PRESENTED BY アーツカウンシル東京

震災で生まれた「大風呂敷」がこれからの日本にもたらすもの――大友良英さんに聞く

オリンピックは大風呂敷が鍵になるかもしれない――。ここで言う大風呂敷とは、実現できない壮大な計画ではない。文字通り、大きな風呂敷だ。

オリンピックは大風呂敷が鍵になるかもしれない――。ここで言う大風呂敷とは、実現できない壮大な計画ではない。文字通り、大きな風呂敷だ。

東京駅前の行幸通り。ここはオフィスビルが立ち並ぶ東京の「顔」だ。8月30日、その表情が一変した。東京駅前に出現する新しい参加型音楽祭典と銘打ったフェス、「アンサンブルズ東京」が開催されたのだ。

これは、ドラマ「あまちゃん」の音楽などを手がけた大友良英さん率いるプロアーティストと一般参加者が一緒になって音楽を奏でる祭だという。その場に居合わせた人たちで音楽は即興で生まれるものなのか? 大風呂敷はなぜ敷かれたのか?

東京の芸術文化を創造・発信し、魅力を打ち出すための組織「アーツカウンシル東京」のパートナーシップのもと、イベントを企画した大友良英さんに、この不思議なフェスについて話を聞いた。

震災という非常事態の中で

――なぜ、大風呂敷を地面に?

大風呂敷が生まれたのは、2011年に福島で1万数千人を動員したフェスティバルFUKUSHIMA!というフェスでした。もともとは地面のセシウムが来場者の靴や体に付かないように用意したものだったんです。

僕は、プロとして音楽を作ったりノイズをやったりしながら、国内外でプロ・アマの垣根を越えた音楽活動もやっていました。でも、メインじゃなかった。それが震災と原発事故で逆転したんです。

9歳〜18歳までを福島で過ごして、今も実家はそこにある。地元のような感覚があったので動かずにいられなかった。4月11日に福島に行って、愕然としました。津波もさることながら、原発事故が。

この場所が危ないかどうかもわからない。学者の意見はバラバラ。報道も機能していない。人智を超えた状況がそこにはありました。もうわけがわからなかった、正直。でも落ち着いて、学者でも政治家でもない自分ができることを考えました。

人は笑わないと生きていけない

まず、こういう混乱状態の時に「生きる糧」ってなんだろう?と考えました。もちろんみんな暗い顔をしているけれど、お酒を飲んでいるとジョークを言い出したりする。その時に「人は笑わないと生きていけないんだな」って気付きました。表面上はジョークも言えない空気で、これをなんとかしなくちゃいけないな、と。「今の日本には赤塚不二夫が足りない!」って本気で思いました。今僕らに必要なのは笑いと祭りなんじゃないか。それこそが生き抜く力になるんじゃないかって。前者が「あまちゃん」につながっていきます。

――後者がフェスティバルFUKUSHIMA!に?

はい。フェスをこの場所で開催することで、絶望的な事態から「僕たちはどうやって生きていくか?」を示せるなと思ったんです。だから「福島で1万人集める野外フェスをやります」と宣言して動き出した。それがフェスティバルFUKUSHIMA!です。……ただ、当時あの場所に人を集めるだけで、「お前は人殺しか」と言われたこともあった。

当初は、放射線量も細かくは公表されていませんでした。これも良くないと思った。だからフェスを開催するプロセスは、全部オープンにしました。まずは、この情況の中でどう考えていけばいいかを見つけるために。

専門家の協力のもと詳細に調査したところ、フェスの会場付近の線量は福島市の中心地よりかなり低いことがわかりました。でも、実際に汚染はされている。地面のセシウムが舞い上がったり、体に付着したりしないための養生が必要でした。その時に放射線衛生学の木村真三先生から出たアイディアが風呂敷を持ち寄って地面に敷くことだったんです。SNSで呼びかけて、全国各地から風呂敷をいただきました。それをみんなで1枚1枚縫い合わせて大風呂敷にしたんです。

福島の人だけでなく、日本中の人が風呂敷を送ってくれて、縫いにも来てくれました。内と外をつないでいくことの重要さをこのとき知りました。そうこうしていくうちに……ある瞬間、確信っていうのかな。「ああ、こうやって今ある“祭り”は生まれたんだ」って。

ハレを「買って」きた数十年で失われた“体力”

伝統的な祭りは、震災のような人智を超えた非常事態をサバイブするための“体力づくり”として機能していたんだって。社会基盤が崩れると誰も助けてくれない。だから「自分たちでやる」ことが必要なんだと強く感じました。プロ・アマとか内・外とか、そんな垣根を越えて、みんなでやる。

――祭りをやると体力がつく?

