テロ後の3日間、パリ市民は何を思ったのか「光を、窓にロウソクを」

惨劇を目の当たりにして、パリ市民は何を思い、どう行動したのか。

11月13日に起きたフランス・パリの同時多発テロ。惨劇を目の当たりにして、パリ市民は何を思いどう行動したのか。パリ在住のフリーライター・江草由香さんが、テロ後の3日間の現地をレポートする。

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11月13日金曜日の夜、フランスの首都パリで、129人もの死者(16日現在)を出す、同時多発テロが起きた。

2015年1月のテロで襲撃されたのは、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を載せた、週刊誌『シャーリーエブド』の編集部、そしてユダヤ系食品店、とターゲットが限定されている感があったが、今回は、不特定多数の人が集まる、スタジアム、コンサート劇場、レストラン、カフェとまさに、無差別テロであった。

3人のテロリストが乱入し、80人を超える死者を出したバタクラン劇場で、テロリストが「(フランス大統領)オランドのせいだ」、「シリアでは子供たちが空爆で死んでいる」と叫んだという証言もある。過激派テロ組織IS(イスラム国)は11月14日、犯行声明を出し、フランスのシリアへの軍事介入に対する報復テロだと主張した。今や、全てのフランス人がテロの標的になっているのだ。

■惨劇の翌日、病院には献血の長い行列

テロを受けて、フランス全土に非常事態宣言が発令され、15日から17日までの3日間は国喪期間となった。

14日の土曜日は、図書館やスポーツ・センターなどの公共施設をはじめ、ルーブル、オルセーなどの美術館が休館、エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿などの観光スポット、マルシェ、映画館、百貨店、多くの小売店も休業となった。

テレビに映し出されたシャンゼリゼ大通りは、人影がわずかだ。通常なら、観光客とクリスマスプレゼントを買い求めに来る人々で賑わう時期である。

通りを歩いていたフランス人男性は、TVのインタビューに「私はテロなど怖くない。今まで通りに過ごすつもりだ、私たちがテロを恐れている様子を見せたら、それがテロリストの勝利につながってしまうから」と怒りと悲しみを抑えたような表情で語った。

この日は、事件現場近くのいくつかのメトロ駅は封鎖されていたが、公共の交通機関はほぼ平常通り機能していた。ただ、外出を控えていたパリ住人は多かったようだ。テロへの警戒もあるが様々なイベントが中止になり、映画館や商店が閉まっていたことも影響していただろう。

そんな中で、負傷者が搬送されたパリの複数の病院には、献血に来た人の列ができ「自分の順番が来るまで、3時間待った」という人も。病院スタッフの中には勤務日ではないのに自発的に駆けつけたり、また、近所の開業医、定年退職した元医師たちも、役に立ちたいと集まって来たという。

病院には、献血を希望する人たちの長い行列ができた

■フランス人の“連帯”、“光を、ひとつの窓に1本のロウソクを”

フランス人は好んで、“連帯(ソリダリテsolidarité)”という言葉を使うが、いざという時の団結する様子、連帯意識の高さには驚かされる。

1月のテロ直後の日曜には、全国で反テロのデモが組織され、参加者数は約400万人、パリだけでも150万人に上ったという。今回は、一部テロの実行犯がつかまっておらず、安全性が確保できないため、警視庁が、19日木曜日までパリ市内の公共の場での集会・デモを禁止した。その代わり、ではないかもしれないが、窓辺にロウソクをともす呼びかけが始まった。

SNSを通じて、「“光を、ひとつの窓に1本のロウソクを” 恐怖と悲嘆を前にしても、私たちが、立ち上がり、連帯していることを示すために。亡くなった人への追悼、そして負傷者と家族に私たちの思いと支える気持ちを伝えよう”」というメッセージが広がった。この夜は、パリ、フランス、世界中の無数の窓辺で、ロウソクの火が揺れていたに違いない。

