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10枚の写真で振り返る アメリカとキューバの歴史(画像集)

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3月20日、オバマ大統領が現職のアメリカ大統領としては88年ぶりにキューバを訪問した

訪問中、企業家から反体制活動家まで様々な人々と会談する。キューバのオールスター・ナショナルチームとアメリカ・メジャーリーグのタンパベイ・レイズの試合を、ラウル・カストロ現国家評議会議長と一緒に観戦する予定もある。

オバマ大統領の訪問は、アメリカとキューバの関係に新しい時代が到来したことを告げるといっていいだろう。2015年7月、両国は54年振りに国交を回復した。アメリカとキューバは1961年1月3日、ラウル・カストロ現国家評議会議長の兄であるフィデル・カストロ前国家評議会議長が率いるキューバ共産主義政権下で国交を絶った。 当時アメリカはソ連と冷戦のまっただ中であり、キューバはソ連と同盟関係を結んでいた。

キューバ危機やピッグス湾事件、チェ・ゲバラやジョン・F・ケネディ大統領、フルシチョフ。キューバでは多くの出来事が起き、様々な人物が登場した。1953年にフィデル・カストロ前国家評議会議長がクーデターを起こしてからからこれまでの間に起こった出来事を、写真で振り返ってみよう。

  • Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images
    1953年7月26日に起きたモンカダ兵営襲撃に失敗し、法廷に出廷するフィデル・カストロ。襲撃は失敗に終わったが、当時の大統領フルヘンシオ・バティスタ政権に対するこのクーデターは、キューバ革命の重要な出来事だと考えられた。
  • ASSOCIATED PRESS
    共産主義革命家のチェ・ゲバラ。断固として反アメリカを唱えたゲバラは、バティスタ政府を倒すためにゲリラ戦をしていたフィデル・カストロに加わった。ハバナで葉巻を吸っている姿をとらえた一枚。
  • Hulton Archive/Getty Images
    バティスタがドミニカ共和国へ亡命した3日後の1959年1月4日、キューバ中部の都市カマグエイで演説をするフィデル・カストロと支持者たち。共産主義の支援者にとって「勝利の日」として知られている。
  • Underwood Archives/Getty Images
    1960年9月、国連で抱き合うフィデル・カストロ(左)とソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフ(右)。2つの共産主義国は冷戦中に関係を深めた。
  • ASSOCIATED PRESS
    アメリカ合衆国がキューバ政府と外交関係を絶った後にアメリカの国旗をしまうハバナのアメリカ大使館職員。1961年1月3日に撮影。
  • Michel Setboun/Getty Images
    アメリカとキューバの外交関係が途絶えた後、通商禁止措置がとられ両国間では輸出入が禁止された。多くの品物が不足するようになったキューバでは、1950年代のアメリカ製自動車が未だ使われている。
  • Keystone/Getty Images
    1961年4月、革命裁判所で裁かれるCIAの訓練を受けた在米亡命キューバ人たち。1400人の亡命したキューバ人がカストロ政権打倒を試みてキューバのピッグズ湾に侵攻したが、失敗した。
  • AFP/Getty Images
    核ミサイルをキューバに配置するソ連の計画を察知したジョン・F・ケネディ大統領は、海上を封鎖する命令書に署名した。数日後、フルシチョフはキューバの軍事基地での活動を中止しミサイルを撤去すると発表した。
  • Jaques Langevin/ASSOCIATED PRESS
    1980年4〜10月、カストロ議長は希望するキューバ人のアメリカへの亡命を許可した。4月23日、キューバのマリエル港でフロリダへ向かう船に乗る人たち。約12万5000人がキューバを後にした。
  • ADALBERTO ROQUE/AFP/Getty Images
    アメリカとキューバの国交回復を受けて再びオープンしたアメリカ大使館のそばを走るクラシックカー。アメリカの国旗を掲げている。

ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。

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キューバの首都・ハバナ 画像集
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