PRESENTED BY HARD THINGS

経営者に必要な、誰もが持つべきたった1つのスキル。アマゾンを日本に呼んだ男に聞く

90年代後半に渋谷はビットバレーと呼ばれるインターネットビジネスの一大拠点だった。この地から世界に飛び出したのが、富士山マガジンサービスCEO西野伸一郎さんだ。

スカイプ、ツイッター、フェイスブック…これらのサービスを爆発的に成長させた影の立役者がいる。それがベンチャーキャピタリスト(VC)、ベン・ホロウィッツだ。VCは新興企業への投資金を募る職種だが、なぜ彼はこれだけ成功を収められのだろうか。それは、彼自身がシリコンバレーの経営者として困難を乗り越えてきたからに他ならない。そこでの気づきを1冊にまとめたのが書籍「HARD THINGS」だ。

ホロウィッツがシリコンバレーで苦闘していたころ、渋谷はビットバレー(BitValley)と呼ばれ、インターネットビジネスの拠点となっていた。そこから世界に飛び出したのが、アマゾンを日本に呼んだ男――西野伸一郎さんだ。西野さんはこの巨大サービスを日本に普及させた後、起業の道を選ぶ。

富士山マガジンサービスCEO西野伸一郎さん。同社は、オンラインで雑誌の定期購読サービス(/~\Fujisan.co.jp)を展開している。

日経BP社の書籍「HARD THINGS」のパートナーシップのもと、西野さんに話を聞く機会を得た。なぜ、大きな成功の後、あえて困難な道を選ぶことにしたのだろうか?

アマゾンにはロックの真髄が見えた

――アマゾン ジャパンを立ち上げるきっかけは何だったのでしょう?

僕はもともとジョン・レノンに心酔するバンドマンでした。彼の「Power to the People」の思想が好きで。名も無き市民が力を手に入れるポテンシャル。この思想を最も強く感じた企業がアマゾンでした。

例えば、ユーザー発信のレビュー機能を最初に始めた。今でこそ当たり前ですが、当時、書評ができたのは重鎮だけ。でも、アマゾンでは誰もがレビューを書けた。それだけではなく、アフィリエイトも同社が生み出したものです。モノを作る側ではないけれど、ユーザーがオンライン上で他者に購買を促して報酬を得る。アマゾンは民衆にパワーを与えた企業だったんです。

――自分の理想がそこにはあったと。

そうですね。あることをきっかけに、メールを一通送ったんです。アマゾンのCEOジェフ・ベゾスに。97〜98年くらいかな。

――それだけ早い時期にアマゾンに興味をもったきっかけは何でしょう?

まず、インターネットに感動したのが大きいと思います。僕は、新卒でNTTに入った後、MBAをとりにニューヨーク大学へ留学したんです。その最中、93年〜95年にかけてホロウィッツが働くネットスケープが上場を果たしました。同社はマイクロソフトと並んでインターネットを普及させた会社。アメリカでネット時代の幕が開いたんです。市民が自分の意志で情報を手に入れられて、発信できる。「Power to the Peopleだ!」と思いましたね。

「HARD THINGS」著者ベン・ホロウィッツ。シリコンバレーに拠点をおくVC「アンドリーセン・ホロウィッツ」の共同創業者兼ゼネラルパートナーを務めている。

――ということは、アマゾンの仕事はNTTに勤めながら?

ダブってるとも言えますね。実は帰国してから、どうしてもネットビジネスに乗り出したくて、当時AOLジャパンで働いていた西川潔さんと「ネットエイジ」(現ユナイテッド株式会社)という会社を渋谷で始めていたんです。

――副業では…?

NTTの就業規則には「他の企業で勤めてはいけない」と書いてあるものの、「会社を経営してはいけない」とはなかった。だから、いいかなと(笑)。ネットエイジでは海外の新興ネットビジネスについてレポートする仕事を請け負っていて、必然的にアマゾンへの興味が強くなっていったんだと思います。

――それでメールを。

ある日、日本でオンライン書店を立ち上げたいという相談を受けまして。アマゾンの日本版を立ち上げればそれが実現できると思ったのですが、どうしていいのかわからない。そこでとにかく一度、ジェフにメールを送ってみることにしたんです。

運良く「シアトルに来るなら話を聞く」とジェフから返信があったので、夏休みを利用して渡米しました。個人レベルでどうにかできるなんて思っていなかった。でも、西川さんが「うまくいかなくても、ジェフ・ベゾスのサインをもらえるだけで価値がある」と言いだして(笑)。そこでシアトルに行ったんです。

アマゾンCEOジェフ・ベゾスの衝撃

アマゾンCEOのジェフ・ベゾス

成功する可能性は5%くらいだと思っていたのですが、ジェフは終始前のめりで「That's a great idea!!!」と、ガハハハって笑っていました。むしろ「後に引けない」と感じるくらいスムーズに話が進みました。

――勝因は何だったのでしょう?

