日韓が対立する歴史「認識」問題って何? 木村幹・神戸大教授に聞く

そもそも日韓の歴史「認識」問題とは何なのか。両国の認識の違いが表面化した背景には何があり、今後、隣国との関係はどうなっていくのか。
South Korean President Park Geun-hye and Japanese Prime Minister Shinzo Abe arrive for a trilateral meeting with the US presidentat the US ambassador's residence in The Hague on March 25, 2014 after they attended the Nuclear Security Summit (NSS). US President Barack Obama hosted the much-anticipated first meeting between the Asian leaders with relations between Tokyo and Seoul at their lowest ebb in years, mired in emotive issues linked to Japan's 1910-45 colonial rule and a territorial dispute
South Korean President Park Geun-hye and Japanese Prime Minister Shinzo Abe arrive for a trilateral meeting with the US presidentat the US ambassador's residence in The Hague on March 25, 2014 after they attended the Nuclear Security Summit (NSS). US President Barack Obama hosted the much-anticipated first meeting between the Asian leaders with relations between Tokyo and Seoul at their lowest ebb in years, mired in emotive issues linked to Japan's 1910-45 colonial rule and a territorial dispute
SAUL LOEB via Getty Images

安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領の間で初めてとなる日韓首脳会談が、11月初めにもソウルで開かれる見込みとなった。

ここ数年、第2次世界大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題など、主に1945年以前の歴史を巡る認識(歴史認識)での対立が目立つが、そもそも歴史「認識」問題とは何なのか。両国の認識の違いが表面化した背景には何があり、今後、隣国との関係はどうなっていくのか。

日韓歴史認識問題とは何か』(ミネルヴァ書房)を出版し、ハフポスト日本版韓国版のブロガーでもある木村幹・神戸大大学院教授を招き、大学生向けに講義してもらった。

きむら・かん 1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。著書に『朝鮮半島をどう見るか』、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(吉野作造賞)など。

木村:そもそも「歴史認識問題」って何でしょうか。従軍慰安婦「問題」は1990年代以前に誰も議論しなかった。それだけでも単に過去に問題があったからと言って、いつも同じように問題があったわけではないことがわかる。考えてみれば1945年から70年遡ると、明治維新の直後。「戦前」とは、それぐらいの時間が経っているわけです。当然そこにはいろいろと変化がある。

だからこそ、現在からの観点には、時間の経過の結果、バイアスがたくさんかかっています。例えば、一番素朴なバイアスの例としては、特に大学生の世代は「なんか日韓って常に歴史認識問題で議論してきたよね」というイメージがあるでしょう。僕も授業で「韓国って軍事政権だったんですか」と驚かれたりすることがあります。逆に言えば、今の大学生が生きている20何年間、日韓はずっと歴史認識問題を議論してきたんですけど、その前の50年間も同じだったか、というと必ずしもそうではない。

まず最初にやらないといけないのは70年間の全体像を把握すること。ここでは韓国の朝鮮日報という新聞で、記事のタイトルやキーワードに、「慰安婦」や「靖国」などが入っている記事の本数を拾い、日本に関する記事全体の中での割合を計算してみました。現在問題になっている竹島や靖国神社参拝、慰安婦、教科書といったような問題は、ほとんど90年代以降になって活発に議論されていることがわかります。

(画像クリックで拡大)

また、この表から第2次世界大戦から今日までの時期はおおまかに、3つの時期に分けられることがわかります。最初の時期は、第2次世界大戦の処理を巡って、現在進行形の問題で議論されていた時期です。これが1965年の日韓基本条約で終わります。そして、ここからしばらく、日韓の間で歴史認識問題がほとんど議論されなかった時期がありました。

念のために言っておくと、歴史認識問題が議論されなかった時期において、日韓の間でトラブルがなかったわけではありません。例えば1973年には金大中拉致事件がありました。当時はどちらかというと韓国の民主化や軍事政権の問題、あるいは日本の自民党政権と韓国政府の癒着問題など、過去ではなくその時の問題について議論していた。だけど90年代からは、逆に過去の問題を議論するようになった。ここからこのあたりで、何かが変わったということがわかります。80年代から90年代に何かが動いて、ここに現在の状況の原因があるだろうと考えられるわけです。

そして同時に、非常に奇妙なことがわかる。例えば、1980年代頃はまだ韓国に留学するのがとても大変だった時代です。僕がはじめて韓国に留学したのは1992年なんですけど、ソウル大学の韓国史学科に留学しようと思ったら「あそこは日本人は受け入れない」なんていう話が正々堂々と言われた時代でした。それに比べて90年代後半からどんどん交流が活発になっていった。にもかかわらず状況が悪くなっているのは、なぜなのか。

