば日本とかでチャンスがあるんだったら別に行ってもいいし、他の国に行ってもいいと。ただ、闇雲に仕事を変えたりとかするんじゃなくて、はっきり目標がないならないで、今のところで最大限やろうと思っているうちに、気がついたら10年経っていたという話なんですけど。10年早いわー。私、このまま20年ぐらいいるのかなー、なんて思いながら。

マンハッタンの中心部にあるブライアント・パーク。市民の憩いの場になっている

■「大事なのは、プライドを捨てること」

――アメリカ来てから、学んだこととか自分が変わったこととか何かあります?

プライドを捨てること。

たとえば日本にいると「わかりません」というのが言いづらい。こそこそと何か言い訳をして調べたりとか。「助けてください」ってはっきり言えないんですよね。

こっちはまず文化も違うし言語も違うから「わからない」って言わないと本当にわからないままになっちゃう。だから自分から声を上げるんです。本当にしょうもないことですけど、「アパートの電気の引き方がわからない」とか。日本なら調べたり、電話すればいいのかもしれないけど、たいして語学もできないから、結局、そばにいる誰かに「助けて」って言うしかない。そこで、人とのコミュニケーションが増えていく。日本でいるよりも頼る、頼られるとか、自分が今回頼ったから、次お願いされた時にやってあげようとか。すごく積極的になりましたよね。

こうやって取材を受けるのでも、日本にいる時だったら「その人知らへんしー」とか、「私しゃべったことないし」とか、断っていたと思うんですよ。今はこうやって誰かが紹介してくれるということはありがたい縁だと思うし、あとはそういう風に与えられたチャンスを逃すのは自分にとってマイナスだと思ってるので。そういう風に思えるようになったというのはやっぱり海外生活ですよね。

だから、逆にシャイな人に海外来て欲しいですよね。

――変わるきっかけとして?

そうです。環境を変えると、やらざるをえないから(笑)

知ってる人がいるからできないとかいうんじゃなくて、どうせ誰も知らないんだから、一から人生やり直すにはすごく良いじゃん、って。あとは日本を違う目で見るようになったことかな。自分が住んでないからこそ、逆に日本のことが気になって調べたりとか。人に「日本はどうなの?」って聞かれますし。日本にいた時よりも日本人だと痛感することが多いです。「こういうとこは絶対日本人だなー」と思ったりとか。

――どういう部分?

たとえば時間。日本人だったら10分前に現れたりするじゃないですか。こっちだと気がついたら2時間待っても来ないから電話したら「え、今日会うの?」みたいなんとか、「あれ、ミーティング明日じゃないの?」とか言われたり。

あとは、仕事の部分で日本人だなと思うのは、アメリカ人って自分が与えられてる仕事しかしないんですよ。自分が与えられていない仕事だと、それは僕は担当じゃないからなんとかさんに聞いて、って。

――ジョブディスクリプション(契約時に、職務内容を規定する欄)に入っていないからと?

そうです。ここに電話したらいいよという電話先は教えてくれるけど、そこは手伝ってくれないと。日本人だと、仲間助けるのも仕事のうち、みたいな感覚ありますよね。

しゃあないなと思いながらも、動いてしまう。でもそれは日本人だけですね。韓国人とかも日本にたしかに近いけれども、インド人なら絶対ノーって言いますからね。隣に座っている人がどんなにトラブルで巻き込まれて大変でも、「もう4時半だから帰るわ」って。まだ4時半だよ!って思うことはあります。

――何か、そういう話を聞いても、楽しさが伝わってきますね。

そうですね......何だろう......今の生活は、苦労して勝ち取ったものだから、毎日毎日が貴重なんですよね。「仕事好き?」って言われたら、すごい自信もって大好きって言えるし。「今、住んでるとこ、どう?」って言われたら、今のアパート大好きって言えるし、何かうーん、っていうためらいがない人生。ためらいがあるんだったら、日本に帰っちゃうかな。

友達にそういうことを話すと「智里さんって幸せな人だねえ」って言われて。そう言われれば、そうなんですけど(笑)

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