そうですね。ここ数十年で交通手段が増え、テレビ、コンビニ、携帯、インターネットと、どんどん便利になった。でも同時に非常時を乗り越える“体力”を失っていったんだと思います。過疎化と都市化によって、かつての共同体が衰弱しているのを露呈したのが、震災だったんだと思う。

昔のような閉鎖的なムラはもう成り立たない。地縁関係に縛られず、くっついたり離れたり、複数掛け持ちできるようなオルタナティブなコミュニティを作っていく方法の1つとして、新しい形の祭りは機能するんじゃないか、そう考えました。

その中で大事なのが「非合理さ」なんです。風呂敷は素材も大きさもバラバラなので、縫うのが困難。雨に濡れたら、運ぶのも敷くのも大変。もっと合理的に作ればいいのに、わざわざ大変なことしてるんです。でもお祭りの神輿に喩えるとよくわかる。神輿ってわざと重くなってるでしょ。運ぶのが大変な方が祭りは盛り上がるんですよ。

色とりどりの風呂敷で出来た大風呂敷。美しいが、雨に濡れると水分を含んで重くなる。

みんなで「大変だ」って言いながら汗流すのがいい。風呂敷もそう。大きな布を買ってくればいいだけですからね。でもそれじゃダメなんです。フェスだって、音楽のプロだけでやった方が合理的。でもそうじゃない。お互いに違いを認めて新しい音楽を紡ぐ。みんなで乗り越える経験があるから意味がある。

8月30日の「アンサンブルズ東京」。通りすがりの人も参加できるスタイル。

――現代って合理性だけが追求されている感じがします。

そっちの方が楽ですからね。合理性は近代科学の産物で、物を製造する時にはすごく大事だと思うんです。でも、生きていくことや人間関係においてはあまり意味が無い。世の中にはめんどくさい人が必要だし、それを助けるいい人も必要。

そのバランスを取る仕組みが「ハレの時間」なのかなと。普段、不良っぽいやつが、突然主役になる……祭りにはそんな要素もあるでしょう。日常が逆転するんです。そんなハレの時間があるからこそ、日常があった。でも、ここ30年くらいはそれを“購入”していたんだと思う。遊園地とかクラブとかロックフェスとか、それって全部ハレの時間のチケットを買っていたんだと思うんです。合理的にハレを手に入れられたとも言える。でも、そんなんばっかだと生命力が萎えてくるんじゃないかな。

大風呂敷を敷いた瞬間、日常がハレになった

初めて福島で風呂敷を敷いた瞬間、純粋に「ああ、きれいだな」と思ったんですね。もちろん放射能対策で生まれたものだけれど、見た目が面白かったりきれいだったりするのは、やっぱ強いんです。それで人の心が動きますから。「この絵を世界中に配信したい」、敷いた瞬間にそう思いました。それを見ると、何も知らない人が「これきれいだけど何? え、福島?」ってなるでしょう。そうすると人は初めて考えるんですよね。理屈の前に気持ちを動かすのが僕らの仕事なんじゃないかって、そのとき思いました。

――問題提起。

そう、問題提起がしたかった。映像を撮ってもらう際は「100年先の人が見たときに、『何だこの景色』って思うようにしてください」とお願いしました。理屈や正しさよりも「なんじゃこれ」っていうものをやりたかった。

――よくわからないものとの遭遇……。

うんうん。昔の祭りは、災害や疫病が流行った時に神の怒りを鎮めたり、鎮魂の意味があったと思うんです。でも今の僕らは、神に祈ったところで放射性物質がなくならないことは知っている。それだけに、人智の及ばないものがあることを認める、人間が謙虚になる瞬間が必要だと思うんです。恐らく、僕らはかつての祭りを失うことで、謙虚さも失ったのではないか。全部人間がコントロールできるって思い込んできてしまった。そういう意味でも、新しい形のフェスが必要なんです。

はい。今回も、自分たちでフェスを作ることを大事にしたかったんです。日常をひっくり返すという意味も込めて、普段は道路として使われているところに大風呂敷を敷かせてもらいました。一般の人たちが、自分たちの手でハレの空間を作る。自分たちの手で祭りは作れるんだって実感をもってもらえればいいなって。

全国から大風呂敷とそれを作った人たちが集まる空間にもしたかった。もちろん、いつも東京が中央でいいのか?っていう疑問もあるんですけど、僕の地元でもありますから。

大友さんやテニスコーツといったプロのミュージシャンと一般参加者で即興音楽を奏でた。

――東京って理由はそれだけですか?

一極集中の問題はあるにしろ、いろんな文化が共存できる可能性があるのも確かだと思うんです。だから東京がこれからも魅力的な場所であり続けるためには、異文化の受け入れ方のセンスが絶対に必要。ニューヨークやロンドンの真似じゃなく、東京のいい意味でのアイデンティティを保つ。そして、いろんな文化を形だけじゃなくて、甘いも辛いも含めて、しっかり受け入れていくことしかないと思ってます。たとえ大変でも。

僕、ハンバーグ定食が好きなんですけど、まさにあんな感じ。ハンブルグの肉料理に、甘いタレとイタリア生まれのパスタが添えられて、せんキャベツにマヨネーズがかかってて、おしんこに味噌汁とごはん。いろんな国の文化がごちゃまぜなのに日本のアイデンティティをギリギリ保ってる。あんな庶民料理、日本にしかないですよ(笑)。やっぱり、思いがけない発明って庶民の手によって生まれるのかなって。

――大風呂敷も、バラバラな風呂敷を寄せ集めた発明ですもんね。

そうですね。大風呂敷はまさにミクスチャーの賜物。あのばらばらの布の寄せ集めが、福島から生まれた自分たちの誇れる文化だって思ってます。多分、オリンピックだってもともとはギリシャ人の大風呂敷みたいなものだったと思うんです。だったら東京でやるオリンピックにも大風呂敷を敷いたらいいんじゃないかな。

(写真:西田香織)

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