梶田隆章さん、どんな人? 素粒子・ニュートリノの謎に挑んだ人生【ノーベル賞】

梶田さんが研究者として歩み始めた1980年代、世界各国が「ニュートリノ」の正体をつかもうと、しのぎを削っていた時代だった。

2015年のノーベル物理学賞に輝いた東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章さん(写真)。素粒子・ニュートリノの謎に挑んだその足取りをたどった。

梶田さんは埼玉県東松山市出身。埼玉県立川越高校から埼玉大学の物理学科を卒業後、東大大学院に進み、小柴昌俊・名誉教授(2002年ノーベル物理学賞)や戸塚洋二・東京大特別栄誉教授(故人)のもとで宇宙線研究に従事。理学博士号を取得した。

梶田さんが研究者として歩み始めた1980年代は、世界が「ニュートリノ」の正体をつかもうと、しのぎを削っていた時代だった。

「ニュートリノ」は物質を構成する基本粒子の一つで、電子と同じレプトン(軽粒子)に属する。1931年にオーストリア出身の物理学者パウリがその存在を予言し、1950年代にアメリカのライネス博士が実験で確認した(1995年、ノーベル物理学賞受賞)。

ニュートリノを捕らえて謎を解明するため、先進国が競って巨大な観測施設を建設していた。

完成式典が行われた宇宙天文台「スーパーカミオカンデ」(岐阜・神岡町の神岡鉱山内) 撮影日:1995年11月11日

研究施設で先行していたアメリカに追いつこうと、東大宇宙線研究所は1983年、岐阜県神岡町の神岡鉱山(廃坑)の地下約1000mに宇宙素粒子の観測装置「カミオカンデ」を完成させ、87年に超新星爆発によるニュートリノのキャッチに成功する。96年4月からは太陽からのニュートリノを捕まえるため、後継となる「スーパーカミオカンデ」を稼働させた。梶田さんは計測を担う責任者となり、直径39m、高さ41mの純水を満たした巨大な水槽に、宇宙からニュートリノが飛び込んでくるのを待ち、その数値を計測し続けた。

素粒子物理の標準理論によると、この世の物質はクオークや電子など十二種の基本粒子からできている。その中で三種のニュートリノだけに質量がないのは不自然。それを探る実験はいろいろ試みられてきた。

グループがとらえたのは「ニュートリノ振動」。ある種のニュートリノが別種に変わる現象で、ニュートリノが異なる質量を持つ場合に起こる。これが、質量がある証拠になる。

質量の差が大きいほど、またニュートリノが発生してから観測装置に届くまでの距離が長いほど、変わる比率は高まる。逆にどれくらいの比率で変わるかを測れば質量の差がわかる。

東大グループは、神岡上空の大気から飛んでくるニュートリノと地球の裏側の大気から飛んでくるニュートリノの量を比べた。下からのミューニュートリノは上からのものの半分程度しかなかった。地球を突き抜けて約一万三千キロを飛ぶ間に、スーパーカミオカンデではとらえられないタウニュートリノなどに変身したに違いない、という。(朝日新聞1998年6月10日付夕刊より)

1997年7月、東大宇宙線研究所は「質量がある可能性が高い」と発表。1998年6月5日には、岐阜県高山市で開かれた国際会議で、さらにデータを補強し「ニュートリノに質量がある」とする最終報告を発表した。このニュースは世界を驚かせた。

アメリカのクリントン大統領(当時)は同日、マサチューセッツ工科大の卒業式で述べた式辞で「発見は日本でなされた」と強調、「素粒子や宇宙の基本的な理論に変更を迫るかもしれない」「この種の発見は実験室の中だけで意味を持つのではない。われわれの生命観をも含む、社会全体に影響するものだ」と称賛した。

全面復旧し、報道陣に公開されたスーパーカミオカンデのタンク内部(岐阜・飛騨市) 撮影日:2006年04月07日

この功績が評価され、1999年に仁科記念賞、2002年には素粒子実験に贈られるパノフスキー賞(日本人初)、2012年度に日本学士院賞を受章した。東大では宇宙線研究所の助教授、教授、所長を歴任。2010年代からは、ノーベル賞受賞候補としてほぼ毎年、メディアで名前が挙がっていた。

湯川秀樹 1949年 物理学賞

日本人ノーベル賞受賞者

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