真珠湾攻撃から74年、なぜ「卑怯なだまし討ち」と言われたのか(画像集)

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日本軍機の魚雷攻撃で爆発炎上するアメリカの戦艦「アリゾナ」

よく晴れた日曜日の朝の出来事だった。1941年12月7日午前7時55分(日本時間8日午前3時35分)、ハワイ諸島のオアフ島の海軍基地を、日本軍の航空部隊が奇襲した。

ヒッカム飛行場に爆弾を投下した後、太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェスト・バージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦が、日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって、またたく間に黒煙に包まれた。犠牲者はアメリカ側の約2400人に対し、日本側は約60人だったという。

鮮やかな戦果だったが、大きな問題があった。真珠湾攻撃の狙いは、主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意喪失を誘い、短期決戦に持ちこむことだった。しかし、それは全く逆の結果になった。

日本の開戦通告は、攻撃の30分前にアメリカ側に届くはずだった。しかし、駐米大使館が本国から受け取った暗号文の解読に時間がかかってしまい、実際にアメリカ側に渡ったのは攻撃の40分後になった。真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」となり、ルーズベルト大統領率いるアメリカ政府は、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」のスローガンを掲げて、アメリカの世論は、一気に開戦へと傾いた。

日本側は、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または行動不能とする戦果を挙げたが、このうち6隻は後に引き揚げられて戦線に復帰。真珠湾を基地とする空母3隻は、ハワイを離れていたため無傷。アメリカ軍の戦力に決定的なダメージを与えることはできなかった。現存する貴重な資料から、当時の様子を振り返ってみよう。

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【参考文献】
・「図説 太平洋戦争 16の大決戦」(編:太平洋戦争研究会、著:森山康平、河出書房新社)
・「図説 太平洋戦争」(編:池田清、著:太平洋戦争研究会 、河出書房新社)

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