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天皇陛下、82歳の誕生日 「先の戦争を考え過ごした1年」【会見全文】

2015年12月22日 23時27分 JST | 更新 2016年07月13日 20時09分 JST
時事通信社

天皇陛下は12月23日、82歳の誕生日を迎えた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見し、戦後70年の節目の2015年を「様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」と振り返り、年々戦争を知らない世代が増えるなかで「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と話した。

太平洋戦争中に旧日本軍に徴用された民間船の船員が多数犠牲となったことについて、天皇陛下が声を震わせながら話される場面もあった

記者会見の全文は次の通り。

【宮内記者会代表質問】

今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、明るい話題もありました。天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いてお言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

戦争や平和への思いに触れながら、この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

【天皇陛下】

今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳しんだけが噴火して、海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。

今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらすオンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおけるニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。それから50年以上が経ったわけです。

今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、敵の攻撃によって命を失いました。日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、亡くなった船員のことを思い、供花しました。

この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような木々の茂る緑の島となっています。空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員がその処理に従事しています。危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならないと思います。

パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

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