交流がだめだって言っているわけじゃないですよ。だけど、交流の増加が歴史認識問題の解決にあまり効果がないのではないか、少なくてもデータから推測できることになります。

■「日本の右傾化」「韓国の反日」は理由として正しいか

1987年6月15日、韓国・ソウルの民主化運動

日韓関係の状況が悪くなっているのは、なぜなのか。これに対してよく次の2つの答えが返ってきます。1つは「日本が右傾化しているからだ」。特に韓国ではよく言われます。でも、仮に1980年代からずっと右傾化してきたのなら、1960~70年代の日本の政権はとてもリベラルで、韓国に好意的だったはずなのに、そんなことはない。実際、60~70年代の岸信介、佐藤栄作などはものすごく保守的な政治家でした。そもそも右傾化って何だろうという話にもなります。

もう1つは「韓国人は議論したかったんだけど、軍事政権だったからできなかった」という意見。これはある程度当たっているんですけど、考えてみると教科書問題は80年代に始まっています。80年代の韓国はまだ軍事政権(全斗煥政権)です。歴史認識問題は政権に都合が悪いから弾圧したというのは、実はその前の朴正熙大統領(朴槿恵大統領の父)が1979年に暗殺されるまでの話です。だからこの理屈で80年代の状況は説明できない。

もう1つ、「韓国人は反日だからだ」という議論があります。通俗的に韓国の民族性とか反日教育と言いますけど、考えてみれば、こう人たちが言うところの「反日教育」は韓国では昔から行われてきた。もちろん、韓国の教科書に「日本の植民地支配がよかった」と書かれたことなんて1度もないわけです。そうすると、韓国の民族性が突然90年代に変わったり、韓国の教科書の内容が突然、反日的になったりしていない以上、この理屈では変化は説明できません。そもそも一部の人がいう「反日教育」とか「強い民族主義」という説明には、多分に90年代以降のイメージも投影されていたりします。

■グローバル化で隣国の重要性は下がる

さてここで考えてみてください。それば、韓国の人は竹島や靖国神社が重要な問題だと考えている。でも同時に日本そのものがとても重要だと韓国人がみんな考えていれば、どうなるでしょうか。例えばさっきのデータに戻ると、中曽根康弘首相(当時)が1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しています。でも、この年の記事の数は決して多くありません。なぜなら8月16日の新聞には確かに大きく出たんですけど、9月以降には全く報じられていないからです。当時は、日韓関係が悪くなると、韓国経済に影響が出ることを心配した財界が止めに入る時代でした。政治家にお願いしたり、派手に日本批判をする新聞に、広告をてこに圧力をかけたりします。そうするとメディアの論調も変わるし、国民の中からも「日韓関係は重要だから、批判する方も自制すべきだ」という声が上がってくる。だからこの年の靖国問題は長引かなかった。

この話を念頭に、考えてみてください。日韓間では国交回復後ほぼ一貫して貿易額や観光客が増えています。つまり交流は増えているんですけど、でも、交流の量ってあんまり重要じゃないんですよね。それは子供が成長するときの話に似ています。子どもの頃は行動範囲が狭いから、近くの友達しかいないけど、大学生になると行動範囲が広くなって、故郷の友達は、仮に毎日通学途上に顔を合わせていても、あまり重要ではなくなってくる。つまり、全体の中での位置付けを見なければ何もわからないわけです。

さて、下のグラフでは、韓国における主要国、つまり日本、中国、アメリカの貿易のシェアを示しています。日本のシェアが真っ逆さまに落ちているのがわかります。まあ考えたら当たり前なんですけど、韓国も日本も、お互いの交流だけでなく、他国との交流も増えているんですね。そしてその他国の交流が急速に拡大すると、お互いの「重要性」が相対化されるという現象が起こるわけです。

この話をすると「それは先生、日本経済がだめになったからですね」「失われた20年が」、という話にすぐになるんですけど、違います。日本が韓国の貿易のシェアでピークを占めたのは70年代前半、その数字は実に40%に達しています。韓国にとっては当然、日本との貿易に少しでも影響が出るともう大変です。これが下がり始め、バブルの時にちょっと増えるんですけど、また下がります。日本経済の成長は80年代まで続くのに、ピークが70年代で、そしてアメリカもほぼ日本に並行して下がっています。ということは、日本経済そのもののパフォーマンスはほとんど関係ないということになります。

