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金泳三・元韓国大統領が死去 民主化運動のリーダー、対日強硬姿勢も

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KIM YOUNG SAM
FILE: This file photo of South Korean President Kim Young-sam at a party rally on Feb. 6, 1996, shows his new softer, and more humane image. Instead of the jet black hair dye, Kim has opted for a softer brown that shows the gray around his temple. (AP Photo/ Yonhap) | ASSOCIATED PRESS
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韓国の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が11月22日、死去した。87歳。韓国の聯合ニュースが伝えた。死因は敗血症、急性心不全という。

1927年、韓国南東部の慶尚南道・巨済(コジェ)島出身。ソウル大学卒業後、1954年に26歳で史上最年少の国会議員に当選。1970年に党勢が伸び悩む野党第1党・新民党の世代交代を主張し、1974年に新民党総裁に就任した。野党の若手リーダー格として、軍事クーデターで政権を握り、独裁権力を強化していく朴正熙大統領を強く批判した。同じ新民党でほぼ同世代だった金大中氏とは、同じ民主化運動の闘士でありながら、出身地の地盤も異なり、ライバルとして反目し合った。

1979年に朴大統領が暗殺され、全斗煥氏がクーデターを通じて政権を握ると、全氏は民主化運動関係者への弾圧を強化。金泳三氏は自宅軟禁され、金大中氏らとともに1985年まで政治活動を禁止されるなど苦難を極めた。1983年には民主化を訴える23日間のハンガーストライキで注目を集めた。互いに反目していた金大中氏とは、民主化の実現を訴えて共同歩調を取るようになり、1987年6月まで続く民主化運動を主導した。

1987年6月に全斗煥大統領が、大統領直接選挙の実施を認めたが、金泳三氏と金大中氏はともに自らの立候補を主張して譲らず、野党・民主化勢力の単一化に失敗。1987年12月の大統領選挙は票が割れる形となり、全斗煥大統領が後継指名した元軍人の盧泰愚氏に敗れた。

野党「統一民主党」を率いていた1990年、盧泰愚氏の与党・民主正義党や、かつて朴正熙大統領の腹心だった金鍾泌氏率いる新民主共和党と合併して「民主自由党」を結成。かつての軍事クーデター勢力との野合との批判を浴びたが、1992年には与党の大統領候補に指名され、92年12月の大統領選挙で金大中氏らを破り当選。30年ぶりに文民の大統領となった。

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1993年の大統領就任後は、軍部を陰で仕切る私的親睦組織「ハナ会」を解散させ、政治から軍の影響力をそぐことに成功した。1995年に「歴史立て直し」を掲げ、全斗煥、盧泰愚の両元大統領を79年のクーデター容疑で逮捕した。一方で任期末期の1997年にアジア通貨・金融危機の波が到来。外貨の流出と国内企業の倒産など深刻な不景気を招き、IMF(国際通貨基金)の支援を要請した。

対日関係では大統領就任当初「未来志向」を主張し、過去の歴史問題を重視しない意向を示したが、当時の懸案だった慰安婦問題で、1995年に日本側が設立した「アジア女性基金」では、韓国内で元慰安婦への償い金支給を拒否するなど、のちに歴史問題で強硬姿勢に転じた。

1998年に憲法の規定に従い5年1期で退任。後任は金大中氏だった。

2015年11月19日から高熱や呼吸困難を起こして入院していた。

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