連帯を示す、ロウソクの光

■日曜日、人々は街に出た「テロなど恐れていない」

15日の日曜日に、人々は街に出た。多くの犠牲者を出したバタクラン劇場には、ロウソクや花を手に、たくさんの人が集まった。子供連れの家族もいて、小学生の男の子と手をつないでやって来たアフリカ系の男性は「子供にも、起こったことを理解してほしい」と語った。友達と連れ立って来たティーンエイジャーも「亡くなった人への追悼の気持ち、そして自分はテロなど恐れていないということを示すために、ここに来ました」と語っていた。

バタクラン劇場でロウソクをともす子供たち

惨劇が起きたレストランやカフェにも、犠牲者の家族や友人、常連客、近隣の人々が訪れた。また、事件の起きたパリの10区と11区にまたがるレピュブリック広場にも、次々と人が集まり、中心に立つマリアンヌ像の台座は花やロウソクで覆われ、メッセージを書いた紙を貼る人の姿があった。

ヒシャブを被ったイスラム系の女性が、「ISよ、あなたたちは、イスラム教徒ではない」と書いた紙を貼っていたり、「ジュテーム・マ・フランス(愛してる、私のフランス)」とシンプルだが心に響くメッセージなども読み取れた。

青空の下、広場の近くをジョギングしている人や、周辺に並ぶカフェのテラス席に座る人たちの姿もあった。

繰り返しニュースで流される映像や、報道写真で、金曜の夜にテラス席にいた人たちが多数、銃撃によって亡くなったことは明らかだった。パリ市民たちは、テロに屈しないという態度を表明するために、勇気をもって“今まで通り”に振る舞っているように思えた。

ノートルダム寺院では追悼ミサが行われ、パリ市長アンヌ・イダルゴも列席。日が暮れても寺院前の広場には多くの人が残り、犠牲者の冥福と平和を祈った。

パリのノートルダム寺院、多くの人が平和を祈った

■3日目の朝、日常の光景が戻る 正午に黙祷

16日の月曜日には、学校も再開し、朝、パリに向かう郊外電車や、地下鉄は通勤客でいっぱいになり、まるで何事もなかったかのような日常の光景が見られた。ただ、正午から1分間、テロの犠牲者を追悼する黙祷が、フランス全国の学校、オフィス、工場、空港、鉄道駅などで行われた。

午後にはオランド大統領が、上下院の議員をヴェルサイユ宮殿に招集し、シリアへの攻撃強化、非常事態宣言の3カ月延長、テロ対策を有効にするための憲法改正を主張。その後、議員たちは起立して、国歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱し、その様子が国営テレビに映し出された。

ヴェルサイユ宮殿で演説するオランド大統領

■軍事介入とテロの危険性。フランスはどこへ向かうのか。

テロの直後から、フランスではFacebookなどのSNSで、2014年9月にドミニク・ド・ヴィルパン元首相が、テレビの討論番組出演した時の動画が盛んに投稿されている。元首相は、「軍事介入をすれば、フランスでのテロの危険性が増すだけで、テロリスト相手の“戦争”に勝利はあり得ない」と明言している。

国喪が明けて、深い悲しみの淵から少しずつ立ち上がった後、人々は「ド・ヴィルパンの言った通りだ」と思うのだろうか? それとも、オランド大統領を支持し、IS壊滅のためにシリアへの空爆を強化すべきだと考えるのか ?

自爆テロ実行犯の一人がシリア難民を装って、ヨーロッパに渡った可能性があると報道された。それでも人々は、難民を快く受け入れることができるのか? テロリストたちが犯行に使った車はベルギーのナンバープレートが付いており、これを受けて、一時フランス国境は封鎖された。国民戦線党首のマリーヌ・ル・ペンは、シェンゲン協定による国境開放を中止すべきだと主張し、それに賛同する声もあがっている。

フランスそしてヨーロッパは、どこに向かっているのだろうか?

(パリ在住ライター 江草由香)

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