では日本のシェアの低下の理由は何でしょう。1つ目は中国の登場です。でも、中国との貿易の拡大は確かに量で見るとすごいけど、シェアで見ると現在も依然として20数%にしか過ぎない。考えてみれば日本のシェアはかつて40%、アメリカも35%あったんです。それが現在は、両国足して2割以下。60%近くのシェアを2カ国だけで失っています。にもかかわらず中国は20%ちょっとしか取ってないということは、中国で説明できるのは3分の1ぐらい。背景には冷戦の終焉がありました。韓国は、ソ連と1990年、中国と1992年に国交正常化します。それまで、今ではちょっと考えられないことですけど、旧東側の国と貿易さえ直接できなかった時代がありました。世界の残り半分と交流できるようになってくると、アメリカと日本の比率は下がっていく。

2つ目は韓国そのものが大きくなっている。昔の韓国の企業は、わかりやすく言えば日本とアメリカとしか取引できなかった。今はもうサムスンや現代が世界のどことも取引できる。韓国企業も大きくなったからです。

もう1つはグローバル化です。グローバル化すると国境がなくなるから隣の国が重要になるという議論をする人がいますが、それは間違いです。グローバル化とは世界が小さくなること。日本も70年代はじめまでは1ドル360円の時代でした。だから海外旅行というと、韓国か台湾かグアムかサイパン、ものすごくお金を出してアメリカの西海岸かヨーロッパという時代でした。だけど今は皆さんでも安くいろんな国に行ける。ネットで一発でヨーロッパもブラジルのホテルも予約できるのはすごいことですよね。すると、別に隣の国じゃなくてもいい。リピーターで韓流ファンの人たちはいますけど、比率としてはしょせん少数です。こうして、日本においても韓国においても、相手の国の重要性は下がっていきます。

もっと言えばこのトレンドは変えられない。グローバル化が後ろ向きになることもないですし、米中が激しく対立して、中国が韓国に「アメリカと国交を切れ」と迫る「第二の冷戦」が来れば話は別ですけど、そんな時代はやってこないでしょう。韓国経済が昔のように1人当たりの国民所得が100ドルを切る時代になるとも思えません。そうすると、グローバル化を前提にしてしか物事は進まない。

■日韓の歴史「認識」が初めて衝突した「教科書問題」

(C)時事通信社

ではケーススタディーとして教科書問題を取り上げてみたいと思います。実は一番最初に起こった日韓間の深刻な歴史認識問題は、1982年なんです。これは、1982年6月に日本のメディアが、文教出版の教科書で「日中戦争の記述が『侵略』から『進出』に書き換えられた」という有名な報道から始まっています。

2008年調査。◎=教科書に太字で重要項目として取り上げられているもの

○=普通の字体で重要項目とされていないもの

そもそも日本の教科書について、実は皆さん、あまり真面目に見たことがありません。これは東京書籍の教科書のデータを取りました。日本の教科書は実は2005年まで、植民地支配に対する表記は増えています。1978年の教科書から容易に想像がつくように、70年代の教科書には朝鮮半島のことはほとんど書いてありませんでした。

ちなみに僕は1982年の山川出版社の教科書で勉強したんですが、研究の過程で改めて読み返すと、この日本史の教科書には、韓国併合、そして三・一運動について欄外に、14か条の平和原則に刺激されて、アジア諸国で起こった民族運動の一つとして書かれていただけ。それに比べれば実は、皆さんが読んだ教科書や、韓国内で「右翼教科書」と言われて評判の悪い自由社や育鵬社の教科書でも、僕から見たら「えっ、こんなことまで書いてあるの?」っていうぐらい実は記述は充実しています。ちなみに記述の多さは2005年頃がピークで、慰安婦もここで一旦全部の教科書に入って、やがて減っていきます。もし日本の教科書の韓国から見た右傾化、というのが本当にあるとすれば、2005年以降の話です。

そうするとわかるのは、今から客観的に見て、1982年当時の教科書の内容が前後と比べてとても悪かったという話はない。そもそも、韓国人は日本の教科書や検定制度をどこまで知っていたかも問題です。

さて、この年の教科書問題は、1982年6月26日に日本のメディアが華々しく報道してはじまるんですが、直後の韓国はどういう状態だったんでしょうか。ここに示したのは、その翌日27日の朝鮮日報の10面です。これを示したのは、この日の新聞には、ここにしか日本の教科書の記事はないからです。つまり、教科書問題が始まった時には、実は韓国人はこの問題に注目していなかったことがわかります。

にもかかわらず7月になると問題が大きくなります。韓国のメディアが一斉に報道するのは1カ月後になってからなんです。そもそも当時一番の問題になっていたのは日中戦争の記述の話だったのですが、中国が公に日本を批判するのに1カ月もかかりました。日中の政府間で水面下で協議したけど、うまくいかず、7月24日に中国の「人民日報」が日本政府を批判したのがそのはじまりです。すると突然、韓国の新聞が25日に「歴史の罪を許さない」「軍国主義が復活している」と報じます。