アマゾンは合弁会社ではなく、100%独立した環境で日本進出を希望していた。これが理由の1つだと思います。実際、入社する時に「まずはシアトルに移り住んでアマゾンのDNAを体に叩き込んでくれ」と言われました。裏を返せば、パッションのある「個人」であれば誰でも良かったのかもしれません。その後NTTを辞め、アマゾンに入りました。

――日本進出はどうだったんでしょう?

僕は、出版業界やイーコマースの知識を持っていませんでした。倉庫のオペレーション、流通、カスタマーセンター…どれも経験がない。なので、日本進出には、各プロフェッショナル企業が参加する合弁会社案と単独案の2つを出したんです。その時ジェフはたった一言、こう言いました。

「(合弁会社案も出すってことは、)お前一人じゃできないってことなの?」

究極の質問だった。合弁会社の方が現実的に見えますが、それではアマゾンのDNAが薄まるんですね。「できない」なんて言えなかった。

――かなりの苦労があったのでは?

ですね。アマゾン本社の人たちは当初、日本地図を出して「倉庫はここがいいのでは?」と長野県辺りを指さしたり、「本社はここ近辺で」と島根を挙げたり。彼らの拠点はシアトルにあるので飛行機を乗り継ぐのに慣れている、とのことだったのですが、日本は事情が違いますよね(笑)。

また、準備中の配送センターにジェフが来た時、流通している本の何%をそろえる予定か聞いてきました。普通に考えたら、在庫リスクを織り込んだベストなカバー率が理想だと思います。ところがジェフは「僕らは100%にする。1タイトル1冊ずつであってもいいから揃えよう」と言い出しました。

当時日本には60~70万タイトルの書籍が出回っていると言われていて、1冊1200円だとしても8億円の投資になる。ジェフはいつもそういう発想でした。

アマゾンからフジサンへ

――なぜ、アマゾンを辞められたのでしょう?

一度、自分でゼロから会社を作ってみたいと思ったんです。僕はアマゾンで働きながらネットエイジの取締役も続けていました。入社してから約4年間、「HARD THINGS」の序文を書いているオザーン(小澤隆生さん)の会社が高値でM&Aされるなど、エキサイティングなことが起きていました。

また、アメリカでは雑誌の80%以上が定期購読されていると言われていて。「雑誌×IT」でどんなベンチャーが起こせるのか考えてみた結果、オンラインで雑誌を定期購読するサービスがあってもいいんじゃないかと思い、富士山マガジンサービス(/~\Fujisan.co.jp)を始めました。

――雑誌不況と言われ始めたぐらいかと思うのですが…。

そうですね。でも、ベンチャー企業が成功するモデルは、バッドアイディアに見える物事を別の切り口で攻めていくことだったりするんですよ。

「HARD THINGS」にも書いてありますが、固定観念にとらわれないで自分自身で考えてみることが大事。ホロウィッツはAirbnbにいち早く投資したものの、最初は「他人に自室をレンタルするなんて」と懐疑的な意見が多かった。でも今やワンシーズンで1700万ものゲストがこのサービスを利用している。ホテルより安価に泊まりたいゲスト、空き部屋を誰かに貸したいホスト。それぞれのニーズがあったんですね。

話を戻すと、自分のビジネスで1番重要視しているのが、ユーザーのデータです。雑誌は読者の趣味嗜好が最も反映されるもの。それも定期購読だと、かなり鮮明なユーザー層が出てくる。

アマゾンで学んだのはこういう面でもありました。彼らは徹底的にユーザーデータを調べるんです。取り憑かれたように。アンケート調査ではない、自然の行為として出てくる結果。これを蓄積して次の一手を打ち出す。

僕は雑誌市場にビッグデータという切り口を持ちだしたんです。人々の趣味は絶対になくならないし、もっと細分化していく。そうした時に、僕たちの集めたデータが本領を発揮すると信じています。

***

大手企業で勤めあげる人生の方が、“困難”は少なかったかもしれない。インターネットという新興産業に着手しなかった方が“困難”は少なかったかもしれない。雑誌ビジネスも同じだろう。

しかし、HARD THINGS(困難)は視点を変えるとチャンスになり得るのだ。アマゾン ジャパンを成功後、自ら会社を立ちあげ、マザーズ上場を達成した西野さんの人生はそれを物語っている。自分を信じて困難と見えるチャンスに賭ける――これは経営者だけでなく、すべての民衆が力を手に入れる手段になり得るに違いない。

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