「黒人専用」「白人専用」の掲示、美術学生が大学構内に掲げて物議醸す

ニューヨーク州にある大学の学生が16日、キャンパス内に掲げてあった「白人専用」「黒人専用」という看板を見つけて衝撃を受けた。学生らは明らかな差別行為を目の当たりにして心を痛めた。

GORDON PARKS, UNTITLED, SHADY GROVE, ALABAMA, 1956 © THE GORDON PARKS FOUNDATION

ニューヨーク州立大学バッファロー校の学生が9月16日、大学構内のトイレ近く掲げてあった「白人専用」「黒人専用」という掲示を見つけて衝撃を受けた。学生たちは、明らかな差別行為を目の当たりにして心を痛めたのだった。警察は、この掲示に関して午後1時までに11件もの通報を受けた。

この(奴隷制度や黒人差別を容認した)ジム・クロウ時代を思わせるような掲示を掲げたのは、後に、美術学専攻の大学院生で黒人のアシュリー・パウエルで、自身のアートプロジェクトの一環だったと明らかになった。

パウエルが16日夜の黒人学生組合(BSU)の会合でこの掲示を掲げたことを認めるまで、学生と大学当局はこの差別行為の犯人探しをしていた。「私たちは、それがアートプロジェクトだとは知らなかった。それはテロ行為になっていたかもしれないのに」と、ある学生は学生新聞「スペクトラム」に説明した。

パウエルが受講している講義「Installation:Urban Spaces(設置:都市空間)」は、公共の場にアート作品を置くことを学生に求めている。彼女がこの掲示を掲げた背景はそのためだったと明らかにした時、多くの学生がBSUの会合中に部屋を飛び出し、何人かは目に涙を浮かべていた。「それは私たちの世代が見たことがない過去を肌で感じるようなものだった。だから、あの掲示を見た時にとても衝撃を受けたのです」と、BSU会長のミカ・オリバーはABCに語った。

アーティストとしては、あなたのことを同じアーティストとして尊重します」と、BSUの会合でジェフリー・タベラスは語った。「けれども差別はアートではありません。それは現実で、人々を傷つけるものです」

スペクトラムへの声明文で、パウエルは掲示と作った背景について、白人ではない苦しみと白人特権を多くの人に知ってもらうためだと説明した。「掲示がもたらした極度のトラウマや恐怖によって傷ついた人々に謝罪します」と彼女は書いた。だが、「あなたが傷ついたのなら謝罪します。しかし、私の行動そのものについては謝罪しません」。

彼女は一連の行為の動機を説明しようとしたのだが、実際は世間一般人たちの嫌悪感が増すばかりだった。

「私のアートは、自分の義憤を隠すための自己防衛手段ではありません。そうではなく、議論されるべき題材を人目に晒すための表現手段であり、それで痛いところを突く生々しい作品になったのです。あのような作品を見なければ感じる必要のなかった感情を、みんなに無理強いしたという点は理解しています。でも私は問いたいのです。白人でない人たちは、差別のトラウマを表現したりそれに立ち向かったりすべきではないですか? それとも、そのような苦悩に無関心でいて良いのですか? 差別があることはみんな知っているし、差別はほとんどの人を不快な気分にさせます。その不快な気分をどこかにやってしまおうとは思わないのですか? あの作品はあなた方を不快にさせました。あの作品は差別の過去を思い出させ、現在の差別問題へと向き合わせ、それらの根本的な原因となっている現代社会の構造を認識させるわかりやすい物なのです。今まで簡単に無視できたことを、そうさせないためのプロジェクトなのです」

パウエルの声明文全文はこちら

大学は、事件について次のような声明を発表した。「大学警察が最初に調査した後、クレメンスホールに掲げられた掲示は学生のアートプロジェクトの一環だったことが確認されました。大学側は、大学の方針と規定に照らし合わせながらこの問題について議論し続けています」

パウエルは、差別問題を批判することと、それを体現するアーティストとしてはまだまだ未熟だ。19世紀の作品「human zoos」を再現したブレット・ベイリーの「Exhibit B」やTi-Rock Mooreの作品「マイケル・ブラウンの死体」、そして詩人ケネス・ゴールドスミスの「マイケル・ブラウンの検死」は、すべて強烈な批判や騒動を起こした。しかし注意すべき点は、3人とも白人だということだ。

「私の作品は人々の心に眠るものを呼び覚まし、行動を起こすか否かを選ばせるためのものです」と、彼女は声明文で述べた。「私は自問しています。マイケル・ブラウンが亡くなってから800人以上の無実の黒人が警察によって殺されているのに、今回の掲示の方が人々の怒りをより買っているのでしょうか。なぜチャーメジア・コーレーさんの警察によるセクハラ事件ではなく、掲示の方なのでしょうか? なぜ、この掲示が、白人でない学生たちに差別問題を解決するのではなく耐えぬくための結束を強める動機となるのでしょうか?」

パウエルのアートプロジェクトは、白人支配に対する良い挑戦であったと思いますか? それとも、パウエルは苦悩の歴史を使って行き過ぎたことをしたと思いますか? あなたの考えをコメント欄でお聞かせください。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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