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津波に流された1冊の本が、陸前高田市立図書館に5年ぶりに"返却"されるまで

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5年ぶりに“返却”された「防災講座 津波の心得」 | 猪谷千香
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東日本大震災から5年。津波で未曾有の被害を受けた岩手県陸前高田市を3月初めに訪れた。宮城県から沿岸部を北上していくと、まず車窓から見えてきたのが、ぽつんと立った「奇跡の一本松」だった。周囲は現在もかさ上げ工事が続き、新設された道路はダンプカーが激しく行き来していた。

その「奇跡の一本松」から1キロほどの沿岸部に、かつて陸前高田市立図書館はあった。しかし、2011年3月11日、押し寄せた津波によって建物は全壊。職員7人全員が落命した。蔵書8万冊もすべて流出、岩手県指定文化財の古文書など多数の貴重な資料も水浸しとなった。

現在、図書館は沿岸部から少し離れた場所で、仮設の建物で運営されている。規模は小さいながら、温かみのあるログハウスの仮設図書館は、地域の人たちにとって憩いの場にもなっている。この図書館へ、1冊の本が5年ぶりに“返却”された。タイトルは「防災講座 津波の心得」。津波にさらわれ、ボロボロになったこの本は、今までどこで、何をしていたのだろうか?

■陸前高田市にもう一度、図書館を

陸前高田市立図書館の仮設図書館は、高台にある竹駒町のコミュニティセンター内にある。2012年にログハウスの寄贈を受け、市街地の復興計画とともに進む新図書館の建設を待ちながら、運営されている。50平方メートルだが室内は図書館を応援する色紙や手作りの作品などが置かれ、震災関連資料から子どもの絵本までバランスよく配架されている。

ここで、ある資料と“再会”を果たした。一度は津波に流されながらも、2012年に救出され、東京都立図書館の資料保全室で丁寧に修復された郷土資料の一群だ。丁度1年ほど前、その修復作業を東京都立図書館で取材したことがあった

取材後、郷土資料は陸前高田市立図書館へと返還された。1年ぶりに見る郷土資料は、震災資料の棚に配架され、並びきれないものは大事に箱へ収められていた。これらの郷土資料は、地元の学校の文集など、陸前高田市の人たちにとって「思い出」ともいえるものがたくさん含まれていた。きれいになった本のページをめくりながら、住民たちは「なつかしいね」と喜んでいたという。

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東京都立図書館から陸前高田市立図書館へ返還された郷土資料

すべてが流されてしまった図書館を復興したい。その手助けをしたい−−。陸前高田市立図書館には、震災直後から多くの支援の手が差し伸べられてきた。2011年4月には、移動図書館車「やまびこ号」と図書5000冊が寄贈され、7月には市内を走り始めている。2014年には2台目の移動図書館車「はまゆり号」も贈られた。プレハブとログハウスの寄贈を受け、2012年12月には現在の仮設図書館で、図書の貸出が再開された。待ちに待った「図書館」だった。

これ以外にも、全国から支援は集まっている。8万冊の蔵書はほぼすべて失ったが、寄贈などにより現在は約4万冊にまで増えている。また、ネットで展開する古書店、株式会社バリューブックスが立ち上げた「陸前高田市図書館ゆめプロジェクト」は、自宅や会社で不要になった本を送るとバリューブックスが査定、その買取金額相当が陸前高田市の図書館再建に役立てられるというもの。2016年1月末までに、170万冊以上が寄せられ、3000万円以上が累計で寄付されている。

■「津波てんでんこ」を広めた津波防災の第一人者、山下文男さん

今回、陸前高田市の図書館へ案内してくれたのは、文化施設のコンサルティングを手がけるアカデミック・リソース・ガイド株式会社の代表取締役、岡本真さんと、震災当時に図書館司書だった熊谷慎一郎さん(現在は別の部署)だ。岡本さんは、震災直後から図書館や美術館、博物館、公民館の被災・救援情報サイト「saveMLAK」を立ち上げ、被災地に入って支援活動を行ってきた。熊谷さんは宮城県図書館という立場から、宮城県内で被災した図書館の復興に尽くしてきた。

