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杉原千畝の「命のビザ」 記憶遺産の候補に

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外交官時代の杉原千畝 | Wikimedia
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第2次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官として知られる故・杉原千畝(すぎはら・ちうね)の「命のビザ」が、世界各地に伝わる古文書などを保護するユネスコの「記憶遺産」に推薦されることになった。日本ユネスコ国内委員会が9月24日、2017年の登録を目指す記憶遺産の候補として「命のビザ」を含む杉原千畝の資料を選定した

国内委員会の公募に、杉原千畝の出身地である岐阜県八百津(やおつ)町が応じた。16件の候補の中から、群馬県高崎市にある古代石碑「上野三碑(こうずけさんぴ)」ともに最終候補に選ばれた。2016年3月に八百津町がユネスコに申請し、2017年夏頃に開かれるユネスコの国際諮問委員会で登録の可否が審査される

最終候補に選ばれたのは、「杉原リスト 1940年、杉原千畝が避難民救済のため人道主義・博愛精神に基づき大量発給した日本通過ビザ発給の記録」。外務省が所蔵する2139人分の査証発給リストや外務省とのやり取りを示す公電、八百津町が所有する自筆のビザの記載があるパスポートのほか、NPO法人「杉原千畝命のビザ」が所有する自筆の手記などが対象となっている。

岐阜県の古田肇知事は県庁で記者会見し「大変うれしいニュース。杉原氏による人道行為の世界的な重要性が認められ、まさに戦後70年の節目の年にふさわしいテーマであり県、町にとって誠に喜ばしく名誉なこと。杉原氏の人道と博愛の精神を大いに発信し、末永く我々の誇りとして伝えていきたい」と喜びを語った

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杉原千畝が発給した手書きのビザ

■「命のビザ」とは?

アジア歴史資料センターによると、「命のビザ」とは、リトアニアの日本領事館の領事代理を務めていた杉原千畝によって、ユダヤ人難民に発給された日本通過ビザのこと。1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻で、多くのユダヤ人たちは隣国リトアニアへ逃げ込んだが、ソ連によるリトアニア併合が確実となっていた。

ユダヤ人の多くは日本通過ビザを得て、第三国へ逃げるという方法を選んだ。1940年7月18日、ビザを求めたユダヤ人難民が領事館へ押し寄せたため、杉原は本国の命令に反してユダヤ人難民にビザを発給を続けた。「命のビザ」によって救ったユダヤ人の数は、少なくとも6000人に上ると言われている

多くのユダヤ人を迫害から救った功績から、海外で杉原千畝は「日本のシンドラー」とも呼ばれている。

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