自民党とその背後で日本政治の重要政策を決定している60歳代の人々は、第2次世界大戦当時の青年将校や軍属たちだ。彼等は近年、憲法改正による再武装を実現しようとする具体的な動きを見せており、国外においては我が国や中国、更には東南アジア諸国に対する経済的進出による強大な基盤をベースにし、国内においては嘗ての軍国主義による侵略を正当化し、美化する出版物や映画を作るなどの動きを、近年、見せている。それによりこれまで自制してきた自らの欲望をいよいよ白日のもとに晒してきたのだ。(朝鮮日報1982年8月8日付)

当時の朝鮮日報の特派員に聞くと、中国の記者が政府に言われて一斉に文部省に抗議に行く。それを見て韓国の記者たちも「何かやらなあかん」と思ったそうです。当時の日中関係はすごくよかったので、韓国人はすごい不満を持っていたんです。日本は中国ばかり優遇している。同じ西側陣営の国なのに、韓国は「軍事独裁」とボロくそに言われる。今回も文部省は中国にだけ一生懸命謝る。気にくわないので、なんで韓国に謝れないんだと文部省に抗議に行く。でも教科書のことはよくわからない。で、文部省の検定官に「あなたはそもそも韓国併合は合法だと思うんですか」と聞く。「合法です」と答えさせて「日本の教科書検定官が妄言」と報じる。実はその以前も以後も日本政府は1回も韓国併合が違法だと言ったことはないわけですが「ほら見ろ、軍国主義化が進んでいる」と言わんばかりに。

今は韓国と中国が、歴史認識問題で協力しているというイメージがあるんだけど、これも今の偏見で、実は当時はむしろ激しく競争していたんです。中国が先に走り、韓国が追いかけて材料を探す。その中で教科書の記述が韓国と違うということが見つかっていきます。実は元から違っていたのですけど、それがあたかも今新たに起こったものだと考えられたわけです。そしてそこに「軍国主義化」という意味づけがなされていく。そして実はこれ、背景に冷戦が終わりに向かい新たな状況が生まれるという話なんですね。

■中国と韓国の競争、そして冷戦の終わり

ここでそれを象徴する、興味深い記事を見てみましょう。「反対ヒステリー日本社会、今度は右傾化アレルギー」と書いてあります。右傾化を懸念しているのではありません。右傾化に対して日本社会がアレルギーを持っていることがけしからんという記事です。

また、原子力発電所は資源のない日本にとって、石油エネルギーに対する重要な代替エネルギーであり、その危険性を考慮に入れても、技術管理が可能である、というのが日本政府の立場である。

にもかかわらず、日本の社会的雰囲気は反対一辺倒だ。靖国参拝や自衛隊合憲は、軍国主義の復活であり、原子力発電所の建設は、日本国民の滅亡に繋がる、という社会的雰囲気が作られつつある。

第三者の目から見た時、靖国神社はどの国にでもある「国立墓地」に過ぎず、世論の80%以上が既に自衛隊の存在を肯定的に評価している以上、憲法をより現実的なものに改正するのは当然だろう。(朝鮮日報1981年5月8日付)

今の学部生に「これはどの新聞ですか」とクイズを出すと100%の人が「産経新聞」と答える内容は、実は1981年5月8日の朝鮮日報の1面のものです。ちなみに書いた人は東京特派員で、先ほどの記事を書いたのと同じ人です。

なぜこれを書いたのかは明確で、これは日本社会党批判なんです。当時の韓国にとって、日本が右傾化するよりもっと困るのは左傾化することでした。当時の社会党は「韓国はだめだ、北朝鮮と国交を結べ」と言っていた。非武装中立を主張して、西側陣営から脱退しろと言っていたわけです。だからこそ韓国は「頑張れ、自民党」とみんなで言うことになります。そうしないと、大国日本の支えがなくなって自分の国がなくなりかねないからです。でも時代が変わっていきます。そもそも教科書問題に関心なんかなかったけど、1972年に日中が国交正常化して、日本の中で中国と韓国が競争する状態が生まれます。その中でゴリゴリの反共産主義だった韓国が変わっていくのが、この時期で、その中で教科書問題が発見される。国交もなかった中国と韓国が競争するなんていうのは、60年代ならありえない話でした。1982年の教科書問題はこうして冷戦が終わろうとしていた時期に起きた、典型的な事件だったわけです。

では、次のケーススタディーとして慰安婦問題を考えましょう。(続編:慰安婦問題、日韓の歴史「認識」はなぜ対立する? へ)

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