立場は違うが、被災地の図書館をそれぞれ支えてきた2人と陸前高田市の図書館を訪れた日、熊谷さんが取りだしてきた一冊の本があった。「防災講座 津波の心得」(1985年、青磁社)。津波災害史研究者として知られた山下文男さんの著作だった。

1924年、現在の岩手県大船渡市三陸町に生まれた山下さんは、「津波てんでんこ」という言葉を広めた第一人者だ。「てんでんこ」とは、三陸地方の言葉で、「てんでに」「てんでんばらばらに」という意味。「津波が来たら、とにかく高い方へめがけて逃げろ」という教訓なのだという。

1896(明治29)年に発生した明治三陸大津波で一族を9人、亡くした山下さんは、その恐ろしさを父親から聞いて育った。山下さん自身も9歳の時、1933(昭和8)年に起きた昭和三陸津波を体験、高台に逃れて命拾いをしている。山下さんはその後、近代日本の津波史を研究。「津波てんでんこ」を津波防災の標語として広めた。

震災前の陸前高田市立図書館にも、山下さんの著作はあった。その一冊が、「津波の心得」。昭和三陸津波の体験を山下さんは、この本の中でこう記している。

津波体験者からの伝え聞きによる心得があるかないかでは、いざというときの身の処し方に違いがでてきます。前にも話したように昭和八(一九三三)年の三陸大津波の死亡者数が比較的すくなかったのは、その前に襲った明治二九(一八九六)年の津波から三七年しかたっておらず、その体験が多くの人のなかにまだ生きていたことが要因の一つとしてあげられます。当時、幼なかった(九歳)私なども、津波だ! の一声で、父や兄に手をひかれたわけでもなく、小雪の積もる段々畑を突き抜けて一人で山に逃げましたが、それができたのは津波の恐怖についての父母からの伝え聞きが身についていたからです。

山下さんは、津波への心構えとして、「避難するときは命をいちばん大切と考えて高い所へと逃げること」と、本の中で繰り返し訴えている。

■津波に浸かった「津波の心得」が岩手県生まれの司書の手に

期せずして山下さんは、2011年3月11日の津波も経験することになる。陸前高田市で入院中、東日本大震災に見舞われた。病院にも津波は押し寄せ、カーテンにつかまってこらえ、九死に一生を得たという。その年の12月に山下さんは87歳で亡くなったが、東日本大震災の津波被害を経て、あらためて今、その仕事が見直されている。

そんな山下さんの「津波の心得」も、陸前高田市立図書館で津波に襲われてしまう。震災直後、2011年5月にsaveMLAKの活動として、現地に入った岡本さんが、図書館の周辺で発見し、「津波防災の第一人者である山下さんの本を、このまま土砂の中に捨てておくにはしのびない」と拾ったものだった。その後、ある機会を経て、被災地の図書館復興に奔走していた宮城県図書館の熊谷さんの手に渡った。

海水に浸かった本を熊谷さんは、仕事の合間の休みに、丁寧に汚泥を取り除き、乾かしてカビの発生を防いだ。熊谷さんは岩手県に生まれ育った。「全てを失った陸前高田市立図書館へいつか戻そう。司書としての知識を活かし、プロボノ活動として故郷へ貢献したい」。熊谷さんは、そう考えていたという。

「津波の心得」を受け取った陸前高田市立図書館では、「本は窓からも流れていったと聞いています。この本がどうして残っていたのかわかりませんが、貴重な本なので大切にしたい」と話している。

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津波に浸かったものの、ページは読めるよう、熊谷さんが手を尽くした「防災講座 津波の心得」

陸前高田市教育委員会が2015年9月にまとめた「新陸前高田市立図書館基本構想」では、その基本理念を以下のように定めている。

未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、陸前高田市民から大切なものを奪い、心に深い傷を残しました。このような厳しい状況から新しいまちを作り上げるには、陸前高田市の将来を担う人材を育てることが重要であり、図書館はその役割の一翼を担っています。図書館を再建するにあたり「訪れるだけで安らぎ、一人ひとりの豊かな日常を取り戻すお手伝いをし、新しいまちの賑わいの創出に貢献し、郷土の歴史を守り、伝え、陸前高田の宝物になるような図書館を創ること」を基本理念とします。

市民が集う新しい図書館に、岡本さんと熊谷さんが“返却”した「津波の心得」も、本棚に並ぶ日が来るかもしれない。

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